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King of Light  作者: 蒼井七海
第三章 遠い日の欠片
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第二話 揺らぎ――3

『なるほど、ミーナが記憶喪失か……』

 水晶の向こうの声は、考え込むような響きを持っている。七色に移ろいゆく光を見ながら、光貴はため息を漏らす。

「大変なことになってるというのは初めから覚悟していたんだけどな。予想以上だった」

『確かに予想以上だ。しかも、その場にフレイもいたとは』

 そう言ったあと、彼は『大変だったろう?』と訊いてきた。フレイが光貴に対してどんな反応をするか、ある程度予想はついていたらしい。彼は苦笑して、ああ、と答えた。

『しかしあれだ。おまえらも厄介事に首突っ込むのが好きだな。光貴は即位したらほどほどにしておけよ』

「なんだよそれ。アレクだってそういうの好きそうじゃないか」

『あ、ばれたか?』

 おどけた彼――アレク・フレッチャーは声を立てて笑う。あまりの開き直りっぷりに光貴は肩をすくめてしまった。今はジブリオも大変な時分だろうに、相変わらずの胆力である。

『ところで、そこにフレイはいるのか?』

「え? いや、いないけど……」

 唐突な問いかけに呆けかけた光貴は、周囲を見回しながら答えた。星空に包まれたバルコニーに佇んでいるのは、今は彼一人である。辺りは怖い程の静寂に包まれていた。

「なんでだ?」

 光貴は水晶に視線を戻して問いかける。すると、相手は『いや』と歯切れの悪い言葉を漏らしたあとに一息置いて、言ってきた。

『フレイがいないなら、ちょうど良い。おまえに昔話を聞かせてやるよ』

「昔話」

 アレクの言葉を反芻したとき、光貴は二人の間に流れる空気が張りつめたように錯覚した。――そして、厳かな声が耳を打つ。

『先代“神聖王”の話だ』

 光貴は息をのんだ。水晶を取り落としそうになり、慌てて強く握りしめる。光がわずかに強くなったような気がした。

 アレクはしばらく何も言わなかった。回顧しているのか、光貴の反応をうかがっているのかは分からない。それからいくばくかの時が流れたところで、彼は唐突に語りだす。

『そいつはな、いつも明るくて本当に良い奴だったよ。生まれ持ったものなのか醸成されたものなのか、人を引き付ける不思議な魅力もあった。だからこそ、多くの人からの信頼を勝ち得ていた。あいつが即位することに反対した奴はほとんどいなかったそうだ』

 滔々と語られる昔話。光貴は、胸に針を刺したような痛みを覚えながら、それを聞いていた。

『“神聖王”の中じゃ珍しく結婚してて、子供までいた。アルバート王が政務を取り仕切り、あいつが見守っていくことでピエトロは大きく繁栄したに違いない。だけどな……ある戦いの中で、あいつは突然死んだ。だいたい十年前くらいだっただろうな』

「それで、ピエトロは守護天使の空白期になったのか……」

『そういうことだ。本国や同盟国の上層部の者たちは、多くがあいつを慕っていた。だからこそ、その死をひどく嘆き悲しんだ。フレイも……その一人だったわけだ』

 光貴はもはや何を言っていいか分からず、沈黙する。幸いにもアレクは話を続けてくれた。

『訃報が飛び交ったときのあいつはひどい取り乱しようだったよ。まだほとんど赤ん坊だったせいもあるだろうが、癇癪を起したみたいに暴れてよ、そりゃすごかった。ま、その点で言うならミーナだって近いものがあったんだがね』

「ミーナ、か」

 彼女も本来は明るい良い子なのだろう。だが今は、そのような面影すらない。アレクもそれを思い出したのか、ばつの悪そうなうめき声をもらしてから、わざとらしい咳払いをした。

