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ある男の記録  作者: 黒漆
15/15

ある男の記録 3


 「何故ここが解った」


 「何故って、知っていたからです」


 私は浄水場に来ていた。霧が飲み込まれ、全ての異常が去ってから、あれからひと月、ずっと調べていた。今度は父や母のことではなく、あの仮面の男について。


 「私は痕跡を残していないはずだ」


 柵を乗り越え、入り込んだ施設内、残された時間は僅かだ。目の前には体が透けて後ろの景色が見えてしまっている、そんな男の姿が見えていた。


 「私は知っていました。父の記憶を覗き見て、地図の点の位置を覚えていました。そうでなくても、この街の施設の配置を見れば大まかな事は理解できた」


 後、全てを仕組み、この街を操っていた。私の人生、そしてかけがえのないものを奪った男。


 「正直、そこはやりすぎたと後悔している。形などどうでもよかったのだ」


 「内側に六つの点、外側に六つの点、つなぎ合わせると歪な六芒星になる。私の借りた部屋、交差点、ビル街の空き地、商店街、廃病棟、美容室の内側の六つ。放置区、面工房、火葬場、電波塔、地下壕、外側の五つ。教団跡地は街の中心でした。だから、繋げばおのずと最期の一箇所は見えてくる」


 後の仮面は消えていた。もう顔を隠すつもりはないらしい。


 「あの交差点、あそこには元ペットショップがあったんだ。君の知るとおり、食べ物屋に変わってしまったがね。だから店長には代役に立ってもらった、急に体中の毛が伸びてきて驚いただろうな。だがあの男も楽しんでいた。生き物が死にゆく姿を眺めることを。


 ビル街の空き地も担当がいたんだがね。青年には代わりに立って貰わざるを得なくなった。苦せずして超人になれたんだ、感謝してもらいたい。元より自殺を煽っていたような人間だ、死んでも誰も困るまい。井戸はあの子を利用させてもらった。復讐心てものは時に武器になる。苦しみは分け与えるべき、いじめの相手を殺せたんだ、願いに手を据えてやったのだよ」


 その表情に余裕が見て取れた。ここまで来た私を嘲笑っているようだ。


 「そんな事を聞くためにここに来たわけじゃない」


 「はは、そう焦るな。これはご褒美だよ。ここまで辿りつけた君が獲得した権利だ。一体私が何をしたと言うんだ? 私は彼等の望みをただ、叶えてやっただけではないか。鬱屈を晴らしたい、他人が苦しむ姿を見たい、傷つけられた痛みを返したい、蔑んだ奴らを痛めつけたい、価値のない人間だと言い切った者を見返したい、不死身になりたい、痛みから開放されたい、生き物を殺したい、何を犠牲にしても知識を手に入れたい。


 君も欲望に従っていただろう、私が導いてやったのだ、苦労したのだよ。


 最初の無駄に長い手紙を信者に書かせるのが、どれだけ面倒だったかわかるかな。


 まだ君の親が君の体を操れない段階にあった時期だ。私が君の父親の意思を引き出して、意思に沿う形で文章をまとめ、信者に聞かせ、紙におこす。


 とても手間だったよ、あの不動産屋のあいつだ。どこの馬の骨とも解らない君を、教主の近くに住まわせるのが気に入らないみたいでね。説得に苦労した。


 だが、それで君は親に会えたじゃないか、親だと思っていた二人、それに本当の親とも面会できただろう。言葉を交わす機会を与えたのはせめてもの報酬だと思ったからだ。


 どれもこれも、誰も彼も欲望の塊だ、己の欲のために他人を平気で切り捨てる、私は答えただけだ、彼等の問いに、彼等の望みに。


 私は何もしていない、彼等がしたいようにしただけだ、こうして誘っただけさ。私と踊って下さいませんか、さあ楽しく踊りましょう。貴方の望む踊り方で結構ですから。そう誘われ、踊りだした彼等を私は遠目で見ていただけさ」


 「一体あなたは何者なんですか」


 「私は幾つもの顔を持つ混沌の影ですよ。仮初の秩序、見せかけの平和、偽善に満ちた体裁、そういったものが大嫌いな這いよる混沌。人間は生まれつき混沌を抱えているというのに、そいつを認めようとしない、かたち上の秩序とやらに囚われて醜さをひた隠しにし、醜さを露呈させた人間をこき下ろす。右も左も他人の目というものを気にして、妙に良人ぶろうとする人間ばかり。


 ところが民衆心理とは不思議なものだ、暴力の常態化が進めば誰もが獣のように成り下がる。この街の姿を見ただろう?


 理性を断ち切れば世界は平和だと思わないか、無駄に束縛され、搾取されるものが居なくなるとは思わないか、一時の欲が満たされれば暴力は収まる、長期に渡る虐待や苦汁より余程平和的だろう?


