08
何もかもが、よくわからないままに進んでいた。
アニエスはすぐに拘束され、国王のもとまで連行されることになった。
普通なら一生会えることのない存在。目の前にいる初老の人物に、ああこれが国王か、そうか、思っていたよりも若いなと、アニエスはそんなどうでもいいことを思っていた。
「事情を説明してください。伯父上、貴方はアニエスに何をした!」
「何をした、だと? 人聞きの悪いことを言わんでもらいたいね。お望みなら、ああ教えてやるとも。この娘はな、ムーアの生き残りだよ」
「な……」
「父の敵を討ちたいそうだ。アンリ、覚えているか? お前が殺したあの領主のことだよ」
視線を感じる。だがアニエスはその場に両膝をついたまま、指ひとつ動かすことができない。
「クレマン殿、どういうことです。我々にもわかるように説明を」
国王の横にいた、おそらく四十過ぎの男が、目つきを厳しくして一同を見渡した。
「ですから、ロラン殿」
ロラン? それはたしか、アルトワ公の名ではなかったか?
「アンリの殺した領主の娘が、復讐のため、この宮殿へ来たのです。何を血迷ったか、私に剣を向けてきた。この娘の父親が殺されたとき、私がアンリと共にいたものですから、間違えたのでしょう」
「ですがクレマン殿。ムーアの地を制圧し、自領に加えたのは貴方のはずでしょう。関係のないアンリを、無理に戦場へ同行させたのも貴方のはず」
「これは心外だ」
クレマンが肩をすくめた。
「あなたはアンリに肩入れしすぎではありませんか、ロラン殿。確かにムーアを制圧したのは私だが、貴方にそこまで言われる筋合いはないと思うが」
「やめよ」
落ち着いた、それでいて威厳のある声が響いた。
「本人から話を聞きたい。だが、その様子では無理だろう。アンリ、代わりに話しなさい。この娘は、お前の従者だね」
「……はい。三ヶ月前、ロルガの戦場で出会い、行き場がないことを知りましたので、我が領で保護いたしました。腕の立つ娘でしたので、隊にくわえ――」
「素性をしらなかったのだな」
「はい……」
「では五年前のムーア制圧について、お前の知っていることを述べなさい」
沈黙。ガラス窓が音をたてて揺れ始めた。雨が降り出したようだ。
「……伯父に同行し、領主は、私が、斬りました」
「は、ははは! お聞きになったでしょう! アンリ本人が認めた!」
「クレマン殿!」
非難する声。声の主は、国王を見やる。
「陛下、いかがなされますか。私としては、この娘の回復を待ってから話を――」
「少し黙っていただきたいですな、ロラン殿。待つですと? 冗談じゃない。この娘、私に剣を向けたのですぞ。しかもこの宮殿内で! 陛下、この娘は投獄、その主であるアンリにもそれなりの罰を与えていただきたい。なに、それほど重くなくともいい。ロルガは没収、私が自領に加えさせてもらう。それくらいはあって当然と思いますがな」
「黙れクレマン! 言葉が過ぎるぞ!」
「はん、本性を出したな、ロラン!」
「やめよ!」
再び沈黙。響いたのは雨の音だけだった。
「……この件、娘の回復を待つことにする」
「なんですと! お待ちください、陛下!」
「クレマン、これは命令だ」
ぎり、と歯を鳴らす音。
「ではせめて、この娘の身柄、私が預からせていただく」
突然二の腕をつかまれ、アニエスの視界が縦に揺れた。
「立て、娘!」
「やめろ!」
自分の二の腕を掴んでいた手が無理やり引き剥がされる。
支えをなくしてよろけたところを、広い胸に抱きとめられた。ふわりと香った大地の匂い。嗅いだのはどこでだっただろう。
「さわるな」
「アンリ、貴様……」
「静まれといっておる!」
一喝のあと、大きなため息が聞こえた。
「……クレマン、もう下がれ。沙汰については数日中に決定する。それまでエトアから出ることを許さぬ。アンリ、お前もだ。その時までその娘は、ロラン、そなたに預けよう」
大きな舌打ち。その後、けたたましく扉を開ける音がした。
「陛下のお言葉を聞いただろう。アンリ、その娘を渡しなさい」
視界の先に、近づいてくる靴先が見える。
「アンリ」
「……お言葉は、必ず守ります。ですが五分だけでもいい。彼女と話をさせてください」
靴先が立ち止まり、元の方向へと振り返った。
「どうなさいますか、陛下」
「……良い。隣室へ」
頭を下げる気配。その後アニエスの体は優しく引かれた。逆らわず、その歩みに従う。
部屋を変わると、雨音も激しくなった。窓枠ががたがたと揺れている。風まで吹きはじめたか。
「アニエス」
視線を上げた。目があう。
「アニエス、私は――」
「アンリ様」
何か言いかけたその人の言葉を遮って、アニエスは抑揚のない声を出した。
「私の父を殺したのは、貴方ですか」
沈黙。低くかすれた声が耳に入った。
「……そうだ」
その刹那、アニエスは後ろに飛び下がり、長靴に仕込んであった短剣を引き抜いた。
「アンリ様、剣を」
「アニエス」
「剣をおとりください、アンリ様」
「できない」
「おとりください! アンリ様!」
床を蹴り、アニエスはアンリに飛び掛った。アンリは抵抗せず、衝撃をうけるままに、壁に背中をぶつける。
喉元にナイフをつきつけられ、それでもアンリは剣を抜かなかった。
「できない、アニエス」
「アンリ様」
震える声でもう一度その名を呼ぶ。顔を歪めて首を振った。どうして、と言おうとしたが、それは声にはならなかった。
しばらくの後、体から力を抜き、アニエスはだらりとナイフを下ろした。うつむき、背中を向ける。
「アニエス」
雨音だけが室内を満たした時。振り返らず、アニエスは答えた。
「もう、会いません」