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月下香の迷い人

作者: 文月 彩葉

 初投稿作品です。よろしくお願い致します。

 赤く染まった教室の窓辺に、静かに佇む少女がいた。十七、八歳だろうか。大人に近い顔立ちの中にはまだ少し少女を残している。

 肩に付くくらいまで伸ばした彼女の黒髪もまた、夕陽に染まっていた。


 窓の外を眺める少女の目線の先には、黒い影たちが誰もいない校庭を(うごめ)いている。

 ゆらゆらと思念を持たないように見える動きをするそれらは十分に不気味さをかもし出していた。


 冷ややかにそれらを一瞥(いちべつ)すると、少女は胸元からおもむろに鈴を取り出した。それはリィーン、と澄んだ音を鳴らす。

 するとその瞬間、時が止まったかようにその場から一切の音が消えた。

 少女は一人、微かに笑う。


如月(きさらぎ)、いつからいたの?」


 静寂を割くような少女の問いかけに如月と呼ばれた人物が動いた。

 教室の扉を開けた音もせず、まるで突然その場に現れたかのように、教室の隅にその青年はいた。


 肌は陶器のように白く滑らかで、服の袖口から見えるほっそりとしたしなやかな指はまるで芸術品のように美しい。

 人間とは思えない、造られたような美しさをもつ彼はくす、と笑う。


 その拍子に彼の銀髪がサラリと揺れた。普通ではない彼の髪色もまた、そう思わせる要因の一つだろう。


「最初からいましたよ」


 「そう」素っ気ない言葉を返して、少女は再び窓の外へと目線を移した。そこにさっきまで蠢いていた黒い影たちはもういない。

 それなのに少女は影たちの姿を追うように校庭を見つめたままでいる。

 少女の側に寄りながら、青年が口を開く。


「わざわざ鈴を使って、何の御用です?......さみしかったのですか?」

「別に」


 冷ややかな表情を崩すことなく、吐き捨てるように少女は言う。

 不自然に暗い教室の中にいる彼らは、二人共どこか人間離れした雰囲気がある。


 少女と如月がそれぞれ、大きなリボンのついた黒のワンピース、燕尾服のようなものを着ているからだろうか。

 まるでどこかのお嬢様と執事のような出で立ちだ。学校にはまるで似合わない服装は教室内では余計に浮いて見える。


「もうすぐあなたが必要になると思っただけよ」

「......へぇ?」


 窓に映った、いまいち信じていない様子の如月に少女は苛立ったように「なに」ときいた。

 しかし如月はそれについては答えず、話を逸らす。


「そういえば、彼らがまた遊び相手を連れてきたようですね」

「興味ないわ」


 バッサリ言い切ると、少女は彼の方を振り向いた。

 如月は深い闇のように引き込まれそうになる瞳を僅かに細め、口元を緩める。笑っているのに、どこか冷たさを感じさせる表情に少女は顔を(しか)めた。


 「そうですか」その笑みをたたえたまま、彼は静かに少女に歩み寄る。そして、更に皺を濃くした少女の眉間をほぐすようにぐりぐりとそこを押した。


「......痛い」

「嫌がっているようには見えませんよ?」


 もちろん痛がっているようにも。と意地悪く微笑む如月に少女はむくれて顔を背けた。

 また子ども扱いして、と不満げな顔をしたまま少女が小さく呟く。


「......馬鹿」

