第五話 新生――2
「おかえり! みんなしてどこ行ってたのよ、もう!」
宿屋に帰り着くなり、ふくれっ面の少女が顔を突き出してきた。予想通りといえば予想通りの展開である。光貴たちは肩をすくめ、互いの顔を見合わせた。
夕刻にさしかかろうとしている宿場町、その一角。外の喧騒は心なしか常よりも慌ただしい。宿の中でも、旅装束の人々が足早に行き交っている。笑声と、何やら焦っているような声が入れ替わりで聞こえてくる。そんな中でも、ミーナの苦情はよく響いた。
ノエルが、苦笑いしたままの顔を彼女に向ける。
「すみません。すぐ戻ってくるつもりだったのですが、色々あって遅くなってしまいました」
彼が笑みを深めると、ミーナは表情を少しこわばらせた。尖らせていた唇を緩めて、今度は一文字に口を引き結ぶ。まごついたような瞳の奥に、明らかな戸惑いの色が揺蕩っていた。感情がわかりやすく面に出ている少女は、他の人々の視線に気づくと、慌てて顔を逸らした。
「う、あ、危ないことしてないならいいよ。でも、心配したんだからね」
「はい。……すみません」
困ったように頭を下げたノエルを、ミーナは横目で見て、うなずいた。そこで、ノエルの後ろからラッセルがひょっこり顔を出す。おませな少女が納得する時機を見計らっていたのかもしれない。彼は、笑顔をミーナに向けたまま、光貴の肩を思いっきり叩いた。
「大丈夫、危険なことはしてねえよ。……光貴以外は」
「ちょ、おいラッセル……!」
「どういうこと? 光貴、何したの、ちょっとー!」
「ご、ごめん。詳しいことは話せないんだよなあ」
小姑のような少女の追及をかわしつつ、光貴たちは客室に足を踏み入れる。部屋じたいは広いものの、寝台が人数分並んでいるおかげで、だいぶん手狭に感じた。椅子と寝台に、それぞれ行儀よく腰かけていた少女たちは、帰ってきた面々を見てそれぞれに「お帰りなさい」と言ってくれる。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさいませ。まあ、ご挨拶いただく前から気づいてはいましたが」
どこかの『豊穣姫』が元気よく声を上げていらっしゃったので、と、メリエルがミーナを見つめる。見られた方は、すまし顔でその視線から逃れていた。その様子に光貴たちは苦笑し、美雪とリリスはなぜかほほ笑ましそうにしていた。
ひとつ、大きな咳ばらい。メリエルのものだった。彼女は、怜悧な輝きを秘めた目を少しすがめて、ラッセルを見上げる。
「それで、どこへ出かけていらっしゃったんですの? と訊いても教えてはいただけないのでしょうね」
「察しがよくて助かるよ。悪いな」
「お気になさらず。聞かなくても、なんとなくわかりますので」
欠片も悪いと思っていなさそうな様子のラッセルに手を振ってから、メリエルは光貴へ視線を投げかけてきた。
深海を閉じ込めたような、深い青。
『慈悲姫』の性質をそのまま表した瞳は、すべてを見透かしているかのようだった。
静寂を貫く透徹と、意志の交錯。
その時間はおそらく一秒にも満たなかっただろう。だが、光貴には永遠のように感じられた。
彼が息をのむと同時に、青い視線は彼から離れる。冷徹の衣を脱ぎ捨てた少女は、手を組んで伸びをした。
「さて。そういうことなら、今回のわたくしの役目も終わったと思っていいですわね」
「え? どういうこと?」
「晴香さんは知らなくても大丈夫ですわ」
晴香がこてんと首をかしげる。メリエルは、唇に指をあて、悪戯っぽくほほ笑んだ。
「知らない方が幸せかもしれないぜ」
ぼそりと呟いたのは、かぶりを振ったラッセルだ。「あら、どういう意味でしょう?」とメリエルが微笑すると、彼は「なんでもないでーす」と手を振って、彼女に背中を向ける。おそらく当人たちにしかわからないやり取りだ。北原兄妹は、お互いに首をかしげあった。
