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King of Light  作者: 蒼井七海
第三章 遠い日の欠片
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第四話 混沌の夜――3

 晴香は途方に暮れていた。

 目の前にはミーナがいる。晴香の知らない、狂気にとりつかれたミーナが。

 晴香は兄に、彼女を託された。だがだからといって、どうしていいかは分からない。先程からただひたすらに、大きな声で呼びかけるだけだ。

 怒りと悲しみに満ちた『豊穣姫』の魔力の奔流はじわじわと体を締め付けてくる。肩で息をしながらも、晴香は大きく息を吸った。

「ミーナ! ミーナ!」

 名を呼ぶ。だが、深い穴のごとき瞳は揺らがない。

「お願い、戻ってきて! 私の声を聞いて!」

 必死になって訴えかける。それでも、頭を抱えた手は動かない。

 晴香は深く息を吐いた。そのまま地面に崩れ落ちそうになりながら、ぐっと両足を踏みしめる。溢れそうになる涙を、唇を噛んで堪えた。

 そんなとき、ふいに魔力の嵐が歪んだのを感じた。自分たちがここに踏み入ったときと同じく、誰かが入ってきたのだ――直感した少女は弾かれたように振り返る。同時に二人の男が魔力の中をかき分けてきた。彼女は思わず叫んでいた。

「ノエル君! ラッセルさん!」

「よかった。無事ですね、晴香さん」

「元気そうで何よりだな」

 唐突にその場に現れた二人は、表面上こそ冷静だが、泣きそうな晴香を見つけると、安堵に肩を落としたように思えた。しかし、周囲の状況とミーナの様子が分かると、その表情も引き締まる。ラッセルが小さく舌打ちした。

「ったく、なんなんだよこれは……」

 苛立ちに満ちた呟きは独り言だろう。だが、それに答えることのできない晴香は、気まずさを覚えて目を伏せた。

 一方、ノエルはというと、張りつめた表情はしているものの、きわめて冷静に現状を分析していた。

「『天使』の魔力が暴走するとこうなるんですね。……さて、問題はこれをどうやって止めるか……ですが」

「普通の魔導師であれば、気絶でもさせてやれば勝手に暴走は終わる。けど今回の相手は『天使』だからな。俺たちの常識は通用しねえだろ」

 ラッセルが苦々しい顔ながらも淡々と続ける。若いながらも経験豊富な魔導師であるはずの彼はしかし、『天使』――それも守護天使の暴走というこれまでにない事態を、さすがに手に余ると感じているらしい。だがそれでも思考を止めないのが、宮廷魔導師ラッセル・ベイカーのただならぬ一面であった。

「そうなるとこの場合、どうやって暴走を止めるかっていう話になるが。ひとつは元凶に術を解かせること。これは、まず不可能と考えていい。――ならばもう一つの方法。この術が効果を発揮している『原因』となった要素を取り除く」

 ノエルがはっとした顔になる。しかし晴香は首をかしげた。青年の言っていることがあまりにも難しくて、すぐには理解できなかったのだ。

「原因? それって、あの怪しい人じゃないの?」

「違うな。あいつとあいつの術は、ただの『引き金』だ。その引き金が引けるだけの要素がミーナの中にあったから、この質の悪い魔法が絶大な力を発揮してる」

 やはりまだまどろっこしい魔導師の発言を、しかし晴香は懸命に頭の中で整理した。顎に指をひっかけながら、自信なさげに言葉をつむぐ。

「……つまり、ミーナは何か強い悩みを抱えている?」

「そういうこった」

 ラッセルは、あっさりと意見の正しさを認めた。晴香の顔が引きつる。ある、ひとつの可能性に思い当ったからだ。

――そもそもすべてが、その『悩み』とやらにつながっているのではないか。

 考えてみればいきなり記憶喪失になったという時点でおかしいのだ。何か大きな事件や事故に巻き込まれたという話は聞かなかった。だとしたらこの場合、考えられる可能性は限られてくる。何かに追いつめられた彼女が、精神的ショックで記憶を閉ざしたか。あるいは、何者かがそれを利用して強制的に記憶を封じたか。

