第二話 揺らぎ――2
通された部屋は、待合室と呼ばれるところだった。もちろん、今さらといえば今さらだが、光貴や晴香がとっさに想像するような場所ではない。長い机を挟みこむようにソファが置いてあるのはまだいいが、その茶色いソファは縁に豪華な装飾が施されていて、ところどころに金もちりばめられているようだった。机も輝かんばかりに磨き上げられた木製である。きれいな花や幾何学模様が描かれた絨毯はふかふかしていて、壁には有名らしい画家の絵が飾ってある。
ケインズに促され、四人はソファに腰かけた。晴香はいささか落ち着かないようだったが、光貴はさすがに慣れてきている。ラッセルたちのように泰然自若な態度をとれるほどではないが、とりあえずお行儀よく座った。
厳かに話が始まると、まずケインズは恐縮した様子で頭を下げた。
「まずは、此度のこと、誠に申し訳ありません。遠路はるばるいらっしゃったというのに……」
「お気になさらず。ミーナ様やあなたが悪い、ということはありませんから」
ノエルが少し慌てた様子でそう返す。確かに、記憶喪失はミーナの過失ではないし、ケインズの責任でもない。続けて少年が「頭を上げてください」と言うと、男は恐る恐るといった様子でそれに従った。
ラッセルがそれを見て、笑みを浮かべながら肩を下げる。それから、単刀直入に訊いた。
「一応お尋ねしますが、ミーナ様の記憶喪失の原因は判明していないのですか」
近衛隊長は悔しそうな表情でうなだれる。
「残念ながら、打つ手なし……という状況であります。情けない話です」
原因が分かっていれば苦労しないもんな、と胸中で呟いて光貴は視線を泳がせる。だが、ケインズはそこに意外な言葉を付け足した。
「しかし、私どもにはあるひとつの推論があるのです」
「推論?」
「ええ。ミーナ様の状況や、周辺の動向から導き出した仮説に過ぎませんが」
彼の言葉を反芻し、それから一同はわずかに身を乗り出す。ケインズの方も表情を引き締め、身を寄せた。そして声を潜めて「仮説」を告げる。
「この一件は、王宮の者の仕業ではないか、というものです」
光貴は息をのんだ。隣で晴香が「ええっ!?」と叫んでしまってから慌てて口を押さえている。異様な空気に包まれる中、ラッセルが苦い顔をして赤毛をかきむしった。礼儀がどうのというのは、この瞬間には吹き飛んでいたに違いない。
「どうしてそのような話に?」
「はい、実は……」
ケインズも苦々しそうに語る。身内に疑いの目を向けているようなものなのだから、快くはないだろう。
「かねてから、ミーナ様を排斥しようとする一派が宮中に存在していたのです。彼らは……そう、保守派とでも言いましょうか。そんな彼らにとって、あの方は煩わしいのでしょうな」
「煩わしいって……」
ふと違和感を覚え、光貴は思わず声を上げる。するとケインズは不思議そうに目を瞬いたが、やがて得心したようにうなずいた。
「『神聖王』様はご存じでないのでしたな。彼女――ミーナ様はもともと、商人の家にお生まれになったのです。つまり、『豊穣姫』として王宮にお上がりになる前は市井の者だったということです」
光貴ははっと目を見開き、晴香と顔を見合わせる。刹那、あのはかなげな少女の瞳が自分のもののように、脳裏に映った。
「その先はもうお分かりでしょうが……伝統を重んじる者たちからすれば、気に食わぬことでしょうな。庶民の小娘がいきなり国の頂点に立ったも同じなのですから」
「だから、排除してやろうと考える人たちが出てきた、と?」
言いようのない激情をぐっとおさえこんで光貴が問うと、近衛隊長は暗い顔でうなずいた。
「なんとしても犯人を捕らえ、そしてミーナ様のご記憶を取り戻さねばなりません。国のためにも、大同盟のためにも」
