第四話 賭けの一手――1
「お疲れ様!」
光貴とラッセルがバルコニーで夜風に当たって呆けていると、部屋の中から黒髪の少女が姿を現した。妹の晴れやかな顔を見た兄が、ゆらゆらと手を振る。
少女、晴香はそんな兄の様子に眉をひそめたが、彼らの元まで寄ってくると元気よく訊いた。
「無事? どこも怪我してないよね?」
明るくはあるが、その声には明らかに憂いの色が混じっている。光貴は月を映していた視線をふいと下に向けると、爽やかに微笑んだ。
「ああ。だけど、夢に出そうなおぞましいものを見た」
それの詳細を語ることはしなかった。語る元気がなかった。ラッセルも、我関せずといった様子であらぬ方向を見ている。前後を一切省いた光貴の説明に晴香が首をかしげたものの、それ以上の追及はしなかった。
それより、と言わんばかりに手を叩く。
「じゃあ、下の階に片付けに行こう!」
ああそうだったとうなずくのはラッセル。だが彼はその瞬間、鳶色の瞳を見開いた。
「そういえば晴香、ナランツェツェグ陛下はどうした」
この騒ぎの間、晴香には女王の護衛をしてもらっていた。護衛といっても、晴香の方こそなんの武力も持たない一般人であるので、「一緒にいてもらった」と言う方が正確ではある。
ともかく、その晴香の隣に女王がいないことはどうにもおかしいことだった。しかし当の少女はきょとんとして言う。
「女王陛下なら、さっき一人で出ていかれたよ。なんでも、アレクに呼び出されたって」
彼女の口から飛び出た、意外なようでそうでもない名前に男二人は思わず顔を見合わせた。
女王の部屋がある階から下の階は、不気味なほどに静まり返っていた。そして一階が近づいてくるにつれ、喧騒が戻ってくる。加えて階段のあちこちに破壊の痕が見られるようになってきた。どうやら、騒ぎは一階で食い止められていたようである。
「皆さん、お疲れ様です」
下まで降りると、がれきの向こうから緑髪の少年が出迎えた。相変わらずの優しい笑顔であるが、その顔と腕にびっしょりと汗をかいていて、さらに、茶色く変色した血液が点々とこびりついているのが激戦のあとをうかがわせる。
そんな少年ノエルに、ラッセルが鷹揚に手を挙げた。お疲れー、と間延びした声を兄妹が上げる。
「ずいぶんと激しいことになったみたいじゃねーか」
ノエルが握っている、愛用の棒に目をやりながらラッセルが言うと、ノエルは肩をすくめた。
「ええ、まあ。こうなることを計算に入れていなかったわけではないですが、それでも女王陛下を狙う暗殺者に意識が集中していましたから」
「それにしたって、王弟派の動きはちょいと派手すぎる気もするがねえ」
どこかふざけた様子のラッセルに対し、ノエルも笑顔のままうなずき返す。ただ、奥で光る緑色の瞳は鋭い。
「はい。僕も妙だと思いました。暗殺に対するカモフラージュにしては徹底的すぎるというか……」
言葉を濁す『預言者』の少年を見ながら、光貴は先程の奇妙な黒装束を思い出していた。あの吸い込まれそうなほどの黒い闇も。だが、何も言わなかった。ただ唇を噛んでなりゆきを見守るのみである。
「ですからこの騒動がおさまったらアレクにいろいろ訊いてみようと思っていたんですがね……当の本人が、いつの間にか姿を消していまして」
ノエルは棒を持っていないほうの腕を回しながらそう言った。光貴たち三人はまたしても出てきた『生命王』の名にきょとんとする。
「そういやあいつ、どこ行ったんだ。晴香によれば女王があいつの呼び出しを受けたとかでいずこかに向かわれたらしいが」
「本当ですか? 彼、この場所で僕らと一緒に戦ってくれていたはずなんですけど、それが終わった途端ふらりとどこかに行ってしまったようなんです」
「ま、守護天使なんて腹の底で何考えてるか分からんような、おっかない連中だからな」
宮廷魔導師の言葉を聞いて、ピエトロの守護天使である光貴は、そりゃ俺も含まれるのか、とふくれた。横で妹が苦笑する。
他愛もないやり取りをしていた四人の耳に、いきなり金属の音が響いた。何事かと振り返ってみれば、そこには不機嫌そうな顔をする金髪の女が立っている。全身に汗をにじませながら、いらだたしげに剣の柄を叩いていた。
