第五話 出発のとき――2
アレクと二人で会って話をするのはこれが二度目である。ただ、国政が関わっていない分、前回よりは気が楽だった。しかも場所は、宮殿の廊下の曲がり角に置いてある椅子の上だ。
「いやあ、なんかあっという間だったなー」
爽やかというよりは軽い印象を持たせる声を上げて、アレクが笑う。光貴はそれになんとも言えない気分で苦笑を返した。
長い道程を経てのジブリオ入国。それからの数日間は確かに嵐のようだった。初めて訪れる国は光貴にとって、なぜか非常になじみ深いものとなっている。
「今度はアルド・ゼーナだな。張り切っていかないと」
「おう。周りがどんな顔するかは知らんが、あそこの嬢ちゃんは話が分かる。安心していつものおまえを晒せ」
「……なんかひどい言い方されてる気がするんだが」
げんなりとして光貴がそう応じると、アレクはまた快活な笑い声を上げた。
守護天使だということをまったく気負っていないように見える姿。重責の中で笑う彼を見て、光貴は今まで封じられていた疑問が首をもたげてくるのを感じていた。
心持ち姿勢をただして、口を開く。
「そういえば、さ。アレクはなんで『生命王』になったんだ」
反問の声はなかった。アレクはただ、少し考える振りをしたあとにぽつりと呟く。
「ああ。おまえの話だけ聞かせてもらうっていうのも、不公平なことだよな」
それが数日前の飲食店でのやり取りを示しているのだと気付くのに、少しの時間を要する。光貴が理解したときには、アレクは語りだしていた。
「フレッチャー家って言うのは、元々エクティアから流れてきた行商人の一家だったらしい。それが縁あってジブリオ王家に仕える者たちの家となった。俺も『天使』の力が目覚めるまでは、宮殿の騎士か城勤めの文官もしくは武官としての道を歩む予定となっていた」
そして、それどころではない事態となったのが、アレクが十代に入ってすぐのことだったという。
「きっかけは些細な出来事だったよ。たまたま魔法の練習をしていたら風の魔法を使えるようになって、そばにいた魔導師が『魔力が違う』と言った」
「魔力が、違う?」
慣れない言葉を反芻すると、アレクは「詳しいことはラッセルに聞いてもらうとするが」と前置きした。
「どうも、一般的な魔力と『天使』の魔力は質が違うみたいだな。魔導師にはその辺が分かっちまうというわけだ。――そして検査の結果、俺が『生命王』の力を継承した者だということが判明した」
それは、先王の政治において窮地に立たされていたジブリオの上層部にとってはこれ以上ない朗報となる。
「ほかの守護天使の立会のもと、俺は『生命王』の座を継承した。これのやり方はお国によって違うから、俺のを聞いても当てにならんぞ」
それこそお国柄というものや、『王』ないし『姫』の属性によって変わるらしい継承方法。だとすれば、『神聖王』は如何にしてその座を継ぐことになるのだろうと、ぼんやり考えた。
アレクの話が続く。
「座を継いでからの生活は一変した。住む場所こそ変わらなかったが、学ぶことが変わった。政治だけじゃない。神学や宗教、そして歴代守護天使の話や同盟国のこと。まあ、変わったというか増えたという感じだな。で、少し大きくなった頃に当時まだ王女だったナランツェツェグ様と引き合わせられた」
男子であるセルジブデとの面会より先にナランツェツェグと会うことになった理由としては、彼女が長子であったということも大いにあるが、先王の様子を見るだに彼女が王として即位する可能性が高かったというのが最ものそれである。
今思うとそれが今回の件の一因だったかもしれない、とアレクは呟いていた。
「当時からなんか無駄に堂々としたお方でな。女王ならそれくらいがちょうど良いんだろうけど、俺としては気味の悪さを覚えることもあった。……ああ、気味悪いと言えば、座を継いですぐに会ったラッセルもだったな」
「へえ」
話の中で出てきた意外な名に、光貴は声を上げる。
「あの頃のジブリオは特にピエトロと仲良かったから、ちょくちょく使者が派遣されてきてた。俺の即位時期がたまたまそこに重なって、ラッセルと会うことになった」
なるほど、それなら不思議はない――そう思って光貴が首を傾けると、アレクは少し面白そうな顔になった。
「でも、なんで気味悪いになるんだ? 変な奴なら分かるけど」
「だってあいつ、最初俺に敬語使ってきたんだぞ。まあ当然といえば当然だけど、怪しさ満点だったね」
彼がアレク相手に敬語を使う姿を想像してしまい、光貴は苦い顔で沈黙した。
あの宮廷魔導師には悪いが、そういった振るまいは彼には似合わないように思う。だが、真剣に考えてみれば、彼にもそう言う振る舞いが必要とされるときがあるのだろう。そして、それが自然とできてしまう。
――相手がどう思うかはともかくとして。
「でまあ、いろいろやってるうちに『生命王』なんて呼ばれるのにも慣れてきた。そうしているうちに、陛下がご即位なさったんだよ」
「だけど色々と因縁やら何やらが絡まって今に至る……と」
