ある男の記録 1
さて、ここまでの記録を読んでなお、君は私の頼み事をきいてもいい、そう思っていてくれているだろうか。
いいかい、ここから先この手紙を読む事を続けたならば、君は私が求める行動を続けざるを得なくなるやもしれない、何度も言うようだが、私は君にこの頼み事を強要はしない。
だからこそ、もしその意思がない、あるいは関わりを絶ちたいと思うのならば、今の内にここで読むことを止めるべきだ。
正直に言おう、この手紙は誰に向けても良い、というつもりで書いたものではない。君でなければならなかった。
騙していたような構図になってしまって申し訳ないが、今から君に本当の事を綴ろうと思う。もし嫌気がさしたならば、腹立たしく思ったのならば、この時点で目を通すのを止めてもらって構わない。
しかし、もし本当に私のこの願いを聞いてくれるのならば、私は君が求める情報を提供できると思っている。
この街に越した当初から居心地の悪さを感じ、疑念を抱き続けながらも街から出てゆけない訳、そう、単純な興味からだけでは無く、君がこの記録を読み続ける本当の理由、それは教団にある。
書かれている記録は教団の関わりが薄い順にした、私は強要はしたくなかったからだ。君は両親の死の理由を調べているのではないか、君が物心つく前に、君を捨てた両親に何があったのか、それが知りたいのではないか。
六才の頃だったと思う。私が祖父、祖母に預けられたのは。それからは二人が親代りだった。私の両親は以来一度も姿を見せず、年老いた二人もけして両親を探そうとしなかった。
物心つかない頃から私は両親が死んだと聞かされて育った。もういないんだ、両親は死んでしまった。だから、お前は両親の分まで幸せに生きなきゃあならない、そう言われ続けてきた。
思い出されるのは静かで平穏な日常だった。
街の喧騒から離れ、テレビの音一つも聞こえない質素な日常。
風の音が子守唄、鳥の声が目覚まし、そんな日常。
私は体に先天的な異常を抱えていたために、人と関わることが苦手だった。幼年時代は周りと変わらなかったが、年齢が上がるにつれ肌の異常はより顕著になりだし、友人と呼べる存在もいつの間にやら無くなっていた。
学校にいても特にクラスメイトと会話を交わすこともなく、空気のような存在だった私には、会話の種をさがす必要もなかった。
いじめの対象とならなかったのは幸いだが、彼等は私に必要以上に関わることもしなかった。
クラスでは完全に浮いた存在であり、教員も触れ方は同じだった。誰もが私を腫れ物のように扱い、触ろうともせず、深く触れ合おうとはしなかった。いや、考えてみればそれがいじめだったのかもしれない。
存在を無いものとされるいじめ、しかし、当時の私はそれが特別苦しいとは思わなかった。始めは辛かった、そうした扱いに慣れていなかったからだ。しかし、途中からそれがどうでも良くなった。
それを始めたのはいつの頃だっただろう。何か嫌なことがあった、寂しくなった、暇に押しつぶされそうになった、そんな時に始めたのだと思う。
始めたのはこんな事だ。私にはよく見る夢があった、その夢の中の出来事を思い返していた。空想を重ねることで生まれたのだろう奇妙な遠い世界。見たことのない生き物で溢れ、見たことのない建造物がひしめいている、この世界とはかけ離れた、どこか懐かしさを感じる奇妙な世界の夢。
その夢の中の世界のことを考えていると不思議と心が安らいだ。心と体がこの世界の鎖から解き放たれ、鳥のように自由になれている、そんな気がして。
そうして集中していると時間はあっという間に過ぎた。時には学校でそれを行うとあっという間に放課後になる。不思議と誰も気がつかれず、放課後の夕日が差し込む教室で、一人席に座っていた。そうして無視されることが苦痛ではなくなった。
方法を見つけてからは平穏な日々が続いた。時折恐ろしげな目でクラスメイトから見られることはあったがそれも気にならない。けれどもやがて、教員から知らされたのか異常を知った祖父母は私を通わせる事を諦めた。どうやら噂になり、私の存在が晒し者になる事を恐れての対処だったようだ。
しかし、二人は学校から見放されたそんな私に、自らの時間を割いて様々なことを教え、一般的な教養を身につけさせてくれたのだ。
丁度歳が二十歳を超える頃、誕生日にと祖父と祖母は私に写真と手帳をくれた。写真は私の両親が写っていた。二人とも幸せそうで、父の腕の中には赤ん坊が一人、抱かられていた。それが私らしい。
そして手帳には両親の字で当時の生活の様子が記されていた。二人はある宗教家で、その宗教が創設された当時から、管理役としての職務を任されていたことが書かれていて、私が生まれたことから、このままこの宗教活動を続けるべきか、辞めるべきかを悩む様子が切々と語られていた。