「よお、マルギットじゃねえか。久し振りだな」
ラッセルが親しげな様子を見せた。うすら寒いほどの爽やかな笑顔である。それに対しマルギットもぶっきらぼうに「相変わらず無駄に元気そうだな」と返す。やはりこの二人も知り合いだったらしい。
ノエルがちょこんと首をひねった。
「どうしたんですか。ぶすっとして」
「実はな」
少年の問いかけに、マルギットは間髪入れず口を開いた。
「さっき、暗殺者の集団を見つけてな。まよわず掃除してやったんだが、一人だけ逃がした。やたらすばしっこくて気味が悪かったな」
言い終えるやいなや彼女は顔をゆがめて、ちっ、と大きく舌打ちをする。
――あいつだ。
光貴は息をのんだ。ちらとラッセルの方を見ると、彼も似たような反応をしている。
改めてマルギットを見てみた。汗だくではあるが、怪我があるようには見えない。取り立てて何かに怯えているといった印象もない。もちろん、彼女の性格だとそれは考えにくいが。
となると、「あいつ」はあの変な手を使わなかったのか。光貴は小さな声で呟いて、息を吐きだした。
「まあ、とりあえずみんな無事で何よりだな!」
場の雰囲気を変えるつもりなのか、ラッセルがことさら明るい声で言う。晴香がそこに便乗した。
「じゃあ、ちゃっちゃと片付けのお手伝い、しますか」
それぞれの口から漏れた声は返事というより乾いた笑いにほかならなかったが、少女の言葉に異存はないようで各自がのろのろと動きだした。
光貴もまた、騎士たちにまぎれてがれきを持ち上げる。比較的軽いものを選んだつもりだったが、持った瞬間ずしり、と手元が重くなった。それを見て隣の騎士がけらけらと笑う。
「さすがに軽々とはいかねえかあ。ま、そんなもんだ。無理するこたぁねえ」
そう言って騎士は光貴の肩をばしばしと叩いた。がれきを脇にどけた光貴は、疲れと呆れを同時に吐きだす。だがそれはすぐに、修復作業のざわめきと雑音の中に消えていった。
「いやあ、さすがのお手前だな。マルギット」
「ふん、舐めるな。年中訓練を積んでいるこの私の腕が衰えると思っているのか」
「なんちゅーか、相変わらずだな。……あ、そうだ。今度一緒に飯でも食わねえ?」
「懐かしいな。また大食い競争でもするか? 今度の目標は百皿達成だな」
雑踏にまぎれてそんなやり取りが聞こえてきた気がするが、全力で聞こえないふりをした。全身に滲む汗を感じながらがれきをどかし続けていると、そのうちに隣で騎士が嘆息する。
「アレク様の風魔法があれば、こんながれきすぐに片付くのになー。どこにいらっしゃるんだ、あのお方は」
言われて光貴は、ふと天井を仰いだ。この状況下で、国の頂点であるはずの『生命王』は未だどこかに行方をくらましたままだ。女王と話をしているのか、そうだとしたらなんの話をしているのか。
「まあ、嘆いても仕方ないさ。あの人はまさに風のごとく、気ままなお方だからなあ」
ふいに野太い声が聞こえてくる。隣を見ると、口周りにひげを蓄えた体格のいい騎士が、光貴の隣の騎士に向かって笑いかけているところだった。あまりにも豪快な笑い声は少年の耳に容赦なく響くものの、不快感はない。
「ここの人たちは、みんなこうなのかねぇ……」
小さな声でそう呟いた光貴は、乾いた笑いを漏らしながら作業を続ける。その姿はどこからどう見ても、ごく普通の少年にしか見えない。
こうして、徐々に宮殿の夜は更けていく。
アレクは、宮殿に数あるバルコニーの一つで呆けていた。むろん、本当に何も考えず突っ立っているわけではないが、黒髪を夜風に遊ばせている姿ははた目からはそう映るだろう。
青年の脳裏に、思案する表情で立ちさっていった女王の姿が浮かび上がる。彼はふっと、静かに笑った。
「話を持ち出すのが急すぎたかね」
誰にともなく呟いたアレクはそれからしばし黙って夜空を見つめる。
満月には少し足りない月が、茫洋と都を照らし出していた。紺色に浮かぶ白い光を見ていると、夢を見ているような気分になる。ここではないどこかを、ゆらゆらと漂っているような。
