表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
King of Light  作者: 蒼井七海
第四章 受け継がれしもの
84/89

第四話 継承の儀――3

――ああ、死ぬのか。

 光貴は、漠然とした予感を抱いてうずくまった。痛くて、寒くて、怖くて。なのに、口もとは笑んでいた。

 死ぬのか、と。以前にも、考えたことがある。『神聖王』として目ざめる直前、息が止まるほどの苦しさの中で。そういえば、あの直後に見たものも、今感じているものと似ている。そう思ったとき、忘れかけていた映像の奔流が、また頭を満たした。

 頭痛が激しい。こらえようと、体を折る。抵抗ひとつできなくなった少年を、獣はじいっと見下ろしている。いつでも仕留めることができるはずなのに。だが、光貴はその違和に気づかない。冷静にあたりを見回すだけの余裕は、残っていなかった。

 映像は続く。満たし、締めつけ、流れてゆく。光貴が叫びだしそうになったとき、けれど、その流れがふいにゆるんだ。きつく、きつく目を閉じた。まなうらに浮かんだのは、やはり知らない風景だ。なのにどこか懐かしい。ひと組の男女が、向かいあって、何かを見下ろし、ほほ笑んでいる。今まで見てきたものは、おそらくは『天使』の力やその目覚めに、この空間に関するものだった。だが、今見ているものは、どれでもない。光貴は、ずきずきと痛む頭の片隅で、はじめて、どうしてだろうと思った。

『本当に、いいの? 星語(せいご)の名前なんかつけちゃって。ピエトロでは浮きまくりだよ、絶対』

 やわらかい、女性の声。それを彼は知っている。しかし、知っているそれよりも、響いた音はいくらか若く、幼かった。男性の声が、言葉にかぶせるようにして、笑う。

『いいって。せっかく俺たちの子どもなんだ。ちっと目立つくらいがちょうどいい。それにな、俺は、おまえの名前とおまえの国の言葉が好きなんだ』

『……そこまで言うなら、考えた名前、つけちゃうよ。いいんだね』

 低められた女性の声を、男性はやわらかく受けとめる。

『ぜひに。参考にさせてくれ。そんで、次の子ができたときは、俺に名づけさせろ』

『気がはやーい』

 弾むように笑った女性が、打って変わって、下を見る。細い(かいな)に抱かれるのは、小さな命。

 その風景を、天からのぞくように、見ていた少年は。みずからの心臓が、ひとつ、鳴ったのに気がついた。

 あそこにいるのは。

 二人が見ているのは。

『――光貴(みつき)。光に貴い、で、光貴。いかがかね、“神聖王”殿』

『おまえ、狙ったな』

『当然』

 この、二人は。

『うん。こいつにぴったりだ。光貴、ようこそ、我が家へ』


「かあさん……とう、さん」



 おさまらない痛みの下で、けれど優しい風景は流れてゆく。その中で、子どもは少しずつ、確実に成長していく。そして――彼自身もおぼろげながら覚えている、あの日へと行きついた。

 母の腕に抱かれる子を見て。自分もこんなふうに生まれてきたんだと、ぼんやりと自覚した。隣に立つ、背の高い父親は、見るからに安堵の表情を浮かべていて。母と二人目の子をいたわったあと、小さな自分を手招いた。

『この子の名前、俺と光貴で考えたんだぞー。なあ、光貴?』

『うん!』

『あれ、本当? じゃあ、さっそく発表してもらおうかな。今まで秘密にされてたから、楽しみだなー』

 父と息子は悪戯っぽく笑いあい――息子の方にそのつもりはなかったが――声を合わせて言ったのだ。

 

 晴香(はるか)、と。

 晴れの香りで晴香。それがこの子の名前だと。

 

 記憶の中の母の姿はおぼろげだ。けれど、笑っていたのだと思う。事実、見える風景の中で、彼女はほほ笑んでいた。そして、腕の中で眠っていた晴香が、へにゃりと妙な顔をしたことだけは、鮮やかに覚えていた。

『よろしくね、晴香』

『光貴ー。おまえ、今日からお兄ちゃんだぞ。一緒にがんばろうな』

 父に頭をなでられて。母に「いよ、おにいちゃん!」とはやし立てられて。小さな彼は、無邪気に笑った。


『うん。ぼく、おにいたん! おにいたん、がんばる!』


 まだこのときは、「お兄ちゃん」がきちんと言えなかったのだろう。自分の言葉で久方ぶりに笑った彼は、その拍子、妹の後ろ姿を思いだした。

「――晴香」

 白い闇の中に、やさしい色の光を見た気がした。

 彼女は、どうしているだろうか。また自分がいなくなって、うろたえているのでは、ないだろうか。

 晴香だけではない。あの場には、『聖墓所』には、ノエルやラッセルも残してきている。彼らが突然消えた光貴を放っておくわけもない。どうしているだろう。ラッセルは、彼は特に、自分を連れだしたことに責任を感じていたのに。今また、よけいな心配をかけて。

 力なく落ちていた腕が、跳ねる。指が動いて、こぶしをつくる。全身に熱が、よみがえる。内側が脈打ち、血が巡る。

「……ふ、ざけんな……。死ぬ、には……早すぎる、だろ」

 あたたかい風景を振りきって、強引に体を返す。目を開くと、変わらず果てのない白に焼かれた。それでも光貴はひるまなかった。両手をついて、体を起こす。獣の尾が、ばねのように跳ねた。それが動きだすより早く、光貴はむりやり立ちあがる。ずらすように足を動かし、落ちていた剣に近づくと、すばやく拾い上げた。たどたどしく剣を構えて、獣を正面からにらみつける。