教団経営と育児環境の狭間での葛藤、教律の厳化、洗脳行為の過激化にしたがい、両親は教団の教祖にあたる人物について、疑わしさを感じてきている様子が赤裸々に語られていた。私はこの手帳を元に、何とかこの教団を探そうとしたけれど、これだけの情報量にも関わらず、その手帳には人物の名前に関する情報から地名などを特定するための要素が完全に消され、隠されていた。
私がこの家に手紙を置いたのは偶然ではない。見つからない可能性がある事も承知の上だ。見つからなくとも私は別に構わなかった、とは言わない。現実的な話、私は君の助力を必要としていた。
この手に部屋の合鍵を持っていた。申し訳ないが君の情報を私は密かに探っていた。何故か、それは君が本当に、君の両親であるあの二人の息子だったのか、それを確かめねばならなかったからだ。そして、私にはこれまでに成し得てきたことの、最期の記録を残してくれる人間が必要だった。
私は君の両親を知ってはいるが、君のことは何も知らなかったからね。
済まないと思っている、しかし、元教団関係者に知られるとまずい。
彼等は厄介だ、かつての教団は強大で、壊滅の憂き目にあった後、二十数年経つ今でも彼らの放った爪痕は各地に残り続けている。
この街に蔓延り、未だ活動を続けている少数の奇教もその爪痕の一つだ。彼等の熱は冷めることがなく、時が経つごとに捻れ、熱を更に増し続けさせている。一般人と混じりあい、熱から覚めた素振りを見せて平然と日常を送っていながら、他教の入り込みを拒み続け、狂信を続けている。
彼等の鼻は良く効く。教団幹部の者達がある時を境に一斉に消息を絶ったため、末端の信者たちは何が起こったのかも分からぬまま、組織は瓦解した。何人かの信者が各々別の可能性を述べ、それに同意する信者達。
それを起点として信仰の形を変え始める、例えば、教祖は神成りしたのだ。などと言うもの、あるいは彼等は修行に出たのだというもの。試練を下さったのだと悟った気になるもの。各々が答えを用意し、信望するものに寄り集まった。
だれも逃げたとは意見しなかった。なぜならば、強固な精神的縛りが解けていなかったこともあるが、教団の資金がそっくりそのまま残されていたからだ。
私はどうして今更こんなものをと祖父に尋ねた。すると祖父は、お前が二十歳を迎えるまで、両親に秘密にしておいてくれと言われたと話してくれた。祖父や祖母はそれが正しいことだと思っていた様子だった。そして、両親は死んだのではなく、行方不明なのだとも教えてくれた。お前の中では両親が死んでしまった事にしておいた方が幸せだろう、両親の二人もそれを望んでいたが、それでは余りにあの二人が可哀想だと。
お前のためを思って俺達はこれまで二人を探さなかった。けれど、お前が望むなら、二人を探してやってくれないかと言われたのだ。けれども私は当時、教団の名前以外の情報を何一つ持ち合わせていなかった。祖父母はどんな街に二人が住んでいたのか、どんな教えを続けているのかなども何一つ教えてもらっていなかった。だから私は渋々諦めるしかなかった。それより、年老いた二人のために恩返しをしてあげなければと就職活動に必死だった。
就職して一年目の春、祖父が。三年目の夏に祖母が鬼籍に入った。祖父は眠るように亡くなり、祖母は祖父が亡くなってから生きる気力を失ってしまい、植物が枯れるように衰弱し、病院の一室で息を引き取った。私は父と母の愛情を知らなかったけれど、人並みの幸せを感じることはできた。祖父母には感謝してもしきれない。そうして就職してから六年目の夏の事だった。
唐突に家に一通の手紙が届いた。その手紙には例の教団がある街で活動していたこと、両親がその街に住んでいたことが記されていた。切手もはられず消印のない白封筒、そのなかの手紙に。
誰もが幹部の帰還を信じて疑わなかった。しかし、そこに来て巨額すぎる資金が元で諍いが起きた。元々信者をまとめていた幹部は既に姿を消している。その資金を元に教えを広めるべきだと言う者と、手を付けずに維持すべきだという者。罵り合いが始まり、緊張が限界を超えた時、一人が振り上げた拳が原因で暴動が始まった。獣じみた叫びに、歯止めのかからない暴力、広がる狂気熱、誰もが感情を浮かされていた。
そして不意に殺し合いが始まった。始めは椅子などの家具を使い、それが石に変わり、更に鉄の棒など、より殺傷能力の高い道具にかわっていった。
これは意図されていたものだ。限界まで心身共にすり減らされた信者達は最早、平常心をとうに失っていた。狂気のうねりの中で身を躍らせ、喜びに満ちた笑い声をあげる信者、数十名の屍の上で咆哮をあげる者。地獄の有様の中で誰一人それを止めようとする者はいない、トランス状態の信者達は獣でしかなかった。
こんなはずではなかったのだ、暴動が起き、誰かが一人、重傷を終えば事は済んだはずだった、けれども止まらなかった。どうにも止められなかった。狂気の坩堝に嵌り、最早私までもが暴力に飲まれようとしていた。私は教団特有の仮面を身に付けたままに、その場から逃げた。