『結局、公国の重鎮やラッセルがじかに諭したおかげで、ようやく落ち着いたんだそうだ』

「あいつ、どんだけいろんなことやってるんだ? 継承したてのアレクのところにも来たんだろ」

『ああ。あいつとノエルは、もうもっぱら守護天使に関わる内政や外交にこき使われまくるのが日常みたいになってるからな』

「意味分かんねえ……」

 いろいろと奇妙なピエトロ王国の内部事情に、光貴はがっくりと肩を落とす。だが一方で、アレクの口から語られた昔話をひとつひとつ思い出し、苦々しい気分になっていた。

――人の死から生まれる悲しみが簡単に拭い去ることのできるものではないことは、光貴もよく知っている。

 だからこそ、今なお先代『神聖王』を慕い続ける少年の気持ちを否定することができなかった。自分より六つも年下なのだからなおさらだ。

『なんとなく言いたいことは分かる』

「……アレク」

 いきなり響いた声は、静かだった。光貴が息をのんで水晶を見ると、アレクが微かに身じろぎをしたかのような音が伝わってきた。

『だがな光貴。他人の死をいつまでも引きずっているようでは、人は前に進めないんだよ』

 光貴は言葉を返さなかった。ただ、目を伏せて水晶を握りしめる。

 自らも実感したはずの指摘は、このとき鉛のような重さをともなって、少年の心にのしかかった。


 翌日。光貴はアレクと話をしていたにも関わらず、いつもより早く起きていた。妙に目がさえてしまったためだったが、だからと言ってすることもないので、王宮の中を散策することにする。

 護衛兵に許可を貰いにいったら、あっさりと受け入れられた。

 そんなわけで彼は今、誰もいない王宮の廊下をふらついていた。足取りは重い。その理由は、寝起きだからというだけではないはずだ。

 ピエトロ王国とはまた違う種類の装飾が施された天井や柱を見る。ここへ来てからときおり、人の顔と思しきものが彫られている物を見つけてぎょっとすることがままあるが、ケインズいわく土着信仰の神の使いを模したものなのだという。

 そういうのってよく分からないよな、と顔をしかめながら歩いていた光貴は、その先に人影があることに気づいて足を止めた。

 廊下に立ち、区切られた窓から外を見ているのは男のようだった。逆光のせいで細部は分からないが、ずいぶんゆったりとした服を着ているようだ。

 光貴は首をかしげる。同時に、男が顔をこちらへ向けた。目の光だけが静かに自分を射抜いてきたように感じ、少年は息をのむ。

「おや、誰かと思えば客人か」

 落ち着き払った低い声でそう言った男は、無言で手招いてきた。少年は眉をひそめながらも、その手に導かれるようにして、男の隣に並ぶ。

 そうして相手を見上げると、ようやくどのような人間か分かった。刈り上げられたくすんだ金髪の下で鋭い碧眼を光らせる男はしかし、招いた者が子供だと分かったせいか、すぐ穏やかに微笑んだ。

「どうだい? この国は」

「…………いいところだと、思いますよ」

 いきなりそのように聞かれてもなんと答えて良いのか分からない。思った光貴は、喉元まで出かかった言葉を飲みこむ。代わりに当たりさわりのない返事をしてから、窓の外に目を向けた。

 深い闇に沈みこんでいた街は、薄布のように広がる光によって、鮮やかな色彩を浮かび上がらせていた。赤や緑の屋根たちが、旭日の光を反射して淡く輝いている。自然の中に成り立ち、調和する王都は神秘的に見え――なぜか光貴は、寂寥の感を覚えた。

「ここから見ると、王都もまた違って見えるだろう」

「そうですね」

 なんだか見透かされているような気がする、と思いながらも答える。男は何がそんなにおかしかったのか、喉を鳴らして笑った。

「私はここからの眺めがとても好きだよ」

 目もとに優しいしわが刻まれる。光貴は黙り込んだまま、男の顔をじっと見つめていた。

 朝の静寂は薄絹のように広がって、通り過ぎていく。だがわずか数秒後にそれは破られた。

 けたたましい足音が廊下にこだまする。それは凄まじい勢いで、二人がいる場所へと近づいてきていた。光貴は覚えのない気配に首をかしげるが、一方の男はなぜかにやにやしている。

