第四話 継承の儀――1
『聖墓所』が光に包まれたと思ったら、光貴が姿を消していた。短くまとめればその一言で済むのだが、言葉の単純さとは裏腹に、人々の心は混乱していた。兄の不在を確かめた晴香は、目を白黒させる。跳ねるようにして再び祭壇にのぼったものの、彼の足跡ひとつ残されてはいなかった。――ほんのかすか、魔力の残りかすが感じ取れるだけだ。
「何、これ。なにが、どうなって」
晴香は、その場に膝をつく。無意識のうちににぎった拳が、震えた。混沌が、黒い霧のような不安と恐怖へ、形を変える。
また、いなくなってしまった。せっかく、二年半越しに出会えたのに。また、手が届かなかった。
ひたすらに震える晴香へ声をかけてくるものはなかった。ラッセルやノエルも、状況を把握しようとあたりを確かめてはいるが、時折、少女を気遣わしげに見ている。だが、当人はそれに気がついていなかった。何を考えていたわけでもなく、ただ、立つために立ち上がる。
甲高い足音が『聖墓所』へ駆けこんできたのは、そんなときだった。
「遅かった……!」
うめき声とも小さな悲鳴ともつかない声が、洞穴に響いた。晴香は息をのんで、振り返る。驚いていたのはラッセルやノエルも同じだった。呆然とする彼らは、同じ一点――『聖墓所』の入口に立つ、北原美雪を見つめていた。逆光のせいで顔はうかがえないが、激しく上下している肩や、荒い息遣いから、そうとう急いでここへ来たのだろうということが、うかがえる。
「み、美雪様?」
「光貴はどこ行った!?」
ノエルの呼びかけをかき消す勢いで、美雪が尋ねた。三人は当惑した顔を見合わせる。結局、間近にいた晴香が、口を開いた。
「え、えっと、いきなりいなくなっちゃったんだ。……そこの石碑を見てたら、いきなりあたりが白く光って……それで」
晴香がおたおたして答えると、ゆっくり踏み込んできた美雪は、右手で顔を覆った。「ああ、やっぱり」と彼女が嘆いたものだから、三人とも身を乗り出した。
「な、何か知ってるの!?」
「ああ、うん。まあね。本当は、ラッセル坊ちゃんには話しちゃいけないことだけど、しかたない」
美雪はそう言うと、闇の中でもわかるほど鋭い目で、石碑をにらみつけた。
「――『継承の儀』が始まるのよ。光貴は、そのための空間に飛ばされた」
母の声も、言葉も、ひどくぼやけて非現実的だ。晴香は、そう思った。ノエルとラッセルは、ぼんやりしている晴香をよそに、口をあんぐり開けている。
「え、継承の儀って、こんな始まり方をするものなのか」
「しないよ、本当ならね。でも、継承の儀を始めるための条件は、準備の整った次の『神聖王』が、導きに従ってその石碑に触れることだと、ジェラルドが言ってた」
それを聴き、ノエルがうなだれた。『聖墓所』に行こうと言ったのは彼なので、責任を感じているのだろう。美雪は彼を見て、肩をすくめる。
「継承前の『神聖王』は王都から出ないのが普通だから、知らなくてもしかたがないわ。けど……これはちょっとまずい」
「まずいって、やっぱりその、正式な手順を踏まずに来ちゃったこと?」
腕を組む母に、晴香がおそるおそる問いかけた。美雪は軽く、首を振る。
「半分あたり、半分外れかな。
継承の儀っていうのは確かに、いろいろ手続きをしたあと、国王や神官、時には他の守護天使の同席のもとで行われるものなの。けど、それはまあ形式だから、最悪王も神官もいない状態でやっても大丈夫。ジェラルドがちょうど、そうだったみたいだし。それよりも、もっとずっと問題なのが――光貴が、儀式にのぞむ心構えができる前に飛ばされてしまったことよ」
美雪の言葉に、空気がはりつめる。その先は、晴香でも、聞かなくても想像がついた。けれど先代の妻は、無情にも先を言葉にした。
「私も詳しくは知らないんだけど、継承の儀って、危ないらしいの。心構えができていない者が儀式にのぞむと、失敗する確率が高いって。――最悪の場合、死んで戻れなくなるらしいわ」
※
