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King of Light  作者: 蒼井七海
第二章 光と風の邂逅
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第四話 賭けの一手――2

 アレクが宮殿内にひょっこりと姿を現したのは、もうすぐ太陽が昇ろうかという時間帯であった。ならいいかと言えばそういうわけでもない。彼はいきなり光貴を呼びつけると、またふらふらと騎士たちが集まる場所から出ていったのである。当然、呼び出された側である光貴も、仲間たちに断りを入れてそれを追うはめになった。

 彼の背中を追っていくと、いくつもの階段が視界の端で過ぎ去っていく。それが終わったかと思ったら、その足で細い通路に入ることになった。その辺りは今が夜明け前ということもあって非常に暗い。だが、前を行く青年の足取りに迷いはないようだ。

 やがてアレクはひとつの扉に手をかける。これまで見てきたものと比べるとあまりにも質素な扉だ。ほかのものと同様金属でできているようだが、装飾はいっそ極端なほど少なく、中心に彫りこまれた植物の紋章だけだった。

 扉が開けられる瞬間、紋章の金色が薄い光を反射してきらりと輝いたが、すぐに重々しい色に変わって沈黙する。そんなことを気にも留めない扉を開けた張本人は、「入れよ」と短く少年を促した。

 部屋をのぞき、彼は一瞬呆けてしまった。

 そこはとても狭くて暗い部屋。と言っても牢屋のように無骨なわけではなく、床は白で柄物の壁紙が部屋を囲ってはいる。小さいながら窓もある。ただ他の部屋に比べるとあまりにも殺風景だ。家具は、テーブルと二脚の椅子、それから小さな棚だけ。

「ここはな、俺の秘密の部屋であり、お気に入りの部屋でもある。多分使うのは俺だけだろうな」

 光貴のあとから入ってきたアレクが、後ろ手に扉を閉めながらそう解説をくれた。光貴が、そう言われても、と思いじっとりとした視線を向けると、『生命王』はからりとした笑みを浮かべる。

「この場所の存在を知っているのは、俺を除けば三人。陛下とマルギット、それからもう一人いる俺の従者。ほかは誰も入ってこない。そして今は、この三人すら来ることはないだろうよ」

 光貴は軽く瞠目した。ここまで聞いてようやく、青年の言わんとしていることを悟る。彼は身体ごとその青年に向き直って作った笑顔を見せてやった。

「そんな秘密の場所に俺を呼びだして、何したいんだよ」

 アレクは、すぐには答えない。小さな棚のところまでずかずかと歩いていき、抽斗(ひきだし)を引っ張り、そこから一本の瓶と二つのカップを取り出してテーブルに置いた。それからようやく、光貴の方を見る。

「なあに、ちょっとしたお話だ。ま、言い換えるなら『密談』ってとこだ」

 座れ、と続けて促され、光貴は戸惑いながらも椅子の一脚に腰を下ろした。そうしているうちにもアレクは瓶のふたを開けて、カップに何やら液体を注いだ。そしてカップのひとつを光貴の方に差し出す。

 白い磁椀の中では、紅玉に似た色の液体がゆらめいている。仄かに甘い香りがするそれを少年が見つめていると、快活な声が降ってきた。

「安心しろよ、酒じゃねえ。ただの茶だ。俺は酒、好きじゃねえしな」

「……好きじゃないもなにも、まだ飲める年じゃないんじゃ?」

 アレクの言いように、光貴は小首をかしげる。すると怪訝そうな瞬きが返ってきたが、相手はすぐに納得したようで、ああ、と言った。

「ジブリオでは十八歳から酒が飲めることになってんだ。ま、いわゆる慣習法ってやつでな。で、俺は十九歳」

「なるほど」

 自分の顔を指さしてなぜか得意気に言う青年に、光貴は吐息にも似た声を返した。アレクはそれに構わず椅子を引いて座ると、自分用のカップを引きよせる。

――緑の目が「まあ飲め」と言っているのに気付いたのはこのときだった。光貴は黙ってカップに口をつけ、それから驚いた。

 普通に甘いお茶かと思ったが、直後にこれまでかいだことのないような不思議な香りが鼻を抜けた。昨日――もう一昨日と言った方が良いか――のうちにシンフィル市内の市場でつまんだ香辛料の香りによく似ている。

 これは好みが分かれそうだなと思いながら、本人はなんの好悪もつけず顔を上げる。対面でアレクがにやついていた。

「そーいう反応があると思ってたよ」

 なぜかわざわざそんなことを言ってから、彼は小さな窓の方に目をやった。その向こうには首都が広がっている。ただしまだこの時間帯は明りがないので、風景全体が闇に沈んでいた。

「……マルギットから聞いた。暗殺者集団の中に、変なのが紛れ込んでたんだって?」

 変なのってなんだと訊き返しかけた光貴だったが、すぐにあのおぞましい光景を思い出す。身を襲う震えを無理矢理おさえつけて、うなずいた。

「変な黒い触手みたいなのを足元から出してきた。実体があるのかないのかあいまいだったから、気持ち悪かったな」

「おいおい、そりゃあ……」

 アレクが何か反応をしかけるも、その声は尻すぼみに消えた。その後も何か言いたげな顔だったが、結局眉根を寄せたまま沈黙する。少年は続きを待ってからそれがないと知ると、諦めて吐息を零した。