「ミーナ……」

 柔らかい微笑を思い出す。

 あの微笑みの裏に、いったいどれほどの重荷を抱えているのか。おそらく、晴香にそれを推し量ることができない。

 だが、それでも。

「教えて。教えてよ。ミーナはいったい、何に苦しんでいるの?」

 その重荷を少しだけでも、分けあうことはできるはずなのだ。

 晴香は祈るように手を合わせ、ミーナの方を向き、目を閉じた。

 ほんの少しでいい。打ち明けてほしい。

「お願い、聞かせて」

――せっかく、友達になれたから。

「あなたの、本当の声を……」

 ギュッと、目をつぶる。まぶたの裏で、淡い白光が渦巻くのを見た。


『やめて』


――ふいに届いた、少女の声。

『もうやめて。自分がだめだってことは、わかっているから』

「ミーナ?」

 微かに呼びかける。だが、声は悲痛にうたった。

『何も、なにもいわないで。聞きたくない。聞きたくないよ』

「ミーナ!」

 晴香は反射的に強く呼びかけた。しかしその瞬間、声は途切れる。やがて、台風の風のようなごうごうといううなりが、彼女の耳に届いた。目を開いた晴香は、変わらない状況に落胆して頭を抱える。

「晴香さん?」

 突然、後ろから声がかかった。振り返ると、ノエルが心配そうな顔でのぞきこんでいきている。

「どうしました? 魔力にあてられて具合が悪いのではありせんか」

「……えっと」

 晴香は戸惑った。先の非現実的な光景がいったいなんだったのか――自分でも分からなくて、少し整理していたのだ。やがて噛みしめるように呟く。

「声が、声が聞こえたの。ミーナの声が。頭の中に、直接」

 そう。あれは、光貴やフレイといたときのような叫び声ではなかった。心の声の、心の底からの訴え。信じられないが、そうとしか表現しようがない。

 晴香の声を聞き、ラッセルとノエルの二人は互いの顔を見た。驚きのあまり、二人とも瞠目している。それから少しの間彼らは何か思案をしていたようだが、やがてラッセルが口を開いた。

「晴香。もう少し、その……ミーナに呼びかけてみてくれねえか? 『声』とやらが聞けるまで」

「え?」

 思いもよらぬ言葉に、晴香は目を白黒させる。

「で、でも。聞けるかなんて分かんないよ。ただの偶然だったかもしれないし、私の聞き間違いだったかもしれない」

「だとしても現状、今の俺たちにはお前の聞いた声とやらしか手掛かりがないんだ。厳しい話ではあるが、やってもらうしかない」

 宮廷魔導師の固い声に晴香は沈黙する。じっと、絨毯を見つめていた彼女は、ゆるゆると首を振った。

「でも、でも……私の声なんかに、応えてくれるとは、思えない……」

 言っているだけで涙が出そうになる。晴香はそれを堪えるように唇を噛んだ。

 ミーナのことは、知っているようであまり多く知らない。ゆえに、薄っぺらな言葉しかかけることができないのだ。現に、先程まで何度呼びかけても届かなかったではないか。それなのに、いきなり託されても弱腰になるだけである。

 だが、すっかり弱気になった少女の背中を、強く優しく打つ声があった。

「晴香さん」

 顔を上げると、ノエルが真剣なまなざしを彼女に向けていた。

「やって、もらえませんか。きっと晴香さんの声なら、ミーナ様も聞いてくださいます。あなたが強く誰かを思いやれる人だと、彼女も……僕も知っていますから。そんなあなたの声を、ミーナ様がひとつも聞いていないはずがないでしょう?」

