第五話 出発のとき――1
会議はアレクとラッセルが中心となって進めていった。本来ならば守護天使が担うはずの役を魔導師が担っているのは、光貴が本格的な勉強を終えていない身であることと、初めての会議だということが理由に存在するからである。
淡々と、しかし鮮やかに事が運んでいく様に、光貴は吐息を漏らしそうになる。これが為政者か、と束の間戦慄いた。同時に、いつか自分もこうなるのだろうかと遠い未来に思いを馳せてみる。だがそれは、度し難い未来であった。
もちろん、そんなことをしつつも会議の内容はしっかり耳に入れていたし、自分から意見を出すこともした。それはえてして市民の視点から述べたものであり、行きすぎた策に歯止めをかけてくれるとありがたがられた。
「当面はシオン帝国の様子をうかがうことになりそうだな」
会議の最中、アレクがぽつりと呟くとノエルが小さくため息をついた。
「そうですね……。ただ、僕らが考えている可能性が事実であるとするならば、使者くらいは送られてくることもあるかもしれません。向こうだって、僕らが戦争を回避したいことはお見通しのはずですから」
「煽り文句には気をつけろよ」
ラッセルがおどけて続けると、アレクはいささか不満そうに「分かってるよ」と返す。さらにそこへ、ノエルが女王にも伝えておくようにと念を押した。
それから万が一シオン帝国と武力衝突した場合の対処法を協議することとなった。
「まだ紛争と呼べる段階であったなら、同盟国といえどよそ者は介入しない方がいいな」
これには光貴もうなずいた。迂闊に首を突っ込めば、本当に本物の戦争になりかねない。肩を回したラッセルが、『生命王』の言葉を引きとる。
「じゃあ、首突っ込んで良いのは同盟国が負けそうになったときと、調停で揉めそうになったときっていう取り決めをしておくか。はっきりさせてしまおう」
「ああ」
アレクがうなずくと、ノエルが続けて口を開いた。
「ただ、どうしても国の強さで序列がついてしまいます。その関係で口を出したくても出せない状況に陥るかもしれませんよ」
たとえば、ピエトロやジブリオは文句なしの大国だが、ステアーズ公国という国は、そこと比べると一歩劣る部分がある。そのぶん、相手がシオン帝国となると及び腰になってしまう上、他国からの圧力にも警戒しなくてはならなくなるだろう。
だが、アレクやラッセルはあまりその辺りを心配してはいなかった。
「そのときは、守護天使命令で動かせばいいだろ。そうすりゃ士気も高まるし」
「だな。ぐずぐずしてたら手遅れになる」
「……なんて強引な……」
あっけらかんと言う年上二人を見て、『預言者』の少年は頭を抱えていた。
こんなやり取りがありつつも会議はとんとん拍子で進み、ひとまずピエトロとジブリオの間での取り決めは為された。会議の締めくくりとしてアレクが、残る国のすべてにこのことが伝えられたら、一度守護天使全員で集まる必要があるだろうと声高に言った。それを否定する者はいない。
こうしてピエトロから来た四人にとっての大仕事はすべて終わりを迎え、彼らは宮殿の客間のひとつに集合した。しばらく思い思いの時間を過ごしたあと、ノエルがベッドから腰を持ち上げ、部屋の中心の大きなテーブルに大陸地図を広げ始める。
「みなさん、そろそろ次の目的地について話し合いましょう」
彼は、少し大きな声でそう言った。兄妹は、はーい、と返事をしてテーブルに駆け寄り、ラッセルは無言でベッドから起き上がって歩いてくる。
四角い卓を囲み、三人は地図を見下ろした。ノエルの細い指がジブリオの位置に置かれる。
「ひとまず、この国での仕事は終わりました。残る国は三カ国――どこへ向かいますか?」
しばらく、誰も何も言わなかった。光貴と晴香は不安げに視線を交差させる。その横ではラッセルが腕を組んでうなっていた。
やがてその彼が、腕を解いて地図に指を置いた。
「そうさなぁ……ステアーズ公国は遠すぎるし、アクティアラもなぁ。俺、しばらくあの嬢ちゃんに会いたくない」
「そんな理由なんですか」
「だって、なんかナランツェツェグ陛下に似てるだろ」
半眼でにらむノエルに、ラッセルは肩をすくめる。傍らで聞いていた光貴は、いつかのアレクの言葉を思い出して首を傾けた。どうにも彼らには、いろいろと強く出られない女性というものが存在するらしい。
