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01

 遠雷の低い(うな)りが、途切れ途切れに耳に響いた。これ以上長引いて、雨でも降り出されたら(たま)らない。そう思って舌打ちすると、アニエスは剣を構えなおした。上下する肩をなんとか静めようと、大きく深呼吸をする。


「女のくせになめやがって」


 視線の先では、皮の鎧をまとった男が低い声で()えていた。


「まあいいや。強気な女のほうがおもしれえ。今にわからせてやる。女ってやつがどれだけ無力かってことをな。それまでせいぜい抵抗すればいい。最後には屈服させ、めちゃくちゃにしてやる」


 薄く笑い、舌舐めずりをする男。反吐(へど)が出そうだ。アニエスはもう言葉を返す気にもなれなかった。それすらも時間の無駄だ。早めに終わらせたい。


 自分から斬りかかりたいのはやまやまだったが、体力を温存するために相手が出るのを待つ。なにしろこの男のあとには、三人もの人間が自分を待ってくれている。既に斬った一人と合わせ、合計で五人。


「アニエス」


 震える声が耳に届いた。


「絶対に出てくるな。邪魔になる」


 短く答えながら、アニエスはすり足で一歩後ろに下がる。待っていたとばかりに男は、にたりと笑って地を蹴った。一瞬で距離が縮まり、男の剣が頭上から振り下ろされる。ひゅ、と風の鳴る音を聞きながらアニエスは左に逃げ、目前にある男の脇めがけて剣を水平に突き出した。皮の鎧を貫き、剣先はやすやすと男の体に沈み込んだ。


 直後に響いた絶叫に、アニエスは目を(すが)める。うるさい男だ。そう思いながら剣を引く。濡れた剣を振ると、鮮血が辺りに染みをつくった。


「口ほどにもない」


 足元に倒れて喘ぐ男を一瞥(いちべつ)すると、再び視線を前方へと戻す。残った男たちが顔を歪めて後ずさった。


 頬に冷たいものが当たった。ああ、降り出してしまったとアニエスは眉間の皺を深める。しとしとと静かな音が辺りを包みはじめた。


 雨音だけが支配する緊迫した空気の中、突如響いたのは、一人の若い男と思わしき声だった。


「何をしている!」


 葦毛の馬が駆け込んでくる。一同の目の前で馬は止まった。よほど急いで走らされたのか、馬は口を大きく開け、勢い良く鼻を鳴らしている。


 翼を広げた大鷲の紋を飾る、白銀の甲冑を身につけた男が馬上にいた。美しい兜で綺麗に顔を覆っているため、(のぞ)けるのは目元だけだった。その目元、そして声と背格好から、どうやらアニエスと同世代であろうことが伺えた。


 彼はアニエスと男たち、両方に目をやってからその瞳に宿る光を厳しくした。


「戦いは終わっている。双方剣をおろせ」


 正規兵だ、と誰かが呟いた声が、風に乗ってアニエスの耳にも届く。男たちはひそひそと囁きあい、程なくして構えていた剣をおさめた。


「傭兵たち、部隊はどこだ」


 馬上から問う青年は、アニエスの見当違いでなければ、男たちよりもずっと若いはずだ。が、なぜか彼には人を圧倒する大人(たいじん)の風格があった。男たちは瞳を卑屈に曇らせながら、ぼそぼそと答える。


「……隊長が死んだ。俺たちの部隊はもうない」

「そうか。では東へ向かえ。ヴァレン国軍による検問所がある。部隊が消滅したことを申し出ればいい」

「でも、俺たち、カドリアに雇われてたんだ」


 敗走兵ということである。戦勝国であるヴァレンへ向かい、ただで済むはずがないとでも思ったのだろう。男たちの顔には不安と恐怖がはっきりとあらわれていた。


「問題ない。隊が消滅したとき、傭兵としての契約は切れているはずだ。戻る場所をなくした傭兵の命を奪うほど、ヴァレンは残虐ではない。素性に問題がなければ、新しく部隊を紹介してもらえるだろう。戦う気がないのならそのまま故郷へ戻れ」


 青年の言葉に、男たちはやはりぼそぼそと言葉を交わしたのち、頷いた。


 馬の前を横切ってアニエスのところまでくると、男たちはこちらを睨みつけながら手負いの仲間を担ぎあげる。倒れた二人にはまだ息があった。生かすつもりはなかったのだが、とアニエスは内心で舌打ちをした。


「待て、傭兵たち」


 歩きはじめた男たちの背中を、青年は低い声で呼び止めた。


「このような振る舞い、二度は許さぬ。それだけ肝に命じておけ」

「……このような?」


 男たちは顔を見合わせ、へらりと卑しい笑みを見せた。


「待ってくれよ。略奪は傭兵に許された権利だ。こんなところにいたこの女たちが悪いじゃないか。なあ騎士さんよ……」


 青年は眉一つ動かさず、かえって怒気を含んだ強い口調で返答する。


「たとえ他所(よそ)で許されていようとも、私の領地でそのようは振る舞いは許さぬ」


 領主様かよ、と男たちは急に怯えたように顔を強張らせた。慌ててその場から逃げ出しながら、彼らはアニエスの方を振り返り、ご丁寧に唾棄するのを忘れなかった。


 くずめ。アニエスは胸に込み上げる嫌悪感に顔を歪め、やっぱり殺せばよかったと思わず呟いていた。


 直後に視線を感じ、顔を上げた。馬上から、沈痛な眼差しで青年がこちらを見下ろしている。アニエスが無言で見つめ返すと、青年はひらりと馬から降り、アニエスの前に立った。