「ノエル、くん」

「お願いします。これはきっと、あなたにしかできないことなんです」

 柔らかい声が少女の胸を突く。彼女は深く息を吸い込んだ。

「私にしか、できないこと……」

 かけられた言葉を、反芻する。その呟きは砂にしみこむ水に似て、じわじわと、晴香の胸を満たしていった。胸の中に感情が渦巻き、動悸を速くする。それらすべてを飲みこんだ少女はやがて――きっ、と前を向いた。

「分かった。やるよ、やってみる」

 力強い言葉に、男二人の顔がほころぶ。その様子を見た後で、晴香はそっとミーナに近づいた。頭を抱え込みひたすら泣きじゃくる彼女の前に屈みこみ、きつく目を閉じる。深い闇が、その場に生まれた。

「ねえミーナ。もっと聞かせて」

 呼びかける。

「あなたの声。あなたの心。あなたの、本当の気持ち」

 価値観も、感情も捨てて。

「飾らなくていいんだよ。醜くてもいい。だから、そのままを見せてよ」

 ただ、促すために呼びかける。

 その時、瞼の裏で光が渦巻いた。淡い光の渦は、だが徐々に広がって、強くなっていく。そして異様なまぶしさに晴香が悲鳴を上げかけたとき――光は、弾け飛んだ。

「晴香さん!?」

 少年の、甲高い悲鳴を聞く。

 それを最後に少女の意識は断絶した。


 気付けば暗闇の中に立っていた。

 上も下も右も左もない。ただ無限の黒がそこにある。だがなぜか、足元には地面があるようなないような、非常に曖昧な感覚があった。

「ここ、どこ」

 前触れのない意識の覚醒を味わった晴香は、無意識のうちに呟く。声は一瞬だけ無限の空間に反響したが、すぐに消えた。その様子に晴香は呆然としていたが、やがて状況を思い出し、一歩、一歩と歩きだす。

 ここがどこかは分からない。夢の中かもしれないし、魔力が変な反応を起こしてとんでもない場所に飛ばされてしまったのかもしれない。だがそれでもひとまず、彼女はミーナを探さねばならないと思っていた。

 歩いていく。歩いているという感覚のないまま足を進める。そうしているうちにどこからか、小さな小さな声が聞こえてきた。晴香は、はっと顔を上げる。

「ミーナ?」

 少女の名は、口をつくように出てきた。

 そしてその瞬間――闇がいきなり弾け飛び、目の前の光景が塗りかえられた。果てのない黒が暖かな色に染め上げられ、セピア色の景色が眼前に広がる。そこは、見覚えのある場所――アルド・ゼーナ王宮の一室だった。

『ねえ、ラウラ』

 澄んだ声が聞こえる。

 部屋の中心に一人の少女がいた。晴香にとって、ここ数日で馴染んでしまった彼女の姿。彼女は、大きなテーブルを前にしながら、横にいる侍女と会話している。晴香は、その光景を高いところから見下ろしていた。

 これはなんだと、晴香の心が疑問を浮かべるより早く、いつかどこかの世界の時は進んでいく。

『私、また失敗しちゃったの。王太子殿下に怒られてしまったわ……』

『まあ……。そうだったんですか?』

『うん。なんで、なにもかもうまくできないんだろう』

 少女、ミーナはため息とともに肩を落とす。テーブルの上に顎を乗せた。王宮に務める者として褒められたものではない態度に侍女が眉をひそめるが、彼女も今は主の心境を察したのか、何も言わない。