「――見つかってしまったか」

「えーと、誰にですか」

「陛下!」

 若い男の声が聞こえた。廊下の先から駆けてくるのは、文官の制服をまとった若者である。光貴は、目を丸くして彼と男を見比べた。

「……え?」

 今、何か信じがたい言葉が聞こえなかったか。目をみはった少年は、にこにこと笑う男を見やる。だが男は何も言わない。

 彼からの答えを得られないうちに、文官が二人のそばへと辿り着いた。若い男は肩で息をしながら顔を上げる。

「こちらでしたか。探しました」

「朝の散歩くらい良いではないか。公務をさぼろうと思っていたわけではないぞ」

「そうだとしても、側近への言付けはなさってください! 皆が心配します!」

「分かった分かった」

 この国の王であるという男が高らかに笑う。それを見てため息をついた文官はしかし、傍らに立つ光貴に気付くと慌てて礼をした。

「これは『神聖王』様、お騒がせして申し訳ございません」

「い、いえ。それは良いんですが…………王って」

 光貴はなんと言って良いのか分からず、とりあえず国王を見上げる。彼は少年の視線に気づくと、悪戯っぽく笑った。

「自己紹介が遅れたな。私はラディス・エルセド・ラ・ゼーナ。 第二十代アルド・ゼーナ国王だ。仲良くしよう、ピエトロの新たなる守護天使よ」

 堂々たる言葉。静かな廊下に響く声になんと答えるべきか咄嗟に判断できず、光貴はただただ唖然とした。おかげで幸か不幸か、王の前で文官が青ざめていることにも気付かなかった。


 国王ラディスは、ミーナの記憶喪失と、ピエトロから来た四人とフレイがその原因究明に協力したがっているという事実をすでに把握していたらしい。おかげで、全員が謁見の間に顔を出す前に話がついてしまった。

 そのような事の顛末を、光貴は苦々しい顔をしながら一堂に語る。すると晴香にはびっくりされ、残りの三人には笑い転げられた。

 あまりに大笑いされたので、光貴は赤く染まった顔を逸らす。

「そんなに笑わなくたっていいじゃないか」

「あー、いや、だって、なあ?」

「君って意外と大胆だねえ。あー面白い」

「知らなかったんだからしょうがないだろ!」

 ラッセルの反応はだいたいいつものことであるが、フレイにまでそのように言われて、光貴は反射的に言いかえした。だがそれだけからかってもまだ足りないのか、少年は声を上げている。

 ややあって笑いを引っ込めた彼は、ふてくされる光貴に手で詫びを入れてから、居住まいを正した。

「さて。今日から本格的に行動開始だね。ラッセルとノエルは調査の手伝いだっけ?」

 無造作に問いを向けられた二人は、うなずきあう。

「ああ。骨が折れそうだが、頑張るか」

「そうですね。ミーナ様のためです」

 普段あまり仲がよさそうには見えない彼らだが、意外と息が合うのかもしれない。

 彼らを微笑ましく見守ってから、光貴とフレイは同時に立ち上がった。未だ驚愕に浸っていたらしい晴香が、わたわたと慌ててそれに続く。

「僕らはミーナのところだ。さっそく行こうか」

「よし、やるか」

「緊張するなあ……」

 兄妹の間に異国の公子という変な組み合わせの三人は、協調性のかけらもない言葉を各々こぼす。

 部屋にいた五人はその後、お互いに声を掛け合ってその場を後にした。

 光貴たち三人はその足でミーナの元へ向かう。廊下を無言で通り過ぎ、昨日見たばかりの扉の前に立った。そばに立つ衛兵が、緊張した様子で敬礼する。フレイは鷹揚に手を上げると、すぐにきっと前を見て正面の木を叩いた。

「ミーナ、入るよ」

 少しして、扉の向こうから小さな声が聞こえる。それは了承だったらしく、フレイは重々しくうなずいてから、二人を振り返ってきた。

 光貴は、固まっている晴香を一瞥してから首肯を返す。

 扉が開かれた。

 部屋は昨日とまったくと言っていいほど同じだった。違いといえば、昨日は閉め切られていたカーテンが開かれているということくらいである。ただそのおかげで、白い外の光が、部屋にうっすらと差し込んでいた。