 そのまま白銀の兜に手をかける。兜のせいではっきりと見えなかった相貌が明らかになり、アニエスは一瞬目を奪われていた。それは、先程の堂々たる言動とはまるでかけはなれた、穏やかな相貌であった。


 鳶色の髪がふわりと風を含む。一瞬、雨がやんだのかと思った。しかしそれは気のせいで、彼の頬にも同じように雨粒が流れはじめている。青い瞳はどこまでも澄んでいて、気品ある優しい光を帯びていた。


 アニエスは濡れて張りついた前髪をかき上げながら、思わず目を細めていた。

 すぐ目の前に立たれ、青年がアニエスより頭一つ分背が高いということがわかった。兜を脇に抱え、彼はほほえむ。


「殺さないでいてくれて良かった。ありがとう」


 嫌味か? そう思ってアニエスは一瞬眉を寄せた。だが青年の顔にはただひたすらに柔らかな笑みがあるだけである。結局その言葉の真意を図りかねて、アニエスはひとまず剣を鞘におさめる。


 しばらく考えたのち、アニエスははっきりと事実を告げることにした。


「殺さなかったのは私の力不足ゆえ。五人を相手にせねばなりませんでしたので、力を出し惜しみました。断わっておきますが、情けをかけたわけではありません」

「……本気かい?」


 悲しそうに小さく表情を曇らせた青年に、は、と笑ってアニエスは自分の後方に首をまわした。


「もういいよ。出ておいで」


 アニエスの言葉に、姿をあらわしたのは若い娘たちだった。全部で十二人。横倒れになっていた馬車の中からおそるおそる顔を覗かせる。


「君たちは……」


 目を丸める青年に、アニエスは険を含んだ声で答えた。


「傭兵団の一つに同行していました。残念ながら傭兵団は壊滅。私たちだけが残され、そこを先ほどの残党に襲われました」


 ジョゼ、とアニエスは娘の一人を呼んだ。先ほど男たちと戦っていたとき、震える声で自分を呼んだのも彼女だった。アニエスの身を心配してくれてのことだったのだろう。


 馬車から出てきたジョゼの目には、涙が浮かんでいた。


「アニエス、駄目だったよ。コレットが死んだ」


 その言葉に、アニエスはああ、と息を漏らし、きつく眉を寄せて瞑目した。まぶたの裏にコレットの幼い笑顔が浮かんで消える。まだ十五になったばかりだった。


 唇を噛みしめながら目を開くと、アニエスは恨みがましく青年を睨む。愚かだとは思いながら、憤りをぶつける相手は彼しかいない。


「仲間の一人が死にました。私に力があれば、あの全員を殺してやったのに。いえ、貴方が止めなければ、一人ずつ必ず殺せたのに」


 ぎり、と歯を鳴らすアニエスに、青年はしばらく何も答えなかった。沈黙のあと彼は、アニエスに向かって深々と頭を下げていた。


「すまない」


 思わず怒りを忘れ、アニエスは目を見開く。


「君たちを守れなかった。すまない」


 二の句が継げないアニエスを置いて、顔を上げた青年は沈痛な面持ちで足を踏み出す。


 馬車に近づいてきた青年とアニエスの間で、ジョゼが視線をいったりきたりさせていた。青年は静かな声で、ジョゼに尋ねた。


「亡くなった娘は?」

「中にいるけど……」


 ジョゼの言葉に頷いて、青年は倒れた馬車に身をかがめて入っていった。ややしてあらわれた彼の腕には、眠るように死んだコレットがいた。


「かわいそうに」


 青年はうなだれ、ひどくやりきれない様子で呟いた。見ず知らずの少女であるにも関わらず、彼は涙さえ流しそうな勢いだ。頬に光る雨粒は、もしかして涙なのかと思ったくらいだ。


 自分の前まで戻ってきた青年に、アニエスは腕を伸ばす。


「コレット……」


 アニエスは少女の体を青年から受け取り、しっかりと抱きしめた。まだ温もりは残っていた。穏やかな死に顔。頬についた泥をぬぐってやる。なめらかな白い頬を撫でたとき、アニエスの胸はかきむしられるようだった。


「私が弔おう」


 その言葉に、アニエスは驚いて顔を上げる。


「君たちも行くところがないのだろう。ひとまずは私の城へくるといい。待っていてくれ。すぐに迎えをよこす」


 アニエスの答えを聞く前に、青年は馬上の人となり、凛々しい掛け声とともに駆け出していった。小雨降る薄暗い空の下、白銀の甲冑がわずかな光を反射して輝く。


 アニエス二十一歳、初秋のことである。

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