『やっぱり、私には無理だったのかなあ。守護天使、なんて』

『そ――そんなことはございませんわ!』

 侍女が少女の言葉をぴしゃりと否定する。反射的に出てしまった言葉のようだった。

『きっと、まだお慣れにならないだけです。ミーナ様には先があるのですから、あまり消沈していてはいけませんよ。今日の反省を、明日に活かさねば』

『ラウラ……』

 ミーナは剣呑に目を細めていたが、やがてその身体を起こす。

『そう……うん。そうよね。私、頑張る!』

『その意気です! ああ、ですがご無理はなさらないでください。ミーナ様はすでに頑張っておいでですから』

『え? そうかな。えへへ』

『せっかくですし、またノエル様とお会いしてはいかがです? 明日、王都にご到着の予定とのことですが』

『ふえっ!? ちょ、ラウラ! ノエルは公務で忙しいに決まってるでしょ!?』

『顔が赤いですわ』

『っ! もー!!』

 女同士の他愛ない談笑に耳を傾けながら、晴香はふっと微笑んだ。

 これが、ミーナなのだ。明るく元気なごく普通の女の子。それでも、気丈さを持ち合わせたアルド・ゼーナの守護者。それこそがミーナの真の姿なのだと、このとき知った。

 だが刹那、目の前の光景が移り変わる。

 たくさんの映像を見た。ミーナの苦労。そのたびにラウラへと本心をこぼす日々。時に泣き、無理をして笑い、そして最後に心から笑う。毎日がその繰り返しで、均整が保たれているように見えるが、実はすごく危うい日々だったのだと、晴香は彼女の姿を見ていくうちに気付いてしまった。

 そして――少女の目前に、決定的なある日の映像が浮かびあがる。

 アルド・ゼーナの王都だった。王都の街道の一角に、人だかりができている。その中心には一人の女性がうずくまっていた。彼女は血まみれの何かを抱いている。

 それは――子供、だったものだ。

『なんで、なんでこんなことに……』

 女性が震え声を上げる。彼女の周りを大勢の人が取り囲んでおり、そのなかにミーナもいた。彼女は沈痛な表情でうつむいている。

『ああ――どうか、どうか、息子を返して!』

 女性が金切り声を上げた。悲しみに満ちた叫びは狂乱にも似ている。観衆が不安げに視線を交差させる中、その中にいたアルド・ゼーナの文官がひそひそと言葉を交わし合っていた。

『どうやらあの子供は、不良たちの暴力沙汰に巻き込まれたらしいな。偶然通りがかってしまったところを人質にとられて、結果、殺されたとか……』

『そんなことがあるものか? どうしてそんな危ない場所に子供が入ったのだ』

『現実にあったのだからなんとも言えまい。――おそらく、母親が目を離したあと迷子になってしまったのだろうな。それで、よく分からないまま危険地帯に踏み入ってしまったんだろう。気の毒な話だ』

『しかし、確かちょうどその時間は“豊穣姫”様がそのあたりの区画を巡回中だったはずであろう』

『ああ。実際、不良に子供が捕まったとき、そばを通られたらしい。しかし何もなさらなかったのだろうな。どうしてあのように臆病になってしまわれたのか。あれでは守護天使としての責務も果たせまい』

『おいおい、滅多なことを言うなよ』

 潜められた会話は、だがミーナの耳にはっきり届いていた。彼女はびくりと体を震わせたあと、群衆の中をかき分けるようにして走り出す。そのまま街道の先を逃げ去っていた。

 少女は走りながら耳をふさぐ。「臆病」とそしる声が耳に残って離れない。彼女の震える唇は本人も意識しないうちに、小さく動いていた。

『やめて、やめて……』

 誰にも届かない拒絶の言葉。それを吐く少女の顔は蒼白くなっていた。

『だめだってことは分かってるの、分かってるの。だから、だから、だから、何も言わないで。私に聞かせないで』

 忙しなく動いていた足は速度を緩め、ついには完全に止まった。ミーナは悲鳴の形に口を開き、小刻みに震えながらうずくまってしまう。

『お願い……もう、一人にして……』

 小さな民家の軒先でうずくまったミーナは、今にも消え入りそうな叫びをこぼす。長いまつげに引っかかっていた涙の粒が、頬を伝って落ちていった。

 思いはそれ以上言葉にならず、だが明確な形をとっていく。


 ああ。

 こんな悲しい記憶は、こんなだめな私は――

 もう、消えてしまえばいいのに。


 晴香はしぼんでいく映像を見届けながら、目をみはる。

 心の中で感想を示せる言葉を探してみたものの、ぴたりと当てはまるものを見つけることはできなかった。だがミーナの強い感情は奔流のように伝わってくる。それを形にすることができなくて、また形にすることがためらわれて、胸の内に靄のような不快感を抱えながら、晴香は首を振る。

