3限目 旨い話には罠がある(後編)
不意の背後からの攻撃を避けて振り返れば、若いとも老いてるとも思えない、かと言ってその間の年齢にすら思う事の出来ない紫色の髪をアップでまとめた女性が手刀を振り下ろして立っていた。
「あんた誰だい。うちの店の坊主達じゃないのはわかってるよ。まったく、あんだけ大きな声出しといてうちの子達は気付かないなんてね……。その上着は外の子から分捕ったものだろう?」
鋭くその切れ長な紫の瞳でオレを見る。
「……はい」
おそらくこの人から言い逃れる事は不可能だろう。
ここまで的確に見抜くこの並々ならぬ観察力と一糸乱れぬ立ち様はフェルやキオ副会長に通じるものだ。
「はぁ、ちょいと来な」
有無を言わさない声と目でオレを部屋に案内する。
連れて行かれた部屋は事務室などの部屋かと思いきやクラブの個室であった。
彼女は徐ろにタバコを取り出して吸い始める。
「取り敢えず上着をお返し」
「あ、はい。すいませんでした」
オレは上着を脱いで彼女に渡しながら謝る。
「申し訳ない気持ちがあるなら分捕るんじゃないよ」
思いっきり煙をオレにぶつけてまたタバコを吸う。
「うちはあんたが来た時点でわかってたよ」
流石にそれはないだろう。
店に入ってすぐに隠れた。中の人全員の視線は入り口に向いてなかった。
「空気ってのがあるんだよ。1人1人が出す空気ってのがね。酒と女が好きな男とそれを相手にする娘、それを支える坊主達、調和してる空気に1つだけ空気の違う輩がいれば気付くもんさね」
「……」
「確かに直感さ。でもこの世界ではそれが必要。うちがそれを身に付けてるのは必然って事」
吸い殻を灰皿に入れて新しくまた吸う。
「もう1つ、必要な技能がある。坊や、なんだと思う?」
「……観察力ですか?」
「そうさね。観察力。人の気持ちを知らなきゃお客様のお相手は務まらない。うちらはよーく相手を見るんだよ」
そう言ってまたオレに煙を吹きかけてくるが、座る位置を変えてオレは避ける。
「服は誤魔化してるのかもしれないが貴族の坊っちゃんだね。魔法使いだ。きっと成績はよく秀才なのだろう。体格もそこそこだ。運動を欠かさないようだね。幼馴染がいる、きっと1人じゃない。しかもその幼馴染達から好意を告げられてるね。モテ男かい? それ以外には――
「待った待った!!」
「なんだい?」
「そんなに個人情報バラさないでください!」
流石に今のはない。観察力とかそんな優しいものじゃない。
「オレの事をご存知なのですか?」
確率は低いがあり得るならそれはオレの事を前から知っていた事ぐらいだ。
「いーや、今日初めて坊やに会ったね」
「い、いくらなんでもそこまで人のプライバシーが読める訳が……」
「目の前で起きてる事を信じられないのかい?」
「……」
確かにそうだが彼女が本当の事を言っているとは限らない。
「信じなくてもいいさ。ただうちの観察力を披露しただけさ」
まさしくそれは“魔法”である。さながら彼女は魔女と言ったところであろうか。
「はぁ……」
溜め息をつく。
胡散臭い女性とは思っていたがその実とんでもない人だったようだ。
改めて考えればオレが店に入った時点で気付いていたと言うのにそんな素振りも見せずにオレに接触せず見ていた。普通は追い出すだろう。
手刀だってオレの意識を刈り取るでもなく肩を叩いて振り向かせるものと同じだった。
挙句に部屋に連れて説教かと思えば雑談である。
肝が座っていると言うかなんと言うか、である。
「申し遅れました。僕の名前はシロン・メイトナス、8位南西の貴族です。王立セルシア魔法学校の6年です」
「名乗られたからにはうちも言わないとね。エリザベス、ここのクラブ“ドール”のママだよ」
「……偽名ですよね?」
エリザベスは流石に出来過ぎな名前である。
「ユアと同じだよ」
タバコ3本目を取り出して火をつける。
「ここで働くのは決して綺麗な仕事ではないだろう。他所行けば娼館もあるからいくらかマシなのかもしれないがね。でもやっている事は変わらない。それは外聞が悪いからね。うち達にも恥じらいはあるさ」