大同盟と聞き、咄嗟にアレクの姿が浮かぶ。光貴の存在がひょっとしたら同盟にさらなる綻びを生むかもしれない、と隠しもせずに指摘してくれた青年。少年は、彼に向けて、届かぬ言葉をそっと放った。
――もう、別の場所から綻びているみたいだ、と。
嘲りの感情が浮かぶ。だがケインズの手前、彼はそれを押しとどめた。飲み下された感情の数々は、ひとつの蟠りとなって胸に凝る。
「さらにこのところ、軍の一部が不穏な動きを見せております」
光貴が顔をしかめている間にも、ケインズは厳かに続けていた。それをノエルが神妙な表情で受けとめる。
「その軍の一部というのは、もしかして反『豊穣姫』派の者たちですか」
「ええ」
四人はそれぞれに視線を交差させた。これはひょっとするとひょっとするかもしれない、と誰もが思っていたことだろう。やがて全員が何事もなかったかのように正面へ向き直ると、ラッセルが妙に恭しく頭を垂れた。
「隊長、私たちに犯人捜しを手伝わせていただけないでしょうか」
案の定、ケインズは目を丸くした。驚いているようにも、慌てているようにも見える。そのうち困り果てた様子で、手を振った。
「ありがたい申し出ではありますが、他国の使者のお手を煩わせるわけには……」
「気を使わなくてもよろしいんですよ。僕たちがやりたいというだけの話ですから」
彼の様子にノエルが苦笑する。
「私も! できることがあれば手伝います!」
続いて、晴香が元気よく手を挙げる。先程までの緊張を忘れ去ってしまったかのような明るさだった。
ケインズは、複雑そうな顔をしていた。喜ぶべきか断るべきか、という心情がありありと感じ取れる。光貴は少し肩をすくめて、それから微笑んだ。
「どのみち、ミーナの記憶が戻らないことには話し合いの場も設けられません。だから今回のことは、俺たちが俺たちのために申し出たと解釈してくださって結構ですよ」
努めて声音を穏やかにしたが、実際は畳みかけているも同然だ。ケインズは言葉に詰まっていたようだが、四人の顔を順繰りに見回すと、やがて深いため息をつく。
その顔は呆れているようにも、安心しているようにも見えた。
「そこまでおっしゃるのであれば、協力していただかないわけにはいきませんな」
あえてそのように言った彼は、いつかのようににやりと笑う。釣られて、四人もそれぞれに笑みを返していた。
この後、簡単な打ち合わせが行われた。国王陛下に許可を取らなくても良いのか、とラッセルが問うと、ケインズは「今はご公務がお忙しいかと」とだけ返した。つまり、事後承諾でも問題ないと言っているようなものである。
どこかゆるい話し合いの結果、ラッセルとノエルはケインズらと共に王宮内の不穏な動きを探ることに。そして光貴と晴香は、記憶の戻らないミーナに寄り添ってくれと頼まれた。
「もしかしたら誰かと接するうちに、記憶が戻るかもしれませんからね」
ノエルは柔和な笑顔で言っていたが、実際のところ放置しておくのは心配なのだろう。二人は素直にうなずいた。
こうして各々の役割が決まり、五人はそれぞれに談話室を出る。光貴は一行の中でも最後の最後に外へ出た。
白い廊下はどこまでも伸びているように感じられる。それは気の遠くなるような永遠と同じで、光貴にむなしさを抱かせた。だが、余計な思考に浸りそうになった彼はそこで大きく首を振り、晴香とノエルの背中をそっと追いかけだす。
だがそのとき、腕をむんずとつかまれた。
「うおぁっ!?」
反射的に大声を上げてしまう。すぐに周りを見渡して、自分たち以外誰もいないことにほっとした。それから後ろへ大きく身体を逸らされながら振り返り、瞠目する。
「どうも」
不機嫌そうに、赤い髪の少年が立っていた。
「あんたは……」
光貴は、一時間ほど前のやりとりを思い出してさっと青ざめた。だが、当のフレイの方に攻撃の意思はないようで、ただふくれっ面で光貴の腕をつかんでいるままである。その彼は、前方を行く人々が振り返ると顔を上げた。
