第四話 混沌の夜――2
アルド・ゼーナのラディス王には現在、二人の息子がいる。長男エルドラと二男ギルトだ。長男は十五を迎えると同時に王太子として認められた。二男は二男で公爵の地位を与えられて、地方都市ルドニアと周辺地域一帯の領主を任されている身である。
――ジブリオ王国からアルド・ゼーナへと向かう道すがら、光貴はそのような話をラッセルから聞いていた。だから二人の「王子」の存在は、すでに知っていたのである。ただ、実際に会うのは初めてだった。
二人とも壮麗な顔立ちをしていて、改めて見てみるとラディス王によく似ている。これで性根がひんまがっていなければ、さぞ良き王と王弟になれただろう。
少なくとも、光貴たちがこんな所でこんな出会い方をすることはなかったはずだ。
「どういうことですか」
低い声でフレイが問う。あふれ出そうな怒気を必死で押さえているのが分かった。だがその問いに、王子二人は何も答えない。代わりに口を開いたのは魔導師である。
「どうも何もありませぬ。このお二人が、私の雇い主でございますよ、フレイ様」
「雇い主? そんなたわごとを僕が信じると思うのか」
「あなたが信じてくださらずとも、事実は事実でございますから」
魔導師の態度は相変わらず冷めたものだった。フレイが怒れば怒るほど、対照的にこの男は冷え切った姿勢を見せてくる。そんな、対極の温度をまとう空気に光貴は居心地を悪くした。顔をしかめて、二人の王子を見やる。
彼らの態度もまた冷然としている。魔導師と違うのは、光貴たちる目に明らかな蔑みの色があることだ。まるで虫でも眺めているかのようだった。
光貴は再びフレイの様子をうかがってみる。彼は赤黒い顔で魔導師を睨んでいたが、やがて深く息を吸うと、今度は落ち着いた様子で王子たちを見たのだ。
「なぜ……国の要であるはずのあなた方二人が、このような真似をなさるのですか」
少年の声は、震えてはいるが静かなものだった。王子がこのろくでもない魔導師の雇い主だという事実はまだ受け止められていないだろう。光貴だって信じられない。しかしひとまず、ここは目の前の現実と向き合うことにしたようだった。
『叡智王』の問いに、王太子エルドラが眉をひそめる。
「なぜ、か」
ぽつりと呟いてから短く息を吸う。それを言葉にして、一気に吐き出した。
「『国の要である』からだ」
「なんですって?」
「だからこそ、守護天使などという存在が許せないといっているのだよ。――『叡智王』どの」
光貴とフレイは揃って息をのんだ。その間に、兄の言葉を弟のギルトが引きとる。
「それでもね。これまではそんな憎悪をのみこんできたのさ。今までの『豊穣王』や『豊穣姫』は非常に有能で、国王たちによく尽くしてくれたからね。けれど今の『豊穣姫』は、ミーナはだめだ。あれは出来そこないだよ」
出来そこない。そのたった一言が、雷撃のごとく二人の少年の身を打った。震えあがりそうになる。だがそれを辛うじてこらえ、光貴が口を開いた。
「それは……ミーナがまだ若すぎるというだけではありませんか」
抗弁を口にしてから、胸のうちで嘲笑する。自分に対する言い訳のように聞こえてしまったのだ。続く王太子の言葉は、その不快感を助長する。
「年齢など関係ないぞ、『神聖王』どの。あれはどれだけ勉学を重ねても、ろくに守護天使の務めを果たせておらん。国王の相談役にはなれんし、有事のときもうろたえてばかりで守護者としても失格だ。あんなものは早々に排除してしまった方が国のためだろう」
「それは、あまりにも……」
意外にも王太子は熱弁をふるった。対して光貴とフレイは言葉を失う。
エルドラの言葉は一側面では正論だが、別の側面から見れば暴論だ。未成熟なミーナは確かに、これまであまり守護天使としての成果をあげたことがなかった。だがだからといって、殺してしまおうという考え方はひどく性急である。