「あとあいつ、俺のこと『神聖王』って呼んだ。見破られてたよ」

「そうか」

 嫌そうな相槌が返る。

――その相槌から少し経ってから、アレクは跳ね飛ばされたように身体を起こした。

「待て、そりゃ変だ。確かピエトロはうちと同じで守護天使の存在を公表してないはずだよな。それにおまえは、まだ即位してない」

「……だから気味悪いんだって」

 どうやら理解するのに時間がかかっていたらしい。光貴は呆れながら言いなおした。アレクは少年の言葉を飲み下すと太い腕を胸の前で組み、低くうなる。

「俺もな、一階で対処してたときに、変な奴と出会ったんだ。黒いローブをまとった女だった。そいつは王弟派を名乗り俺に『仲間にならないか』と誘いをかけてきた。まあそれは想定の範囲内だ……ただな、そいつは俺を『生命王』と呼んだばかりか本名まで知っていやがった」

 語るアレクの声は固く、今にも床に唾でもはきそうな顔をしていた。

 彼は一度頭(かぶり)を振ると、唾の代わりに息を吐いた。

「いや、それはまだいい。王弟派として積極的に活動している奴らは、機密情報も含め女王に関わる情報を片っ端から吸収しているからな」

「そっか。前に殺されかけたとかなんとか言ってたもんな」

「ああ」

 光貴の言葉に重々しくうなずいたアレクは、カップに口をつけた。少年もそれを真似して異国を感じるお茶をゆっくりと飲みこむ。

「本当の問題はここからだ。俺が誘いを蹴ったとき、女はなんと言ったと思う?」

 もったいつけるような言い回しに、少年の胸がざわついた。理由も分からないのに、だ。そのまま黙しているうちに、対面の青年の方から答えを突きつけられた。

「――『神聖王』を寄越せ、と言ってきたんだよ。そいつは」

 ごくり、と。生唾を飲み込む音がやけに大きく響いた。光貴の脳裏に暗い影をまとった二人の男女の姿が去来する。

 アレクは、閉じてしまいそうな口を懸命に動かすようにして言葉を紡いでいっていた。

「これは俺の推測だが、多分、その変わった暗殺者とローブの女は共謀者だ。そしておまえらが出会ったという、暗黒魔法使いの二人の仲間でもあるんだろう」

「とすると、あの黒いうねうねは暗黒魔法……?」

 首肯が返ってきた。思いもよらぬ、というほどではないが、深刻なのには間違いない事態に光貴はどうしていいか分からなくなる。とりあえず茶を口に含んで舌と喉をうるおしてからふと湧いた疑問をぶつけた。

「そういえば、暗黒魔法っていったいどんな魔法なんだ」

 青年は唐突な問いかけに首をかしげたものの、手に持ったカップを揺らしながら答えてくれる。

「まあ、一言で言えば『人の負の感情や闇が関わる魔法』ってとこだな」

「負の感情?」

「ああ。たとえば、悲しみ、怒り、憎しみ、強欲――これらを急速に増進させるものや、これらがきっかけで生み出された、もしくはとんでもない代償を払うことになる闇属性魔法に、この呼称が使われる。人間の欲が強いのか結果生み出された魔法がたまたま強かったのかは知らんが、威力も半端じゃなくてな。そのほとんどは、今よりもっと前の時代に人々が棄て去ったとされている」

 淡々と紡ぎ出される言葉を、光貴は一つずつ整理していった。

「えーっと、つまり。なんかイメージの悪い闇魔法ってことか」

「ま、そういうこった」

 紙くずを屑かごに投げ捨てるときと同じような素っ気なさを持った答えを聞いて、光貴はこめかみを押さえた。

「なんであいつらが、そんな妙な魔法使うんだよ……」

「そりゃあ俺にも分からんよ。だいたい、この目で見たわけじゃねえんだから」

「そうなんだけどな」

 目の前でその威力を突きつけられて、使い手たちと言葉を交わした光貴にさえ分からないのだ。いくら先輩といえどアレクが正解を言い当てるはずもない。

 そのアレクは、大きく息を吐き出して天井を仰ぐ。椅子の背もたれがぎしりと軋んだ。

「それより、俺やこの国にとって大きな問題となり得るのは、奴が最初に『王弟派』を名乗って近づいてきたことだ。暗殺者の件といい、本当は別の意図があるにしろあいつらと協力関係にあることは間違いない」

「暗黒魔法の使い手たちが、王弟に力を貸してる……?」

 青年の発言を汲みとってそう呟いた光貴は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。相手はそれほどまでに強大な力を持っているということだ。いくら女王側に『生命王』がついていると言っても、恐ろしい状況であることに変わりはない。それこそ、あの力を間近で見た光貴だからこそ、そう断言できる。

 考えながら、光貴はふと妙なことになっていると思った。自分たちは暗殺者を防げばそれで終わりではなかったのか。何故ジブリオの国政に片足を突っ込んでいるのか。

 とは言え、考えずとも答えは分かる。

「あいつらがしゃしゃり出てこなければ良かったんだけどなあ」

 対面にアレクがいるのも忘れて、光貴は呟いた。それから、やりきれなさに肩を落とす。するといきなり、彼に名前を呼ばれた。少年は顔を上げる。

「恐らく、このままジブリオが戦っていくことは厳しいだろう。仮に陛下の演説が一定の成果をもたらしても、奴らに実力行使に出られたらすべてが水の泡だ。そうなりゃこの国は内戦状態になり……内側から壊れていく」

 光貴は沈黙する。続きは、言われずとも分かっていた。アレクは顔をくしゃりとゆがめた後に表情を消し、身を乗り出してきた。

「おまえに提案があるんだ」

 あまりに唐突な言葉。光貴がぽかんとしていると、アレクはこう続ける。

「おまえに――北原光貴個人とピエトロ王国の守護天使それぞれに提案したい」

 それは言いなおしのように思えて、しかしそうではない。

 いきなり立場を突きつけられて硬直している光貴に、アレクは構わずこの密談の本題を投げつけた。

「俺と、そしてジブリオ国と、同盟を組む気はないか?」


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