光貴はゆるりと、重い瞼をこじ開けた。とたん、白い光が四方八方からさしこんでくる。きつく目を閉じ、まばたきを繰り返す。朝の寝起きに似た倦怠感を引きずりながら起きあがった彼は――そのまま、凍りついた。
目の前が、ただひたすらにまっしろだった。終わりなど見えない。後ろを見ても、白しかない。手をかざしてみても、自分の肌色がいつもより薄く見えるだけだ。そろり、と足を動かしてみたとき、足もとまでもがどこまでも白いことに気がついて、さすがにぎょっとした。
「う、うわあああ!? なんだこれ、なんだこれ!」
叫んで飛びすさってみたものの、何も起きない。彼はぶざまによろめいてから、膝に手をついた。
足の下に『地面』はない。だが、不思議と底なし沼へ落ちてゆくようなことはなく、靴底からは王城の廊下を思い起こさせるかたさが伝わってきた。何がなんなのか、まったくわからない。ここはどこなのか。そもそも、晴香やラッセルやノエルはどこに行ったのか。
「いや……あいつらがどっかに行ったというよりも、俺がどっかに飛ばされたのかな?」
首をかしげる。思ったことを言葉にして、はじめて目ざめる前のことを思い出した。『聖墓所』の中で妙な音を聞き、石碑に触れていたらいきなり目の前がまっしろになったのだ。そして気づけば、あのときの光とまったく同じ、果てのない純白の中にいる。
「なんなんだろう、これ。俺、出られるのかな?」
形を持たない不安は確かにそこにある。光貴は胸がうずくのを感じて、顔をしかめた。
目を閉じる。音のない逡巡のあと、大きく息を吸うと、はずみをつけて体を起こした。
不安は不安だ。けれど、いつまでも立ち止まっていては、何も始まらない。ひとまず出口を探そう、と、光貴は歩き出した。
――あたりは本当に、ひたすらに白かった。小石のひとつも落ちていない。そもそもここは、本当に存在する場所で、自分は本当に、今までいた世界の中にいるのだろうか。首をひねる。靴を高らかに鳴らし、独り言をぽつぽつと道にこぼしながら、なんとか少年は歩き続けていた。
気が狂いそうな無の時間は、唐突に終わりを告げる。光貴は、ふと目をすがめた。遠くに、何か丸い物が浮いてるように見える。水の泡にも似たそれは、この場にあってなお、「現実離れしている」ような感覚を抱かせる。それでも、光貴にとっては間違いなく、希望だ。彼はぱあっと顔を輝かせ、浮かんでいる球体に近寄る。
光貴の顔くらいもある玉は、やはり水泡によく似ていた。丸のなかで、虹色が揺らぎながら泳いでいる。ふつうの水泡と違うのは、わずかに青みがかかっていることだろうか。光貴は、しばらく黙ってそれを凝視していたが、やがて腕を持ちあげた。
「とりあえず、今のところ、手がかりはこれしかない……よな?」
噛みしめるように。確かめるように呟いて、指先を球体の表面にすべらせる。
耳の奥で、音が弾けた。
『――ずいぶんと、手間のかかるつくりにしたものだな』
『“神聖王”などと、呼ばれるようになるくらいには、我らは強い力を持っているということだ。力を持つ者には責任が生じ、覚悟を求められる。違うか?』
「――え?」
光貴は、目をみはった。あたりを見回してみるが、もちろん彼以外に人などいない。先程の音の残響すら、彼の中にはなかった。
今のはなんだと、深く考えそうになる。けれど、ひどく非現実的な現実は、そのひまさえ与えてくれなかった。
異変は、終わっていなかったのである。
目の前にふよふよと浮かんでいる球体が、突然、小刻みに震えはじめる。光貴の手が触れている部分から、ぐわんぐわんと揺らいで、波紋が全体に広がると、ぱんっ、と弾けた。
「うわっ!?」
光貴はとっさに、両手で顔を覆う。その間にも、球体だった飛沫はそこかしこに飛び散った。
激しい水音のあと、また、もとのように何も聞こえなくなる。もういいかな、と覆いを外した光貴は、そのまま言葉を失って立ち尽くすはめになった。
飛び散った球体の欠片が、いつのまにか無数の小さな球体となっている。それらはふよふよと宙に浮いて、道をつくるかのように、一列に並んでいた。
