第一話 邂逅と変動――4
「……そなた、東の者か? 顔立ちがエクティア地方の者とは少し違うな」
いきなりそう問いかけられ、晴香の思考は急停止した。しかし彼女の中に存在する理性がそれではだめだと声高に叫び、脳みそを高速回転させる。その結果出てきた台詞は、今まで何度も口にしてきた説明文。
「いいえ、生まれは王国です。母が陽国の者なので、その影響かと」
情けないことに、声は上ずっていた。だが幸か不幸か、アルバート王は気にする素振りを見せない。
「なるほど、陽国か。いきなり変なことを訊いてすまなかった」
「お気になさらないでください。よくあることですので」
この頃のエクティア地方では、移民というのは珍しいことだった。手続きも時間がかかる国が多く、ピエトロ王国はその代表格でもあった。だというのにわざわざそんな手間をかけてまで王国に移り住んだ美雪には相当な情熱があったのだろう。好きになった異性に対して注ぐ情熱が。
国王とその後いくつかの言葉の応酬をしたが、そのどれもがたわいのない話であった。そうして五分くらいが過ぎた頃。ようやく王の表情が改まる。
「それでは、そろそろ本題に入ろうか」
この一声でノエルと晴香の表情が引き締まる。そしてアルバート王の話は質問で始まった。
「晴香よ。この国が現在、守護天使の空白期である、ということは知っているか?」
「え? ええ、ノエルさんからうかがいました」
晴香は言いながら、表情をまったく変えないノエルの方をちらりと見た。そしてすぐに王へと向き直ると、彼の言葉が返ってくる。
「それはよかった。このような事情があるから、私は長い間『神託の君』を待ちわびていたのだ。しかし……まだ安心はできないと思っている」
突然鋭くなった国王の眼光。それにたじろぎながらも、どうしてそんなふうに言うのか晴香は理由を考え始めた。そしてすぐに思い当たる。
「まだ、私が王国の『天使』であると確定したわけではないから、ですか?」
『我が国の守護天使――またの名を“神聖王”――その人となっている可能性がある存在のこと』。応接室で話していたとき、確かにノエルはそんな説明をしていた。つまり、自分は未だ『神託の君』であり『天使』ではないのだ。多少縁があり、力は持っているにせよ。
早い段階でそこに辿り着いたことに驚いたのか、王は一度目を見開いたが、やがては穏やかに微笑んだ。
「これは、なかなかに聡い娘だな。感心したよ。――そう、まだおぬしが『天使』であると確定したわけではない。そこでおぬしの力を証明する試練を潜ってもらう必要があるのだが、これは知っているか?」
思いもよらぬ単語が出てきて、晴香は目を白黒させてしまう。
「……? いいえ。なんですか、その物騒な感じ」
ちなみに、「いいえ」以降は小さな小さな呟きの声である。
晴香の聞こえている限りでは簡潔な返事を聞くと、王が途端に呆れた顔になり、その顔をノエルの方へと向けた。
「なんだ、ノエル。それは教えていなかったのか?」
「はい。その段階ではまだ晴香さんが『神託の君』であることを受け入れてくださるかどうか分からなかったものですから、基本的なことしかお教えしておりませんでした」
「そうか」
ノエルの返答に一応は納得をしたらしい王は、一度うなずいた。すると今度はノエルの方が問いかける。
「して、試練の内容とは?」
この問いかけをする瞬間ノエルの視線が冷たくなったように、晴香には思えた。最初の断りのときもそうだったが、どうも晴香を危険にさらすことを良しとしないらしい。ありがたくはあるのだが少し怖い。
苦笑したこの国の主はしかし、すぐにその内容を告げようとはしなかった。
「その前におまえに頼みがあるのだがな、ノエル」
なんでしょう、と緑髪の少年があくまで冷静にうながす。
「そこにおる晴香は知らぬことだと思うが、先日『夜空の首飾り』が紛失する事件があっただろう。アレの捜査に向かってほしいのだ」
あっ、と声を出しかけたのを晴香はどうにかこらえた。今ここで余計なことを言ってしまっては、最悪ライルの身が危うくなる。これが真の友情かと問われれば首をかしげざるを得ないが、今はとりあえずやり過ごすことにした。
その間にも、二人の会話は続く。
「捜査……。わざわざ私にご命令なさるということは、宝のありかと犯人の目星はついているということなのですね?」
「ああ。調査の結果、犯人とその居場所を割り出した。情報は全部やるから、どうにか宝を取り戻してはくれまいか」
「かまいませんが、どうしてそこまで分かっていながら国から兵を出されないのですか?」
「それは――国軍が出しゃばって、どうこうできる相手ではないからだ」
会話という言葉の応酬に終止符を打った一声。これを聞いたノエルの表情が変わった。
「陛下、まさか……」
さすがにここまで来ると、晴香も事態をのみこんだ。今回、王が自分にやらせようという試練とは。
「そのまさかだ。晴香には、ノエルのサポートをしてもらいたいと思っている」
王のいっそ冷徹ともいえる一言に、晴香は素早く反論した。ノエルも後に続いてきた。
「し、しかし陛下! 先程ノエルさんが仰たように、私にはなんの力もありませんよ!?」
「そのとおりです! いくらなんでも」
「大丈夫だ」
水を打つような声に、二人はすぐ押し黙ってしまう。見れば、王の表情はいやに穏やかだった。
「仮におぬしが『天使』でないからと言ってだれも責めはせぬし、見殺しにするつもりもない。大事な一国民なのだから」
晴香は思わず、呆然と国王を見返してしまった。
