6限目 放課後にシフォンケーキを食べよう
死後の世界は白いんだと知った。純真無垢な白さである。穢れを知らないのだろうか。
そんな風に仰向けになってまっすぐ見ていたら、視界がクリアになった。
(あ、死んでない。)
そう自覚した。ここはセルシア魔法学校の保健棟の一室だろう。実技演習で大怪我をするのも珍しくなく、早急な処置を行うべく入院可能な建物自体が保健室みたいなものとなっている。
そして思い出す、最期の光を。
炎弾と一括りしてもいろいろある。遅くて火力のない炎弾から速くて大きい炎弾と言った違いから緑色の炎弾や青白い炎弾がある。色の違いは一般に炎弾の温度の違いだ。温度が高いほど光の波長は短くなるのだ。つまりあの緑色の炎弾は通常の炎弾より遥かに強力だ。地面に当たれば地面が融けていただろう。
それなのにどうして生きているんだ?
「あ、起きた!」
オレの思考を止めさせた訪問者はカナミだった。
「よう、オレ、どうなったんだ?」
オレはベッドから上半身を起こして今日のご飯が何かを訊くような軽い気持ちでカナミに訊く。
「どうなった、じゃないよ! お腹に穴が空いちゃって本当に、本当に心配したんだからね!!」
カナミは泣きながらオレに言う。
そうか、あの炎弾で右腹に当たったけど貫通したんだな。そこに手を当ててみるが痛い。
「ダメだよ、まだ皮膚が治りきってないんだって」
「もう臓器や肉は治ったのか」
治癒魔法、恐るべし。
治癒魔法はオレ達学生が使える程度だと人体の修復を早める事しか出来ないが、医療系魔術士になれば元の状態に戻させる治癒魔法が使える。脚の一本吹き飛んでも時間さえ間に合えば治るのだ。
ただし手は無理だ。魔術士にとって手とは魔法を使う事において魔力の放出口である。ほとんどの魔法は手から出るのだ。現在の技術ではまだその仕組が解明されておらず理解を超えている以上、治癒魔法でも治せないのだ。治癒魔法は治す部位の仕組みをよく理解するのが条件なのだ。
「あの後どうなったんだよ」
カナミには訊かなきゃいけないことがたくさんある。
「うぅ、それがね……よくわかんないの」
「どう言うことだよそれ」
「リガードさん、えぇとリングの細かった人ね。その人を外に運んで治癒してたらすごい爆発がして振り返ったらシロンくんがお腹半分なくなっちゃった状態で寝てたの。止血されてたっぽかったから誰かが助けてくれたんだと思う」
まさかあの場に誰かいたのか……? 今となっては確かめる事は出来ない。
カナミからその後の話を聞いた。
取引現場だったコンテナ倉庫は緑色の炎弾で木端微塵に破壊されてしまったらしい。あの破壊力なら当然だろう。
撮影映像はゲッヒ先生に渡され通常は保安部にいく映像を司令部に直接渡してくれたらしい。だからやっと調査が始まったらしい。リガードと言う男はリングのチーフだったらしいがあの一件で辞職して行方は知らず。まぁいずれ憲兵団に見つかると思うけど。
赤毛の男は捕まったようだ。今頃事件の詳細を尋問されているだろう。
「まさかネグルさんを囮に使うなんてね」
「まぁね」
カナミに作戦を話した時はかなり驚いていた。
事は単純だ。リングと裏組織に取引させただけだ。
そうするには前提としてネグルさんが殺されてはダメだ。裏組織に捕まるのはよくない。
そうなると自分でリングに戻ると言う方法が考えられるがこれもダメだと思った。グループ内で事を処理するのならばネグルさんを殺すか監禁するのが当然だからだ。そのままにしておくのは反逆者だとわかっていて野放しにしているようなものだからだ。
ならばリングにリボンの設計図が戻って且つネグルさんの命に危険が及ばないところ、司令部に保護されればいい。設計図は確実にリングに戻されるから偽装リボンの製作は始まる。ただネグルさんが保護されたと言う事を不審に思う輩がいるのではないかと思った。
そう思われたら失敗だった。恒常化している取引は警戒はそれなりに薄いだろうが、もし不審に思われたら厳重警戒されてしまう。
だからネグルさんが如何に自然に振る舞えるかが決め手となった。ネグルさんは十分にその役目を果たしてくれた。きっと重要な仕事を放棄したと言う事で軟禁状態で尋問されただろうけどそんな状況でも耐えてくれたのだ。