「相変わらず非常に可愛らしくいじらしい反応をありがとうございます。そのお言葉、一生この胸に仕舞わせて頂きます」

「もうほんと馬鹿! いいから黙って」


 胸に手を当て一礼した如月に少女が思わず、といったように大きな声をあげた。

 さっきまでの無感情な会話とは一転、テンポよく進む会話から2人の親しさがうかがえる。

 ちらりと垣間見せた少女の年相応な表情に如月は少し嬉しそうに目を細めた。


「ところで、弟さんたちは良いのですか? ほっておいて」

「さぁ? ....."迷い人”と遊んでるんでしょ。どうせ」

「__羨ましい?」


 そう言って、如月は少し膝を折った。

 至近距離から顔をのぞき込まれ、少女は居心地悪そうに微かに身じろぎする。


「そんなんじゃない」


 絞り出すように、どこか苦々しげにに発せられた少女の言葉。

 少女が嫌がるように顔を逸らしたにも関わらず、如月は話す口を止めようとはしない。


「ほら、また。弟くんたちのことになるといつもそうです」

「......うるさい」


 苦しげに漏らされた声に如月はちらりと少女に目を向けてから「すみません」と謝った。


 暫くの間、沈黙が2人を包む。

 その空気を壊すように突然、誰かによって教室の扉が開けられた。


 恐る恐る開けられたためそこまで音は大きくなかったものの、静寂で満たされた教室内でそれは十分に響いた。

 なるべく足音を立てないように入ってきた人物は、少女の姿を認めると、震える声で彼女に問いかける。


「......だ、誰?」

「こんにちは」


 敵意を感じさせない少女の言葉に幾らか安心したようで、扉を開けた人物は教室に入ってきた。


 窓から僅かに漏れる明かりに照らされたのはブレザー姿の女子高生だ。見たところ、少女の一つ下あたりといったところだろうか。

 耳の下あたりで切りそろえてある彼女の艶やかな黒髪が、さらりと揺れる。

 大きな丸い瞳は自信なさげに揺れており、どこか小動物を彷彿させる。


「あ、あなたは.....?」


 少女一人を指す彼女の問いかけに少女は自分の隣に目を向けた。そこにはただ空間があるだけで誰もいない。

 邪魔しないようにしているのか、はたまた彼女の相手をするのが面倒だったのか。どちらにせよ如月は少女の側からいなくなっていた。


 心の中でそんな彼に悪態をつきつつ、「私?」少女は軽く溜息を吐くと質問に答えた。


「私の名前は沙羅(さら)

「.....さ、さらさん?」

「あなたは?」


 少女にきかれ、女子生徒はまだ自分の名前を名乗っていなかったことに気づいたらしい。

 女子生徒が小さくはにかむ。

 右頬に出来たエクボが愛らしい。笑うと彼女の周りの弱々しい雰囲気が一変して、まるで華やぐようである。


「千里。.....山崎 千里(やまさき ちさと)です」

「そう.....チサト」


 わずかながら少女も頬を緩め、ゆっくりと千里に問いかける。

 小さな子どもに聞かせるような話し方は、混乱しているであろう千里にも分かるように、という沙羅の配慮だ。


「どうしてあなたはここにいるの?」

「分かりません。......気が付いたらここにいて、変なのに追いかけられて逃げてきたんです......!」


 「ぷふっ......」教室の隅で如月が噴き出した。彼は小刻みに肩を震わせている。大方、沙羅の『弟たち』を『変なの』と表現されたのが彼の笑いのツボに入ったのだろう。