 直後、いきなり周囲の黒が白に転じた。

「わっ!?」

 暗闇は光を放つ白に塗りつぶされ、世界はあっという間に移り変わる。その様にただただ唖然としていた晴香はしかし、白い世界の中心に人影を見つけると、我に返った。

「ミーナ!」

 もはや何度目になるかも分からない呼び声と同時に、彼女は人影に駆け寄る。うずくまってすすり泣いている少女は、晴香の方を見ようともしなかった。だが、晴香はしゃがみこんで彼女に目線を合わせると、辛抱強く呼びかける。

「ねえ、ミーナ。どうしたの? ……こんなところで泣いてたら、風邪ひいちゃうよ。だからほら、戻ろうよ」

 優しい声。意識せずとも、普段通りの呼びかけが口から出てきた。

 そんな声にミーナがようやく顔を上げる。涙にぬれた瞳は、晴香が知っているものとは違い、湖面に照らされた月のように潤んだ光を湛えていた。

「――戻り、たくないよ」

 腫れた顔を晴香に向けながら、ミーナは言う。

「だって戻っても、苦しいだけだもの」

「ミーナ……」

「誰も、私の味方をしてはくれない」

 言うとミーナは再びうずくまる。光ある瞳。だがそれは、悲しみと落胆に彩られ、生気を失っているように見えた。

 自分はだめだ。こんな自分はいない方がいい。少女の明確な感情が伝わってきて、目の前に屈んでいた晴香は愕然とする。いつも弱々しく微笑んでいた『豊穣姫』の中にある闇をのぞいてしまった心には、おのずと恐れが生まれた。

 だが過るのは、現実の世界で戦い、彼女らを憂う人たちの姿だ。

 晴香は強く唇を噛み、直後に少女の細い肩を掴んだ。

「そんなことない!」

「――え?」

 頼りない泣き顔が、また上を向く。

「味方はいるよ! だって、私たちがいるじゃない!」

 強い口調、強い表情での断言に、ミーナは唖然としている。だが晴香は、ただ言葉を続けた。自信はない。けれど力強い確信はある。

 今、この夜に、ミーナのために奔走している人々は間違いなく彼女の味方であるという、確信が。

「お兄ちゃんも、フレイ君も、ラッセルさんも、ノエル君も! みんな、あなたのことを心配して、あなたの記憶が戻ることを信じて、一生懸命戦っているんだよ」

 ノエルの名を呼ぶ声が強くなったのは無意識だったが、それはミーナの胸を深く突いたようだった。小さな唇がその名の形に動く。

「それにほら、私だって。自信は全然なかったけど、なんとかここまで来たんだ」

 そう言って笑ったが、どうもきちんと笑えた気はしない。いびつにゆがんだ顔を自覚しながら、晴香はミーナに手を差し伸べる。

「そりゃあ辛いこともたくさんあると思う。一人じゃ抱え込み切れない荷物をたくさん抱えているのは分かってる。でも、一人じゃどうにもできないことは、みんなで考えればいいんだよ。みんな頭がいいからさ、きっとミーナの助けになってくれるよ」

 私は頭悪いけどね、とおどけて締めくくった晴香は、すぐ真剣な顔になって繰り返した。

「だから戻ろうよ。みんな、待ってるよ」

「はるか……」

 いびつに動いたミーナの口が、初めて晴香の名前を呼ぶ。

 彼女はうつむいて逡巡していたが、やがて白い手をそっと伸ばすと――差し伸べられた、晴香の手を取った。


「晴香さん!」

 悲鳴のような呼びかけを受けた晴香の意識が現実に引き戻される。彼女ははっと目を開いて、思いっきり息を吸い込んだ。

「え、え? あれ?」

 周囲の風景はいつの間にかひどく現実味を帯びた物になっている。夜の紺色に包まれた王宮の一室。壁にひびが入り調度品の多くは砕けて屑をまきちらしているが、そこに漂う空気はひどく静かだ。