取引の詳細に関してはネグルさんに訊いた。偽装リボンがいつ頃出来るかについて予想を出し、取引がある周期に基づいて行われていると判断し、偽装リボンが完成した次の周期に取引があると仮定し待ち伏せていたら見事に来たのだ。このこともネグルさんの立ち振舞がよくなければ失敗したのだ。
手に入れた証拠を風紀部に渡すのはかなり躊躇した。作戦を発表したあの時、カナミの言葉でゲッヒ先生を信じない方針で考えていたからだ。だが証拠をオレとカナミの手元にも残っていれば風紀部もグルだった場合対応が変わるのではないだろうか。
もし風紀部も敵だった場合証拠を握り潰して裏組織にオレ達を始末させるだろう。
しかしこちらには証拠を持っている。風紀部がオレ達を裏切った事が判明したその瞬間に証拠映像を拡散させればいい。放送部に頼むのもメディアに渡すのもいいだろう。
証拠が表に出れば敵側でない保安部を含めた憲兵団は黙っていないだろう。
それに表側の組織は確かに権力的な意味でも実力的な意味でも勝ち目はないがオレ達を直接狙う事は出来ない。
実際に動けるのは権力も実力もない裏組織だけだ。流石に1発でオレ達が仕留められることはないだろう。そう決めつけてかかった結果がこの有り様であると言うことにオレは何も言えないのだが……。
結局ゲッヒ先生はこちら側であったから杞憂ではあった。
「相手の切り出しをこちらが利用する。まさに魔法術式の第三型式そのものだよ。ゲッヒ先生が取引現場の証拠を手に入れたら、と言う事もヒントになったけどね」
「うん……」
途端にカナミは静かになる。理由はわからなくはないが考える事もないだろう。
「その……わ、わたしがあの時リガードさんを助けようとしなければシロンくんが大怪我なんてしなくて済んだのに…でも……」
「わかってるよ。おまえは傷ついてる奴は誰であれ救おうとするのくらいわかってるんだよ」
幼い頃にカナミはイジメられていた。貴族らしい陰湿なものだ。しかしある日そのイジメっ子が怪我したのを聞いて心配したカナミは見舞いに行ったのだ。ちょうどセルシアの入学試験前日だったな。それくらい形振り構わず動くのだ。相手が悪の組織でも関係ないのだろう。
「で、でも……わたしのせいで、わたしのせいで!!」
カナミはこの前の花園での時と同じように泣きそうな顔をしている。
「はぁ」
溜息をついてオレはカナミの黒い髪を撫でる。
「オレは生きてるだろ?」
「……うん」
傷が大体治ったところでオレは寮に戻ることを許可された。その間、学校をしばらく休んでいたから授業に相当支障が出ている。
学校でゲッヒ先生に会うとカナミも呼んでこいと言われ呼ぶと報酬をくれた。カナミは喜んでもオレは喜べない。
あれだけやってそれだけかよって話だ。とは言ってもきっと成績面で何かあるのだろうな。立場上言えないだけで。そう期待しておく。
オレ達が出来た事はせいぜい偽装リボンの取引先1つとリングの汚職を暴いた事くらいだ。一介の学生にしては十二分過ぎると思える。自分でも褒めたいくらいだ。
「一介の学生じゃないよ。シロンくんは未来のすごい魔術士だよ」
カナミは笑って言う。世の中には単身で敵軍を壊滅出来る魔術士がいる。そんなとんでもない世界にいる人と肩を並べるなんて到底無理な話だ。オレはここのCクラスを卒業したであろう25人程度の炎弾すら防げないのだ。
「魔法がすごいだけがすごいんじゃないよ」
「なんだよそれ」
おかしな事を言う奴だ。
「そんな事よりシロンくんが外歩けるようになったんだし放課後にシフォンケーキを食べよう」
そう提案するカナミだがついさっきあの甘ったるいケーキを食べさせられたばかりなのだがな。
「それオレの奢りか?」
「さ、さぁなんの事かなぁ」
モンブランを買ってからすでに財布はご臨終だ。どうしたものかな。
「そうだ! ハナお姉ちゃんと一緒に行こう!」
「却下だ。そうするくらいならオレが奢ってやる」
それだけは勘弁してくれ。
「そうなの? ありがとー!」
こうなったらシガルに借金をするしかないか。
シガルに借金をしてかなみと共にカフェへ向かう。
カフェ“翠風”。これがそのカフェの名前だ。
「いらっしゃいませ」
ドアを開けて入れば早速店主さんが声をかけてくる。
「おや、シロン君とカナミちゃんじゃありませんか」
「お久しぶりです」