 というかそこにいたのか。側から消えるなら出てくるなよ。という思いをを込めた目で沙羅は如月を睨みつける。

 しかし素知らぬフリで目線を逸らす彼に沙羅は小さく舌打ちをしてから、千里との会話を続けた。


「......ここから出たい?」

「はい! 今すぐにでも!」


 勢いよく返事した後、少女に聞こえるか聞こえないかくらいの音量でボソッと呟いた。


「......教室なんて嫌い」


 恨みのこもった、これまでの彼女の言葉とは格段に違う強いそれに沙羅は目を細める。それからさほど興味なさげに「そう」と呟いて、年に似合わぬ妖艶な笑みを浮べた。


 その美しさに千里が見蕩れたように沙羅を見つめる。その視線に気付いた沙羅はくす、と微笑むと「そうね」と何か考える様子を見せた。


「ただ出るだけじゃつまらないだろうし......とあるゲームをしましょう」

「ゲーム?」

「簡単よ。黒い影たちに捕まらないように逃げて、ここから出る方法を見つけるだけ」


 「わかりました」そう言うと彼女は外へ向かって駆け出した。

 行く宛なんて無いだろうに、まるで迷う素振りもなかった。

 その姿に呆然とした沙羅は一応最低限の説明はしてあげようと開きかけていた口を閉じ、再度口を開く。


「彼女、人の話を聞かない系の人間ね」


 一体何を理解したというのだ。全く。どれだけ教室にいるのが嫌なんだろうか。

  呆れたようなため息を一つついて、彼女は教室の隅に目を向ける。


「簡単にでいいから、何か困ってたら説明でもしてあげて」

「仰せのままに。......まぁ、あの様子ではすぐに捕まるでしょうが」


 言うや否や如月は初めからそこにいなかったかの如く消え去り、それと入れ替わるように黒い影が沙羅の目の前に現れた。


「呼んだぁ? オネェチャン」


 まだ幼いであろう男の子の声が響いた。

 その声を聞きつつ沙羅は、呼んだのは大分前だけれど、と口に出さないものの二度目のため息を吐いた。


「もう要件はわかってるでしょ」

「あ! もしかしてー、チサトちゃんと遊んでいーの?」

「名前、知ってたのね。.....というかさっきまでも遊んでいたでしょう」


 「うん!」「僕たち」「ずっと」「聞こえてた」「もんねー」黒い影が分散し、沙羅を囲む。


 こうも沢山いるとうっとおしいな、と沙羅は眉を潜める。何重にもなった子どもの声が耳に入ってきて沙羅は頭痛を覚えたらしくこめかみを押さえた。


 彼らは人を苛立たせるのを理解してこの喋り方を変えないのだからたちが悪い。

 育て方を間違えたかしら、と前の自分の行動を後悔しながら、沙羅の言葉を待つ彼らに彼女が言う。


「今日は彼女と鬼ごっこよ。捕まえたらいつもみたいに好きにしていいわ」


 「良いの?」「やったあ」「わーい」「ひゃっほーい」口々に叫びながら黒い影は四方八方駆けずり回る。

  幼児のような行動に沙羅は少し笑い、ふと千里のことを思った。


 子どもは無邪気故に残酷なことをする。きっと彼女は泣いてしまうことだろう。けどまぁ、知ったことではない。それに、一番残酷なのは他でもない自分なのである。

 口元を歪め、瞳を不気味に光らせた沙羅は彼らに命令を下した。


「__行きなさい」


 音もなく黒い影たちは従順に沙羅の言葉通り、千里の後を追って廊下へ出ていった。


 それを見送った沙羅は、彼らに追いかけられている千里の姿を想像する。

 訳も分からぬまま人でない何かに追いかけられ、助けてくれる人間もここにはいない。それに気付いた彼女はあの大きな瞳に涙を浮べ、怯えきった表情でカタカタと華奢な体を震わせるのだ。


  ......なんとそそる姿だろうか。


 沙羅の表情に狂気が入り混じる。まるで美味しいものを前にしたかのように彼女はペロリと唇を舐めた。

 ちら、と覗いた赤く小さな舌がなんとも艶かしい。


「チサト......少しは楽しませてくれなきゃね」


 楽しげに呟き、沙羅は何か思い立ったように教室の外へ出た。その足取りは軽い。そのままスキップでもしそうなまである。

 扉を閉めた音がやけに廊下に響いた。


***


 「......もう、何なの!?あいつらは!!」


 恐怖を誤魔化すようにわざと大きな声で文句を言って、山崎 千里は乱れた息を整える。

 全く落ち着いて考える暇もなく、状況の把握も満足に出来ていない中、千里はふと、事の発端を思い出した。


 数時間前だったか、数十分前なのか、いまいち経過した時間も分からないが、今日であることに変わりはないだろう。

 いつもと変わらぬ日々の中に"それ”は突然現れた。


__ねぇねぇ、僕らと一緒に遊ぼ?


 学校の帰り道。目の前に走りよってきた小学校低学年くらいの男の子に手を引かれ、気付いた時には千里はこの、今はもう廃れているであろう学校にいた。


 見れば見るほど不気味な校舎だ。きょろきょろと辺りを見回して千里はそう思った。

 確実に時間が経っているにも関わらず、外の光景は一切変化していない。

 夕陽に染め上げられた校舎は誰にも使われていないだろうに、綺麗な状態を保っている。まるで、まだこの学校が使われている時の、誰もいない瞬間を切り取ったかのようだ。


「チサトちゃん、どーこー? 今度は隠れんぼかなぁー?」


 クスクスと笑う子どもの声が聞こえてきて千里はなるべく足音を小さくしてその場から立ち去った。

 とはいえ、行く宛などどこにもない。


「......もっとちゃんと聞いとけば良かった」


 脳裏に浮かぶのは、人形のように美しい少女。......確か、さら、と名乗っていたっけ。


 千里は彼女の言葉を懸命に思い出そうとした。他のことに気を取られすぎてぼんやりとしか覚えていないが、沙羅の言葉から、ここから出る手掛かりはこの学校のどこかにあるということが推測できる。

 情報収集といったら......


