第四話 継承の儀――4
光貴は呆然としていた。疲労と鈍痛のせいで頭が回らない――というのもあったが、何より目の前のものが信じられなかった。
父がいる。二度と会えないはずの彼が、記憶のままの姿で立っている。光貴はぼんやりしたまま、自分の頬を叩いていた。この父は、自分がつくりだした幻なのではないかと、思ったからだ。ひりひりと痛む頬が、そうではないと訴えた。彼がまた困っていると、笑い声が吹き出した。光貴を抱えたままのジェラルドが、肩を震わせている。
「おもしろい反応するな、おまえ」
「い、や。だって」
光貴はふてくされたように唇をとがらせる。が、すぐ頭を横に向けた。気だるくて、言い返す気にすらなれなかった。息子の疲労を察したのか、ジェラルドは光貴の体を白い地面に下ろすと、自分がそのすぐ隣に腰かけた。自身を支えられなくなっている少年は、自然、彼の肩にもたれる格好になった。
「ま、あれだ。とりあえず休め。……まったく。俺でもあそこまでの無茶はしなかったぜ」
言葉の意味がわからず、光貴は目を瞬いた。そして、それとは別の問いが、口を突いて出ていた。
「なんで、父さんがいるんだ?」
「ん?」
ジェラルドは首をかしげ、それから、目を丸くして息子を見た。
「なんだ、光貴、おまえまさか、何も知らないとか言わないよな」
「えっと……」
「なんのためにここに来た?」
「それはむしろ、俺が訊きたい」
なんで、こんなわけのわからない場所に飛ばされたんだ、光貴がそう毒づくと、ジェラルドは白い天をあおいだ。
「おおーい……頼むぜ美雪……説明もなしに聖墓所に入れるんじゃない……」
「え」光貴は声をあげ、青ざめた。母に話さず聖墓所に来たのはかなりまずかったかもしれない、と、このときになって思い至った。彼がどこから説明すべきか迷い、まごついている間に、ジェラルドは気持ちを切り替えていた。息子の名を呼び、その目を見つめる。
「知らないんなら、まずは教えておこう。おまえが今までこの空間でやっていたのは――『神聖王』の継承の儀だ」
光貴は、何も言わずに父を見返した。それから、あんぐりと口を開け、「なんの冗談」と、喘ぐように呟いた。しかし、ジェラルドはいたってまじめな表情だ。眼光鋭く、口もとはかたく引き結ばれている。冗談でもなんでもない、と、鳶色の両目が語っていた。先代の『神聖王』は、跡継ぎの少年に向かって、淡々と言葉を続ける。
「俺がここにいるのは、継承の儀の最後の最後、次の『天使』を前の『天使』が迎え入れ、志を託す――という役割があるからだ。わかっちゃいると思うけど、今の俺は生身じゃない。あー、まあ、いわば魂と意思のかたまり、みたいなもんかな。俺、そういうのわかんねえんだけど。ついでにいうと、おまえも今、似たような状態になっているわけだ」
「つまり」
光貴は、目を細める。
「俺が変な球を触って声が聞こえたのも、変な獣と戦ったのも、全部、儀式の一部なのか?」
「そういうことだ。で、俺に逢えたおまえは見事、儀式を乗り越えた、ってわけさ。おめでとさん」
腕を軽く叩かれると、光貴はかぶりを振った。安心したような、それでいて不愉快なような、変な気分だ。粘ついたものが胸の中にわだかまっている。それでも、ジェラルドといたおかげなのか、体は楽になってきた。ゆっくりと身を起こしてみると、頭のなかがぐらぐらと揺れたが、だるさはなかった。
光貴は手をにぎったり開いたりして感覚を確かめたあと、父の横顔を見上げた。
継承の儀のために、魂だけになってこの空間に残り続けたという、ジェラルド・ルチアーノ。荒唐無稽な話だが、光貴は自然と、その話を受け入れていた。親子だからか、同じ『神聖王』だからか。
「志を託す……って。何を、するんだ?」
「そう難しいことじゃない。ただ、当時自分がした仕事についてとか、考えてたこととかを、くっちゃべっていればいいらしい。身構えるな」
ジェラルドはそう言ったあと、光貴に向かって、笑った。生前とまったく変わらぬ、悪童のような笑顔だ。
「なあ光貴。息子よ。せっかくの機会だ、いろいろ話そうぜ」
とりあえず、光貴の方から、先に話すことにした。ジェラルドが亡くなってからのこと。自分が封印されて、空白の二年を過ごしたこと。ラッセルに出会い、晴香と再会して、ノエルと知り合って――ここまで長い旅をしたこと。
