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King of Light  作者: 蒼井七海
第四章 受け継がれしもの
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第五話 新生――1

 黒と、白と、様々な色が混ざり合う。

 生ぬるい闇のむこう、自分の名を呼ぶ声を聞く。

 水の中から聞いているみたいに、おぼろげな音。それが次第に明瞭な声となっていく。意識を揺らす、必死な声は、誰のものだろう。

 記憶と思考と自我と。すべてがバラバラで、まとまらない。けれども彼は、己を呼ぶ声に引きずられるようにして、明るいところを目指していた。それだけは、確かだった。


「お兄ちゃん!」

光貴(みつき)!」

 複数の声が同時に響き、耳朶を打つ。呼び声に頭を揺さぶられた光貴は、飛び起きた。内臓と血管とが、一気にきゅっと縮むような驚きと、戸惑い。それが過ぎ去ると、入れ替わりでだるさが襲いかかってくる。一瞬だけ冴えた頭の中にも、薄暗い霧がかかったようだった。重たい頭を抱えてから、光貴はあたりを見回した。

 暗く、広い石窟――光貴が謎の空間に飛ばされるより前にいた、聖墓所の内部だ。相変わらずすべての音を吸い込んでしまいそうなほど静かで、ひんやりとしている。白い世界も、変な獣も、懐かしすぎる男の姿も、そこにはなかった。代わりに、四人の見知った人々が光貴を心配そうに見下ろしている。ある者は憂慮を隠そうともせず、ある者は今にも泣きだしそうに顔を歪めていて、またある者は頬をひきつらせ、眉を吊り上げていて。

 彼らの瞳を見返しても、「戻ってきた」実感はまだ湧いてこない。未だに、あの白い空間を漂っている最中なのでは、という気さえしてくる。光貴は強くかぶりを振ると、己の髪をくしゃりとつかんだ。

「父さん、は」

 呟いた彼の声は、周囲にむなしく反響する。当たり前のことだが、明るい声が答えてくれることはなかった。妹と青年と少年が困惑を載せた視線を交わしあう。そのかたわらにいる女性だけが、光貴に静かな視線を注いでいた。

「光貴」

 美雪だ。聖墓所にはついてこなかったはずだ。後から来たのだろうか。

「母さん……」

「ひょっとして、ジェラルドに――父さんに会った?」

 母からの静かな問いかけに、光貴は肩をこわばらせる。隣で晴香(はるか)が息をのんだ。少年は、家族の顔をなるべく見ないようにしながらうなずく。それから恐る恐る顔を上げると、見下ろしてきていた美雪と目があった。それまで眉間にしわを寄せていた母の表情が、少しだけ緩んでいる。

「そっか。ってことは、継承の儀は無事に終わったってことだね」

 ことさらに明るい調子で言った彼女は、うんと伸びをした。先代『神聖王』の伴侶でもあった女性の言葉に、他の三人が目をみはる。緑髪の少年、ノエル・セネットがわずかに身を乗り出した。

「ど、どういうことでしょうか、美雪様。ジェラルド様にお会いする、とは……」

「ああ、そっか、ノエルくんは知らないんだっけ。私もジェラルドから又聞きしただけなんだけどね。継承の儀では死んだ先代の魂の残滓に会うんだって」

「そんなことが……」

 唖然としたノエルが、そろりと光貴の方を見る。それに釣られるようにして、晴香とラッセルも顔を動かした。間違いなく、「何があったのか説明しろ」と目線で要求されている。光貴は首をすくめ、助けを求めるように母を見上げた。

「えーっと。これって話してもいいのかな」

「本当はだめだけど。まあ、今さらじゃない?」

 からりとした母の言葉に、光貴はため息を誘われる。仕方ないな、と胸中で呟いてから慎重に口を開いた。

 石碑に触れた後、何があったのか。その一部始終をなるべく順序立てて打ち明けた。すべてを聞いた晴香たちは呆然としている。冷静なのは、やはり、美雪だけであった。

「継承の儀って、そんな感じだったのか……なんつーか、途方もないな」

 ラッセルが後頭部をがりがりと掻きながらうめく。彼より一歩後ろで、ノエルは何か考えているのか、額に手を当てたまま黙りこんでいた。

 そして、晴香。目と鼻が赤いままの少女は、両目をいっぱいに見開いて兄に顔を向けていた。

「お兄ちゃん、父さんに会ったんだ」

「ああ……まあ、うん」

「どんな感じだった?」

 気まずさから髪の毛の先をいじくっていた光貴は、その手を止める。妹の両目を見返した。

 おそらく、晴香は父の顔すらもまともに覚えていないだろう。そんな彼女がこぼした問いにはどんな意図と、どれほどの想いがこもっているのか。光貴には見通せない。想像することしかできない。

 だから彼は、自分なりに応えるのだと決めた。自分の言葉で、表情で、声で。父の面影を記憶に乗せて。疲労のぬぐえない相貌に、苦笑の色を重ねた。

「なんかこう、すっげえ明るい人だったよ。昔の俺の印象では穏やかな感じだったけど、それとはちょっと違ったな。陽気で、強そうで、ちょっとがさつそうで……でも、優しかった」

