八割のほう
「よう。聞いたか? 例の噂」
今朝、教室の席に腰を下ろしてすぐ、噂好きのマルスがそう話題をふる。
「あぁ、あのことですね? 吸血鬼」
答えたのは、くそ真面目なアレン。
「吸血鬼って?」
聞き捨てならない言葉が聞こえて、そう聞き返す。
「なんだよ、コクト。知らないのか? 昨日の晩に吸血鬼を見たって奴が何人も出たんだ」
「昨日の晩……あぁ、その日は巡回で夜には疲れでぐっすりだったな」
眠っているうちに、そんな噂が出ていたとは。
「で? なんだっけ、吸血鬼が出た? この街に?」
「まぁ、あくまで噂ですけどね。居るわけがありませんし、吸血鬼なんて」
「わかんねーぞ。もしかしたらまだ生き残りがいるかも」
「ありえませんね。第一、日光で灰になってしまう生き物が、長く生存できる訳がありませんから。子孫、眷属にいたるまで現代まで残っている可能性は限りなく低いです」
「ロマンがねーな。相変わらずアレンは。コクトはどうだ?」
「さてな。居れば排除しなくちゃならないし、居なければいつもと変わらない。それだけだ。ちなみに、その吸血鬼はどんな奴だったんだ?」
一応、情報は集めておくとしよう。
「そりゃあ、吸血鬼だぜ? 金髪に紅い目の美女だよ」
「それだけ?」
「それだけ」
「それただの容姿端麗な女性なのでは?」
その線は十分にありえるな。
「ただ美人なだけで、吸血鬼なんて噂が立つかよ。きっと……そう、見た奴にしかわからない……なんつーか、言葉で言い表せられないような何かがあったんだよ。きっと」
「曖昧ですね」
「模糊だな」
「ま、噂話なんてそんなもんだ。信じる信じないは自分次第だ」
「便利な言葉だな、それ」
それにしても、夜の街に現れた吸血鬼か。
金髪で紅い目をした美女。
まさかな。
「あ、でも、この噂は確証があるぜ」
「なんですか? 今度は」
「このクラスに転校生がくるらしい。それも女子が」
女子という部分をやけに強調して、マルスは言った。
そう言った話は聞かないけれど、自信満々に言うのだから確信があるようだ。。
噂好きの名は伊達じゃない。独自ルートで仕入れたマルスの情報に、間違いはそんなにない。だいたい八割くらいは当たっていて、二割は見当違いに終わる。
今回は八割のほうに入っていそうだ。
「へー」
「へー、って、興味ねーのかよ。コクト」
「ないって言ったら、そりゃあ嘘になるけど。俺はそれより放課後のことで頭がいっぱいなの。巡回明けの小休暇をどう有意義に使うかで頭を悩ませてるの」
放課後から明日の朝までの時間を自由に出来るだけのことだけれど。
毎日の大半を様々な業務に費やすアスイマの生徒にとっては、この小休暇はとても貴重な時間だ。
「有意義ったって。どうせ鍛錬して終わりだろ? コクトの場合」
「暇さえあれば鍛錬してますし、流行り廃りに疎いですからね、コクト」
「うるせぇ。まぁ、否定はしないけど今回はべつ。街にいく用事があるんだよ」
「用事って?」
「ひみつ」
それは言えない。
「まさか、女か?」
「そうなんですか?」
「……さぁ?」
まぁ、ある意味では間違っていないか。
「うわっ、見たかアレン」
「えぇ、見ました。女ですね、あれは」
「お前らの憶測はどうでもいいけど、授業始まるぞ」
そう言って時計を指さしたところで、ちょうどよく鐘の音が鳴る。
教室内は慌ただしくなり、次々に生徒が着席する。
マルスとアレンも席につき、間を置かずに担任の教師が教壇に立った。
「えー。噂好きな奴はもう知っているだろうが、授業を始めるまえに伝えることがある」
気怠げな口調で、衣服のポケットに片手を突っ込んだまま、ライザ先生は言う。
マルスの情報が正しいなら、生徒にとっては一大イベントだけれど。ライザ先生の様子に変わりはない。いつも通り、やる気があるのかないのか、はっきりしない態度で立っている。
これは二割のほうだったか? とも思ったが、開けっ放しの扉の向こうに、ちらりと制服の端が見切れていることに気がついた。
どうやら八割のほうだったらしい。
「このクラスに新しい生徒が加わった。入って良いぞー」
ライザ先生の言葉によって、この教室に転校生が足を踏み入れる。
黒くて長い艶のある髪を靡かせて歩くその様に、緊張の様子は見て取れない。実に堂々とした足取りで、彼女はライザ先生の隣に並ぶ。
「おい。あの子ってコクトと同郷じゃね?」
「そう見えますね。どうなんです?」
「まぁ、そうなんだろうな。そんな感じがする」
身に纏う雰囲気に、どことなく懐かしさを覚える。
彼女に面識があるわけでもないが、不思議と故郷を思い出してしまう。
郷愁を胸に抱いてしまっている。
「ヒュウガ・カリン。これからよろしく」
名前もまた、故郷を思い浮かばせる。
これは疑う余地もなく、同郷の人だろう。
「そんな訳で転校生だ。知らないことだらけだろうから、みんな親切にしてやってくれ。特にコクト。カリンはお前と組ませることにしたから、今日からいろいろと教えてやれ」
「それは構いませんけれど。先生、俺が昨日なにしてたか覚えてないでしょ」
「昨日? あっ……しまった、巡回明けか」
なにも知らない転校生に一から学園のことを教える。
それが放課後までに終わるとは、とうてい思えない。
やるなら一日がかりになるに違いない。
つまり、休暇がまるまる潰れてしまう。
「かと言って今からだと代わりがいないな。すまないが、オレのほうでなんとか調整しとくから、今回は諦めてくれ」
やはり、そうなるか。
予定があったが、まぁそんなに急ぐことでもない。
次の小休暇のときにでも済ませるとしよう。
「わかりましたよ。その代わり、きっちり調整のほう頼みますからね」
「悪いな。まぁ、そう言うことだから、カリンはそこの空いてる席に座ってくれ」
そうして転校生のカリンは着席し、授業は開始された。
横目でちらりと様子を窺ってみる。
真新しい学生服を身に纏う、見慣れない女子。
その存在感は、ただそれだけで教室全体の空気が、がらりと変わったような気にさせる。
妙に落ち着かない雰囲気の原因は、恐らく教室にいるすべての生徒による好奇心。そんな感情が伝播して、視線が自然と彼女を追う。
俺はそれを包み隠すように、そっと目を逸らした。
そうしてがらりと変わった空気が、元に戻りつつある昼休み。
ここからは彼女――カリンとともにクラスメイトとは別行動となった。