そう思ったとき、腰のあたりが急に温かくなった。仄かな熱がアレクの意識を一気に呼びもどす。おっと、と呟いた彼は簡素で丈夫な衣服をまさぐり、そこから小さなブローチのようなものをとりだした。ブローチに見せかけるための蓋を開くと、水晶が現れる。
虹色に輝く水晶は、月よりはずっと強い、それでも淡い光を放っていた。アレクは水晶に向かって声を発する。
「こんな夜更けにわざわざ連絡とは、殊勝じゃないか」
『第一声がそれって、あなたどんな無礼者ですの? まったく……相変わらずですね』
挑発にも似た声に返ったのは、まだ若い女性――少女といっても差し支えない――の呆れかえった言葉だった。相手のそれこそ「相変わらず」な言い草に、アレクは笑う。
「悪い悪い。同胞はついついからかいたくなるのだよ」
『あのね。なんだったら今度の訪問のときに、水責めにしてやってもいいのよ』
「…………分かったから、報告してくれ」
丁寧語さえもかなぐり捨てて凄んで見せる相手に引きつった笑みを浮かべたアレクは、癖のある自らの髪をかきむしって続きを促した。
水晶の光が、少しだけ強くなった気がする。
『最初からそう言えばいいんです。――我国は、現在大きな騒ぎは起きていません。上層部の小競り合いは絶えませんがね。調べてみたところ、残る二国にも大きな動きはなし。ピエトロも――本当に秘匿しているみたいですわね――騒ぎが起きている様子はないそうです。ただ……』
調子を取り戻し、淡々と報告してきていた彼女。しかし、突然意味ありげに言葉を切った。それに対してアレクは無言で続きを促す。すると彼女も、続けてきた。
『ここ最近、アルド・ゼーナとの連絡が非常にとりづらい状態になっているようなんです。上層部関係者の気の毒なほどの慌てぶりから見ても、実際は何か大きな問題を抱えていると思った方が良いですわね。ただ、そんな雰囲気ですから何かあったのかと問いただすわけにもいかず』
「なるほどなあ。こっちはどうにか騒ぎに収拾がつきそうだが、向こうはどうなんだろうな」
『一筋縄ではいかない様子ですわ』
ため息混じりに言う少女に、アレクはそうか、と返した。また話は始まる。
『近々フレイが彼の国に赴くそうですから、情報提供を頼んでおきましたわ。あと、あなたが話していた例の件についても……反対する者はいないようです』
「さすがだな」
変わらぬ手腕を目の当たりにした気分で、アレクは肩をすくめる。それから再び水晶に話しかけた。
「なんだかどこもかしこも不穏だな」
『ええ。ですがそんな中で、「神聖王」が現れたというのは朗報ですわ。まあ、先代が目覚めたのも混乱期だと聞きますし、自然な流れなのでしょうけど』
あっさりとそう言ってのける相手。彼女の言葉を聞いたアレクは目を瞬く。
「おまえ、なんとも思わないのか?」
自分が特に何か思っているわけでもないのだが、気付けばそう問いかけていた。すると水晶の向こうの人物は楽しそうに笑う。
『まだ会ってもいない人物を「名前」だけで判断して疎ましく思うほど、子供ではありませんわ。あなたとだいたい同じ考え、とでも言っておきましょうか』
「ああそう」
呆れて吐き捨てたアレクは、すっと緑の瞳を細める。月はいつの間にか雲の向こうに隠れていた。
「最近、いろいろ騒がしいからな。おまえも身の周りに気をつけろよ――メリエル」
真剣に声をかけたつもりだったが、返事は歌うような調子で投げかけられた。
『あなたに心配される程、軟弱じゃありませんことよ。アレク』
素であるいつも以上に「お嬢様」を気取った調子にアレクが苦笑したその瞬間、水晶は淡い輝きを失って沈黙する。彼はそれを数秒間見つめた後、ふたをして懐にしまいこんだ。
宮殿を流れる風は先程よりも冷たくなってきたように思える。伸びをしながらそう考えた青年は、暗い夜空に背を向けて、ある場所へ向けて歩き出した。
「俺、あの『お嬢様』と違って、ぶっちゃけ政治とか得意じゃないんだよなあ。守護天使なんだからそれでもいいんだけど。あーもう、嫌になるなー」
彼の周りにいる人間全員が一度は吐いていそうな台詞を床に落としながら、彼の足はある人物の元へと向いていた。