「その、エリザベスさんはユリアちゃんの事を知っていて雇っているのですか?」
「もちろんさね」
「ですがユリアちゃんの歳は……」
「それも全部わかってるよ。あの若さはお客様を呼ぶにいいね。そろそろうちの1番人気になるんじゃないかね」
「ユリアちゃんをそんなために使ってるんですか!?」
オレはテーブルを叩いて声を荒げる。
エリザベスさんは一気にタバコを吸って灰皿に入れて4本目を取り出す。
「そんなため? あんたは金の大事さを知らないようだね。金があればなんでも出来る。食べる事も寝る事も自分の欲を晴らす事も、遠くへ行く事も。なければ何も出来やしない」
「だからってユリアちゃんを使うべきではない!」
「じゃああんたはあの子がスラム階で野垂れ死ねと言うんだね」
鋭く厳しく、射殺さん目でオレを睨む。
「どうして……」
「あの子のためだ、知るべきじゃない」
知る義務も必要もないのかもしれないけどオレは彼女が困っているならどうにかしてやりたい。
「……あんな目をしているのにですか?」
だからオレはエリザベスさんが1番理解しているであろう事を告げる。
ユリアのあの目は心が酷く疲れきって辛くて絶望して、それでもなんとか気丈に明るくしようとする目だ。
「旨い話には罠がある」
エリザベスさんはぼそっと一言を放った。
タバコは既に5本目に突入している。
「これは今の話とは全然関係のないとある父娘の話さね」
エリザベスさんは話し出す。
母が病で寝たきりになってしまった。
父は妻のために治療費を稼ぐべく仕事に精を出した。
娘も娘で自分に出来る事はないかと可能な事をした。掃除に洗濯の家事、年齢が上がって小遣い程度の稼ぎではありながらもアルバイトを始めたようだ。
だが何年掛かっても一向に治療費は貯まらない。
いよいよ母の病状が悪化してしまった。
父はさらに仕事を増やした。
かと言って娘を蔑ろにする事も出来ずに娘を良い学校に入れさせた。それは父が娘のためにと思っての事だ。
さらに仕事が増える。
そんなある日の事だ。
「お兄さん、いつもここ通ってるよね。日が昇るよりずっと前に1回、沈んでから大分経ってからもう1回」
通りすがりの商人に声を掛けられた。
「仕事が大変で」
「目に隈を付ける程とは……。何か事情でもあるのですか?」
父は妻の事をその商人に話した。
そこにはきっと同情してもらいたい気持ちもあったのだろう。
特段話してはならないものでないために話した。
「お兄さんも……大変だ……」
その商人は泣いて同情してくれた。
「気に入った! 金貸してやるよ! それと知り合いに評判のいい医者がいるんだ! 紹介すればきっと治療費を値下げてくれるよ!!」
商人は袋に詰まった金を渡してくれた。
「返すのはゆっくりでいい。奥さんが治る事を祈ってるよ」
父は喜んだ。これで妻の治療に大きく近づいたと。
父は紹介された医者に妻の話と商人との話をしたらその医者も泣いて同情した。
「わかった。私がこれくらいの値段で引き受けよう」
それは目標額の半分以下であり、商人から借り受けた分と今までの分を合わせてギリギリの額だった。
父は迷わずに支払った。
娘もこれで母が治るのだと喜んだ。
しかし治療は失敗、母は死んだ。
父は問い詰めるべくその医者の元へ訪れるもそこはすでに無人であった。
紹介した商人にあの医者はどこへ行ったと訊きに行ったが商人は既にいなかった。
何日も何日も探した。
そして気づいた。
騙されたと。
商人と医者は結託していた。
商人の貸した分と父の持ち分と足してやっと払える額に医者がしたのだ。
もちろん正規な治療ならあの額では足りないのだ。
そんな詐欺に引っかかり、父娘は金を失くし母を亡くした。
それでも娘は気丈に生きた。
アルバイトを増やした。
学校も忙しく両立は酷く難航した。
だがその努力の甲斐があってなんとか生計は立っている。
