第七話 純潔と神聖の光――2
レラジェとラッセルの一進一退の攻防は続いていた。
この藍色のマントをまとった青年が何者であるか皆目見当もつかないところだが、とりあえず手練れなのは確かだ。だが、ラッセルも純粋な魔法戦の強さでいえば引けをとらない。おかげで両者の戦いは、先程から一歩も譲らぬ激戦と化している。
炎が弾けたかと思えば毒球がそれをさえぎり、風がその毒々しい紫色を吹き飛ばしたかと思えば、赤毛の術者が懐に飛び込んでいく。藍色の方は蛇の牙でそれを防ぐ。
武力の応酬は、永遠に続くかのように錯覚してしまうほどに長かった。
「な、なんか……場違いじゃないかな、私たち……」
晴香が引きつった顔でそう呟くのも無理はない。だが光貴はその声を聞いていなかった。ただじっと、レラジェの方を見つめる。隙がまったく見えないはずの戦に隙を見いだそうとしていた。
「お兄ちゃん?」
彼の様子に、ようやく妹も気付いたらしい。目を瞬いて、真剣な顔をする兄の方を見やる。その声は光貴の耳に少しだけ変化をもたらしたが、彼はごまかすように微笑むにとどめた。
これは、レラジェに悟られてはならない。そのためには気づきを自らの中に内包しておくのが一番なのである。特にこの妹は顔や声にすぐ出すので危険だった。
悪いとは思うが、一人で実行するつもりだ。
「ああもう、埒明かねえな」
ラッセルのぼやきにも似た悪態が聞こえたのはそのときだった。光貴の意識は再び戦線へと注がれる。
彼は威嚇の声を上げて飛びかかってくる蛇を軽くあしらうと、大きく後ろに飛んだ。それから一瞬で体勢を整えると、何を思ったか瞑目する。
「ははっ、どういうつもりだ!?」
レラジェが狂気すら感じ取れる笑みを浮かべた。子供のような瞳はぞっとするほど爛々と輝いていて彼の精神状態を何よりも濃く表しているように思う。その彼は迷わず視線の先の魔導師に蛇を差し向けた。
――蛇が口を大きく開いたとき、周囲に変化が起きた。
光貴はそれを肌で感じていた。ドリスの洞のうちを包む大気が、急に引き締まったような気がしたのだ。錯覚かと思ったがそれにしてははっきりしすぎている。
魔導師のレラジェや『神託の君』としてわずかながら目覚めた晴香も異常に気付いたらしく、動きを止めて辺りを見回している。光貴もしばらく視線を左右に動かして、察した。
「ラッセル?」
小さな小さな声で、この異常の元凶たりえる人物の名を呼んだ。彼はやはり静かに瞑目していたが、先程までと違う点があった。たくましい体躯の周りを、細い炎の渦が取り囲んでいるのだ。「魔力」と呼ばれる流動する力をまとった炎は、赤毛を静かに揺らしている。
息をのんだ光貴は、そっと晴香の肩を叩いた。すると彼女も気付いたようで、数歩後ずさりをする。
ラッセルの目が開かれたのは、その直後のことだった。
「さて。覚悟しろよ、蛇野郎」
今までとはまた違った意味での静寂をまとった声に、少年の背筋がなであげられる。その悪寒の理由がなんであるかは、すぐに分かった。
魔導師はゆっくりと左手を開いていく。先程までは拳になっていたのだ。拳から掌へと転じたものの中にはこれまでとは比べ物にならない光をもった炎の塊があった。
黄金のようにも見える輝きに、太陽を連想したのは決して光貴だけではあるまい。
「うわ、なんかやばそう」
このときばかりはレラジェの声にも焦りがにじんでいた。
ラッセルはその様子を見て口の端をちょっとつり上げると、輝きを内包した炎の塊を力いっぱい青年に向けて投げつけた。解き放たれた炎の球はその形を維持したまま目標へと飛び――
「おっと!!」
飛びのいた目標にラッセルが舌打ちすると同時に火球は着弾する。
次の瞬間、レラジェの声も晴香の悲鳴も打ち消すほどの音とともに、火球は勢いよく弾け飛んだ。轟音と衝撃のせいで、洞の内部は鈍い音を立て揺れる。洞を包んでいた張り詰めた空気も、電撃のようにびりびりと震える。
