第五話 想い――1
ミーナが二人の王子を糾弾してしまえば、あとは早かった。エルドラとギルトを王宮の兵士が取り囲んで拘束する。だがその一方で、小さな騒動もあった。
ミーナとともに現場へかけつけたラッセルとノエルは、混乱をよそに逃亡を図る黒衣の魔導師を見つけたのだ。
「待て!」
鋭く叫んだラッセルが火球を放つが、魔導師はそれを黒い光であっさりと相殺する。間髪入れずに、ノエルが棒を手に相手を追いかけようとした。だが、そのとき――黒衣の魔導師は、忽然と消えてしまった。まるで、最初からその場にいなかったかのように。
「なっ――」
足を止めたノエルは、呆然と闇の中を見つめる。しかしそこには人影すらなかった。
「これはいったい……」
「逃げられたかー」
二の句が継げないノエルのすぐ背後で、ラッセルは気の抜けた声を漏らすと、『預言者』の頭を軽く叩いた。
「は、はは……。すごいや、こりゃ。あっという間に片付いちまった」
王子たちが連行されていく様子を見届けながら、光貴は乾いた声を漏らす。それから立ち上がろうとするが、足はびくとも動かない。それどころか全身から力が抜けていた。さすがに無茶をしすぎたらしい。
光貴がため息をついていると、いきなり背中をどつかれた。
「――うわっ!?」
「君ってやつは、なんて無茶をするんだよ!」
物理攻撃に続いて怒声が飛んでくる。振り向くと、擦り傷だらけのフレイが、顔を真っ赤にして光貴の方を睨んでいた。初対面のときとは別種の怒りを真っ向からぶつけられ、光貴はたじろぐ。背中を冷や汗が伝うのを感じていた。
「僕でも防げなかった攻撃の真ん前に飛びこむなんて無謀もいいところだ! 君が『天使』だったから良かったものの……普通の魔導師だったら、魔力の枯渇で死んでるところだよ!」
「い、いや、だからって放っておくわけには」
「放っておけばよかったんだ! 君にとって僕は赤の他人! ましてや他国の人間! 少しは身内や国のことを考えろよ! 君は次期『神聖王』なんだから、なおさらだ!!」
立場を突きつけられた光貴は、ぐっと言葉に詰まる。だがすぐに、フレイの言葉を頭の中で反芻し、そしていきり立った。
「放っておけってなんだよ……。そんなことできるわけないだろ!? これから仲間になる守護天使で、何より、一緒に頑張ってきた奴を見殺しにできるか! そんな奴が頂点に立つ国なんか、俺だったら願い下げだ!」
声を振り絞って叫んだ光貴は肩で息をする。ぼやけてきた頭を必死に働かせてフレイを見ると、彼はまた呆然としていた。だが我に返ると、頭を抱えてため息をつく。これ見よがしのため息に、光貴は半眼になった。
「なんだよ」
「……いや」
返ってきた声は、少年の予想に反して小さかった。『叡智王』は『神聖王』に、弱々しい苦笑を向ける。
「君って、そういうところはジェラルドに似てるんだな」
「へ? なんだって?」
あまりにも小さな呟きを聞きとれなかった光貴は、思わず訊き返す。だがフレイは首を振って、「なんでもない」と追及をかわした。次いで相手を見つめた赤い瞳は、ひどく穏やかだった。
「呆れたけど、でも、まあ、確かに助かった。――ありがとう」
説教から一転して感謝された光貴は、目を白黒させる。だがやがて、ふてくされたようにそっぽを向いた。
「気にすんな。勝手にやったことだ」
小さな声は、しかし確かにフレイの耳へ届いていたらしい。光貴よりいくらか幼い少年は、無邪気な笑顔を弾けさせた。
「光貴、フレイ!」
彼らの和解を見計らったかのように、少女の声の二重奏が響く。光貴たちが揃ってその方を見ると、ミーナと晴香が憂いの濃い顔で駆けてくるところだった。それまで座りこんでいたフレイが、弾かれたように立ち上がる。
「もしかして……ミーナ、記憶が戻ったのか?」
フレイの言葉に光貴がはっと顔を上げる。
目に映ったミーナの姿は、これまでとは別人のようだった。活気に満ち、輝く瞳。力強い声。まるで太陽のような少女だ。かつて見た弱々しさは欠片もない。
ミーナは、ぽかんとしているフレイに顔を向けると、にっこりとほほ笑んだ。
「うん。心配かけてごめんなさい、フレイ――光貴も」
言葉を受け、フレイは乾いた笑い声を絞り出す。その横で、光貴は冷静に二人の少女を仰いだ。
「驚いたな。あの状況からどうやって、記憶を取り戻したんだ」
「晴香のおかげだよ」
彼女はあっけらかんと言うと、笑顔のまま彼の妹の方を見る。晴香は顔を真っ赤にしてうつむいた。
