第七話 純潔と神聖の光――3
晴香が息をのみ、ラッセルがにやりと人の悪い笑みを浮かべたのが空気だけで伝わってくる。光貴は息を荒げながらも首飾りを握りしめ、一歩一歩、後退した。大地を踏みしめるたび、固い音がする。
意外にも、レラジェは反撃してこなかった。ただ小さく舌打ちをした。
「腹は立つが、『神聖王』を害するわけにはいかないな……」
比較的近くにいる光貴くらいにしか分からないような小声で、そんな言葉をもらしていた。青年の言を聞いた少年は眉をひそめる。どうにも不可解だった。
彼が油断したのは、そんなふうに考え込んでいたからかもしれない。ふと気がついたときには、高速で流れる足音が聞こえてきていた。
「光貴!」
反応したのは、足音を聞いてからさらに後。ラッセルの警告の声を聞いてからだった。彼は慌てて振り向いたが、半ば手遅れだった。目の前に白銀がきらめいて、その輝きが目を焼いた。
冷たい光に戦慄し、身体が硬直する。
それでも光貴は息を殺して全力で地面を転げた。おかげで、白刃が背中をかすっただけで済んだ。ただそれでも飛沫を上げる鮮血と背に走る鋭い痛みにうめくはめになる。
どうにか顔を上げると――少女の、およそそれとは思えない殺意に満ちた恐ろしい形相があった。
「守護天使……王家に加担する者……私はあなたを許さない」
え、という光貴の声は、恐らくこの少女にも聞こえてはいなかっただろう。激情の輝きをたたえた目を見れば、そんなことは分かる。光貴は改めて拳を強くにぎった。
「悪いが、これは渡さない。いや、あんたにとってはどうでもいいのか」
少女から返事はなかった。代わりに無言で剣を振り上げてくる。今にも飛び出てきそうな晴香とそれを制止するラッセルの声が聞こえる中、光貴は少女の目をまっすぐに見た。
張りつめた空気は、まっすぐに少年の肌をなで――そして、唐突に消えた。
「やめろ、シルヴィア!!」
緊張を終わらせたのは、青年の一声だった。しばらくの間すべての動作が止まる。そのあとゆるゆると剣を下ろしたシルヴィアが、レラジェをにらんだ。
「レラジェ、なんで止めるの。こいつを殺してでも首飾りを奪えば、仕事を終わらせられるじゃない」
「おまえさんらしくないな」
静かだが怒りに満ちた声で言うシルヴィアを見て、青年はマントの下の肩をすくめた。
「冷静になって辺りを見てみろよ。敵は『神聖王』だけじゃないぜ。『預言者』に宮廷魔導師、どちらも主を守ろうと躍起になる類の人間だ。しかも強い。そいつらをおまえひとりでどうやって相手するつもりだ?」
一気にまくしたてたレラジェは、シルヴィアが眉をひそめて押し黙ったのを見て、身をひるがえした。
「それに、さっきの覚醒現象のおかげで洞中に『天使』の魔力が満ちちまった。こんな状態じゃ首飾りがあっても儀式はできねえよ」
「それはあなたの責任でしょうが」
「同時におまえの責任でもある。そうだろう」
すぐさま跳ね返したシルヴィアだったが、レラジェの冷静な切り返しに今度こそ沈黙した。その間にも彼は、なにやら魔法発動の準備を整えている。
「どちらにせよできないことに変わりはない。文句があるなら後から聞くから、帰るぞ」
「くっ――」
紫の瞳に反抗の色が輝くが、それでも少女は青年に従う。うめき声と鋭い歯ぎしりを残して、シルヴィアは光貴から離れていった。二人の意図に気付いたラッセルが動き出すのが見えたが、傍観していた光貴はもう間に合わないだろうと確信していた。
「待て!」
「嫌だね。この辺でお暇させてもらうよー」
案の定、ラッセルが手を伸ばしたときには二人の姿は消えていた。残されたのは生々しい戦闘の跡だけである。
静寂を取り戻した洞。その静けさをまのあたりにして、今度こそ光貴の身体から力が抜けていく。
「ああー、なんかよく分からんが、終わったのか?」
「敵には逃げられたけどな」
言ってしゃがみこみ、顔をのぞきこんできたのはラッセルである。彼を見て少年は「悪い」と一言わびてから苦笑した。するとなぜか頭をなでられる。
「なあに、おまえのせいじゃないさ。気にするな。それより――」
曖昧に笑んで、彼はまた口を開いた。
「もっと自分の身を大事にしろよ。妹の寿命が縮むぜ」
間抜けなうめき声をもらした光貴は、せめてもの抵抗といわんばかりに目を細め、宮廷魔導師をにらみつける。
「責任の半分はあんたにあるんだからな。宮廷魔導師さんよ」
返ってきたのは分かってるよ、という言葉だった。バツの悪そうな顔をしている青年を見ておもわず笑ってしまう。
そんなことをしているうちにノエルがかけつけた。
「す、すみません、光貴さん! 魔法で牽制されている間に油断してしまって」
