踊る蟷螂
「おっ。不審人物発見。辛気臭い顔しやがって。夢と希望でも落としたか?交番に行ってみろよ。ひょっとしたら欠片くらい届いてるかもしれないぜ」
木陰のベンチで頭を抱える僕に、友人が能天気な声で話しかけてきた。
「うわ。なんだお前その格好。制服を着たファーブルかよ。そんなエキセントリックな警官が駐在してる交番には絶対お世話になりたくないね」
僕は右手でしっしっという仕草をする。
「つれねえなあ。 日陰くらい入れてくれてもいいだろうが。こちとら日曜だってのに朝からてんてこまいなんだぜ」
友人は僕の隣にドカッと音を立てて座り込んだ。
「結婚詐欺を繰り返した女に逮捕状が出てるんだ。あげくのはてに昆虫園からは花カマキリの集団脱走ときた」
「ああ、それでそんな」
制服姿で虫取網を肩に掛け、プラケースを幾つも腰にぶら下げた友人は、首にかけたタオルで滝のようにかいた汗を拭っている。
「てんてこまいの割にさみしい成果じゃないか」
僕は空のプラケースを一瞥し、毒づいた。
「あいにくと昆虫採集は専門外でね」
友人は上着を脱いでベンチに放り投げる。
僕が「おい、勤務中だろ。仕事しろよ」と言うと友人は少し顔をしかめた。
「まだ先週末の合コンのこと怒ってるのか。可愛い子ばっかりで緊張したんだ。『ちょっと』ネジが外れたことくらい許せよな」
「あれが『ちょっと』?気の利いた冗談なら合コンの席で言えよ。お前が電化製品なら即日リコール対象だ」
僕は友人を睨む。
「どうしてもって言うから連れてったのに。初対面の女の子に『年賀状を出したいので住所を教えて下さい』なんて正気の沙汰じゃない。そもそも今は夏だぞ」
「 そう青筋たてんなよ。ナマズの下顎で大根をおろした話はしっかり受けたじゃないか」
友人はリュックからお茶の入ったペットボトルを取り出し「あ、そういえば」とこちらに顔を向けた。
「お前、俺のフォローついでにちゃっかり可愛い子と仲良くなってたよな。どうなったんだよ。もうデートはしたのか」
「ああ、それ。それなんだよ」
僕は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「実はさっきまで絶賛デート中だったんだ」
「あ。何言ってんだ。俺にはそんな趣味ないぜ」
友人は何を言っているか分からないといったような顔をし、何が言いたいのか分からないことを言った。
僕は無視して話を続けた。
「彼女、僕を置いて帰っちゃったんだよね」
「お前が紳士にあるまじきことでもやったんじゃないの。逮捕だ逮捕」
友人は手錠の止め金をカチリと外した。
「やめろよ。缶ジュースで間接キスを狙ったくらいさ。ピュアピュアだろ」
「へえ。言い方がちょっと気持ち悪いが、まぁ大したことじゃない。何がダメだったんだろうな」
友人は警棒を抜き、指でくるくると回し始めた。
「まぁ、実は心当たりがあるとするとお前なんだけど」
「ふぁ。俺?なんふぇ?」
ついに煙草まで取りした友人は、煙草を口にくわえつつ、ライターが見つからないのかポケットをまさぐっていた。
「いや、さっきここに二人で座ってた時にさ、偶然巡回中のお前を見かけたんだ。そしたら彼女、急に帰りたがって」
「ふうん」
「小声でお前のことを『やばっ。季節外れのストーカー野郎だ』とか言ってた」
友人は煙が気管に入ったのかゴホッゴホッと大きく咳をした。
「なんだ。ホシは俺で明らかじゃないか。お前には悪いことしたな」
友人はむせながらも二本目の煙草を取り出そうとしたが、何かに気付き「あっ」と小さく叫んだ。
「動くな。手を上げろ」
指でピストルを作り僕に向ける。
「なんだよ。失恋の門で僕はお縄か」
「そんな罪状があれば、あっという間に刑務所は満腹だ。おっと、本当に手は上げなくていいぜ。言ってみたかっただけだ」
友人は僕の背中に腕を伸ばして何かを掴んだ。
見るとかなり大きなカマキリが武骨な指に挟まれてもがいていた。
「お、サンキュ。かなりでかいけど普通のやつだ。花カマキリじゃなくて残念だったな」
「ニアピンだろ。でかいってことはメスかな」
友人は近くの茂みにそっとカマキリを放した。緑と緑はすぐに混じり合い、あっという間に見分けがつかなくなった。
「知ってるか。カマキリってメスが交尾の後自分のオスを食っちまうらしいぜ」
プハッと友人は煙草を吹かした。
「へえ。怖いな」
「だろ。俺はつくづく人間のオスでよかったと思う」
友人は短くなった吸い殻を地面に擦り付け、携帯灰皿に突っ込んだ。そのまま立ち上がり、上着を羽織る。
「ふー。一服したし、俺はそろそろいくわ。今日中にふざけた結婚詐欺女も捕まえなきゃならないしな」
腰に括り付けられた手錠と空のプラケースがぶつかりあい、ガラガラと音を鳴らす。
「そういや花カマキリは蘭の花に擬態して身を守ったり狩りをしたりするらしいぜ。近くの花壇とかで見つけたら俺に連絡してくれよ。じゃ、またな」
「おう」
それにしても擬態か。他の虫たちにしてみりゃ悪質な詐欺だよな。などと考えた所で、僕の脳味噌はカチッと音を立てて回り始めた。
僕は「いや、ちょっと待て」と言って友人を引き止めた。
「人をダシにしやがって。教えてくれてもいいだろうに。いつから目星をつけてたんだ」
「ん、何が?」
友人はとぼけた表情で振り返った。
「お前の囮捜査の腕も、随分と上がったもんだな」
「おいおい、何が言いたいのかサッパリだぜ」
友人はニヤリと口角をあげた。
「でかい花カマキリでもいたか」
「どうやらさっきまで僕の隣で擬態してたみたいだ」
「そのまま食われなくてよかったじゃないか。まだ加入させられてなかったんだろ、生命保険」
「ちくしょう。どの口が言いやがる。まぁ捕まえたら、悪くない間接キスだったって伝えておいてくれ」
「了解」と彼は敬礼し、「次からはもっと女に用心しろよ、カマキリボーイ」と笑った。