「悪いな。俺は、おまえには食われてやらない。食われるわけにはいかないんだ」

 ひねり出した声は、かすれていた。膝は笑って、息は荒い。

 不格好だ。でも、それでいい。

 格好悪かろうが、自分の意志で歩いてきたのだ。これからも、そうしてゆく。もう、迷いはなかった。


 光貴は目を閉じ、牽制のために構えていた剣を収めた。腹から声を出す。そして駆けだした。

 ひとまず、この白い獣を倒さなければ、先に進めないことは確かだろう。魔法は効かない。ならばもう、剣と己の肉体で、ぶつかるしかなかった。たとえ、鋭い牙や爪に貫かれても。

 獣は当然、敏感に反応した。体をばねのように使って飛びかかってくる。顔が突き出され、顎がひらかれる。

 それでいい。光貴は一瞬目を細め、両足に力を込めて、立ち止まった。足はわずかにすべったが、すぐに静を取り戻す。後ろにひいた左足を軸にして、光貴は体を回転させた。同時に振り上げた右足は、勢いよく跳んできた獣の体に直撃する。

 よほど、よい場所に当たったのか。獣は球のように飛んだ。少しだけ痛がるそぶりを見せたが、ほどなくして、のそりと起きあがる。爛々と光る両目ににらまれ、光貴は思わず舌打ちした。やはりこのていどでは倒せない。自分の蹴りが甘かったのか、あの獣がことさらに丈夫なのか。

 獣はすぐさま持ちなおした。高く吼えて、駆けてくる。光貴は身構え、次の手をさぐったが――刹那、目を見開いて固まった。

 獣が消えたのだ。白に、溶け込むようにして。

 そう思えたのもまた、一瞬だった。次には鋭い衝撃が、腹から全身へ駆け巡る。うめいた光貴は跳ね飛ばされ、その間に手痛い追撃を食らった。腹を裂かれて、腕を斬られる。血の一滴もこぼれないのが、不思議で、ぶきみだった。

 うめきが漏れる。それでも立ち上がろうとする。間に合わないとわかれば彼は、白い地面を転がった。爪は地面をかするが、そこにはなんの変化も生まれない。手をついて、懸命に距離をとる。それでも獣は追ってくる。そして当然、手負いの人間よりも、白い獣は早かった。あっという間に光貴に追いつき、牙と爪を立ててゆく。

 痛みばかりが襲った。それでもあきらめなかった。あきらめきれなかった。水の中でおぼれかけてもがくように、めちゃくちゃに暴れて、ようやく手ごたえをおぼえる。拳に下顎を殴りつけられた獣は、つかのま、ひるんだ。その隙に光貴は、這いつくばって距離をとる。むりやり体を起こし、再び剣に手をかけた。苦労して鞘からひきぬいたそれを、両手で構える。

 獣がのそりと起きあがった。光貴をにらんで、うなり声をあげ。次には吼えて、また跳躍。向かってくる白い獣に緊張を押し殺して対峙した光貴は――彼が頭を突きだすと同時、剣を、投げた。

 光貴の剣は投てき用の短剣ではない。なので軌道はいびつだったが、至近距離で投げた剣は、獣の頭にかすり、深い傷を残した。地鳴りのような悲鳴に混じり、遠くで金属の音がする。光貴は荒々しく息を吐きながらも、次の一手を考えた。

 しかし、頭痛が思考を妨げる。同時、首筋がひやりとした。

 叩きつけられたものは、ただひたすらに痛みだった。全身が熱を帯び、急速に冷えて、息が止まる。

 光貴は再び突き飛ばされた。そして今度こそ、起きあがることができなくなってきた。意識だけは明瞭なのに、体はひどい痛みを訴える。それでも光貴は、もがいた。獣の足に背を踏まれても、やけに冷たい息を感じても、まだ。

 死なない。死にたくない。生きたい。

 もう会えない、父の分も。


「そこまでだ」


 突如、一人と一頭しかいなかったはずの場に、誰のものでもない声が響く。瞬間、頭上で新たな白が弾けた。それはまっすぐに獣を貫いた。光貴は顔を伏せていたが、そばでぴりぴりと空気を焦がす熱で、それがわかった。

「俺とにおいが似てるから、不愉快になるのはわかるけどな。あんま、いじめないでくれよ。ピエトロの空白期がこれ以上続いたら、いくらなんでもやばい。それになにより――」

 獣の体から力が抜ける。存在が、おぼろげになる。

「息子をいたぶられてるのを見るのは、俺の方が不愉快でしかたない。儀式のためと耐えてきたが……もう、いいだろう?」

 声は、謳う。

 同時、硝子が割れるに似た音がした。圧力が消える。冷たい息遣いも。光貴がはっと顔をあげれば、そこに獣の姿はなかった。代わりに、すぐそばに、人影があった。光貴は慌てて手をついて、指先に力をこめる。

「何……ぁうっ……!」

 頭から足先までを駆け巡った痛みは、少年を苛んだ。崩れかかった体はけれど、大きな手に受けとめられる。

「もういい。おまえの頑張りどころは終わったんだ。お疲れさん」

 明るい声に引き寄せられて、光貴はそろりと目を開けた。水の膜がかかったようにぼやけた視界。その中に映るのは、長い金髪を無造作に束ねた男。母よりも、数歳年上だろうか。その顔には見覚えがある。――いや。

 光貴は、息をのんだ。

 見覚えがある、どころではない。

「よう。でっかくなったな、光貴」

 つい先ほど、目にした顔だ。

「父さん……?」

 もう会えないと、思っていた存在を前にして。呆然とその呼び名を口にした光貴。力の抜けた体を支えながら、ジェラルド・ルチアーノは――悪戯っぽく笑った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