「そんな話だよ」
何本目のタバコかわからないが既に灰皿はタバコで溢れている。
「その父親はどうしているんですか?」
妻の治療費を稼ぐべく働いていたのだから生計はすぐに立て直せるはずだ。
もちろん失った辛さが後を引いてしばらくは仕事に手がつかないだろうが。
「知らないね」
本人は否定するだろうが間違いなくこの話はユリアとその家族の話だ。
まさか、ユリアにそのような事情があるとは思いもしなかった。
「あんたも金をぼったくられないようにしな」
少女のような、或いは老婆のような妖しい笑みでオレを見る。
「それに金が大事な理由がよくわかるだろう? 金があったら母親を救えたんだ。金は命さえ買えるんだよ」
「……」
言い返す言葉もない。
「だがねぇ、人情を失くしたらそれはもう終わりだ。この話にはまだ続きがある」
それからしばらくして娘はアルバイト先の人の紹介で仕事を増やしていった。
学校も通い続けることが困難となり辞めようと考え始めていた。
そんな中、かなりの高給なアルバイトがあると紹介してくれた。
連れて行かれたのは歓楽街の娼館だ。
数ある娼館の中でこの娼館は目立たないものであったらしい。
何をするか聞かされていなかった娘は焦ったが既に遅かった。
娼館の前で取り押さえられてあわや取り返しのつかない事態になるところだった。
「そこで現れたのがうちさね」
たまたま客付き合いでその娼館の前を歩いていたところに男達に取り押さえられて暴力を振るわれている娘を見かけた。
「ふん、見たところいいところの貴族の使いかい?」
エリザベスさんの観察眼で男達の素性をバラしていき彼らは顔を青くする。
「うちを捕らえようだなんて考えない方がいいよ。こう見えてうちはいろいろな人と付き合っててね」
彼女の口から語られるは有名な権力者や裏世界の住人の名前であった。
何よりも恐ろしかったのはその蟻を見るような侮蔑の目であったと娘は言う。
男達は逃げ去り娘は助けられた。
「事情を聞いたのはその時だよ」
娘は泣きながら今までの事を話した。
悔しかった事、辛かった事、苦しかった事、怖かった事。
「金に困ってるのかい?」
エリザベスさんは娘に尋ねればすぐさま頷いた。
「うちの店で働かないかい? うちはクラブのママなんよ」
やはり初めの内は怪訝な顔をしたようだ。
娼婦とどう違うのかと。
「ホステスはお客様の心に触れる仕事さ。嫌だったら辞めて構わないよ」
そうして働き始めたと言う。
「ま、話は終わりだね。お陰で繁盛したねぇ。さ、良い子は帰って温かいご飯を食べる時間だよ」
タバコの山盛りになった灰皿にタバコを乗せてエリザベスさんは席を立って部屋を出ようとする。
「ああ、それと」
エリザベスさんは振り返ってこう言う。
「個室代はこれくらいになるよ」
そう言って手で数字を作ってオレに代金を払わせるのであった。
「あの銭婆……」
持ち金を殆ど取られてオレは店を出る。
「シロンくん!」
カナミが物陰から出て来てオレに詰め寄る。
「ユリアちゃんは?」
こっちが心配になりそうな心配顔をするカナミ。
「まぁ大丈夫……かな?」
人柄は悪くない人だけど金欲がすごい人だからなぁ……。
「本当に?」
「ああ」
原因はわかった。まずは行ってみないとわからない。
「そっ……」
カナミは素っ気なく返事をする。
「どうした?」
「なんでもない」
「……一応言っとくがこれはユリアちゃんの調査だからな?」
大方この店で働くのをやめさせて元に戻したいと言いたいのだろう。
だが、それをカナミまで首を突っ込むのはマズい。
現にエリザベスさんから聞かされた“とある父娘”の話はあまり人に聞かせていい話ではない。
エリザベスさんがオレの何を読み取ってそんな話を話してくれたのかはわからない。
だがオレはそんな何かの期待に応えなければならない。
「……わかった」
どうやら納得したようで渋々と言った具合で返事をする。
「よし、帰るか」
こうしてユリア調査は終了する。