「そ、そんな。『おかげ』って言われるようなこと何もしてないよ。自分でも、何やったか未だによく分かってないし」
「でも、晴香が呼びかけてくれなかったら、私は自分で自分の命を絶っていたかも分からないもの。本当に、感謝してるわ」
魔力が暴走すれば、理性や自我など吹き飛んでしまう。狂乱に任せて自殺する――ということも、確かに、十分にあり得る話だった。何よりも、その暴走を経験したミーナだからこそ分かる、恐ろしさというのもあるのだろう。光貴とフレイは顔を見合わせ、改めて晴香を見やる。
「それにしても……何をしたんだ?」
異口同音に、そう問いかけていた。
質問された晴香は、もごもごと口を動かした後に切り出した。
「ええっとね。必死に呼びかけてたら、いきなり普通の声とは違うミーナの声が聞こえてきて……」
それから、あまり要領のよくない晴香の説明を聞いた。彼女の視点から状況を聞くのはミーナも初めてだったらしく、食い入るようにして聴いていた。やがて晴香がすべてを語り終えると、フレイはあっさりと結論付ける。
「記憶と感覚を共有する――『神託の君』としての、晴香の力である可能性が高いね」
「え、そうなの!?」
晴香は目を点にして、少年公子を見やる。光貴も、まじまじと偉そうな態度の彼を見つめた。フレイはしかつめらしくうなずく。
「『神託の君』ももう半分守護天使みたいなものだから、何かしら魔法じみた力は使えるはずなんだ。今まで晴香にそれはなかったんでしょう? だったら、今回の現象がその力であることはほぼ確実だよ。ミーナの記憶をのぞく前に白い光が見えたっていうし……」
「――そうか。ひょっとして、白い光は『神聖』の象徴みたいなもんか?」
「うん。そうだね。光貴の魔法からも分かるだろうけど」
淡々と語ったフレイ。その説明にひとまず納得した光貴は、晴香とミーナの方を見た。『豊穣姫』たるミーナも、『叡智王』とだいたい見解を同じくしていたらしく、うんうんとうなずいている。一方晴香は、金魚のように口をぱくぱくさせていた。
なんだかおかしくなった光貴は、妹に声をかける。
「おい、晴香。何面白い顔してんだ」
すると晴香は大きく体を震わせてから、口を閉ざす。それから改めて言葉を生みだした。
「いや……なんかこう、力って実際持ってみると実感わかないなーと思って」
「だから俺はそう言ったじゃんか。ドリスの洞で」
「仰る通り」
光貴が茶化すと、晴香はむすっとして言いきった。その有様を見てミーナが小さく吹きだす。その横では、フレイがざっと辺りを見回していた。
「ミーナに晴香、それにラッセルとノエル……か。みんなが来てくれて助かった」
声色に隠しきれない安堵が宿る。まったくだ、と光貴も心中で同意した。先のフレイの言葉ではないが、あのときミーナたちが来ていなければ、彼は死んでいたかも分からないのだ。
「おっ。おまえら、揃いも揃ってこんなところにいたか!」
フレイの安堵に答えるかのように、覚えのある声が響く。見ると、ラッセルとノエルが肩を並べて走ってきているところであった。少年少女は満面の笑みでそれを迎える。
光貴とフレイは、状況を知らぬ四人に簡単な説明をした。王子のこと、彼らが雇った魔導師のこと。暗黒魔法のことも。それを聴いたノエルが顔をしかめる。
「それはまずいですね。あの魔導師、取り逃がしてしまいました」
「まあ仕方ねえさ。また性懲りもなく現れるようなら、そんときは容赦なくぶん殴ってやればいい」
『預言者』の横に立つピエトロの宮廷魔導師は、軽い調子でそううそぶく。だが、彼の言葉はこの場において、ひどく的を射たもののように、光貴には思えたのだった。
「それにしても――」
ふと、少女の声が場を打つ。声の主以外の全員の視線が、彼女に集中した。声の主、ミーナ・コラソンは、陰りのある目を廊下に向ける。王子二人と兵士たちが立ち去っていった廊下には、しかし今は誰もいない。むなしい静寂だけが広がっていた。その静寂に、少女は言葉を投げかける。
「あの魔導師を雇った殿下の動機が、私への恨み、か」
「ミーナ……」
「分かっては、いたんだ」
目を伏せて呼びかける晴香の声をさえぎるかのように、ミーナは緩く首を振る。
「晴香は知っていると思うけど、私、昔から役立たずだの落ちこぼれだのと批判されてきたから。殿下がそう思っていらっしゃることも、どこかで分かってはいた。だけど私はそこから逃げたの。目を閉じて、耳をふさいで。その方が、楽だったから」