「とにかく、わたくしは一度アクティアラに戻りますわ」
改まったメリエルに対し、ノエルが神妙に応じる。
「わかりました。道中気を付けてくださいね」
仲間であり、目上の存在でもある少女に、『預言者』がかけた言葉は穏やかだった。黙って屋敷を出てきたおてんば姫に内心どう思っているかはともかくとして。しかしそのとき、ミーナが軽やかにメリエルの隣へと飛びこんでくる。
「シセンさんにちゃんと顔見せなきゃだめだよー」
「あらミーナ、わたくしが報告を怠るように見えますこと?」
「見える」
「……正直でよろしい」
メリエルの声の調子が一段低くなる。瞬間、ミーナはぱっと寝台から離れ、ノエルと晴香の背後に隠れた。あきれる一方で感心するほどすばやい動きだった。
そんなやり取りはあったものの、とりあえずメリエルは国に戻り、残る面子はピエトロの王都に向かうということで話が落ち着いた。美雪は、光貴たちとは別の道を使って戻るという。「私が一緒だと、何かとめんどくさいことになりそうだから」というのが本人の言い分だった。
「じゃ、そろそろ俺たちは戻るわ」と切り出して、ラッセルが戸口の方へつま先を向ける。ノエルも座っていた椅子から立ち上った。彼らに倣って部屋を出ようとした光貴は、しかしあることを思い出して足を止めた。
「晴香、母さん。ちょっといいか」
家族を手招いて廊下に出た。帰ってきた頃よりいくぶんか静まり返った廊下で、光貴は二人分の視線を受け止めて立つ。
「どうしたの、急に?」
「ごめん、みんなの目があるところでは言いづらかったんだ。……父さんから、伝言を頼まれた」
晴香と美雪が、ほとんど同時に目をみはった。空気の硬化を感じ取ってか、鼓動が少し速くなる。それでも光貴は、口を開いた。
※
今夜は月がやけに大きく見えた。満月を通り過ぎたばかりなのだろうか。少し欠けた月は、それでも冴え冴えとした光を放ち、闇に沈んだ大地をほのかに照らし出している。
宿場町は、存外に静かだった。一部の酒場や宿屋にはまだ明かりがついていて、わずかに人の笑声が漏れ聞こえてくるが、その程度である。土産物屋や民家などは、わずかな灯すらもなく、静寂の中に身を沈めているかのようであった。
一人外へ出てきた美雪は、少しだけ深呼吸すると、顔にかかった髪を後ろに払った。氷に指先をほんの少し触れさせたような冷たさが、今日の空気には宿っている。お世辞にも体にいいとはいえない夜気はだが、心をすっと落ち着かせてくれる。
案外疲れていたのだろうか、と、美雪は己に苦笑した。ここへ来てから色々なことがありすぎた。『聖墓所』の近くだ、夫のことを思い出すかもしれないな、とは思っていた。だが、まさか晴香と――光貴に再会できるとは予想もしていなかった。まして、彼らがジェラルドと同じところに立つなどとは考えたこともなかった。
「できれば、こっちには来てほしくなかったなあ」
美雪はひとりごちる。無意識のうちに、若き日のことを思い出していた。
二人とも、数少ない家族だ。生ある者の中でもっとも愛しい我が子だ。だからこそ、『神聖王』や『堕天使』などといった、物騒な存在や世界からは遠ざけたかった。だが、彼らにその力があった、という事実はどう頑張っても歪められない。運命や宿命という表現が美雪は好きではないが、そう表現するほかにないだろう。
「だとすれば、後はなるべく平和に過ごしてもらいたいもんだよねえ。今は戦争も内乱もないし、まあ、大丈夫だと思いたい」
ひとりでうなずいた美雪は、その姿勢のまま、意識だけを己の後ろに向ける。