あまりの騒がしさから通報を受け、立ち入った最初の警察官が襲われ、教団の敷地から外へと逃げ出した。手筈の通り、敷地外に待機していた外街の記者団に発見され、そうして事態は急速に沈静化していった。血塗られた記憶は忌避の対象になり、街全体がこの異常を記憶の彼方に消そうとした。
結果、教団は止む無く解体され形を抹消されたことで、今はもう存在しない。しかし、その場にいなかった末端ではない者、事件から生き残った狂信者、そうした信じ続ける者達がいるのだ。
そうしたかつての信者が未だにこの街を支配している。そうして、事件の原因をしつこく探し出そうとしているのだ。だからこそ、私は彼等に君に送った手紙の内容を知られるわけにはいかなかった。
私は君の両親と知り合いだった。君に手紙を送ったのは私だ。君の両親はこの街に住んでいたと、そして教団に関する情報の破片を書き記して君のかつての住所に送り付けた。
新聞にも載っていたとおり、教団の形が表からの消失を迎える少し前のことだ、二人は教団の在り方に疑問を抱いていてある計画を練っていた。設立時代から教団に関わっていた君の両親は教団の洗脳を受けてはいなかった。
教宣浄化と呼ばれる密室での洗脳作業。教律の仮面という目の位置にも口の位置にも穴のない仮面をつけられ、一週間に続く飲まず食わずの教言浴びに、強制的に課せられる肉体的苦痛。大概の人間は根本から人格を矯正されてしまう。
私は少しずつこの街に足を向け、地道に調べ続けることで、両親が続けていたという教団が、両親が丁度私を父の実家に置き去りにした年に壊滅していたことを知り、そしてこの街にかつて、両親の教団が本当に栄えていたことを知った。
私は今しかないと思った。これを逃したらきっと両親を探し出す機会は一生失われると思った。どこの誰かが私を誘っていることには気がついていた。
なぜ自分なのか、理由は分からないけれど、確かに私が両親を探している事を知っている誰かだ。そんな人物には全く心当たりがなかった。
けれど、この際その疑問は先送りする。身一つでいられる今ならどんな境遇にも耐えられる、そんな気がしていた。
そうして私は六年間に渡る会社勤めを辞して、その間に貯めた貯金と生前に祖父祖母から渡された資金を元にこの街に越してきた。
私が他所の人間だと知ると、不動産屋の対応はおざなりで、どういうわけかどこも空きがないとぞんざいな態度を取った。しかし、私が両親を探したい、両親はある教団で生活していたと告げると、予想外に食らいつき、この街にいるのかと根ほり葉ほり聞かれた。
私が何も両親に関して情報を持っていないと知ると、やがてぞんざいな態度に戻り、嫌々ながらといった風情で部屋を一つ紹介してくれた。
私はなんだかこの対応に不快と奇妙さを感じながらも、結局その部屋に住むことに決めた。それから毎日、けれども、街の住民に教団に何があったのか、両親を知らないかと聞いても知らぬ存ぜぬの一点張りだった。
その理由がようとして掴めずに困惑するばかりだった。けれども、やっとこの手紙によって、何故街の住民達は教団の存在を隠そうとするのか、その理由を知ることができた。
君の両親はそれが許すことができなかった。より強固な結託は洗脳によってもたらされる。これは教祖の言葉だ。なぜ私がそこまでの事を知り得ているか、君は疑問に思うだろう。君は気がついただろう、恐らくご想像の通りだと思うが、私はこの教団の関係者だった。君の両親を含め、創設当初から席を置く幹部の一人だったのだ。
いつの頃からかこんなことになってしまったのか、いつから教祖が歪み始めたのか。際限のない欲望の渦は洗脳を続ける教祖の人格までも変えてしまった。アレはもう、これまでに紹介した人の姿をした化け物と変わらなかった。私達はただ、教団をまっさらに戻したかっただけなのだ、あの狂気の巣窟を元の姿、平常な形に戻したかった。
街は既に変えられてしまっていた。かつての守り神や先祖の英霊が跡形もなくなる、それ程の影響を街にこの教団は与えていた。そして力を持ちすぎていた。有力者から警察機関、政治家に至るまでが莫大な資金によって操り人形にされていた。引き返すには遅すぎたのだ、余程の事件でもない限り、この教団を潰すことは不可能だった。
この先については後ほど記そうと思う。この先臨むべき場所はこの教団に深く関係する場所ばかりだ。君はより、ご両親の影に近づけるだろう、どうか目をそらさないで欲しい、これが私達が過去に犯した罪の結果なのだ。
私はもう止められない。恐れの感情も徐々に鈍くなりつつあった。あの手紙を読んでから、最後まで止めないと決めたのだ。
両親に何があったにせよ、なぜ私を置き去りにしなければならなかったのか、この街に何が起きたのか、突き止められずにはいられない。続けなければ、何を見たとしても、何があったとしても。