光貴がアレクの言葉を引き継いで締めくくると、彼は笑顔で「そういうこった」と返した。それから両手を頭の後ろで組む。
「まあ、その騒ぎももうすぐ終息しそうだから良かったよ。おい光貴、こっちの処理が終わる頃には旅も終わらせとけよ。俺様が遊びに行ってやる」
「えらそーな奴だな」
しかもなかなか無茶苦茶な要求だ。いつ終わるとも知れない事後処理に合わせて、これまたいつ終わるとも知れない旅を終わらせろなどとは。
それでも光貴はそこに先輩の気遣いをうかがい知り、まあ頑張ってみるさ、と適当な答えを返したのである。
久し振りに聞く音で、光貴の意識は急に目覚めた。彼はゆっくりと瞬きする。
小さな窓から白い光が注ぎ込み、視界に白い紗幕を張っている。薄い朝の光はしかし、この国においては少々力強いもののように思えた。
光貴は身体を起こして掛け布をいささか雑に払うと、頭を振って筋を伸ばす。それだけで気分がすっきりとした。息をついた彼が布をきれいに畳んでいると、乱暴に扉を叩く音がした。
「お兄ちゃん! まだ寝てる!?」
こちらの返事を待たずに急かしてくる、くぐもった少女の声。光貴はそれに苦笑した。
「起きてるよ。つーか静かにしろ」
「早く支度してよー。置いてくよ?」
「まだ時間になってないだろうが。分かったから部屋で大人しく待ってろ」
珍しく朝から興奮しきっている妹を乱暴な物言いで追い払う。足音が遠ざかっていったことを確認して、少年はため息をついた。
晴香の興奮は、おそらく他の仲間には理解しがたいものであろう。彼女は決して「早くジブリオを出たい」わけではなく「早くアルド・ゼーナに行きたい」のである。女の子に会えることが余程嬉しいらしい。
彼女の感情を理解することを早々に放棄した光貴は、寝台から下りて適当に身支度をする。濡れた布で顔を拭き、上着をはおり、そこまで大きくない鞄を引っつかめばそれでやるべきことは終了だ。彼は、すっかり浮足立っているであろう妹の様子を想像しながら外へ出た。
少しの間廊下を歩いて、そして対面からやってきた人影を見る。そうして光貴は目を丸くした。
「ノエル?」
名を呼ぶと、影の中から浮き上がった少年は笑みを浮かべた。
「おはようございます、光貴さん」
「ああ、おはよう」
短い挨拶を交わした二人は、そのままどちらともなく隣に並んで歩き出す。二人分の足音が、早朝の廊下に響き渡った。
「さて。晴香はさっき俺をせかしにきたけど、他は?」
「ラッセルは今身支度中。アレクは既に下にいると思いますよ。彼、妙に早起きなので」
他愛もない会話は人気のない廊下によく響く。彼らは沈黙と途切れ途切れの声の応酬を繰り返しながら、階段を下っていった。
宮殿の階段ははっきり言って長い。だが今は、それに伴う足の疲れをあまり感じていなかった。
そうして長い階段を下りきった頃には、女官たちの話し声によるさざめきが生まれていた。
二人は彼女らの間を平然と通り抜けると、柱に背を預けて立っている青年を見つけて手を振る。
「アレク、おはよう」
光貴がいつもより声を張って呼びかけると、緑の目が二人を見た。アレクはそのまま身体を起こす。その間に、少年たちは彼に歩み寄った。
「よう。朝っぱらから元気そうだな」
「恐ろしく早起きなあなたには言われたくないですけどね」
ノエルが悪戯っぽい笑みでそう返すと、アレクは肩をすくめる。
そんなやり取りが終わったとき、ちょうど背後から二人分の足音が聞こえた。振り返ってみると案の定、ラッセルと晴香が歩いてくるところである。
簡単に朝の挨拶を交わし合うと、アレクが四人を順繰りに見た。
「よし、揃ってるな」
彼が腕組みをしてうなずくと、ラッセルがそこに続く。
「出国の事前準備は昨日のうちに終わらせてあるぞ。今すぐにでも出れる」
「手が早いですね」
ノエルが珍しくラッセルを感心したように見上げた。彼はほんの少しだけ得意気に胸を逸らしたが、すぐに何事もなかったかのようにもう一人の青年を見た。
「というわけで、さっさと出ていこうと思うが、いいか?」
言い方がどうなんだと光貴は思ったが、口には出さない。アレクが前でうなずいた。
「見送りくらいはしてやるよ」
王都を覆う砂塵のようにさらりとした言葉には、少しの惜しさも感じられなかった。
賑やかさが増す前に、と五人は足早に宮殿を出て、さらに王城を抜けた。最初に王城を通ったときの剣のような鋭さの空気とはまた違う緊張感が、束の間彼らの上を通り過ぎる。
そうしてシンフィル市内に出た。
街の中は早朝独特の慌ただしさに包まれている。だが、その空気はどこか張りつめていた。今事件が起きれば、ぴんと張った糸が切れるのと同じように凄まじい惨事となってしまうかもしれない――そんな、根拠のない予感に光貴は身を震わせた。そろりと顔を上げてみると、ラッセルが顔を険しくしている。
「やっぱり、あんなことの後だから、みんな気を張ってるな」
「ああ。だが」
更にその隣を歩くアレクが、ラッセルに答える。
「その張りをなくすのが俺たちの仕事だ」
そのときの笑顔に、光貴は『王』の義務というものをおぼろげながら感じ取った気がした。