「シフォンケーキ食べに来たよ」
確かに久々に来た。ケーキ屋のリニューアルと偽装リボンの件で行く機会がなかったからな。
「それとブレンドもお願いします」
どうせ借りた金だ。いくら使おうともうどうでもいい。
「わかりました」
そう言って店主さんはコーヒーを淹れ始める。
実はここに初めて来てから今日まで店主さんの名前を知らない。「店主と呼んでくれればいいです」そう言っていくら訊いてもはぐらかされてしまう。だから仕方なく店主さんと呼んでいるのだ。
「シフォンケーキです。カナミちゃんのためにクリームは増量しておきました」
「わぁマスター、ありがとだよ!」
ちなみにカナミは店主さんをマスターと呼んでいる。
シフォンケーキを受け取ったカナミは大喜びである。カナミはここのシフォンケーキが大好物なのである。
それに何故か店主さんとはすごく親しげである。
「ブレンドコーヒーです。シロン君にはコーヒーの量を少し多めにしておきましたよ」
「ありがとうございます」
オレはここのブレンドコーヒーを気に入っている。
つまりはオレもカナミもこのカフェを気に入っているのだ。
「おいしぃ」
カナミはご満悦の様子。カナミのそれを見ていると平和にしか感じられないのは偽装リボンに関わってる時にこの光景を見ていなかったからだろうか。
突如ドアの鈴が鳴る。
「いらっしゃいませ」
そちらを見れば――
「シロン様とカナミ様ではありませんか!」
ネグルさんがいた。
「ネグルさんじゃないですか! どうしてここに?」
「時々このお店に来るのです。店主、カフェラテを1つ」
「畏まりました」
ネグルさんも店主さんの名前知らないのか。
「あの、ボクの作戦で酷い目に遭わせて申し訳ありませんでした」
いつか会ったら詫びなきゃいけないと思っていた。命の危機が迫るところへ自分から行かせたのだ。謝って済む問題じゃない。
「何を謝っておられるのですか。私はもうこうして誰にも狙われず外を自由に歩けます。あなた方のおかげなのです。感謝してもしきれないのです」
「お待たせしました」
店主さんがカフェラテを持って来た。
「ありがとうございます」
カフェラテを否定するつもりはないけど、オレがブラックコーヒーに対してネグルさんがカフェラテだと外見の若さも伴って同級生の集まりにしか見えない。
「あれからどうなんですか?」
リングがほぼ壊滅してる状態の中、ネグルさんは大丈夫なのだろうか?
「大丈夫でございますよ。リングで出廻ったばかりでございますが新型のリボンを開発しております。設計図が複製されているかもしれませんので今のリボンでは偽装リボンが作られてしまうでしょう」
やはり組織1つでやっていたものではないのだろう。どこかで偽装リボンは作られている。今回はそれを大々的にやっていたのを食い止めただけなのだ。
「それでも助かりました。リングが作った偽装リボンと他所で作った偽装リボンでは危険性がまったく違いますので」
そうフォローしてくれたネグルさんである。
「シロンくん、シフォンケーキもう1つ、いい?」
「カナミ、おまえもう食べたのかよ!」
オレはまだコーヒーを半分しか飲んでいない。
「もういいよ、シガルの金だし」
借金だが気にしていたら負けだ。
「ありがとう!!」
今はカナミにエサを与えることにしよう。
秋は終わりを告げ寒い冬が来る。このオスカルテ王国の真冬は寒い。外を出歩こうなんて思えるのも今の内だ。
「マスター! シフォンケーキもう1つ!」
カナミの嬉々とした声に危機を覚える、と言う洒落を思い浮かべたがオスカルテの冬並に寒々しいものだったと言う事は誰にも言わないでおこう。
オレはテーブルの上にうつ伏せになり窓の外を見ると、腕輪でない方のリボンでポニーテールを作った薄めの金髪翠眼の女性と目を合わせる。
まさに泣きっ面に蜂だろう。あろうことかハナ姉のお出ましである。
「どうしてこんな時になって出てくるんだ」
そうつぶやいて己の不運を呪うのである。
ハナ「まさかあたしが最後の最後になって登場とはね……」
シロン「なんだ、出番が欲しかったのか?」
ハナ「次章のあたしの出番を楽しみにしてなさい!」
シロン「その事なんだがハナ姉の次の出番は冒頭だけなんだよ」
ハナ「え!?」
カナミ「次章の更新はしばらく待ってくれだよ」