「フレイ?」
「やあノエル、久々だね」
『預言者』の少年の訝しげな表情を歯牙にもかけず、フレイはにっこり微笑んだ。それから軽く、つかんでいる腕を引いた。しかし体重の差のせいか筋力のせいか、光貴はびくともしない。
「ちょっとこの人、借りていっていい?」
「人を物みたいに言うなよおまえ……」
微かな怒気が滲む笑顔に、光貴は注意を投げかける。途端にぎろりと睨まれたが、彼は逆に睨みかえした。
奇妙な関係になりつつある二人を、ノエルはなんともいえない顔で見やる。だがその後、「光貴さんは平気ですか?」と聞いてきた。一行の都合というよりは光貴の心情を優先するつもりらしい。彼が引きつった笑みを浮かべると、ノエルは不安そうにしながらも了承し、去っていった。
その後、光貴はフレイの後ろへついていく格好となった。似たようなことが以前にもあった気がするが、あのときと今とでは状況が大きく違う。どうしたものかと悩んでいるうちに、少年は足を止めて振り返った。
「で、どうだったの?」
唐突に訊く。光貴は一瞬その意味をはかりかねたものの、すぐにミーナのことだと分かって首を振った。
「いや、あれは記憶が戻らない限りどうにもならないですね」
「やっぱりね」
対するフレイがうなずく。今度の瞳に激情の色はない。
「だから、彼女の記憶を取り戻す手伝いをすることになった」
続けて光貴がそう言うが、フレイの瞳は静かなままである。だが、驚きに眉が跳ねたのが分かった。少年は仕方なく『叡智王』に先程の話し合いのことを語って聞かせる。相手は黙って聞いていた。そして光貴が淡々と締めくくると、ため息を漏らした。
「なるほどね。話は分かった」
呆れるような響きを伴った声に光貴は複雑な思いを隠しきれず、顔をしかめる。だが、続くフレイの言葉のおかげでそんな思いは長続きしなかった。
「僕もそれに協力しようか」
唐突に放たれた言葉に、すぐには反応できず呆然とする。だが、すぐに「はあっ!?」と叫んで身を乗り出した。フレイはそれを見て身を竦めたが、すぐ開き直ったかのように堂々としたたたずまいに変化した。
「僕だってミーナのことが心配だからね。それに僕の目的もまた『豊穣姫』との話し合いだった。君たちの話とは恐らく違うだろうけど、なんの関連もないというわけでもなさそうだし」
それに、と言って彼は目を細める。これまでと違い、どこか無邪気な笑顔だった。
「昔からの知り合いがそばにいた方が、記憶も戻りやすいんじゃないかな」
光貴は沈黙した。呆れたからでも、答えに窮したからでもない。この、自分より幼い守護天使がひどく無理をしているように見えたから。
期待するように見つめてくる赤い瞳。その裏には、憎悪と悲哀と逡巡、あらゆる感情がないまぜになっている。しばらくそれとにらみ合いを繰り広げた光貴は、やがて決意をするかのようにしっかりとうなずいた。
「――なら、協力してくれませんか?」
相手の顔が輝いた気がした。フレイは身を乗り出して確認をし、光貴がもう一度うなずくのを見ると、胸の前で拳を握る。それから慌てて居住まいを正した。ありがとう、と小さく礼を述べたあと、仰々しい態度で胸に拳をあてる。
「では、改めて――我が名はフレイ・エル・ステアーズ。ステアーズ公国が公子にして、豊穣の守護天使。あなたの力がどれほどのものか、しかと拝見させてもらおう」
光貴は目を丸くしたが、やがて意地悪く笑うと頭を下げた。
「私は北原光貴。神聖の守護天使。若輩の身なれど、この身を粉にして事件解決に努めてまいるゆえ、ご指導願いたい」
慇懃な言葉は、思いのほかすんなりと口から出てきた。顔を上げた光貴はフレイが吹きだしていることに気づいて自らも失笑した。
あまりにも小さすぎる一歩はしかし、お互いにとってかけがえのないものとなったのである。