「い、意味がわからない……」
光貴は愕然として呟く。しかし呟いたところで何が変わるわけもなく、列をなす球体は浮きっぱなしで動かない。見ているだけで頭の痛くなってくるような、奇妙なことこの上ない光景だ。どうしよう、と悩んだ光貴は、球体の列に沿って、歩いてみることにする。一歩、二歩、三歩。そのままに進みつづけて、小さな球体の隣まで来たとき、彼はすばやく頭を押さえた。
きん、と、頭の中で鳴り響く。なぜか、ひどく懐かしい音。それはまた、拍子を刻みはじめた。『聖墓所』のなかで、石碑を前にしたあのときのように。
音に合わせて指が伸びる。小さな球体に向かって、手をのばす。これはだめだ、危ない、と思った。けれども、得体の知れない衝動は、恐怖をまとった理性に負けた。指の腹が玉に触れる。表面はなぜだか、硝子のようにかたくてなめらかだ。その不思議を考える前に、より高い音が、頭の中で鳴り響く。
光貴がきつく目を閉じたとき、またしても、声がした。
『なんで私なのかしら。魔法なんて、いらないのに』
ふてくされたような若い女性の声は、驚くほどすんなりと、光貴の中に入ってくる。声が消えたあと、光貴はそっと目を開けた。広がるのは、ただ白い空間。目の前の球体はいつの間にかなくなっていたが、列をなす球じたいは、まだ無数に存在しているように思えた。そして、耳の奥では、また、きん、きん、と鉄を打つような高音が鳴っている。光貴はうんざりしてかぶりを振った。
「ひょっとしてこれ、全部触らないといけないのか……?」
何がなんだかわからない。それは今でも変わらないが、何かとても大きなことが起きていて、自分がそれに巻きこまれているのだとは理解できる。光貴は深くため息をつくと、数歩を刻んで、すぐ横の小さな球に、また手をのばした。
光貴の予想したとおり、球体を触るたびに謎の声がして、その声がやむと、球体は音もなく消えうせた。そして、また、次の球体に触れるのだ。そんなことを、えんえんと続けている。時計がないどころか、まわりの風景さえまったく変わらないので、どのくらいの時間そうしていたかわからない。
気が狂いそうな作業の中、狂わないために分析することを覚えた。光貴は、またひとつの声が消え、痛む頭を押さえる。響いてくる声の中には、いくつかに共通している言葉があった。『魔法』『継承』『力』――そして、『神聖王』『神聖姫』に、『天使』。
光貴ははたと、歩みを止める。
「これ、ひょっとして……昔の、守護天使たちの、声?」
――それも、『神聖』の名を持つ守護天使たちの、だ。気づいた光貴は、立ちすくむ。忘れていた寒気が、足もとから脳天へはいあがってきた気がした。
彼がもともといたのは、『聖墓所』、つまりは『神聖王』たちの墓である。死した彼らの思念に触れられたとしても何もおかしくはない、のかもしれない。それにしたって奇妙すぎるだろうと、光貴は心の中で悪態をついた。
しかし、文句を言っていてもどうしようもない。気分の悪さを噛み殺して作業を続けた。ふと我に返ると、彼は最後のひとつの球体の前に立っていた。薄い青をまとわせる球を前に、光貴はごくりと唾をのむ。
迷いで体が凍りつく。のばした指はどうしようもなく震える。
この歩みを終えた先に、何があるのか。自分がどこへ行って、どうなるのか。何もわからない。怖い。戻りたい。
それでも。
「戻りたいなら、やるしかないだろ……!」
あえて、押し殺した声で自分を叱咤して。光貴は青い球体に、手を触れた。確かめるように、掌をくっつける。その瞬間、今までにない音が頭の中を支配した。硝子を針でひっかいたような高音に、何もわからなくなりそうになる。
喉の奥から音が漏れたとき、おぼえがないのに懐かしい声が、そっとささやいた。
『やりたくない。行きたくない。ふつうに暮らしたかったよ。けど――俺しかできないんなら、俺がやるだけだ』
その言葉の意味を、考えそうになって。けれど、その前に、足の下の感覚が、なくなった。