少なくとも、この場にいる二人の守護天使はそう思った。
だがそうと反論する前に、エルドラが軽く手を振る。
「無駄話は終わりだ。どうしても邪魔をするつもりならば排除させてもらうぞ。……おい、魔導師」
「承知いたしました。人使いの荒い王太子殿下」
嫌みたっぷりの返答に、王太子は鼻を鳴らして応じる。そして次の瞬間、魔導師は動いていた。高速で魔法の弾を作り上げ、二人の少年に向かって放つ。
もちろん彼らもそれを黙って受けるほど鈍くない。咄嗟に、左右に分かれて飛んで、まっすぐに飛来してきた弾を避けた。それらは地面すれすれで弾けると、大理石の床に穴を穿つ。
光貴は思わず舌打ちした。間髪入れずに飛んでくる弾をかわすと、別方向から飛来した弾に向かって光の矢を放ち相殺する。
フレイも顕現させた魔法の炎で光弾を焼き払っていた。
「こうなったら魔導師は絶対につかまえてやる!」
叫びと共に紅玉のような瞳が光を帯びる。光貴は無言でうなずくと、この国で陰謀を巡らせる三人から大きく距離をとった。
だが魔導師はそんな二人をちらと見た後、無言で手を振る。すると真っ黒な玉が天井を覆い尽くした。よく見るとそれは、紫色の火花を散らしているようである。
「電撃だ!」
フレイが叫ぶと同時か、それよりも早く、光貴は手にしていた剣を突きあげた。剣先を起点に白い光があふれ出して二人の少年の周りを半円状に覆う。
瞬間、黒い玉は一斉に地面へと落下した。耳障りな音を立てて電撃が弾け、再び床に穴を穿つ。だが光貴たちへと迫っていた玉は、光の膜に当たると、土くれのように崩れ落ちた。
「応用、きくようになってきたじゃん?」
「偉そうに言うなよ、フレイ」
悪戯っぽ笑みとともに向けられた言葉に、光貴は素っ気なく応じる。それから剣を一振りすると、光は音もなく消え去った。二人は視線を交差させる。
「さて、どうしようか」
フレイが言うと同時に二人はしゃがんだ。頭上を火の矢がかすめていった。空気の焦げるにおいを感じながら光貴は眉をひそめる。
「どうも、大人しく捕まってはくれなさそうだぞ」
「だろうね。となると……」
「となると、だ……」
二人は前を向いたまま無言でうなずきあった。そして素早く体を起こすと、くるりと向きを反転させて走り出す。背後からエルドラとギルトの驚いたような声が聞こえてきた。
「おい魔導師! 逃がすなよ!」
「承知いたしておりますよ」
魔導師の陰湿な声が聞こえてくると同時に、魔力が放たれる。禍々しい力を肌で感じた二人は、曲がり角に駆けこんだ。敵の魔法が壁を穿って鈍い音を立てる。その衝撃を感じながら、光貴はフレイに話しかけた。
「どうするよ」
「うん、そうだね……」
フレイは引き締まった表情ながらも冷静だった。顎に指を当てて少し考え込む。それから唐突に、左手の親指を突き立てた。
「――光貴。魔導師っていうのは、基本的に接近戦が苦手なんだよ」
「そりゃそうだろうな。なんだ急に」
「まあ聞いて。つまり、近づいて斬りかかればこっちのもんだってことだよ。奴の魔法は僕が捌くから、光貴は奴の懐に飛び込むんだ」
そういう話か、と光貴はうなずく。得物を握りしめる手に、力を込めた。
彼は魔法も武術も熟達には程遠い状態だ。だが、今はそんなことを言っていられる状況ではない。あの不気味な魔導師と戦えるのは彼とフレイだけなのだから、やらねばならぬことだろう。
短い逡巡ののち、少年は腹をくくった。
「――やってみよう」
敵の魔法の嵐を壁に隠れてやり過ごすことしばらく。白壁の震動が鈍く激しいものに変わってきていることに、少年たちは気付いていた。そろそろ頃合いだろう。二人はうなずくと、同時に陰から飛びだす。