ジェラルドは、時におかしそうに、時に切なそうに聞いていた。つい最近の話、露店を開いていた母と出くわしたことを光貴が打ち明けると、ジェラルドは頭をかいた。
「あーあー。母さん、絶対怒ってるだろ。俺が勝手に、先にいったから」
「え? いや、そんな感じはしなかったけど……」
「いやー、絶対怒ってる。あいつ、顔に出てない怒りの方が、おっかねえんだよなあ。これが」
おおげさに体を震わせるジェラルドの声は、けれど、妻への思いを隠し切れていなかった。光貴が思わず相好を崩すと、「なに笑ってんだ」と額を小突かれた。
二人は、少しの間、そうしてじゃれあった。時間の空隙を埋めるように。ここに母と妹がいればどれほどよかったろう、と光貴は考えかけて、やめる。彼が強くかぶりを振っていると、今度はジェラルドが口を開いた。
「じゃあ、いよいよ俺の番かね? つっても、だいたいは母さんから聞いたんだろ」
「まあ、一応」
光貴はうなずいた。ジェラルドは、小さくうなずき返す。
「俺もな、はじめっから『神聖王』や『解放軍』の頭目なんかに、なるつもりはなかったんだ。もともと俺は、孤児でな。辺鄙な町で、畑仕事や住宅の修理の手伝いをして日銭を稼いで、橋の下を住処に、浮浪児ながらそれなりの生活をしていたわけだ」
光貴は、目を丸くした。そんな話は、誰からも聞いたことがない。
「けど、あるとき、『堕天使』の軍隊が町の近くまでやってきた。馴染みの奴と薪をとりに出ていた俺は、そこで奴らと鉢合わせて――そのときに、『天使』の力が目ざめた」
ジェラルドは、こらえきれなくなったように、吹き出した。
「びっくりしたぜー。いきなり白い光の玉が出てきて、『堕天使』どもにぶつかっていったんだからな。
最初は、俺も、一緒にいた奴――リズっていったんだが、あいつも、俺の力がなんなのかわからなかった。もしかしたら魔法かも、というくらいに考えてたんだ。でも、数日後、王都から人が訪ねてきた。そいつは、当時の『神聖王』アウレリアーノの使いだった」
当時の『神聖王』は老齢で、また病に伏せっていた。ゆえに『堕天使』たちの侵攻に対処することができなかった。ジェラルドが選ばれたのは、アウレリアーノの死期が、すでに近づいていた証だったのだろう。そして、ジェラルドの存在を、『天使』ならではの感覚で知ったアウレリアーノは、彼のもとへ使者をやったのだ。藁にもすがる思いだっただろうと、当時を語るジェラルドは、苦笑した。
「俺は守護天使とかすぐに信じられなかったけど、とりあえずその使者についていったんだ。それで、アウレリアーノに引き合せられて、守護天使のことや、『堕天使』のことを聞いた」
「どう、思った?」
光貴は、慎重に尋ねた。
「大人が子供をからかってるのかと思ったよ」
先代の『神聖王』は、笑い飛ばした。ぽかんとしている息子に、意地悪な笑みを向ける。
「おまえも、晴香も、戸惑っただろう。『神託の君』のこと、はじめて聞いたときは。それと一緒だよ。いきなり言われたって、信じられるわけない。けどなあ、日増しに俺の中の魔力が主張をしてくるんで、だんだん、爺さんのいうことを受け入れるようになっていったんだよ。だから俺は、結局、『神聖王』の座を継ぐことを選んだ。考える時間が本当はもっと欲しかったけど、贅沢言ってられる状況じゃなかったし」
いつ、『堕天使』が王都に攻め込んできてもおかしくない状況だったらしい。だからジェラルドとアウレリアーノと王宮の人々は、それから急いで、聖墓所に向かったそうだ。すでに国土の大半を奪われているなかで、守護天使の象徴たる聖墓所が敵の手におちていないのは、奇跡のようなものだった。――あるいは、守護天使の象徴だから、手を出せなかったのか。
「で、まあ、光貴が今しがたくぐってきたような試練を俺も受けさせられてな。ひいひい言いながらなんとか戻れて、その直後に爺さんが息をひきとった」
光貴は黙って聞いている。もはや言葉が見つからなかった。
「そこからは、ほんと激動だったな……。いよいよ王都が危ないってなって、俺はなんか流れで反乱軍の長をやらされることになってなあ。それが、美雪の話していた『解放軍』だよ。んで、まあ、その後はだいたい、おまえも知ってるとおりだな」
ジェラルドは、変わらず明るく笑っている。その笑顔の裏、若き日の彼の中には、どれほどの戸惑いと苦労があったのか。光貴は、考えずにはおれなかった。
