第五話 新生――4
二人の女性を見送った後、軽く準備を整えてから、一行もピエトロ王国に向けての旅を再開した。国境を越えて王都まで、徒歩と馬車を組み合わせて一週間弱の道のりになりそうだ。ひとまず、徒歩で越境を目指す予定だった。
元気いっぱいな少女たちのおかげで、道中は常ににぎやかだった。雑談をさしはさみながら歩いているうちに、気づけば太陽が中天に差し掛かりかけていた。
「そろそろお昼休憩にしましょうか」
ノエル・セネットのその一言で、場の空気がふっと緩んだ。草木ばかりの道の先に開けた場所を見出して、適当な場所に腰を下ろす。そのときラッセルが「あ」と呟いて、荷物の中から薄茶色の包みを取り出した。美雪が押し付けた――もとい、持たせてくれたものだ。お昼ごろになったら開けて、と言われていたのを、光貴もそこで思い出す。風呂敷代わりの薄い布をするするとほどいていくラッセルの様子を彼は横から観察していた。
――結果として、布の下から出てきたのは、人数分の握り飯だった。いつの間に作ったのだろうか。光貴とラッセルはしばらく呆然としてから、顔を見合わせて苦笑する。
「作ってくれたんなら、言ってくれればよかったのに」
「本当になあ。お礼言いそびれちまったよ、なあ」
母としては、その「お礼」が欲しいわけではなかったので、あえてなにも言わなかったのだろう。後は、まあ、悪戯心だろうか。母の顔を脳裏に浮かべて苦笑した光貴は、振り返って妹を呼んだ。
「そういえば……メリエルが言ってた就任式って、何をするんだろう」
握り飯を食べながら休憩していた、そのさなか。光貴はふと、気にかかっていた単語を口に乗せた。少女たちが目を瞬き、宮廷勤めの青年と少年は顔を見合わせる。
「『神聖王』の即位を宣言する儀式だってのは聞いてるけどな」
「具体的なことは僕らもまだ知りませんね。ジェラルド様のときには立ち会ってないですし」
ジェラルド・ルチアーノが『神聖王』として立ったのは十年以上も前だ。宮廷の中では若手の二人が詳細を知らないのも、当然のことである。
「まあ……ピエトロじゃあ『神聖王』は秘密の存在だから。秘密の儀式になるのは間違いない」
握り飯にかぶりついたラッセルを横目で見つつ、光貴は小さくうなずいた。それからふと、対面に座っている少女に視線を転じる。『豊穣姫』、ミーナ・コラソン。存在を隠されているという点では、彼女も光貴と近い立場のはずだ。
「ミーナも就任式みたいなことしたの?」
彼がその話を持ち出す前に、晴香が口を開いた。米粒と格闘していた少女は、顔を上げて友人を見る。
「うん。したよ」
「どんな感じだった?」
「うーん……実は、あんまり覚えてないんだよね。すっごく緊張してたから」
ミーナはわずかに首をかしげ、口もとについていた米粒を指で拾った。
「今思うと、そこまで難しいことはしなかった気がする。決まった動きをするだけって感じだった。そのへんは、アルバート陛下に聞けばなんとかなるんじゃないかな?」
光貴は少女の言葉を受けて、脳裏に想像図を思い描いてみる。厳かな祭祀の風景が出来上がってきて、思わず身震いした。難しくないとは言っても、確かに、緊張で頭が真っ白になりそうだ。
「ちょっと考えないといけないのは、最後の『宣言』かなあ。その場にいる人に向けて、守護天使自身が即位しました、ってことを言うんだけど、その言葉を自分で考えないといけなかったから」
「う、うわあ」
うめいた光貴は、その声が重なったことに気づいて顔をひきつらせた。斜め前で、晴香が肩と顔をこわばらせている。鏡に映った自分を見ているようだ。光貴は頭を抱えた。
「ど、どうしよう……なんか不安になってきた……」
「まあまあ。今からそんなにへこむなよ、光貴」
「僕やラッセルも、できる範囲で手伝いますから」
背中を丸めた少年に、ラッセルとノエルが声をかける。それをはたで見ていた晴香とミーナが、思わずといったふうに笑い声を立てた。
じゃれあい、笑いあう若者たちのかたわらで、黒髪の少女だけがひとり静かにほほ笑んでいる。しかし彼女は、ふとした瞬間にその笑みを消し、空を仰いだ。冬の青空を大きな鳥の影が横切る。自然の営みの中に、しかし彼女の闇色の瞳は、それ以上のものを見出しているかのようであった、
空中で大きく孤を描いた鳶が、彼方へと飛んでいく。空に生きる者が向かった先は、北西――一行が目指すべき空だった。
※