やがて、ノエルが深いため息を漏らしながら西へ指を滑らせる。そこには、少し小さな国があった。
「だとしたら次は、アルド・ゼーナ王国ですね」
その名を聞いて晴香が身を乗り出した。
「わあ、有名な国だね!」
言われてみると、学生時代に歴史や地理で名前を聞いたことくらいはあるかもしれない。農業が盛んな地域、と聞いた記憶がある。そう思いながら光貴はラッセルを見上げた。
「その国にも守護天使っているんだな」
「おう、いるぞ。うちやこの国みたいに存在を秘匿してるけどな」
からりと答えたラッセルは、それから目を輝かせている晴香の方を見て頬を緩めた。
「喜べ、晴香。次の守護天使は同年代の女の子だぞ」
「えっ――本当!?」
晴香はすぐさまラッセルの方を向くと、噛みつかんばかりの勢いで問いかける。
そして、魔導師と『預言者』が立て続けにうなずくと、彼女は無言で拳を突き上げた。今にも泣きだしそうな笑顔である。
確かに彼女の周りは男だらけだったが、まさか当人がここまで気にしているとは思ってもみなかった。やいのやいのと騒がしい三人をよそに、光貴は一人でため息をついたのだった。
「なんだ、今度はアルド・ゼーナに行くのか?」
斜め上から快活な声が降ってくる。
「ああ、うん」
光貴は目を瞑ったまま気のない返事を寄越し――次の瞬間、ぎょっとして振り向いた。
一言でいえば、『生命王』が窓枠に腰かけていた。背後でぎゃあ、と三人分の悲鳴が響く。光貴が唖然として見ていると、彼はにっこり笑って手を挙げた。
「よっ」
「いや『よっ』じゃねえよ。どこから入ってるんだおまえ」
「窓から」
相手の行動を非難しようとしたつもりが逆に涼しい顔で切り返されてしまい、少年は苦虫をかみつぶしたような顔で押し黙る。そのうちに、青年が窓枠の上から飛び降りて床に着地した。
ぽかんとしている少女一名と、既に正気を取り戻して呆れている二名を順繰りに見てから、アレクは光貴を最後に一瞥する。そして、唐突に口火を切った。
「あの国に行くなら用心した方がいいぞー。なんか今、面倒事抱えてるらしいから」
「またかよ」
うめくように返したのはラッセルである。アレクは、その様子に苦笑した。
「いやまあ、それ言ったらどこの国もそうなんだけどな。今はどこもややこしいことになってるらしい。助けてやりたいが、俺も今は自分の国のことで手いっぱいだ」
彼はそう言うと、お手上げとばかりに両手を挙げて首を振る。それから、ふと目を瞬いた。
「あ、でもお勧めといえばお勧めかもな。ちょうどおまえらが着くだろうころに、もう一人の守護天使があそこに行くという話がある」
それを聞いて声を上げたのはノエルだった。
「誰ですか?」
「一番年下」
「…………そうですか」
だが、勢いづいたのも束の間、青年の答えを聞いて苦々しく沈黙する。なんだか嫌な予感しかしない光貴は、妹と顔を見合わせてしまったのだった。
とはいえ、距離や状況を考えると議論の余地はなかった。次の行き先はアルド・ゼーナに決定した。そして同時に――翌日にジブリオを発つと決めたのである。
これはもちろん、彼らの仕事が終わったということも大きいが、同時にアレクに強く勧められたからでもあった。未だ動乱の中にあるジブリオに長居しても良いことはない。
決めるべきことだけそうして決めて、彼らはまたそれぞれの道へと向かっていく。
「そうですか。明日には去ってしまわれるのですね」
女王はノエルの言葉を聞くと悲しげに目を伏せた。だが、口元には穏やかな微笑が浮かんでおり、それは彼女の複雑な心境をよく表しているように思う。
「女王陛下をお助けできないのは心苦しいのですが……」
「いいえ。むしろここまで手を貸してくれたことが申し訳ないくらいです」
少し砕けた言葉は、ノエル個人に向かって放たれたものだろう。その後も淀みなく行われる会話に、晴香は居心地の悪さを感じて身じろぎした。どうしようかと所在なく視線をさまよわせているうちに、不思議な寂寥感が胸を満たしていく。
一か月以上かけてこの国へやってきたが、滞在期間はそれよりずっと短く、まためまぐるしく過ぎ去っていった。
