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King of Light  作者: 蒼井七海
第四章 受け継がれしもの
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序文 『慈悲姫』の手紙

 薄暮の空に、甲高い音が響き渡る。カーン、カーン、カーン、と繰り返し響く音は、やがて尾を引きながら消えていった。鐘だ。港に設置されている、細長い建物の頂上にぶら下がる鐘が、打ち鳴らされていた。灯台と物見台を兼ねる鐘楼は、その音色で、毎朝漁の開始を告げている。

 アクティアラ皇国、西の港町シェラ。海岸線を覆うように北から南へ広がるこの町に住む者たちは、鐘の音を合図に一日の仕事を始めるのだった。今、下町の細い路地で、露店の準備をしている男も例外ではない。

「いやあ、今日も良い音だねえ。平和な一日になりそうだ」

 くすんだ白の敷物をバサバサと風に揺らしながら、男は言う。鼻歌でもうたうかのような調子だった。今年で三十二になる彼は、こういう路地で薬草を売るのを生業としている。彼にとっては、天気と客入りの良さそうな日はすべて「平和な日」だった。

 上機嫌な男の様子を見て、対面の若者がため息をついた。

「俺にとっては、こういう日は平和な日じゃないな」

 苦痛を堪えるような声に、男は顔を上げる。向かいに立っている若者は、男より十は年下だ。短い黒髪の、均整のとれた顔立ちの青年。海のように青い目は、残念なことに濃い疲労を湛えている。毎日積み重なる問題のせいか、目つきが悪かった。

 馴染みの若者の表情を見て、男は笑った。

「そうさなあ。こういう日は、おまえんとこのご主人様が脱走したがるもんなあ」

「言わないでもらえないか」

 突き放すように若者が言う。しかし、男は構わず続けた。

「いいんじゃあねえか。水神様の御声を聞ける『天使』様とはいえ、神官みたいに傅かれるのは嫌だろう。それに、下に降りてきてくれた方が、人柄や実力が知れて、安心できるってもんだ」

 さっぱりとした男の物言いに、若者はかぶりを振った。疲れとも、呆れともとれるため息が、細くこぼれ落ちる。

「この街の人々は、そういうところは現実的だな。散々、水神様だの守護天使様だのと崇める割には」

「そりゃそうさ。現実的でなきゃ、食いぶち稼いで生きていかれねえよ」

 鬱屈としている若者とは対照的に、男はからからと笑っていた。彼の姿を見ると若者は、アクティアラの人間はたくましいな、とつくづく思うのである。

 敷物をしわなくしき終えた男は、上機嫌に若者の細い肩を叩いた。

「まっ、今日も頑張ろうや!」

「……お互いにな」

 元気のいい男の言葉に、若者は笑みを浮かべて応じたのだった。


 皇国貴族が一角、ラグフォード家は、代々シェラを治めている一家だ。建国当初から皇国政治に関わっており、二十年前に公爵家に列せられた。寛容な統治のおかげで民衆からの人気は高く、目立たないながらも安定した地位を築いている。

 特に現在は、血族に水の守護天使――『慈悲姫』を擁しているために、さらにありがたがられていた。

 行く先々で聞く人々の声を思い出し、ラグフォード家に仕える若者は微笑む。

「『慈悲』の天使は、水神様の御声を聞くことができる……か」

 水と生きてきたアクティアラ国民の間では、水神信仰が盛んだ。守護天使がそのような力を持つと信じるのもうなずける。実際「彼女」がそんな力を持っているのか、彼は知らないが。

 そういえばさっき路地で会ったあいつも、そんなことを言っていた。快活な薬草売りの男の顔を思い出した若者は、小さく吹きだす。

「メリエル様も、大きなものを背負われてしまったな。まだお若いというのに」

 改めて口に出すと、同情の念がわいてきた。ごく普通の少女より重い荷をたくさん背負っているのだから、たまの脱走くらい許しても良いか、とすら思えてくる。

 若者は、自らの心変わりの早さに苦笑しながら、屋敷に向かって歩いた。

 ラグフォードの屋敷は、街の北にそびえる丘の上に立っていた。路地に点々と連なる露店や港、その向こうに広がる海を一望できる場所である。

 屋敷は白を基調とした建物だ。巨大な半円形アーチと門扉、そして彩光のための窓が目につく。アーチに彫られた、波を模した金の彫刻が、日差しを受けてチカリと輝いた。いつも通りの壮麗な建物に笑みを浮かべた若者は、悠々とアーチの下をくぐる。だが、直後に彼の足が止まった。

「……なんだ?」

 違和感を覚えて眉をひそめた若者は、すぐ違和感の正体に気付く。

 屋敷の内外が、妙に慌ただしいのだ。侍女や警備兵が、何人も駆けまわっている。門扉の横に立つ警備兵も、落ち着きのない様子で辺りを見回していた。

 若者は、警備兵に近づいて声をかけた。

「何かあったのか。ずいぶんと騒がしいようだが」

「これは……シセン様! お帰りなさいませ!」

「堅苦しい礼はいい。何があったのか教えてくれ」

 警備兵の完璧な礼を素っ気なくあしらった若者――シセンは、彼らに改めて説明を求めた。警備兵二人は困ったように顔を見合わせたが、やがて、門の左を守っていた老齢の兵がおずおずと口を開く。

「それが……メリエル様の姿が、屋敷のどこにもないというのです」

「何?」

 シセンは苦い顔をした。街で若者と話していたことが現実になってしまったということだ。やりきれなさを感じながらも、彼は「続けろ」と言った。兵は、うなずく。

「仕えの者が総出で探していますが、やはり見当たりませんで。また屋敷を脱走なされたと考えた方が良さそうです」

「そうか。また私が探しにいくしかないな」

 シセンは言って、ため息をつく。しかし、警備兵たちは首を振った。門の右側を守っていた、シセンと同年代の男が口を開いた。

「それが、実はメリエル様のお部屋に置き手紙がありまして。シセン様にお渡しするようにとの添え書きがありましたので、我々が預かっていました」

 語る男の顔は、かすかに青ざめていた。シセンは訝りながらも、いつになく親切な『慈悲姫』の対応に目を見開く。

「珍しいな。手紙とやらを、見せてもらってもよいか?」

「は……はい」

 若い兵は、微かに震えながら、懐から折りたたまれた紙を取りだした。慎重な手つきでシセンに手渡す。シセンは、受け取った手紙をその場で開いて読み始めた。

 二行ほど形式的な文章が続く。あとには、こう書かれていた。

『私は、フレイからの知らせや現在の各国の様子から、変動の兆しを感じました。ですのでこれから、ピエトロ王国の方へ赴きたいと思います。これは公式な訪問ではなく、個人的な調査です。ピエトロの方々も、アクティアラの者たちも、煩わせるつもりはありません。

 ただ、しばらくは戻れないでしょうから、留守の間の対応と、父上への説明を任せます。よろしく、シセン。』

――シセンは、黙って手紙を折りたたむ。そして息を吸い、めいっぱい叫んだ。

「何を考えているんだ、あのお転婆姫は!」

 警備兵たちが肩を震わせたが、『慈悲姫』付きの若者は気付いていない。

 彼女に同情した数分前の自分を、思いっきりぶん殴ってやりたかった。


 時は初秋。

 各地を旅するピエトロ王国の若者たちと、『叡智王』一行が、それぞれアルド・ゼーナを目指していた頃のことであった。


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