11
夜半。戦況は沈黙していた。アニエスは謁見の間で、国王の前にいた。
「アンリを、許してやってくれ」
「陛下……」
アニエスだけを呼びよせて、エドワールは静かに言った。
「ロランから聞いただろう。元はと言えば、私の都合でアンリはエストレ家に行くことになった」
「それは……」
「王宮にいればアンリは、クレマンに連れまわされることなどなかっただろう」
「…………」
「そして、クレマンの勝手をゆるしたのは、私の力不足ゆえ」
エドワールは深いため息をついた。
「つきつめればすべて、私の責任だ」
アニエスは心を整理するように、ゆっくりと答えた。
「陛下のせいではありません。アンリ様のことも、ご事情はわかっています」
「では、もう一度、アンリと話してくれるか」
アニエスは視線を落とした。
「……もう、会わないと言ってしまいました」
そう告げたとき、アンリが一体どんな顔をしていたか、アニエスにはわからなかった。
「会いたくないということか」
「……それは」
言い淀むと、そういうわけではないということを察したのだろうか、エドワールは安堵したように息をついた。
「そうではないのなら、もう一度会って話してやってくれ」
アニエスは少しの間沈黙して、それから心を決めた。
「わかりました。ですがその前に、ここで私の役目を果たします。必ず、陛下をお守りします」
「そなたも、命を大事にせよ。死ぬことは、許さぬ」
「……ありがたきお言葉、胸に刻みます」
深く頭を下げて、アニエスは謁見の間から退室した。
それから、幾ばくかの時間が過ぎた時、宮殿内に兵士たちの声が響き渡った。
「東翼が攻撃を受けています! カレの奇襲です!」
アニエスは血相をかえて、東翼へ向かう。援軍の到着は早くても明日の昼になるだろう。それまで、なんとしても突破されるわけにはいかない。
アニエスが東翼に駆け付けた時、既に国王軍がカレの兵を押しかえすところだった。
煌々と燃える松明の炎に照らされる中、アニエスは見つけた。漆黒の馬に乗って、身を翻すクレマンの姿を。
「クレマン!」
アニエスは一瞬、我を忘れていた。手近な馬に飛び乗る。逃がすか、とア二エスは手綱を強く握り、馬の腹を蹴った。
流れるような速さで、アニエスは後を追う。
視界の先で、クレマンは小さな森の中へ逃げ込んでいった。
それを見て、はっとしてアニエスが手綱を引いたときだった。暗闇の中から、何百という銀色の光が飛び出してくる。
「しまっ――」
慌てて体を逸らすが、矢の一本が左肩に突き刺さった。顔を歪めたとき、同じく矢を受けた馬が激しくいなないてその場に倒れた。
アニエスは投げ出され、全身を激しく打って一瞬息をすることもできなかった。
「クレ、マ……」
うめいてから、力任せに肩の矢を引き抜く。激痛にめまいを覚える。だがこんな場所で、死ぬわけにはいかない。
攻撃がやんだ。アニエスは剣を引き抜いてそれを支えに立ち上がる。茂みの中から、黒馬が現れていた。
「愚かなものだな。こんな簡単な罠にかかるとは」
あざけるような声が上からふってきた。全身の毛が逆立つ感覚。アニエスは強くクレマンを睨んだ。
「そう恐い顔をするな。お前はな、生かしておくと決めたのだ。だからわざわざはずしてやった。感謝してほしいものだ。明日、アンリが戻ってきた時が楽しみだ。お前が私の手の内にいると知れば、やつがどうでるか。娘、存分に役に立ってもらうぞ」
背筋に寒気を感じ、アニエスはこの戦いがはじまって初めて戦慄していた。
だめだ、それだけはだめだ。アンリの邪魔にだけは、なるわけにはいかない。
一瞬で覚悟を決め、アニエスが剣を自身の首に向けようとしたときだった。
背後に地鳴りに似た音が響く。兵士たちの叫び声が高く響いていた。
「……何だ!」
クレマンが叫び、刹那、その顔が苦痛に歪んだ。見れば、皮肉にもアニエスと同じ、左肩に一本の矢が突き刺さっている。
アニエスは背後を振り仰ごうとした。その一瞬の油断で、アニエスの体はクレマンにつかまれ、馬上に引き上げられる。
抵抗しようとした刹那、後頭部に衝撃。ぐるりと世界が回るのを見ながら、そのままアニエスは意識を手放した。