どこまでもまっすぐ。王の言葉に抱いた印象はそれだった。アルバート王は良き王として知られているが、それがうわべだけではないということがよく分かった瞬間だったかもしれない。
彼は何よりも自国の民を大事に思っているのだ――心の底から。
だとすれば、それに答えない理由はないのではないか。たとえ、『神託の君』であろうとなかろうと。
「で、ですが……」
だから。
「分かりました、行きます」
「は、晴香さん!?」
いきなり、それもあっさりと王の申し出を了承したことに対する驚きと非難のまじった声が、ノエルから上がった。晴香はいつの間にかひざまずくのをやめ、彼の方を向く。
「ごめんなさい、心配だっていうのは分かるんですよ。でも私、やりたいんです。せっかく私にしかできないことがあるっていうんだったら精一杯やりたい。だめ、ですかね?」
言って、ノエルの方をじっと見つめる晴香。逆に、晴香を見つめ返すノエル。
茶色と緑の瞳が、その視線が、しばしのあいだ交差した。
それにより湧きおこった静寂を打ち破ったのはひとつのため息。呆れ顔のノエルのものだ。
「分かりました。では、ともに行くことにしましょう」
結局、折れたのは彼の方だった呆れながらもどこか嬉しそうな少年の顔を見て、晴香も目を輝かせる。
「あっ、ありがとう」
お礼を口にしてしまっていた晴香は、少年の顔を見てから王の方を見た。その王は、孫を見る老人のような顔をしていた。
「どうやら話はまとまったようだな。ところでノエル」
「なんでしょう」
問うたノエルに対しアルバート王はどこか人の悪い笑みを浮かべてから言う。
「もし不安があるようならば、北方の町フィロスでラッセルと合流するがよい」
知らない名前が出てきて晴香は首をかしげたが、ノエルが露骨に顔をしかめたところを見ると、どうやら彼とはあまり良好な関係を築けていない人物らしいと言うことは分かった。
「ラッセル、ですか。どうしてここで彼の名が?」
嫌そうな顔で問いかけるノエルに対し、王はあっさりと答える。
「実は、フィロスの方から正体不明の魔力が観測されたとの報告があってな。あやつを、そこの調査に向かわせているところなのだよ」
「……!? お言葉ですが、陛下。彼に調査のたぐいは不向きなのでは? 優秀な宮廷魔導師であることは認めますが」
ノエルの台詞のおかげで、晴香はそのラッセルとかいう者の人物像をおおよそ把握し、そりゃノエルさんとはそりが合わないだろうな、と思って苦笑してしまった。
王も苦笑していた。
「心配には及ばんだろう。あやつも、やるときはやる男だ。おどけながらだがな」
「そこが心配だと申しているのです」
その後もしばらく論争が続いたが、結局はノエルが王に無理矢理丸めこまれるかたちで終息してしまった。このとき、晴香はノエルの不満そうな表情を初めて見た。
「……さて。これでこちらが手はずを整えれば、いつでも旅立てるな」
満足げに微笑む王は、なんだか悪戯を成功させた子供のようだった。
「はい。ですが、一つ問題が」
安心する王にそう返したのはノエルである。何かな、と主に問われた彼は頭をくるりと晴香の方に向けた。
「しばらく話してみて分かったのですけれど、晴香さんは魔法には縁がないですよね」
「そりゃあまあ……。魔法なんていっさい関係ない飲食店の雑用ですし」
別に答えをためらうような内容でもなかったので、あっさりと答えた。だが意外にもそこで王が険しそうな顔をした。いかにもわざとらしい、険しそうな顔を。
「確かにそれは問題だな。何せ『夜空の首飾り』は立派な魔法の道具なのだから」
「え?」
晴香が疑問の声を上げるも、誰も取り合ってはくれない。
「と、いうわけで。晴香さん」
その代わり、横に立つノエルが立ち上がって、満面の笑みを浮かべていた。
「これから旅立つまでの期間は、お勉強の日々ですね」
「――え?」
先程とまったく同じ言葉を紡ぐ少女の間抜けな声が、広い部屋にこだました。
誰も知らない場所で、『彼』は眠っていた。
それがいつからだったか、『彼』自身はもう覚えていない。というより、眠っている状態なので思い出すことすらできずにいた。ただ分かるのはそれが人間にとってそこそこ長い時間であるということだけ。
『彼』が眠っている場所を一言で表現するならば、石――であった。壁も石、床も石。灰色に埋め尽くされた空間は人が入ったならば凍えそうなほど寒々しい印象を持たせている。
更にその部屋は暗く、だがそのわりに広かった。部屋を支える石柱のいくつかは倒れ、ところどころに緑のこけが生えている。かなりの間放置されていることがうかがえ、同時にそこは非常に虚ろな存在となっていっていた。
だがその代わり、暗闇で育つ珍しい花がその美を惜しみなく披露していた。その姿は、どこかさびしげである。
『彼』はその部屋の奥の方で、一人で眠っている。これまた『彼』自身の知らぬところだが、その存在はだれにも気付かれなかった。元々ここに入ってくる人が少ないせいもあるが、入ってきたとしてもその者に姿を見られないような施しがしてあるからである。
その施しは、今もなお破られてはいない。
だから、『彼』は、時が来るまでこのままずっと眠り続ける。そのはずだった。しかし、この部屋の異常に気付く者は「予定」より早く現れることになる。それを察したのか、この日――『彼』の腕はわずかに動いた。ぴくりと、だが。まるで助けを求めるかのように、動いたのである。
しかしながら現時点では、『彼』に施しをした者も、ましてや晴香やノエルも、そのことをまったく知らずにいた。
このささいな一事が、世界の命運を左右する出来事であるにもかかわらず。