吸血鬼
Ⅰ
それは影から出でるもう一人の魔人。
実体を得た影は、焔を引く剣閃に介入してこれを阻む。
起死回生の一手は、不発に終わった。
「――くッ」
魔力もほぼほぼ底を尽きた。
中型魔獣を始末したカリンも、魔人を倒せるほどの余力はない。
「もはや油断はしない」
畳み掛けられる。
鍔迫り合いの最中にはじき飛ばされ、体勢を大きく崩した。
その隙を突くように、魔人が身に纏う濡羽が全方位に向けて放たれる。
それは飛来する幾百の黒剣。
弾幕となり飛び散るそれを、魔力切れの俺に避ける術はない。
「ぐぅッ」
腹に、腕に、足に、爪先に、手の平に、突き刺さる。
強烈な痛みが全身を駆け巡り、立っていられずに膝をつく。
どろりと、滴り落ちていく。
次々と、血液が。
「まずはお前だ。次に女を殺す」
カリンも、どうやら俺と同じ状況にあるみたいだ。
やはり中型魔獣を一人で倒すのには無理があった。
消耗が激しく、捌けたはずの攻撃もまともに食らってしまっている。
だが、カリンはそれでも中型魔獣を倒し、俺の窮地を救おうとしてくれた。
なら、俺も無理をしなくちゃあな。
「死ね」
「お断りだッ」
振り下ろされる黒剣に対して銃口を向ける。
正真正銘、最後の魔力を信号銃に込め、その引き金を引く。
本来、空へと向かうべき黒の信号弾は、魔人へと放たれた。
「悪足掻きを」
無論、それが攻撃として成立するはずもない。
信号弾は呆気もなく斬り裂かれたが、それで構わない。
狙いは攻撃ではなく、視界を奪うことだ。
たとえ両断されていても、信号弾はその役目を果たす。噴き出した黒色の煙幕が周囲を瞬時に満たし、魔人と俺たちのすべてを包み隠す。
「――ほんとは頼りたくないんだがな」
煙幕の中、手の平に突き刺さった濡羽を抜き、滴る血液に口をつける。
自らの血を啜り、人間性を取り込み、奥底に眠る鬼を呼ぶ。
僅かだが人間の血を取り込んだ。
傷は癒え、身体は動く、魔力もすこしだが回復した。
その魔力を駆使して脚力を蘇らせ、煙幕に紛れてカリンの元へと急ぐ。
たどり着くと、そのまま抱きかかえて戦線を一度、離脱する。
「逃げる気かッ!」
珍しく声を荒げる魔人に、言葉は返さない。
だが、逃げるために背を向けた訳じゃあない。
勝つために、倒すために、いまは距離をおく。
アスイマの生徒に撤退はない。
「――よう……私、まだ……生きてるか?」
信号弾を利用した煙幕により、魔人の追跡はなんとか振り払った。
カリンを木の陰に下ろし、もたれ掛けさせると、か細いながら言葉が聞けた。
濡羽の攻撃で負傷を負ってはいるものの、意識はあるし、命に別状はなさそうだ。
「あぁ、なんとかな。身体に幾つか羽根が刺さっちゃいるが……まぁ、痕は残らねーさ」
「そんな心配は……してねーよ。それより……逃げたのか」
「逃げてない。距離をおいただけだ」
「逃げだろ、それは」
「戦略と言え」
「はいはい」
呆れたように、力なくカリンは言う。
「それで……どうするんだ?」
「決まってるだろ。また魔人に立ち塞がるさ」
「その底を尽きた魔力で、か?」
たしかに魔力は底を尽きた。
信号弾も撃てないほどに、だ。
この状態では決して魔人には敵わない。
それは俺が一番よくわかっている。
だから。
「――一つ、頼みがある」
だから、俺はカリンに己の秘密を明かした。
Ⅱ
「――よう。魔人」
立ち塞がる。
魔人のまえに、もう一度。
「……なぜ、また現れた。一度、逃げた。お前が」
「逃げてねーよ。距離をおいただけだ」
先ほどカリンに向けた言葉を、今度は魔人に向ける。
逃げてはいない、と。
「……一人か」
周囲を窺う素振りを魔人は見せた。
カリンを探していたのだろうが、近くにはいない。
「あぁ、相方は戦える状態じゃあないもんでな」
「それで。勝てると」
「勝つさ。さっきまでの俺と思うなよ」
刀の柄に手をかけ、ゆっくりと抜刀する。
「足をすくわれるぞ」
「言ったはずだ」
魔人は羽根を模した黒剣を握る。
「油断はしない」
瞬間、開戦の狼煙が上がり、魔人はその濡羽を刃とした。
撃ち放たれるのは、幾百の黒剣。
以前の俺では躱すことすら出来ずにいた剣先の数々。
視界を埋め尽くさんばかりの夥しい数の凶器。
その一斉掃射に、こちらはただの白刃をもって迎え撃つ。
ただそれだけで十分だった。
刀身の振り始めから振り終えるまでの刹那に、幾百の黒剣を打ち落としていたのだから。
「今のが見えたか?」
太刀筋が、剣閃が、目で追えていたのか。
恐らく、答えは否だ。
「――其は我がうちに潜む者ッ」
だから、あぁも急いて詠唱する。
「影法師」
現れる魔人の影法師。
実体を得たそれらは、数えるのも億劫になるほど分裂していた。
「殺せッ」
大挙として押し寄せる影の軍勢。
黒く色づいた濁流であるかの如く、それは迫りくる。
すこし前までなら、為す術もない絶望的な光景だっただろう。
だが、いまの俺には対抗手段がある。
魔人が魔術を駆使するなら、こちらは魔法で答えよう。
「――月に狂え」
唱えるは、月に映す我が身。
その名は。
「三月兎」
一刀で事足りる。
三月兎はその名の通り、狂ったように跳ねる魔法。
その対象範囲は単なる脚力だけに止まらず、剣の軌道すらも跳ねさせる。
つまり、一の斬撃が十にも百にもなって拡散する。
「――馬鹿な」
影の軍勢は、ゆえに一刀のもとに霧散する。
拡散する斬撃に、すべてが斬り伏せられた。
「お前は……お前はいったい何者だ!」
ただ一人となった魔人が叫ぶ。
その時、空を覆う枝葉から木漏れ日が差し、この身を照らし出した。
「――吸血鬼。その眷属さ」
ある日のことだった。
孤児だった俺は死の間際に、美しい女に救われた。
だが人としては、もはや生きてはいけない身体だった。
ゆえに女はその牙を剥き、首筋に咬み傷を残した。
そして、俺は僅かながらの人間性を残した、吸血鬼の眷属となった。
「吸血鬼……吸血鬼だと」
「そうさ。日の光を受けて灰になり、十字架を恐れ、聖水に焼かれ、ニンニクを嫌い、木の杭や銀の弾丸で撃ち抜かれると死んでしまう。そんな無敵の吸血鬼だ」
カリンにした頼み事は、吸血行為。
自分の人間性では吸血鬼としての能力を僅かにしか引き出せない。
だから、魔人を倒すにはカリンの血が必要だった。
カリンは、とても驚いた様子で、けれど「驚くのにはもう慣れた」と、了承してくれた。
だから、俺はカリンに刻みつけた。
その首筋に咬み傷を。