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King of Light  作者: 蒼井七海
第三章 遠い日の欠片
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第一話 大地と豊穣の国――3

 ひとしきり観光をしたあと、市場を抜けた三人はひとつの喫茶店にとどまっていることにした。四人程が卓を囲める席を確保したあと、ラッセルは「風に当たってくる」と言って外に出ていってしまったため、今向かい合っているのは光貴と晴香の兄妹である。

 晴香がぼんやりと壁の絵を見つめていると、向かい側から声が聞こえてきた。

「おーい、晴香ー。どうかしたのか」

 視線を下ろしてみると、果物のジュースが入ったグラスを手にしている兄がひらひらと手を振っていた。晴香は力なくかぶりを振る。

「なんでもない」

 言ってから、自分も果物のジュースに口をつけた。柑橘類のすっぱい味が口に広がった。少しだけ舌で唇をなでたあと、晴香は再び虚空に視線を投げる。

――『豊穣姫』さんは、ノエルにえらい懐いてんだよ。

 ラッセルが面白そうな声で放った言葉は、観光の間、何度も晴香の脳裏にこだましていた。そして、今も。

 別に何が特別というわけではない。守護天使と彼の間には大抵何かしらのつながりがあるという話は前にも聞いたから、そういうこともあるだろうと思っていた。しかし、実際そんな事実に直面すると、どうしようもなく胸がざわつく。

 いったいなんなんだろう。考えて、無性にうずくまりたくなった。そして懸命にそれをこらえている彼女は、向かいにいる少年が顔をしかめてグラスを置いたことに気づいていない。

「あのさあ、晴香」

 呆れを含む声に、晴香の意識が引き寄せられる。彼女の視線の先で光貴が姿勢を正していた。

「おまえ、絶対なんか悩んでるだろ」

「なんでもないって言ってるじゃん」

「嘘だ」

 いらだたしげに返した晴香はしかし、それ以上の苛立ちがこもった否定を浴びて硬直する。光貴がため息をついた。

「おまえ、街を見て回ってたときも後半ずうっと心ここにあらずみたいな状態だったんだぞ。自覚ないだろうけど。そんなんで『なんでもない』って言われて誰が信じるか」

 晴香はつい頬をふくらませる。そして、そっぽを向いた。なぜか追及されるのが気に食わなかった。

 しばらく二人は無言で、どちらも動かなかったが、やがて光貴が肩をすくめると、グラスの中の果汁を煽る。そして、空になったグラスをやや乱暴に置いた。

「ラッセルの奴、遅いな」

 ちらと窓の外を見てそう言うと、立ち上がった。そして晴香を振り返る。

「ちょっと俺、様子見てくるわ」

「うん」

 あえてつっけんどんに返事をする。それに対して言葉はなかった。耳に馴染んだ足音が遠ざかっていく。

 やがてそれが雑踏の中に消えていくと、晴香はため息をついた。

「何やってんだ私……」

 前髪をくしゃりとつかみ、うなだれる。

 今さらながらに、自分の子供っぽさを呪った。見透かされたからといってやつあたりしても関係を悪化させるだけだというのに、あんな態度で接してしまったのだ。

 再び深いため息をついた彼女は、頬杖をつく。空っぽのグラスを見つめると、そこに気だるげな黒茶の瞳が映った。

 ふと、脳裏に『預言者』の少年の申し訳なさそうな顔がよぎる。出会ってすぐのころはいつもそんな顔をしていたな、と思い出した。だがいつしか笑顔を見せるようになってくれて、時には頼もしく感じられることさえあった。名前を褒めてくれたのも嬉しかった。

 あのときの笑顔に、どうしようもなく心が躍って――。

「ああもう、なんなのよ」

 訳の分からない気持ちがどんどん渦巻いていくのを感じ、晴香は今度こそテーブルに突っ伏していた。手元にあるグラスには黄色い果汁が半分ほど残っている。


「よう、光貴」

 外に出て辺りをきょろきょろと見回していると、なぜか上から声がかかった。ぎょっとして顔を上げると、近くの木の枝に腰かける赤毛の青年の姿が。彼がにやりと笑うのを見て、少年は肩をすくめた。