宿屋の裏手。その一隅に凝る影には、ずっと気づいていた。身じろぎすらしないその者に、ほんの一瞬鋭い意志を飛ばす。
――それは、彼女なりの警告だった。
「だからね。うちの子たちに何かしようって輩がいれば、私は躊躇なくそいつに剣を向けるよ。たとえ、相手が女の子だろうとね」
明確な言葉を投げかける。そのとき初めて、影が揺らいだ。美雪も、そのときになってようやく振り返る。闇色の長髪を持つ少女が、静かにたたずんでいた。感情ののぞけぬ瞳をまっすぐに向けられる。だが、美雪は露ほども動じていなかった。危険は感じても、それで慌てふためくことはない。かつて『解放軍』に身を置き、『神聖王』の隣に立った者として身に着けた、振る舞いと心構えであった。
「気づいておられたのですね。わたしの正体に」
「そりゃあね。私、今まで『天使』や『堕天使』を山ほど見てきてるから」
少女、リリスの言葉に、美雪は軽く肩をすくめる。リリスはそれをどう受け止めたのだろう。ふ、と形だけの笑みをこぼした。
「ご安心ください、美雪様。わたしは光貴様や晴香様を傷つけるつもりはありません」
「厳しい言い方をするようだけど、言葉だけならどうとでも繕える。あなたの言葉を、私が信用できると思ってる?」
「いいえ、まったく思っていません」
リリスは淡々と、美雪の刺々しい指摘を受け止めた。人形のような子だ、と美雪は思った。心に少なからぬ緊張が走る。
「あなたはジェラルド・ルチアーノ様の伴侶であらせられますから。わたしを信じられぬというのも、当然のこと。しかし、こればかりはあなたに信じていただく以外にない。わたしは、わたしの意志を証明する手段を多く持っていないのです」
ただの「言葉」としての言葉をつむぐリリスから、美雪は目を離さない。さざ波のような動揺を押し隠して息を吐く。
「意志の証明、か」
「そうです。……ただ一つ、証となるものを提示するとすれば」
少女は、胸の前で静かに手を握った。そのとき初めて、闇色の瞳に鮮烈な光が走る。
「わたしは『天使』たちの戦いを終わらせたい。そのために光貴様に会いにきたのです。それが、わたしの持つ唯一の意志です」
唯一の意志。その意味を、美雪は完全に理解できたわけではなかった。ただ、直感したのは、この子は自分たちの知らないような世界にいたのだ、ということだ。それも、ずっと幼い頃から――ひょっとしたら、生まれた瞬間から。
荒れた世界を生き抜いてきたのは美雪とて同じだ。だがきっと、リリスが見つめてきたのは、彼女が見てきたのとは別の闇。とすれば、その想いをわかることはできないだろう。ただ――
「……そう」
強い想いを持っている。その事実を感じ取れただけで、今はよしとすべきだろう。
「そういうことなら、今喧嘩するのはやめとこうかね」
「ありがとうございます」
「礼には及ばないよ。正面から刃を向けてる状況が、背後から刃を突きつける状況に変わっただけなんだからね」
かぶりを振った美雪が物騒なことを言っても、リリスは嫌な顔ひとつしなかった。それどころか、丁寧に頭を下げてくる。怖いくらいお行儀のいい少女に「まあ顔上げなよ」と声をかけてから、美雪は頬をかいた。
「それにね、晴香と同じ年ごろの女の子を殺すなんて、できればしたくないんだよ」
先の発言との矛盾は承知の上で、美雪はあえてそう言った。なんだかんだ言っても、親なのだ。それゆえに湧き出る感情があることは、誰よりも自覚していた。それは甘さとも、慈愛とも呼ばれるのだろう。
あっけに取られたようなリリスの視線を感じつつ、美雪はふ、と笑みをこぼした。まるで母親のようにささやきかける。
「さ、もう寝なさい。私も部屋に戻るから」
返事を聞く前に、夜空を仰ぐ。少し欠けた月は、先ほどよりも小さく見えた。