「そっかあ」

「あと、多分晴香はだいぶ父さん似だな」

「えっ、ほんと?」

「うん。なんつーか、顔だちはっきりしてるって言うのか」

 身を乗り出した晴香に光貴は笑いかける。少女は父親似の目もとを険しくして、えー、と唇を尖らせた。

「そういう感じなら、お兄ちゃんだっていい勝負だと思うけどな」

「ええ?」

 光貴が素っ頓狂な声を上げて己の顔を指さすと、まわりから小さく笑声が起きる。ようやく場の空気が弛緩したところで、美雪に次ぐ年長者の青年が、大きな手を叩いた。乾いた音に誘われて、四人は一斉に彼を見る。

 赤毛の魔導師ラッセル・ベイカーは、悪童のような微笑を浮かべた。

「とりあえず、継承の儀が済んじまったならここから出ようぜ。思い出話はそれからでもできるだろ?」

「それもそうだな」

 光貴は苦笑し、立ち上がる。同時、四人を順繰りに見回した。歩き出そうとしていたラッセルたちが、その視線に気づいたのか、怪訝そうに振り返る。彼らに向けて、光貴はゆっくりと頭を下げた。

「あの……ごめんなさい。また心配かけて」

 この聖墓所に何があるのか、ここで何が起きるのか。誰も具体的なことは知らなかった。とはいえ、光貴がまたも騒ぎを起こしたことは事実だ。神聖な場所で、よく知りもしないものに触れてしまった不用心さが招いたことでもある。だから、と謝罪の意を示した少年は、しかし直後に髪の毛をぐしゃぐしゃにされた。悲鳴とともに顔を上げると、大きな手をかざした青年がそこにいた。

「気にすんな。今回はしかたねえよ。継承の儀の開始条件を誰も知らなかったんだから」

 ラッセルは言って、目を細める。その少し後ろで、ノエルが肩をすぼめた。

「むしろ、そういうことなら僕が光貴さんに謝らなければいけません。聖墓所に行くことを言い出したのは僕ですから。行くにしても、せめて美雪様には話しておくべきでした。……申し訳ありませんでした」

「い、いや、そんな……」

 神妙にしている緑髪の少年を見て、焦った光貴は顔の前で手を振る。このままだと謝り合戦になってしまいそうだ。きりがない、と思った光貴は、喉元まで出かかった言葉をのみこんで、頬をかいた。

 男たちのやり取りに思うところがあったのだろう。聖墓所の出入り口の前で、晴香が形のよい眉をひそめる。

「それにしても……ノエルくんは、なんで継承の儀のことを教えてもらえてなかったの?『預言者』も守護天使に関わるお仕事なのに」

「詳しいところは僕にもわかりません。ただ、『預言者』はあくまで『天使』を見つけ出すための存在です。継承には関わらないので、その情報を知ることが許されていないのではないでしょうか」

「な、なるほど?」

 思案顔で答えるノエルの瞳には、理知の光が戻ってきていた。まじめな質問をされたことで、冷静さを取り戻したらしい。彼の整然とした答えに、しかし晴香はしかめっ面で首をひねっていた。すっきりしない、と表情で語っている。それはまた、彼女の母も同じであるようだった。

「そういう背景もあるんだろうけど、実際は伝統に倣ってるってところが大きいだろうね。今回みたいなことがまた起きないとも限らないし……情報の開示範囲は見直した方がいい気がするわ」

「どのみち陛下にはご報告申し上げることになるだろうしな。ついでに、ちょっと掛け合ってみるか」

 ラッセルが腕を組んで呟いた。この一言が、一連のやり取りを終わらせる合図だった。四人から五人に増えた一行は、今度こそ聖墓所の外へ出た。久方ぶりに自然の光を浴びた光貴は、まぶしさにきつく目を細める。

 細く作られた道の先に、やはり人の姿はない。ピエトロにもトルキエにもほとんど知る者のいない『聖墓所』のまわりでは、人の体をも覆いそうなほどの草木が時折ざわめき、枝葉を伸ばす木々がその姿を隠している。風に乗って、かすかに鳥のさえずりが聞こえてきた。

「いやあ、だいぶ時間食っちまったなあ」

 空に手をかざしたラッセルが、ことさら陽気に苦笑する。彼に倣って空を見上げた光貴は、顔を覆った指の隙間から、黄金色の日の光を見つめた。

 やわらかく草木を照らす陽光は、神聖なる光と似ているようでまったく違う。その差異は、いったいどこから来るのだろう。広げた己の両手をまんじりと見つめ、光貴は考えた。しかし、考えたところで明確な答えは出ない。それはきっと、これから自分で見つけていくべきものなのだろう。

「さ、帰りますか。ミーナたちが待ちくたびれてるだろうし」

「……うん」

 だから今は、顔を上げて、胸を張って、この世界への一歩を踏み出す。それだけで、十分なのだ。

 母の言葉にうなずいた少年は、冬にしては暖かな空気を胸いっぱいに取り込んだ。隣に駆け寄ってきた妹と目を合わせてほほ笑んでから、先へ行ってしまった大人たちを追って走り出す。

 背後にそびえる白い石窟を振り返ることは、しなかった。

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