黄金色の瞳が翳りを帯び、くすんだ茶色に照る。
深い悔恨が、その先にあった。
「この事件が、逃げてきたことへの報いなのだとしたら――私は、記憶喪失なんかよりもっと、重い物と向き合うべきだったのかもしれないね」
鉛のような重たさをもった沈黙が落ちる。
薄暗いベールが、若者たちの間に深い影を落とすようであった。
誰もが気まずい沈黙を貫いていた中で、緑髪の少年が口を開く。
「ミーナ様。あまり気負いにならないでください」
「ノエル――」
ミーナの見開かれた瞳が、ノエルに向けられる。
彼は、優しい目をそっと細めた。
「今回の件は、ミーナ様お一人の力ではどうにもならなかったこと。それは紛れもない事実です。そして、両殿下のなさったことが大罪に違いないということも。そしてその罪は、両殿下こそが負うべきものです。他人の罪まで、自分の業とお思いになる必要はありませんよ」
語られる言葉は優しくて、しかしその裏にまぎれもない鋭利な刃をひそませている。
罪とはなんなのか。業とはなんなのか。そう鋭く問いかける刃だ。
――はたしてこの事件に、「誰が悪い」という明確な答えがあるものなのか。
光貴は床に座り込んだまま、そんなことに思いを巡らせた。
しかしそんな中、ラッセルがけろりと言うのだ。
「緑君の言ったことは、まあ正しいことだ。他人の罪まで下手に負おうとするもんじゃない。それはただの自己満足だ。そんなことより、ミーナはこれからに目を向けるべきだと思うぞ」
ミーナの目が今度は赤毛の青年を捉える。彼はあくまで真面目な顔で、人差し指を彼女の顔に突きつけた。
「役立たずと言われた自分をどう変えるか。まずはそこからだろ? せっかく命があって、記憶も取り戻したんだ。昔の失敗なんざひっくり返すくらいの大事業、やるくらいの気概は持てよ」
整然さと力強さがこもった言葉。明快なそれは少なくとも、快活な少女の心にまっすぐ届いたようであった。彼女は歯を見せて笑うと、拳を握る。
「――うん、そうだね! ラウラにもよく言われてたし、『次に活かせ』って」
晴香が束の間、懐かしそうな目をする。事情を知らない光貴には、その胸中をはかることはできなかった。だがそれが悪い感情でないことは分かったのである。
少女の笑顔を見て話は終わりと判断したのか、ラッセルが膝を叩いた。
「よーし。じゃあ、ラディス陛下に報告に行くか。――と」
動き出そうとしてふと止まった青年は、未だ座りこんだままの光貴に目を向ける。その表情が、呆れに取って代わられた。
「魔力不足で動けなくなってる『神聖王』殿は、俺が連れていくとするか」
「いやあ、悪いな」
「悪いと思うなら最初から無茶するな、馬鹿野郎」
少年の爽やかな笑顔に、この場の年長者は眉をひそめる。しかしながらなおも、光貴は声を立てて笑ったのである。
もうすぐ夜が明けようという頃に、一行はラディスに事の次第を報告した。彼はあくまでも鷹揚に一行の労をねぎらったが、その表情は決して明るいものではなかった。
「やっぱり、自分の息子が悪いことしちゃうと落ち込むのかな」
謁見の間を出て少しして、晴香がぽつりと呟く。その隣を歩いていたノエルが、小さく顎を動かした。
「それもあるでしょうし、それだけではないでしょう。ジブリオもそうでしたが、事件が解決したらそれで終わり――というわけではありませんしね」
「二人の王子が王宮追放となったからには、後継者の問題がついて回ることにもなるだろうしな。あの魔導師が不法侵入していた件について、責任を問わなきゃならねえ人間も当然いる。しばらくはこの国も、落ち着かないだろうなあ」
生真面目な少年の言葉に、ふまじめな青年が付け足す。
そこで、晴香が顔をしかめた。
「こうして考えると、私たちが騒動の種をまいて歩いているみたいで、なんか嫌だな」
「やだなあ、晴香」
晴香の台詞に、ミーナがくすりと笑う。
「あなたたちが来る前から、ジブリオもアルド・ゼーナも騒動の最中だったんだから。『種をまいている』じゃなくて、『芽を出させた』の方が的確じゃないの?」
てっきり慰めるかと思っていた光貴は、きょとんと目を瞬く。見ると、晴香もなんだか虚を突かれたように唖然としていた。ミーナと兄妹の顔を見比べたラッセルが、軽快に笑う。
「そういう、取り繕わないところがミーナのいいところだよな」
混沌としたやり取りをしている一行の傍らで、ノエルが深いため息をこぼしていた。