濃い焦りを浮かべるノエルに対し、光貴は軽い調子で手をふった。
「気にすんなー。たいした傷じゃないし」
「というか、申し訳なく思ってるなら手当してやりなよ」
そして、少年の言葉に被せるようにして他人事のように言ったラッセルが、寝転がっている光貴に手を差し伸べるのだった。
その後、洞の外に出た四人はまず負傷者の手当から始めた。光貴の面倒を見ながら晴香が「どうして男の子ってみんなこうなのかしら」とぼやいていたが知らんふりをする。そして先に手当を済ませたラッセルは、なぜか鳩とたわむれていた。見覚えのある鳩だ。
「なあ、その鳩って」
光貴が言葉少なに訊くと、ラッセルはにやりと笑う。
「ああ。王からの伝書鳩だ。どうしてか知らんが、こちらの仕事が終わったことをご存じだったらしくてな。たった今連絡がきた」
「なんだよ、それ。王様こええ」
苦笑する妹に気づかないまま、未だかつてアルバート王と面会したことがない光貴はその身を震わせる。
そんな光貴の様子に微笑みを浮かべたノエルはしかし、すぐに表情を消すとラッセルに問いかけた。
「陛下はなんと?」
「んー?」
気の抜け切った返事のあと、彼は台本を読むようにすらすらと言葉をつむいでいく。
「『ご苦労だった。馬車を派遣してあるから、今いる場所で待機していなさい』だとさ。あと俺あてに報告は後でたっぷり聴かせてもらうっていう文言があった」
青年は言うと眉をひそめて首を振った。後に待ちうけている尋問のような謁見を想像したのかもしれない。
彼を一瞥した光貴はすぐにノエルへと視線を移し、なんの気もなしに問いかける。
「なあ。あいつらの目的って、結局なんだったんだろうな」
すると少年は目を瞬いたあと、苦い顔をした。
「分かりません。ラッセルが言っていた戦神の召喚というのはほぼ確実でしょうが、問題は召喚したそれを使って何をしようとしていたか、でしょうね」
「……そっか」
残念そうな声を返した光貴は、自らの掌を見つめた。未だ魔力の熱を帯びているような気がしてならないそれは、彼に安心感を与えることはしなかった。
「なんか俺、すごく嫌な予感がする」
横にいた晴香が苦しげに目を伏せた。二、三度口を開閉していたが、すぐにその唇は引き結ばれる。そんな二人を見たラッセルは誰かのように肩をすくめ――光貴の黒髪に手をおいた。
「それを気にするのは我々の仕事ですよ、『神聖王』様」
聞き慣れないものを聞いた光貴は弾かれたように顔を上げる。するとラッセルの悪戯っぽい笑顔が見えた。思わず少年は苦笑を返す。
そのとき。穏やかな風に乗って、誰かの声が聞こえてきた。
「晴香様ぁ~っ!」
少女といっても差し支えない、若い女の声だった。自分を呼ぶ声に見当がついたのか晴香は目を丸くする。続けて、馬蹄と車輪の音が徐々にこちらへ近づいてきていた。全員がその方角に視線を移すと、比較的大きな馬車の姿が見えた。茶色い馬がいなないている。
そして、馬車の中から手を振るのは――
「る、ルナぁっ!?」
素っ頓狂な声を上げたのは晴香である。ノエルもラッセルも呆れたような目で女官の制服をまとった女を見ていた。そしておいてけぼりにされた光貴は、目を点にして妹の顔と二人の男を見比べる。
「な、なんでこんなところにいるの? 仕事は?」
「陛下に許可をいただきましたぁ。心配だったので、つい」
「いや、つい、じゃないでしょ。つい、じゃ!」
晴香が呆れと怒りの混じった声でそう言うも、ルナと呼ばれた女官は無邪気な笑顔を浮かべるのみだった。仕事を放棄して四人の迎えに上がったことに、少しも引け目を感じていないことがよく分かる。
「あーあ。晴香のやつ、あの女官に気に入られたな」
「はい。出立準備中に」
ため息をついている晴香の背後で、二人の男が意気揚々と言葉を交わす。その様子を目に映した光貴は、ついに力の抜けた声で呟いた。
「だれか、いい加減にこの状況を説明してくれ……」
彼がうなだれているうちに、馬車は四人の前に到着した。すると御者台から若い男が叫んでくる。
「お疲れ様です。乗ってください」
言葉に反応を示したのは、ラッセルだった。
「おー。遠路はるばる悪いな、グレッグ」
「いえいえ。これが自分の仕事ですから」
飛び交う親しげな言葉を耳に入れた光貴は、再びノエルに囁いた。
「仲、いいのか?」
緑髪の少年は微笑みを返す。
「彼に限った話ではありませんよ。城勤めの者とグレッグは大の仲良しです」
へー、という返事のあと、少年は妹や宮廷魔導師に続いて大きな馬車に乗り込んだ。そして女官に抱きつかれてもがく妹の姿を、ぼんやりと見ていた。