 人が増えすぎることもない、適度に数が調整される。良いことじゃないか。


 人は混沌より生まれたのだから、混沌に帰るべきなのだ。したいようにし、されたいようにされる。私はそれを見ているだけ、人形は私に踊らされていればいい」


 「私は貴方の正体を知っていますよ」


 私がその言葉を口にした途端、後の目が揺らぐ。


 「私は混沌そのものですよ、君が目にしたあの世界からやってきた神の様なものなのです。それを知ったからといって何になるでしょう。君に私をどうにかできるのでしょうか、私はこの先もずっとずっと続けるだけです。何年かかろうが私には関係が無い、私の時間は無限ですからね。君が居なくなってから新たな接触を始めてもいい。いくらでも時間はある、私は秩序の殻を破り続けるだけです」


 「貴方は神なんかじゃない。ただの人だ、いや、ただの人だった」


 後の顔が驚きに満ちている、そして少しして笑い始めた。


 「それが君の結論か、何を根拠にその答えにたどり着いたんだ、馬鹿らしい、これ程の事が人間に可能かね? 人一人にあれ程の事が? 世界を変えるほどの力を生み出すことが可能かね」


 「私はこのひと月、ずっと調べていました、貴方について。後さん、いや、府さんと言ったらいいか、それとも内留さん、あるいは布袋さん、ですか?」


 後の顔から表情が消えた。


 「言っただろう、私は幾つもの顔を持っていると」


 「貴方が初めに仮面を教団に普及させたんでしょう、幹部でもあるあなたの顔を隠すために。近代になってから貴方は各方面で決して上役には立たなかった。何故ならお互いに顔合わせができないからです。


 かつての市長、現在の市長の秘書、建設会社の役員、写真も各方面に残っている。けれどその誰もが各々に会おうとは頑なにしなかった。彼等は只管部屋に篭もりきり、食事を見られておらず、物を碌に動かすこともしなかった。


 気味が悪いと思うのが普通でしょうが、ところが絶対的な信用を上の人間から得ていた。それは当然でしょう、上に立つ人間には彼がそうなるずっと以前から付き合っていたのですから、そして餌も与えていた。常人には得られない力という餌を。


 そしてあの一件が起きてから組織のトップの人間と共に写真の中の顔が消えてしまいました。貴方の力と人材は、私の父の力と同様にあの扉の向こうに吸い込まれてしまった。


 このひと月貴方はさぞ焦ったことでしょう。何もできず、自分を守ることもままならない」


 私は懐から紙をだし、それを広げてみせる。それをみて再び、後の顔が強ばった。


 「何を知っている」


 「私は市役所の役員や建設会社の社員に聞きました、彼等がどんな顔をしていたか、こうして私は似顔絵も用意しましたよ。彼等には親族だから似ていると言っていたそうですね、けれどもどう見てもこれは同じ顔だ。


 何十年も前に辞めてしまった市長までもが同じ顔、けれど、写真に映されていた顔も何もかもがあの一件のあと忽然と消えてしまった。彼等を写した写真はただの風景画に変わってしまっていた。


 それが、数日前から写真に顔が写り始めたと言うんです。私は写真を一枚借りてこの街の外の人間に見てもらった、するとどうでしょう、何も見えないという。だから私は申し訳ないのですが、試しにこの街の水を飲んでいただきました。


 するとうっすらと顔が見えると言う。それで気がつきました。これと同じ原理が貴方そのものにも働いているのじゃあないかと。つまり、ここの水を飲み続けた人間には貴方が人間に見え、また水を飲んだ人間の前であればいつでも現れることができるのではないかと。


 貴方はこうして自分の知識を武器に街の人たちを操った。あの日、街が霧に包まれた日も、貴方はこの街の境目で人々を扇動していましたね。外に連絡してはならない、連絡しようとするものを止めなければならないと。それだけのことが出来るならば、確かに人間というのは、無理があるのかもしれない」


 「そこまで気がついたというのか、ならばなぜ、私が何もできないうちに排除しなかった。今更なぜここに、私の前に立った」


 「私は貴方と話したかった。貴方に思い知らせたかった」


 「思い知るだと、何を思い知ると言うんだ。私はあの方から知識を授かってずっとあの地を追い求めてきた。長い時間を労して様々な異事を企て、それを成してきたが、どれも成功とは言い難かった。


 どいつもこいつも力を得た途端に暴走し、自ら滅んでいく。あの方はそれを楽しんで下さったが、けして私を褒めてはくださらなかった。


 そんな私にあの方は最期の機会を与えてくださった。扉を定着させる方法を教えてくださった。それなのに貴様が最期の一手を崩した、今度こそ認めていただけると思っていたのに」