シオン帝国の領土の端に、豪奢な屋敷が建っている。十人近く余裕で住めそうな大きさで、壁や柱には細かな装飾が施されているが、見た目の華やかさのわりに、屋敷の内外は静かだ。周囲も奇妙な形の草木に囲まれてばかりで、人の気配はまったくない。そもそもこんな所に人が住んでいるとも思われないだろう。
屋敷の裏手は小さな庭のようになっている。そこへひとり出てきたシルヴィアは、思いっきり吸い込んだ。少し後、空気をため息に変えて吐き出す。遠く、木々のはざまに向けて目をすがめた彼女は、そのまま視線を上に転じた。
白と灰色を混ぜたような色の空だが、雨は降っていない。ここ半月近く大雨が続いていたから、珍しいことだった。とはいえ、些細な天候の変化は、彼女にとってあまり慰めにならない。気にかかることが地上、身の回りに多すぎるのだ。
シルヴィアが再びのため息をついたとき。背後から、わずかに草の鳴る音がする。全身を緊張させつつも、彼女はすぐに振り返らない。しばらくその場に佇んで、近づいてくる足音に耳を傾けた。強さ、歩調、靴のこすれ方――そのすべてに、覚えがある。
「おや、シルヴィア嬢。ここにいらっしゃったのですね」
落ち着いた男の声が、彼女の名を呼んだ。そのときになって、ようやくシルヴィアは振り返る。屋敷の方からやってきた男を認めると、少しだけ目もとを緩めた。
「エリゴール」
灰色の髪をなでつけた痩身の男は、少女の声を受けると一礼する。シルヴィアはまた眉をひそめかけたが、ひとまずはぐっとこらえた。あまりあからさまに嫌な顔をするのも考え物だろう。
「あなたこそ、どうしてここに? 報告に行ってるのかと思っていたわ」
「行ってきましたよ。あの輪の中にいるのが疲れたので、出てきたんです」
エリゴールは言うと、おどけたふうに肩をすくめる。シルヴィアは、軽く目をみはった。
「あなたは、私よりよっぽどあの連中に馴染んでいると思っていたのだけれど」
「そうでもないですよ。元々、人と一緒にいるのはあまり得意ではないので。大人しく仕事をしているか、一人で読書をしている方が性に合っています」
曇天を見つめ、「今日は珍しく雨が降りませんねえ」などと呟く男。その横顔を、シルヴィアはついまじまじと見つめてしまった。
正直なところ、シルヴィアはこの男があまり好きではなかった。陰湿な奴だ、と思っていたのである。普段は事務仕事をしているか、彼らの長と何やら話し込んでいるかのどちらかなので、彼女との接点もそんなになかった。好感を持てなかったのは、そのせいもあるのかもしれない。
今のエリゴールは、いつもの暗さをあまり感じない。改めて口を利いてみると、そんなに悪い人でもないように思えてきた。――『堕天使』であることに変わりはないが。
「そういえば、今朝感知したっていう魔力。あれは結局、『神聖王』のものだったの?」
ゆるやかな心境の変化があったからだろうか。シルヴィアの方から、そんなことを尋ねてしまったのは。
エリゴールはわずかに首をかしげたが、どこぞの藍色マントのように彼女の内心を詮索してくることはなかった。スカーフの位置を直しながら、口を開く。
「そのようです。裏付けはまだとれていませんが、『継承の儀』が行われた可能性が高いですね」
「継承の儀? ずいぶんと早くない?」
「ええ。もしかしたら、あちらにとっても予想外の出来事があったのかもしれませんね」
警戒と驚きをありありと表情に出しているシルヴィアとは対照的に、エリゴールの言動は落ち着いたものだった。目の前の少女の胸中に渦巻くものに、気づいているのかいないのか――ともあれ、と、彼は微笑を深くする。
「ジェラルド・ルチアーノのご子息がその座を継いだことになりますね。今まで、守護天使が同じ血統から続けて出たことはなかったはずですが……因果は巡る、というやつでしょうか」
「……どうかしらね」
火が灯る。火種は常に、シルヴィアの中にある。
己の裡を焦がす火が、消えたことは一度もない。
すべてを失くした、あの日から――
「私は、『神聖王』をこの手で殺せるなら、なんでもいいわ」
押し殺した声で、呟く。その音は、にじみ出た激情は、エリゴールに伝わってしまっただろうか。伝わっても構わなかった。『堕天使』連中の作戦立案を担当しているこの男は、シルヴィアの素性も把握しているはずである。
ドリスの洞で出会った少年の顔を思い出し、少女はひとり拳をにぎった。
静かに猛る彼女の姿を、『堕天使』の男は無言で見つめる。その両目からは、なんの感情もうかがえなかった。
【第四章 END】




