ぼくとボクと僕
夏だ。蝉が鳴いている。
青空から照りつける日差しが、校庭に生えた栃の木の葉っぱを透かしている。
山の上には入道雲。
『田舎』と『夏』って単語を並べれば、誰でも思い浮かべるような光景。
校庭に腰を下ろしたぼくの目には、そんな景色が飛び込んでくる。
「こんなところにいたのか」
座り込んだぼくの視界が、影で遮られる。ふと顔をあげると、近所に住む同級生が、やはり汗だくでそこにいた。
家がコンビニを経営している彼は、よくこっそりジュースを持ってきてくれる。
今日も、そうだった。
彼の手には、汗をかいたジュースのペットボトル。無言で、つっけんどんに、彼はそれを手渡した。
ぼくは苦笑いを浮かべて、それを受け取ってやる。
彼がこういう態度を取るときは、いつも、裏に何かがあるのだ。
「まぁ、座りなよ」
ぼくが言うと、彼は頷いて、ぼくの横に腰を下ろした。
受け取ったジュースの蓋を、ひねって開ける。
ぷしゅ、という空気の漏れる音だけで、やけに涼しい気持ちになった。
「で、何かあったの?」
ぼくが尋ねる。彼は、眉根に皺を寄せた。
「僕、そんなにわかりやすい顔をしているかな」
「付き合いが長いからね」
そう言いつつ、ぼくにはだいたいの察しがついている。付き合いが長いからね。
ぼく達の通う学校は小さい。小さいなりに、生徒はいる。全員で30人くらいかな。
でも、そんなもんだから、噂が広まるのも早いんだ。
彼が、ぼく達の1年後輩の女の子と、付き合うか、付き合わないか、って話に、なったんだ。
彼が、彼女のことを好きだったのか。彼女が、彼のことを好きだったのか。
ぼくはそれを知っているけど、ここでは言わないでおこう。
とにかく、この狭い田舎の学校で、一番の美少年と美少女だから、すごい噂になった。
噂になったけど、結局、2人は付き合わなかった。
片方が、片方を振ったんだ。その理由も、ぼくは知っている。
彼は、しばらく黙り込んだまま、喋らなかった。
ぼくは空を見上げる。
夏だ。蝉が鳴いている。
「あの子との話さ、」
彼は、不意に言葉を放った。
「うん」
「どのくらい知ってるの?」
「だいたい、全部知ってる」
「そうか……」
彼は黙り込んだ。
そう、全部知ってる。だいたいなんてもんじゃない。全部だ。
でもそれを口にすると、ややこしくなるから、あんまり言いたくない。
夏はいやんなるくらい暑いけど、ぼくは、お風呂は35度くらいのが好きだし、カップラーメンも、ポットのお湯が80度くらいで注いじゃう。
「どっちがどっちに告白したとか……知ってるわけ?」
「もちろん」
ぼくは頷いた。
夏だ。蝉が鳴いている。
「ぼくは正確な情報を知っている。けど、学校での噂は、半々くらい」
「その正確な情報って?」
「聞きたい?」
「……いや」
彼は首を横に振った。
「そうだよな。君は、知ってるもんな。僕が本気だったって」
「まぁね」
今も本気なんだろう、という言葉は、飲み込んだ。
ジュースを飲み干し、からのペットボトルを握りつぶす。
それからしばらく、ぼくと彼は無言になった。蝉時雨だけが、ゆっくりと大きな木の幹に染み込んでいく。
「あっ、先輩!!」
元気な声が、座り込むぼく達の耳に届いた。
ぼくと彼は、自然と視線をそちらに向ける。同時に、彼は表情をこわばらせた。
例の彼女が来てしまったのだ。
彼女は、彼の存在にもすぐ気づいたようで、ちょっと気まずそうに視線を逸らした。
あーあ、面倒くさいことになっちゃった。
「あ、あのー。ボク、ここにいて、大丈夫でしょうか……」
「いきなり怖気付くことなんてない。座りなよ」
ぼくは、心にもないことを言った。
いや、心にもないことというのは、言い過ぎかな。ぼくも彼女のことは好きだから。友人としてね。
彼には申し訳ないけど、座ってもらうことにする。
ぼくを挟んで、学校一番の美男美女が並んだ。
「いろいろ聞いたよ」
「あ、そうですよね……」
ぼくの言葉に、彼女は苦笑いを浮かべる。
「先輩は、その、どっちがどっちに告白して、どっちが断ったって、聞いてます?」
「聞いてる数は半々だけど、ぼくは真実を知っている。当然だよね」
あんまり冷ややかに言ったつもりはないのだけど、彼女は少し、しょげてしまった。
どうにも、良くないな。こういうのは。
ぼくの頬を、じっとりと汗がつたう。これは、暑さから来るだけのものだろうか。
「そりゃあ、そうですよね」
努めて明るい声を出して、彼女は空を仰いだ。
「……先輩、ボク、本気なんです」
「それ、ここで言うことかなぁ」
ぼくは、彼の顔をなるべく見ないようにしながら、言った。
もう、知ってる。知ってることしかない。知ってることしかないから、ぼくは頭が痛い。
なんでここで、ぼくを挟んで座るのさ。もうちょっと、ほとぼりが冷めてからで、いいんじゃないって思う。
夏だ。蝉が鳴いている。
「なんか……。アレだね。僕、どこか行ったほうがいい?」
「別に良いよ」
彼の言葉に、ぼくは憮然とした声で答えた。
「えぇと、じゃあの、ボクが行きましょうか?」
「だから良いってば」
彼女の言葉にも、同じように答える。
「あのさ」
「うん」
「はい」
「今度、海に行こうよ」
ぼくの言葉に、2人はきょとんとした顔を作った。
「それは、僕と?」
「それともボクとですか?」
「3人でだよ。自意識過剰だな。きみたちは」
ぼくはため息をついて、立ち上がった。
「きみたちの身勝手な感情で、ぼくは散々振り回されたんだ。2人とも、失恋したばかりで悪いけど、これくらいは、付き合ってくれてもいいんじゃない」
腰に手を当てて、2人の顔を見下ろす。
「2人とも、まだ本気なら、良いじゃないか。学生のうちに好きな人と海にいけるなんて、人生でも滅多にない経験ということだよ。まぁ、ぼくは御免だけどね。お風呂は35度が好きだし」
これは相当な意地悪だ。が、まぁ、これくらいは許して欲しい。
彼らの恋愛感情に、ぼくは本当に振り回されたのだ。夏だからって、青春だからって、大概にして欲しい。
三角関係なんて、こじれるものだ。ロクな話じゃないよ。
ぼくの提案に、2人は、ややためらいがちに返事をした。
どっちがハイで、どっちがイイエと言ったのか。
あるいは2人とも承諾したのか、断ったのか。
まあ、それについては、言わないでおこう。
ただ、ぼくはそれまでより、ちょっと良い気分で家路に着いた。
夏だ。蝉が鳴いている。