 「本当に頼られていると思っていたんですか?」


 「どういう意味だ」


 「貴方は結局私達と同じだ。指示され、利用され、踊らされていただけだ」


 「そんなはずはない、私ほどあの方に貢献した者が他にいるか、居るはずがない」


 「貴方も薄々は分かっているのでしょう? あの扉はこの世界と向こうの世界を繋ぐものなんかじゃないと」


 「煩い、戯言をそれ以上吐くんじゃない」


 「あの扉はただ、こちらで貯めた瘴気を向こう側に送るために開かれただけでしょう。現にこの街は過去と貴方を除けば、ごく普通の街に戻ってしまった。なんの異変もない普通の街に。


 貴方に残された力もそう多くはないはずだ、現に取り戻すのに随分とかかっているじゃないですか、ここまで近づかなければ貴方の幻影が見られない程に。だからこのひと月、私が何をしていたか貴方には全く解ってはいなかった」


 「何故だ、なぜ私を見捨ててこんな、これほどに尽くしてきたというのに。私を向こう側に行かせてはくれないのか。どうでも良い端役の連中があの世界へと行けたというのに、私はずっとこの水の底か。


 私はいつから準備を続けていたと思う、この浄水場が建設される以前からだ、一世紀も前からだぞ。術式を施し、飢えを乗り越え、死した後も精神の精錬を怠らず、どうにか街全体を操れるほどの力を得て、順当に根回しを済ませ、漸く事を成したと言うのに、その先の仕打ちがこれだというのか」


 後の姿が薄れ始める。


 すぐに浄水槽の下から異音が響き始め、水面から飛沫が上がり、半ガラス化した翡翠色の人間が顔を出す。


 既に硬化が進んでいるのか体が動くたびにボロボロと破片を飛び散らせ、顔の表情は判断がつかない。唇のかけた口には同様の緑色のガラスのような歯が立ち並び、目のない眼窩から水が涙のように流れ落ちていた。


 フィルタの網にしがみつき、こちらに乗り出す、と、その顔に亀裂が入った。


 まるで私が踏みつけにした仮面のように、綺麗に中央から放射状に。


 「なぜだ、ここで滅びよと、そうおっしゃるのか。お前に崩されるくらいならば、自ら滅んでやろう。まて、その目、その目は。お前は直で見たのだな。あちらの世界を見たのだな。なんと羨ましい。私がこうまでして得られたものをお前は苦せずして。おお、あなた様は、そこに、そこにおられましたか」


 声が割れ、言葉が潰れてゆく。後だったものは割れかけの岩石のように端から崩れ、やがて細かに分解して浄水層の中に沈んだ。


 水面に映る私の顔、その瞳の中には、あの瞼の間に見た風景が広がり、そこに何者かの影が差している、それが何か言葉を囁いている、そんな状況が一瞬、見えた気がした。


 そして瞳の周りには変わり果てた私の姿が写り込んでいる。鱗状の肌、額から伸びる角、赤く光る目、私だけが元に戻れなかった。他の人々はもとに戻れたというのに、あの風景を直視した私だけが。


 全てを終わらせたというのに胸騒ぎは消えず、すっきりともしない。胸の中で何かがうねり狂っていた。絡み合い、熱を発し、蠢き続ける。化け物と罵られるたび、理性が飛びそうになる。


 私は一体、わたしは、わたしは、どうなってしまったのか……





 久しぶりに市の図書館に足を運んだ。近くの施設でコンサートが行われる、そこで友人と待ち合わせをしていたがまだ開演までには時間があった。私は時間を潰すために図書館に入り、ぶらりと歩き回りながら本棚を見て回った。


 すると歴史本のコーナーにそぐわない装丁の本を見かけた。タイトルには「ある男の記録」とある。手にとってみるとそれ程の厚さはないようだ。試しに二三頁捲ってみると、そこには印字ではなく手書きの几帳面な字で、とても信用できない恐るべき内容が記されていた。


 何年か前に別の街で起こった一連の事件を題材にしていることは解る、けれども報道されている内容とは随分と違っていた。確か、局地的な地震によって壊滅的被害を受けたのだとか、未だに行方不明者が随分と見つかっていないはずだ。

 

 最後の数頁にはこうある。あの風景を目にしてから声が聞こえる、それは彼等がどんな術を使い、こうした異業を成したのか、どうやって体を変貌させたのか、そうした知識を教えてくれるのだと。


 気がつけば読書が止められなくなっていた。経緯の全てを読み終え、最後の数枚にまでたどり着くとその先には術の方法が記されていた。


 私はこんな事可能なわけないじゃないか、バカバカしい。そう思って本を閉じると、いつの間にか脇に人がいて、しわがれた声でこう言った。


 「その記録に興味がありますか、その術に。どれも実現可能な術ですよ、望めば手に入れられる、貴方の欲望のままに」と。


長らく有難うございました。これにて完結です。

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