「図書室?」


 とりあえず、行くだけ行ってみよう。千里はできる限り急いで図書室に向かった。

 この学校は校舎が三つに別れており、図書室は真ん中の校舎の四階にある。中は綺麗に整頓され、多種多様な本が置いてあることが一目で分かる。

 千里は中に入ってすぐのカウンターの上に不自然に置かれた一冊の本を見つけた。


「なんでこの本だけここに......?」


 手に取って、その本の違和感に気づく。

 全くホコリを被っていないのだ。色褪せたようでもなく、まさに新品そのもの。けれどその本には、題名がなかった。


 パラパラとページを送ると、最後の方に白紙があるのに気付いた千里は、文字が書いてある最後のページを開けてみた。


『山崎 千里 十六歳 九月九日生まれ............』


 「ひっ!!」この本には自分のプロフィールとこれまでの人生についてこと細かに書かれていた。気味悪くなった千里は思わずそれを落としてしまう。


 床に落ちた本はパラパラと紙が捲られ、あるページを開ける。

 故意に破られたであろうページである。もう一度本を手に取ってほかのページを見てみると、様々な人についての情報が千里のページと同じように書かれていた。


 大きく破られていて全く読めたものじゃないが、そこに書かれているだろう人物の名前だけはなんとか残っていた。


「......八千代 沙羅(やちよ さら)。これ、もしかして、さらさんの......?」


 目を凝らして見ると、名前の下に小さく二年五組、と書かれている。

 そこに行けばなにか分かるかもしれない。千里は本を抱えて、二年五組の教室へ向かった。


 教室の中に入りたくない。その気持ちよりも早くここから出たい、という思いが今の千里を動かしている。迷いのない足取りで目的の教室まで歩く。

 神経を尖らせて黒い影たちに遭遇しないように気を付けながら、ついにたどり着いた。二年五組の教室の扉を開ける。


「__あれだ」


 ある机の上にメモが置かれていた。

 千里は急いでその席まで行き、メモに目を通す。


「......『この世界の(ことわり)を壊すには、この世界の主を消さねばならない』? それだけ?」


 ひっくり返してみてもそれ以外には何も書いていない。


「......この世界の主、って」


 千里の頭に浮かんだのは沙羅の顔だ。もしかしたら、彼女がこの世界を作った主なのかもしれない。

 千里の心の中ではそれがまるで確定しているかのようにしっくりと当てはまってしまった。


「じゃあ、私は、沙羅さんを......殺さないといけないってこと?」

「__みぃつけた」


 呆然と呟いた千里のすぐ側で、影たちの声がした。

 油断していた。パニックに陥りかける頭をなんとか回転させて必死に教室から逃げ出す。後ろからは楽しげな笑い声が聞こえてくる。

 覚悟を決めて、千里はすぐ近くにあった教室の中に入って隠れることにした。


「どうか、どうか......見つかりませんように......!」


 ぎゅっと目を閉じ、千里はただ祈り続けた。


***


 闇に包まれた廊下からはバタバタ駆けていく足音と甲高い無邪気な笑い声が聞こえてくる。


 暫くそれは続いていたが、不意にその音が止んだ。しかし沙羅は迷いなく彼らのいるであろう場所に向かって歩き出す。


 校舎内は、まるで血を流したかのように真っ赤に染まっていた。時間という概念を失ったかのような光景は、やはり沙羅好みの美しさがある。


「__い、嫌っ! やめて、来ないで!!」

「チサトちゃんも僕らの家族になろう? きっと楽しいよ」


 そんな声が聞こえる教室の前で沙羅は立ち止まり、扉に手をかけてそのまま横に引いた。


 第三者の登場に、影も千里も動きを止める。あるいはそれが沙羅だったからかもしれない。きっと扉を開けたのが如月だったならば影たちは構わず続行していただろう。

 二人の視線を受けながら沙羅は千里たちがいる方へ歩いていく。彼女の後ろにはいつの間にか如月もいた。


「さ、沙羅さん......!」


 怯えて涙を浮べた千里の瞳に微かな希望の色が宿った。

 きっと沙羅は自分を助けてくれる、確信にも似た思いが口に出さずとも顔に出ていた。そんな根拠なんて、どこにも無いのに。

 そんな千里の浅はかな考えを嘲けるように沙羅は笑う。


「沙羅......さん?」

「チサト。あなたにはこの子たちのお願いを断る理由なんて無いはずだけれど?」

「な、何を言って......」


 困惑しきっている千里をよそに沙羅は続ける。