立っていられないほどの振動と汗が噴き出すほどの熱気は光貴にもしっかりと伝わっていた。
「く……くそっ!」
魔法の炎が消えたあと、充満する煙の向こうから苦悶混じりの悪態が聞こえてきた。間違いなくレラジェのものだ。それで彼の居所に見当をつけた光貴は、目を見開くと立ち上がる。そしてつま先で地面を蹴り、薄くなっていく煙の中に突っ込んだ。
「お兄ちゃん!?」
晴香の声に振り返ることはしなかった。薄い膜のように広がる灰色の向こうに、夜空のごとき青い光が見えたから。
少年はその青に向かって踏み込み、手を伸ばす。
「っ、こいつ!?」
もう少しで目標の物がもぎとれそうなところでレラジェに気付かれ、光貴は思わず舌打ちをした。一度大きく後ろに飛ぶと、マントを翻した青年にふたたび狙いをつけて突っ込んでゆく。
「端から狙いはあれだったってわけか……あの宮廷魔導師め!」
赤毛の青年を露骨にののしったレラジェは、光貴を遠ざけるつもりなのか魔法を展開させた。いつの間にか右腕は蛇ではなくなっている。
「はっ……やろうってのか?」
まるで光貴を弄ぶようにゆっくりと展開されていくのは、風の魔法。レラジェの手元に風の見えない線が渦巻くのを感じながら、光貴はこれまで誰にも見せたことがない、猛々しい笑みを浮かべた。
「上等だ」
風魔法が展開されていくのを尻目に、光貴の左手には一瞬で白い光の塊が形成されていく。レラジェの目が大きく見開かれた。
「おまえっ……まさか、目覚めてから一日も経っていないのに!?」
「どうした? しっかり受け止めろよ」
挑発とともに少年が地面を蹴ると、藍色の青年は舌打ちをして一気に風魔法を生成する。
両者が振りかぶって魔法のぶつけ合いをするまでには、十秒とかからなかった。巨大な魔力同士は一気に衝突すると、瞬間的にまばゆい光を放ち、爆音と衝撃を生む。
光貴はその魔力の奔流の中で妹の悲鳴を聞いた気がした。しかし彼はただ冷静に手を伸ばす。
分かっていた。ここで失敗すれば何もかもが終わると。
ただ同時に、変な話だとも思った。「宮廷魔導師に封印を解かれた」というだけの理由で『預言者』の旅にくっついていくことになり、しかもその先で自分が守護天使だと判明した瞬間から戦いに駆り出されたのだ。
けど、今さら放棄もできないだろうなあ。すっかり諦めきった呟きを、少年は心の中でこぼす。
それを使命感と呼ぶか単なる諦念と呼ぶかは分からない。ただ、二年後の世界に放り出されて右も左も分からないような今の光貴にとって、その思いが原動力のひとつになっているのは確かだ。
「ま、妹が引きつけた面倒事につきあうのも悪くない」
そう言って少年は、力の渦の中、笑った。どこまでも無邪気な幼子のような笑みだった。
やがて白い光が風を穿ち、光貴が進むべき道を開く。その道の先にいる標的の姿を捉えたとき、少年は存在さえあいまいになった地面を蹴った。
「……しまった!」
レラジェの声が聞こえてくる。無我夢中で魔力の中を駆けた光貴は青い石の輝きを見つけ、手を伸ばした。
「悪いが、ここで終わりにしろ! こっちはこっちで、いい加減帰りたいんでな!」
そう吼えた光貴の手が、拳に変わる。――その中には確かに、固いものの感触があった。
魔力が、弾けた。空気を吹き込みすぎた風船のようにはじけ飛び、光の粒を散らしたそれは、やがて残滓だけを漂わせて消えていく。
魔力の渦から抜け出した二人は、お互いに距離をとりながら着地した。
おそろしいまでの形相でにらみながら、藍色マントをさばくレラジェ。彼の顔を見て、肩で息をしていた光貴はにっと笑い、右手をかかげた。
「――獲ったぜ、『夜空の首飾り』!」
手の中で、長い鎖で繋がれた青い宝石がきらめいていた。




