14
あっけないものであった。
モルティアへ逃亡の途中、クレマン・ディア・カレは国王正規軍ですらない、名もなき傭兵たちの手に落ちた。彼らは首を手に、揚々とヴァレンに恩を売るだろう。
「クレマン……」
お前は結局、この手で討たせてもくれなかった。アニエスは馬上で喘ぎながら、そんなことを思う。
だがもういい、もう終わった。全ては終わったのだ。
アニエスの周りに、既に傭兵たちの姿はない。彼らはもうずいぶん前に、フォルド・リダへと向かって行った。
アニエスはゆっくりと進んでいく。上手く手綱が取れないから、馬を走らせることができない。
途中で鎧を脱ぎ捨てる。これほど重いものだと思ったことはいままでなかった。
馬の首にすがりつくようにしながら、止血した腹部に視線をやった。クレマンの腕は相当良かったのだろう。綺麗に突き刺してくれたおかげで、かえって命が助かった。剣先は僅かに臓器を逸れたらしい。
「……死ねな、い。絶対、戻る」
かすれた声をあげ、アニエスは気力を振り絞る。死ねばアンリが悲しむだろう。あの人を悲しませたくない。その一心で、アニエスは顔を上げた。
その時、突然視界に飛び込んできたのは、ところどころ煙炎が立ち上るエトアの街の向こう、目のさめるような美しい水平線であった。
「あれ、は……」
愛しい人を想起させるその色に、アニエスの目から涙がこぼれた。
薄れゆく意識、かすれる視界で、それでもなんとかあの色を良くみようと、アニエスは目を細める。
あの海。一緒だ。どこまでも優しく、どこまでも深いあの色。
会いたい。もう一度だけでもいい、会いたい。
涙がとまらない。とめようとも思わなかった。ただ目を閉じて、彼を思った。
「アンリ、様……」
呟いて、アニエスが意識を手放そうとしていた時、風に乗って声が届いた。
「――エス!」
「…………」
「アニエス……!」
重いまぶたを何とか持ち上げ、アニエスは馬の首にもたれていた上体を起こす。と、体を支える力が足りず、そのまま落馬した。
痛みすら感じなくてアニエスは、土に顔をつけたまま、ただ喘いでいた。
そうする間にも、音が近づいてくる。蹄の音、鞭の音、それから路面を走る馬車の音。
それらがすぐ側までやってきて、止まった。
そして次の瞬間、アニエスは抱き起こされていた。
「アニエス!」
瞳に飛び込んできた姿に、アニエスは信じられないように首を振った。
「……アンリ、様?」
数時間前まで、意識が無かったのに。何故こんなところまで、無理をして。
「まだ、動いては、いけま、せん。お体、が……」
途切れ途切れに言うと、アンリは泣き出しそうな顔をした。
「私のことなど、いい」
そしてそのまま、アンリはアニエスを抱きしめていた。
「アンリ様、私がアニエス殿を運びます。すぐに馬車で手当をいたしますから」
トマの声だ。アニエスはアンリの温もりの心地よさに、思わず目を閉じていた。
「いや、私が――」
「いけません! アンリ様も、まだ動いて良いお体ではないのです。お願いですから、ご自分のお体も大切になさってください」
「……わかった。すまない、トマ」
アニエスはゆっくりと馬車に乗せられた。
トマによって丁寧な手当がなされ、横たわったその隣には、アンリが座っている。
馬車は動きだし、フォルド・リダへと向かう。アニエスは、はっきりしない視界の先に、アンリを探す。
「……アンリ様に、もう一度、だけでも、会い、たいと、願い、ました」
「アニエス……」
「話を、したい、のです」
「……私もだ。もし君が構わないのなら、話をさせて欲しい」
「は、い。でも、少し、待って、いただけ、ます、か。まだ、体、が、いうことを、きか、なくて。とても、疲れて、いて……」
「大丈夫。いつまでも、待つから」
優しいその声に安心して、アニエスは弱々しいながらもほほえみ、それから眠りについた。