もうすぐジブリオを離れる。妙な気分になると同時に深い安堵を覚える自分がいて、晴香は小さくため息をこぼしたのである。
直後、ナランツェツェグがソファから立ち上がった。晴香は特に何を思うでもなくそちらを見る。
国を治めるには若すぎる女は、恭しく頭を垂れていた。
「あなたたちの旅路に安らぎと幸あらんことを。遠い異国の地から祈っておりますわ」
流れる小川のように穏やかな声。晴香はそっと、息をのんだ。
女王がいる部屋を二人で辞したあと、彼女はふと隣を歩くノエルを見る。それからすぐに床へと視線を落とした。長い廊下を目で追っていって、途方もない旅路を思う。
「いつまで続くんだろう」
ぽつりと漏らした呟きは、どこへ行くでもなくただ床に吸い込まれていく。しかし、ノエルの耳には届いていたようで、彼は遠くを見るような目をして晴香と同じ場所を見た。
「いつまででしょうね」
曖昧な返答。そこに少女が求めるものは含まれていない。だが彼女は笑った。
「まあ、みんないるから大丈夫だよね」
楽観的とも思える台詞に、ノエルは目を瞬く。彼は肯定をしなかったが、否定もしなかった。ただ静かにどちらとも取れぬように首を振り、歩みを進めるのみである。
若者二人以外誰もいない宮殿の廊下に、澄んだ足音が響き渡る。
長い廊下。先の見えない旅。
そこに永遠という名の深い絶望を見いだすのは、『神聖』の名を冠する人々の性なのか――『預言者』の少年はそんな思いに囚われたが、口に出すことはしなかった。
光貴を見送ったラッセルはナランツェツェグのところに行っているはずの二人に思いを馳せつつも、時間を持て余して宮殿の内部をうろついていた。
「おい、ラッセル」
そこでマルギットと出会ったことは、偶然以外の何物でもない。おや、と目を瞬いた彼は、彼女に手招きされて近くに設えられていた椅子に腰を下ろす。まるで予定されていたような行動は、見る者が見れば余計な勘繰りをされそうだが、今この場にそのような者はいない。
「なんだ。もしかしてもう国を出るのか」
女騎士はさっぱりした口調で問いかけてくる。ラッセルも特に惜しむこともなくうなずいた。
「明日な」
「つまらん」
ふん、と鼻を鳴らすマルギットに、ラッセルは苦笑を見せる。
「そんなに遊びたいなら、この件が終わってから遊びにくればいい。言っとくが、こっちから行くのは嫌だぞ。面倒くさい」
「冷たい男だな。そこらの有象無象の女にも同じ態度をすればいいものを」
揶揄された青年は顔をしかめて言い添える。
「……あの乾いた草原を越えてまでおまえに会いには来ない」
「まあ、そうだな」
ラッセルに皮肉を述べてきたはずの彼女はしかし、ラッセルの言葉をあっさり肯定する。昔から変わらず考えるところの読めない年上の女に、青年はただ呆れた。
それからはどこか緩んだ沈黙が流れた。だが、若い騎士が一人通り過ぎたところで、マルギットが口を開く。
「おまえは、ピエトロの動乱期を知っているか?」
「動乱期?」
慣れない言葉を反芻すると、彼女は「アウレリアーノ時代の末期だ」と短く付け加えた。光貴から数えると二代前にあたる『神聖王』の名に、ラッセルはああとうなずいた。
「話だけならな。実際に見ちゃいない。俺、そのとき生まれてないし」
マルギットはそうか、と呟くと、さらに言葉を続ける。
「あの激しい戦いは、私が小さい頃に終わりを告げた。年若いアルバートの即位式を見に、わざわざ異国の王都まで赴いたのはよく覚えている。裏に『奴』が関わっていたと知ったのは、フレッチャー家に関わるようになってからだがな」
エクティア出身の女は、珍しく懐かしむような口調で語る。ラッセルは静かに耳を傾けつつも、思い出したくない事実を突きつけられて顔をしかめた。ちなみに動乱期の終息は三十年近く前の話である。
「異国人の私は、そのときピエトロで何があったかは知らん。ただ、式典に参加した国民の顔はこれ以上ないほどに晴れやかだった。民たちは気付いていなかろうが、『奴』の影響もかなり大きかろうよ」
口早にそう語った彼女は、それから少しの間口をつくんだ。そして、目を細めて天井を仰ぐ。鋭さの中に、何か冷たい感情が顔をのぞかせる。
「あの小僧を見ていると、『奴』のことを思い出すんだ」
かみしめるような独白に、ラッセルは言葉を考えることもできず沈黙した。