魔導師が衣の下でいびつな笑みを浮かべる。それを認めると同時に、光貴は剣を高々と掲げた。先程と同じ白い光が、先程より少しだけ早く二人を覆う。
この短時間でここまでの成長を見せるなんて――とフレイは彼の背後で目をみはっていたのだが、これは当人には知られぬことである。
魔導師が手を一振りすると、黒い小さな剣が二人の前に現れた。魔力で作られたそれは実物より不安定で、黒い輪郭が時折揺れているのが見える。
「……頼んだぞ、フレイ」
「言われなくても」
フレイがにんまりと笑って構えると同時。光貴は剣を一振りして膜を消した。そして相手の攻撃がくるより早く、身をかがめて駆けだす。
あっという間に敵との距離が詰められる。だが瞬間、黒い剣が動いた。凄まじい速度で少年に迫ってくる。
ぞくり、と肌が粟立った。恐怖に凍りつきそうになった。だが彼は、それでも一切足を止めなかった。やがて、彼の目の前に黒が迫り――そして視界を、紅蓮の炎が覆い尽くす。
「ほう……」
魔導師の声が聞こえる。驚きに満ちてわずかに裏返った声は、初めて耳にするものだった。
フレイの放つ炎は、魔導師の放つ黒い矢をひとつひとつ、しかし苛烈に焼き払っていく。剣を力強く握りしめた光貴は、その間をすり抜けるようにして駆けた。
束の間、ラッセルとの訓練を思い出す。相手が投げてくる大量の石つぶてをいかにして避け、相手の懐に飛びこむか――そんな訓練だ。ラッセルの攻撃が凄まじいのと、光貴自身の運動能力不足で、一度だってすべてよけきれた試しがない。
だが今は――
肌、足、耳。視覚以外のあらゆる場所に全神経を集中させる。熱を、衝撃を潜り抜け、その先に黒い衣を見た。
目をかっと開く。言葉にならない雄叫びを上げ、勢いよく刃を振った。
十六歳の少年のものとは思えぬ強く素早い一撃は、魔導師を切り裂くかと思われた。だが。
甲高い金属音が響く。突如として剣の動きを止められ、光貴は瞠目した。
相手はいつの間にか黒い長剣を持っていた。代わりに、小さな無数の剣は消えている。つばぜり合いの中、魔導師は歯を見せて笑った。
「驚いた。こんな大胆な作戦に出るとはね」
背筋を悪寒が駆け抜ける。光貴は反射的に飛び退いていた。黒い剣が軌道を描いて光貴の剣をすくいあげようとし、だがそれは辛うじて空を切る。
「おまえ……」
光貴は魔導師を睨みながら肩で息をする。同時に、自分の動悸が激しくなっているのに気付いていた。
先程から違和感がある。この魔導師を、かつてどこかで見たことがあるような、そんな気がしていた。脳の奥をぴりぴりと嫌な刺激が走る。
ねっとりとした笑声を上げる魔導師。彼は剣をだらりと下げた。
「いやはや。しかし、ずいぶんとぎらついた目で見てくるようになりましたな。二年前とは大違いだ」
「なんだって?」
少年は思わず片眉を上げる。少し離れたところにいるフレイも、会話が聞こえたのか訝しげな顔をしていた。
だが魔導師は、相変わらず楽しげな様子を崩さない。
「ああ、この口調ではお分かりにならないのも無理はありませんなあ」
しわがれた声が不安定に揺れる。それを聞き、不快感を覚えた光貴は、空いている左手でこめかみを押さえた。
黒い物がせり上がってくる。嫌なものがよみがえってくる。
まるで、悪夢から覚めたあの瞬間のように。
「――これでどうだ、小僧。忘れようがないだろう?」
「……! お、まえ、は……」
再び魔導師の声を聞き、光貴は戦慄する。同じ人物のはずなのに、まるで声色だけがらりと変質してしまったかのようだ。
少年の様子を見た魔導師が、衣の下で口を大きく開いて哄笑を上げた。
けたけたと笑う老人は、間違いなく――二年前に、光貴を捕らえて連れ去り、封印魔法を施した男だった。