「それ、街の人に見られたら怒られるんじゃねえ?」

「街の人は怒らないだろ。上の人間は知らないけどな」

 からからと笑ったラッセルは、ひょいっと木の上から飛び降りる。枝が派手に軋んだが、光貴は見なかったことにした。

「で、どうしたんだよ。妹と喧嘩でもしたか?」

 腕を回しながらラッセルが聞いてくる。光貴は低くうなって腕を組んだ。

「喧嘩はしてない。けど、なんか機嫌悪そうだったから逃げてきた」

「おお、賢明だな。気が立った女は怖い。俺、何度一緒に食事してた女に二股と間違えられてえらい目にあったか分からないぞ」

「自業自得だ馬鹿野郎」

 へらりと笑うラッセルにそう吐き捨てた光貴は、先程彼が上っていた木に背を預ける。そしてふと、顔を上げた。

「……なんかちょっと意外だな。女遊び好きなの?」

「人聞きの悪い言い方すんなよ。しかも意外なのか」

 ラッセルは目を細めて言う。その反応に、光貴は少し悩んでから答えた。

「だって、今まで無節操なところなんてなかったから」

 すると、相手は鳶色の瞳を見開いた。なぜか分からないが驚いているらしい。彼はそのまましばし硬直して、それから「そうか?」と呟いた。困ったように頭をかいてはいたが、その目は笑っていた。

 光貴は青年の反応に小首をかしげる。相変わらず、よく分からない人だと思った。

 ただ、そんな疑問は存外長続きしない。彼は全身に覚えのある気配が駆け巡るのを感じて顔を上げた。同時に、ラッセルが声を上げる。

「お、ノエルの魔力感知。なんか知らんがすごい勢いでこっちに来てるな」

「これが魔力か」

 宮廷魔導師のおどけた言葉により気配の正体を知った光貴は、自らの掌を見つめて呟く。だが、のん気なことを言っている場合ではなかった。すぐに、凄まじい足音と叫び声が聞こえたのだ。

「お二人とも!!」

 澄んだ少年の声がいきなり耳朶を打つ。ラッセルは、ものすごい形相で走ってくるノエルを半眼でにらんだ。

「大声出してどうしたんだよ、緑君」

「い、今すぐ」

 そこまで言って二人の前に着いた彼は急停止し、そしてラッセルを厳しく睨み据えた。

「今すぐ晴香さんを呼んで、王宮に行きます! 『豊穣姫』――ミーナ様が、大変なことになっているらしいんです!!」

 目をいっぱいに見開いて、必死の形相で訴える。見たことない彼の取り乱した様子とその発言に、光貴とラッセルは顔を見合わせた。

 鬼の形相のノエルに急かされた光貴は、大慌てで晴香を呼んだ。そして四人でアルド・ゼーナ王宮に向かう。通行人からは時折好奇の目で見られたが、それ以上のことは起きない。やがて王宮に着いた彼らを出迎えたのは、一人の男だった。

 おそらく四十歳くらいだろうと思われる、黒髪の男。精悍な顔つきで、口元にひげが生えている。筋肉質の体を鋼の鎧が覆っていた。彼は目をつぶって、丁寧に頭を下げた。

「ようこそいらっしゃいました、皆様。私、近衛隊長のケインズと申します」

 慇懃な様子に光貴と晴香は面食らうが、残る二人は慣れているのか話を勝手に進めていた。

「お久しぶりです、ケインズ隊長。……いきなりで申し訳ありませんが、ミーナ様に何があったのですか?」

 珍しく丁寧な態度でラッセルが問いかける。顔を上げたケインズだが、その眉は下がったままであった。

「それは――私の口から説明するよりは、実際にお会いしていただいた方が早いかと」

「では、案内してもらえますか」

「ええ。しかし、あまり大人数で見えるのはよろしくありません。二人が限度ですな」

 どういうことだろう、と兄妹は無言のうちにやり取りをする。ラッセルも眉をひそめていた。ノエルの瞳も訝しげに曇る。代表して、彼が口を開いた。

「なぜです?」

 するとケインズは用心深く辺りを見回し、いくつもの人影を見つけると深くため息をついた。

「申し訳ありませんが、ここではお話しできません」

 吐息のような言葉が返ってくる。

 一同はしばらくの間、深く黙り込んだ。だがやがて、ラッセルが何度かかぶりを振ってから前に出る。その際、光貴の肩をがっしりとつかんだ。

「分かったよ。じゃあ、俺と光貴で行く」

「え、俺も!?」

「あったりまえだろー、『神聖王』」

 ラッセルの言葉にぎょっとした光貴だったが、その言葉にかえって打ちのめされ、沈黙した。

 ケインズは目の前の少年の肩書きに少なからず驚きを示したようであったが、すぐに真面目な表情を繕った。

「分かりました。では、こちらに」

 そう言って身をひるがえす彼のあとを二人は追う。

「そんじゃー二人は適当なとこで待っててくれ。頼んだぞ、ノエル」

 光貴の横ではラッセルが、実に明るい調子でそんなことを言っていた。小さなため息が聞こえた気がしたが、少年はあえて聞かなかったふりをした。

 ケインズを先頭に、三人はしばらく長い廊下を歩いていた。壁のあちこちに金色の装飾があしらわれていて、見ているだけでも目が痛くなりそうである。そのため光貴は、なるべくそびえ立つ柱などを見るようにしていた。