 千里の前まで歩くと、沙羅は立ち止まった。千里を見下ろしたまま静かに問う。


「ところで、ここから出る算段はついたの?」


 そう言ってから、沙羅は千里の手に握られたメモを見つけた。口の端を吊り上げた沙羅はいつかのように「そうねぇ」と考え込む。


「あなたが、正解を導きだしたなら、見逃してあげる。......さぁ、ここから出るにはどうすればいいのかしら?」

「......この世界の、主を消す、らしいです」

「この世界の主? それは誰?」

「八千代 沙羅さん、貴女を」


 強く光の灯った眼差しを向けられ、沙羅は満足げに一つ頷いた。

 沙羅の反応を見て、ちゃんと正解を答えれた、と千里が安堵の息を吐く。

 そんな彼女に、沙羅は無慈悲に告げた。


 「__残念、不正解」と。


 希望を持たせておいて高く上げてから予告無しに手を離して落とす。そんな残酷さが、彼女にはある。

 期待通り一気に瞳から光を失った千里を見て、沙羅は嬉しそうに言う。


「確かに私はこの世界を具現化したけれど、この世界自体を創り出したのは私じゃない」


 そう言って沙羅は自分の後ろに目線を送った。

 そこには如月が微笑を湛えたまま立っている。


「私は"ある”願いのためにここに留まっているだけ。この世界は私の中にある全てで構成された世界なの」


 何も反応を返さない千里に「分からない? まぁ、いいわ」と言い、沙羅は話を変えるように、そういえば、と前置きをした。


「たしか、教室が嫌いだと言ってたわね?」

「それは......」


 沙羅は顔を俯かせる千里の前に膝をつき、彼女の顎を掴んだ。そのままそれを少し上に向かせ、千里と目を合わせる。

 千里はまるで冷たいものに触れたかのようにビクッと体を竦ませた。

 沙羅の赤い唇が弧を描く。


「__あなた、いじめられているのでしょう?」

「で、でも! 私、教室が大嫌いなの! ここでだけは、死にたくない!!」

「知ってるわ」

「__え?」


 涙でぐしゃぐしゃになった千里の顔を、ポケットから取り出したハンカチで拭いながら、沙羅は彼女の耳に囁く。


「"だから”あなたはここでゲームオーバーなの」


 クスクス、と愉しげに沙羅は笑った。

 彼女の言葉に絶望した千里の顔を見て、彼女はその笑みを更に深くする。


「それに、死ぬわけじゃないわ。ただ、私の新しい妹として、私の弟たちの新しい家族として生まれ変わるだけ」

「......い、いや......やめて、やだ」


 体を震わせながら、恐怖に歪められた千里の顔の輪郭を優しく指でなぞった。


 まるで愛しいものに触れるかのような繊細さに千里は怯えを更に大きくさせられたらしい。僅かに空いた口からは言葉にならない喘ぎのような音が漏れ聞こえてくる。


 やがて沙羅が終わりを告げた。容赦なく、一切の抵抗を許さない命令のような言葉だ。


「これからよろしくね、チサト」


 その瞬間、千里の体は黒い靄で覆われた。

 もはや人の形を失ったそれは暫くもがくようにのたうち回っていたが、やがて沙羅の弟たちの体に吸収されていった。


 それを見届けた沙羅はスカートのホコリを払いながら立ち上がる。

 いつの間にか、沙羅の弟たちは既に教室からいなくなっていた。きっと次の遊び相手でも探しにいっているのだろう。

 沙羅の後ろ姿に如月の声がかけられた。


「今回は早かったですね」

「......もう少しルールを徹底すべきかしら。如月はヒントが雑な上に分かりにくいわ。チサトが可哀想よ」

「良いのですか? 攻略されればこの世界も、あなたも、全て消えてしまう」

「そうね」


 沙羅の肯定の言葉に、如月は困ったような笑みを浮べる。

 自分の過去を他人に暴かれるのは気分のいいものでは無いだろうに、といくらか心配したように呟く如月に「良いの」と沙羅が言う。


 噛みしめるようにもう一度「良いのよ」と呟いて、野に咲く花が開いたかのような可憐な笑みを湛えたまま沙羅は振り向いた。


「せいぜいその時まで、楽しませてもらうから」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白い視点でのお話でした。 登場人物も魅力的で、怖い話、残酷な話にはこういう美しい沙羅さんみたいな人が必要不可欠だなあと思いました。 [気になる点] 強いて欲を言えば、もう少し如月くんの…
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