光貴が顔をしかめたままでいると、突然、節くれだった指が彼の髪の毛をかきまぜた。光貴が呆然として父を見上げれば、彼は悪戯を成功させた子どものように笑い、息子の額を小突いた。
「どーせぐちゃぐちゃ考えてるんだろうが。ほどほどにしろよ」
「え……」声を上げた光貴は言葉を探したが、結局なにも出てこない。無言のまま見返されたジェラルドは、あくまで飄々としたままだ。
「俺とおまえじゃ、『神聖王』になった経緯もまわりの状況も、考え方だって全然違う。おまえが何を探してんのか、まわりに何を求められてんのか――それは、なんとなくわかるがね。そればっか追い求めててもしょうがねえや」
光も影もなく、ひたすらにまぶしい空間で。命がないとは思えない男の横顔は、ほのかに輝いていた。
「『神聖王』になることは、俺の模造品になることじゃない。光貴、おまえは何がしたい? どんな奴になりたい?」
「俺が……したいこと……なりたい、もの……」
光貴は目を閉じ、己をたどる。薄い闇の中でこれまでのことが走馬灯のように浮かんでは、消えた。けれども、その先に明確な答えはない。彼が力なくかぶりを振っても、ジェラルドは呆れも怒りもしなかった。
「そうか」
それだけを言って、軽く光貴の腕を叩く。彼自身が見上げても、父は肩をすくめただけだ。
「とりあえず、『神聖王』になってから困らんように、基本的なことだけは教えておくとするか」
不自然すぎる、しかし明るい話題転換に、光貴は目を回しそうになった。急に事務的になった話を聞いているうちに、先の胸のつかえも懊悩も、ほんの少しやわらいでいく。仕事の内容、守護天使が手を出していいことといけないことの大まかな区切り、ぎりぎり失礼にならない程度の礼儀作法。少年が、それらをひとつひとつ反芻していると、突然、ジェラルドが立ちあがった。
父さん、と呼びかけようとして、光貴は固まった。ジェラルドの姿が薄くなっていたのだ。一瞬、見間違いかと思ったが、そうではない。男は唖然としている息子に、変わらぬ笑顔を向けた。
「悪い、光貴。どうも時間切れらしい」
「時間切れって……」
うめくように繰り返すことしかできなかった光貴は、しかしその意味がわからぬほど、幼稚ではない。
本当の意味で儀式が終わる。『先代』の魂は役目を終え、今度こそ聖墓所に還るのだ。
そして光貴自身もまた、『神聖王』としてピエトロの地を踏まなければならない。
「父さん」
なんと言ってよいか、わからなかった。それでも光貴は声を上げた。そうしなければ、この短い時間が、すべて嘘になってしまうような気がした。
ジェラルドは、自身の終わりを前にしても、揺るがない。――戦場でもそうだったのだろうかと、光貴はふと、考えた。
「光貴。さっきも言ったが、『神聖王』になることは俺の模造品になることじゃない。俺の息子だからといって、『俺』を目指す必要は、どこにもない。そんなことを期待する大人たちは、無視するかけっ飛ばすかしちまいな」
また、大きな手がのびて。今度はその手が、少年の肩を強く叩いた。
「旅の中で感じたことがあるはずだ。もしくは、俺がいなくなってからの生活の中でも。まずは、それを、ゆっくり振り返って――自分がどうしたいかは、そこから見つけていけばいい。おまえなら、なれるよ。俺とは違うすげえ『神聖王』にさ」
断言する声は強かった。どこに根拠があるとも知れぬ言葉は、けれど信じたいと思わせるほどの力がある。
あるいはそれは、彼が本気で信じていることの表れかもしれない。
息子を、次代の『神聖王』を。
光貴が見つめている前で、ジェラルドの姿はあっという間に薄らいでいく。光貴が思わず飛び出しかけたとき、彼の頬に手が触れた。
「光貴。最後にひとつだけ、言わせてくれ。――戻ったら、晴香と母さんにも、伝えてほしい」
そう切り出したジェラルドは、消えそうな声でささやいた。かすかな言葉を真正面から受け止めた光貴は、目をみはって、反射のように手を伸ばす。
「……父さん」
「じゃあな、光貴。最期に会えて嬉しかったぜ」
光貴は唇を噛んだ。目の裏が熱い。喉が詰まる。
それでも、最後、見えなくなる寸前に、叫ぶ。
「――父さん、ごめん……ありがとう!」
いらえはない。届かない。
ぬくもりは煙のように消え。
それでも残滓は彼の中を漂い続けた。
残された一片が消えるその瞬間――光貴の意識は、再び白に落ちた。