 晴香が呆然としていると、すぐ近くから声が聞こえる。

「ああ、よかった……。いきなり倒れたから、何があったのかと……」

「ノエルく――」

 声の主の名を呼びかけて、晴香は硬直した。

 馴染みのある少年の顔はすぐそばにあった。森の中を思わせる深い緑色の瞳は、濃い憂いを湛えてこちらを見下ろしてきている。線の細い顔立ちと長い睫毛を、いつもよりはっきりと見ることができた。

 そこで彼女は気付く。

 自分の身体は、ノエルに抱きかかえられていた。

 おそらく、意識が飛ばされて倒れかかったところを支えられたのだろう。それだけなのだろう。だがたったそれだけのことが、晴香にとっては衝撃的すぎた。体内の温度が急上昇するのを感じる。

「ふひゃああ!?」

「えっ? どうしました晴香さん! どこか悪いんですか!?」

 顔を真っ赤に染めて叫ぶ晴香を見たノエルが、おたおたとうろたえ始める。すると、いつの間にかそのすぐ横にいたラッセルが、仲の良い男女に呆れた目を向けた。

「ノエルー。おまえは、もちっと自覚したほうがいいぞ」

「な、なんの話ですか!?」

「とりあえず今は晴香を下ろしてやれ。本人からすれば残念だろうが、このままだと多分衝撃のあまりまた気絶するぞ」

 ばっさりと言われたノエルは釈然としないというような顔をしながらも、晴香をそっと床に下ろした。それで幾分かオーバーヒートしていた体が冷えてきた晴香は、冷静に辺りを見回す。そして――荒れ狂う魔力が、消えていることに気付いた。

「……! そうだ、ミーナはどうなって……」

『豊穣姫』のことを思い出した晴香は、慌てて寝台の方を見た。そこには少女が座っている。うつむいたまま微動だにしない。表情は、こぼれている金髪に隠れてよく見えなかった。

「み、ミーナ?」

 おそるおそる、晴香は名を呼んでみる。するとベッドの上の体がぴくんと震えた。ゆっくりと顔が上がり、やがて少女は晴香たちの方を見た。

「あれ? みんないる……」

 そう言って首をかしげた少女の声は、はつらつとした雰囲気を漂わせていた。深い穴のようだった瞳には光が差し、見惚れるような黄金色になっている。

 三人が呆然とする中、ミーナはひとり苦笑した。

「あーあ、そういうことかあ。てっきりここにいるの、晴香だけだと思ってた。恥ずかしい……」

 言った少女は微かに頬を染めて横を向く。

 その姿を見たノエルが、戸惑いがちに前へ出た。

「あ、あの、ミーナ様。記憶が……」

「――うん。もう、大丈夫だよ。ノエル」

 ミーナはきっぱりと断言すると、花のように笑った。脱力する晴香たちを見ると、深く頭を下げる。

「本当にありがとう。そしてごめんなさい。こんなことになってしまって」

 はっきりとした感謝と謝罪。それを聞いて晴香ははっとした。その横ではラッセルが目をみはっている。彼は辺りを見回してから、改めてミーナへ視線を向けた。

「ミーナおまえ、もしかして今までのことを全部覚えてるのか?」

「うん。もちろん。……誰が私の魔力を暴走させたのかも」

 彼女の言葉に三人は視線を交差させた。その間にもミーナは、寝台から降り立つと、毅然とした態度で彼らに呼びかける。

「行こう。あの呪術師さんを見つけなきゃ。――私が起こした混乱は、私の手で終わらせるわ」

 そこにいたのは間違いなく、アルド・ゼーナの守護天使――本来の、ミーナ・コラソンであった。


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