 ミーナはやはり、寝台にいる。茫洋とした目は軽く見開かれ、入室した三人の方へ向けられていた。少年の声が、静寂を破る。

「おはよう」

「フレイ? それに、光貴も? どうして来たの」

「ミーナとお話するために来たんだよ」

 フレイがにっこり笑って言った。光貴もその隣でうなずく。

「でも私、何も覚えていないよ」

「覚えていないなら、これから思いだせばいいんだ。そうだろ?」

 首を傾けるミーナに、今度は光貴が言った。フレイが軽く目をみはっていることには気づいていたが、知らない振りをした。

――光貴にも、未だ戻らない記憶がある。だからミーナが苦しんでいることは分かっていた。

 覚えていないなら思い出せばいい。それは、自分に言い聞かせるための言葉でもあったかもしれない。

 だがミーナはそれを受けて、花のように微笑した。

 ただ、その背後に立つ晴香を見ると、また訝しげな顔をした。

「そちらの方は?」

 いきなり言葉をかけられたせいか、晴香が「みゃっ!?」と妙な声を上げる。光貴は、慌てふためく妹の背を叩き、前へ押しやった。

「俺の妹」

「き、北原晴香です! よろしく、お願いします!」

 同い年相手に直立不動でそう言った晴香は、硬い表情をする。

――すると、ミーナがぷっと吹き出した。よほど面白かったらしい。

「晴香さん。よろしくね。私より、お姉さん?」

「いえ、確か同じ年……です」

「そうなの?」

 ミーナが目を丸くする。それから「じゃあ、あなたもお友達」と嬉しそうに呟いた。

 光貴はそのとき、深い穴のようだった金色の瞳がかすかな輝きを帯びたのを、確かに見たのである。

 彼らはその後、いくつかの話をした。

 まずは国のことなど、ミーナが忘れてしまった基本的な情報。それから、話題は光貴たちの旅のことに及ぶ。フレイとミーナの双方が、彼らがここに来るまでの経緯を知りたがったのだ。

 兄妹は少し困惑しながらも、ざっくりとこれまでのことを語る。そのすべてが終わるまで、公子と少女は食い入るように身を乗り出し、熱心に耳を傾けていた。

「――とまあ、そういうわけで今、この国に来ているわけなんだ」

 光貴がそう締めくくると同時に、ミーナが小さな歓声を上げる。

「すごいなあ。そんなに長い旅をしてきたのね」

「面白い話だったよ」

 横からフレイにも、なぜか称賛された。面白い、と言われるような旅路だった気のしない兄妹はなんとも言えない表情で顔を見合わせる。だが、当人たちの評価などどうでもいいのか、それともただ単に気になるだけなのか、フレイは身を乗り出してきた。

「アレクにも会ってきたんだよね。元気だった?」

「ああ。……ま、そのときは王家がだいぶ混乱してたから、大変そうではあったけどな」

「そっかあ」

 ふむ、としかつめらしい様子でうなずく少年。彼はそのまま思案顔になったが、やがて何を思い出したのか、ミーナの方を見て笑みを浮かべた。

「そういえばミーナは、アレクのことが苦手だよね」

「そうなの?」

 反問は、晴香とミーナ自身が発したものだった。普通であればそのことに違和感を抱くだろうが、フレイはただ肯定する。

「うん。ちょっと見た目が怖いからかな。敬遠しているみたいだったね」

 ミーナは言葉を受けてうつむく。今度は、彼女が何かを考え込むような表情になった。そのまましばらく微動だにしなかったので、見かねた光貴は声をかける。

「あの、さ。無理しなくてもいいよ。自然と思い出せるかもしれないだろ?」

 優しい声に、少女が顔を上げる。金色の瞳は束の間揺らいだが、やがて笑みの形に細められる。

「…………うん。ありがとう」

 柔らかい微笑。だがそれは無理して作られたものであると、この場の誰もが悟っていた。フレイが手を叩いて声を上げ、話題を切り替えようとしたのもそれゆえだ。

「今は、暗い話はこの辺にしよう。ミーナ、彼らに質問があれば遠慮なく!」

「笑顔がむちゃくちゃ怖いんだが。何質問させる気だ」

「気のせいじゃない?」

 温和に見えて時折かなりきついことをするというフレイの性格を理解してきた光貴は、かれをきっとにらみつける。だが彼はのらりくらりとそれを交わした。

 ミーナがそれを見て小さく吹きだしたことに、二人は気付いていない。

「それじゃあ……光貴は何が好きなの?」

 笑いを引っ込めながら訊かれて、少年は虚を突かれたような顔になる。

「えっ? うーん……あんまりないけど、料理するのは楽しいかな」

 聞いていた若き公子が、横で意外そうな目をした。そして、晴香が身を乗り出す。

「お兄ちゃん、料理上手だもんねえ」

「おまえが下手なだけだ」

 幼い子供のような瞳で見てくる妹に、光貴は鋭い一撃をお見舞いする。

 晴香がそれに対して言葉を詰まらせると、部屋の中には堪え切れなかった笑い声が響いたのだった。


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