 やがて、ケインズの足が止まる。

「ここから少し行くとミーナ様のお部屋です。ラッセル様はご存じですな」

「はい」

「普段ならばこのまま行ってしまって問題ないのですが……今は状況が状況なので、警備の者と相談をしなくてはなりません」

 振り返り、厳しい声でそう告げたケインズの顔を、ラッセルはしばらくまじまじと見ていた。だがやがて、ふと一瞬だけ目を逸らしてからこう言った。

「それじゃあ、俺も一緒に行きましょう。その方が相談も素早く進むでしょうから」

「ありがたい」

 ラッセルの申し出に、ケインズが苦笑を漏らす。目もとに優しげなしわが刻まれた。だがそれはすぐに消え、彼は淡々とした口調で「では」と切り出した。

「『神聖王』様はいかがいたしましょう」

 あー、と漏らしたラッセルが光貴の方を振り返ってくる。彼は気だるげな瞳を見て相手の思考を察し、おもむろにうなずいた。

「いきなり俺みたいなのがひょっこり行っても怪しまれるだけだろ。その辺で待ってるよ」

「悪いな。あ、大人しくしとけよ」

「分かってるよ……」

 どうしてそういうときは妙に子供扱いなのかと気にしつつも、光貴は肩をすくめた。だがラッセルは笑うだけで大して取り合わず、そのまま背を向けてしまった。振り返ることをせず、手だけ上げた彼に対し光貴も意味もない手ぶりで返す。

 やがて、何事か会話をしながら歩いていくラッセルとケインズの姿が完全に見えなくなると、光貴は辺りを見回した。そして、壁際に小さなソファが置いてあるのを発見する。彼はそこにすとんと腰かけ、すぐ顔をしかめた。ソファ自体は茶色だが、肘掛や脚の辺りに黄金色の装飾があしらってあって妙に落ち着かない。そのため中央にちんまりと座っておくことにした。

 そうして座ること数分。装飾を眺める以外にすることがなくて暇になった少年は、行儀が悪いと分かっていながら両足をぶらつかせてみた。

 だが、それで何が変わるというわけでもない。すぐに飽きた彼はため息を漏らして足を元の位置に戻すと、両手を組んで大きく伸びをした。

 そのとき、遠くから足音が聞こえてくる。仲間の誰のものでもないそれに、光貴は動きを止めた。伸ばしていた両腕を下ろして姿勢を正す。

「なんか慣れないな。こういうの」

 誰にともなくそう呟いた彼は、その姿勢のまま待った。

 足音は少しずつ近づいてくる。規則的なリズムが、だんだん大きくなってきた。表情は自然とこわばり、背筋は凍りつくように伸びる。

 やがて廊下の先に人影が見え、それはたちまち明瞭になった。光貴は驚きに目を見開く。

 やってきたのは、十代になったかなっていないか、という程度の少年だった。ラッセルのものとはまた違う、燃えるように赤い短髪が揺れる。その下で力強く、滅多に見ない赤い瞳が輝いていた。一見のんびりと散歩をしているようであったが、表情はやや張りつめていた。

 そして少年は、光貴の前を通りかかる。彼は息をのんで、相手が去るのを待った。しかしここで彼は軽く瞠目する。

「あれ……」

 思わず、ごくごく小さい声を漏らしてしまった。

 少年が通り過ぎようとするその瞬間、まるで風のように、不思議な感覚が彼の肌をなでたのだ。魔力に近い、それでも普通の魔導師から発されるものとはまるで違う力。

 炎のように熱く、だが穏やかで、知らぬ間に緊張を和らげていくものに、彼は吸い寄せられていく。

 はっと気づいたとき、少年の真っ赤な瞳がこちらを見ていて、光貴はしまったと思った。だがそれは向こうも同じだったようで、視線が合ったと気付くやいなやぎょっとした表情で数歩後ずさりをした。

「ご、ごめんなさい!」

「ああ、いえ。こちらこそ……」

 大慌てで手を振る少年に対し、光貴も深々と頭を下げる。

 これで相手が何事もなかったかのように立ち去ってくれれば――と密かに願っていた光貴だが、どうもそうはいかないようである。顔を上げたとき、相手はまだそこにいた。

「あの、何かご用ですか?」

 光貴はできるだけ丁寧な対応を心掛けて、問いかけた。自分より年下の子供といえども、こんな場所をうろついているからにはただ者ではあるまい。

 一方、そんな少年は光貴をしばらく睨むようにして眺めていたが、やがて顎に手を当てて少し首をひねった。

「この魔力、すごく懐かしい。変だ」

「は?」

 彼の呟きの意味が分からず、今度は光貴の方が首をひねる。すると少年は直立不動の状態になり、大真面目な顔で訊いてきた。

「君は、ピエトロの『神託の君』なの?」

 相手の口から飛び出してきた思いもよらぬ問いかけに、光貴はしばらく言葉を失った。


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