第七話 純潔と神聖の光――1
『僕の推測が正しければ、あなたは――』
強い風が吹く中、リンゲンの自然公園の真ん中で。
『あなたは、僕らが捜し求めていた「神聖王」にほかならない方のはずですよ』
あの少年にそう告げたのは、確かにノエル自身であった。
これを聞いた少年、光貴はしばらく何も言わなかった。だがやがて、引きつった笑みを浮かべる。
『なんだよ、それ。おいノエル、なんでそんな流れになる?』
問いかける声は震えていた。もしかしたら自分でも何らかの予兆に気付いてはいたのかもしれない。それを認めたくないだけで。
だが、今ここでそれを指摘するのは無粋だろう。ノエルは大人しく質問に答えた。
『考えられない話ではないでしょう。「神託の君」である晴香さんの力は、ここまで来てもいっさい発現の兆候を見せない。それはつまり、彼女は「神聖王」ではないことを意味しているんです。その力は「王」本人に会わねば発動しない仕組みになっているから』
緑の瞳が、ゆっくりと細くなる。
『そして、僕が自らの預言を疑い始めた頃、ラッセルと現れたのがあなたでした。このタイミング、そして何より晴香さんと血のつながった兄妹であること』
『だから自然だって? そんなのは、確定材料にならないぞ』
呆れたように言う光貴の顔には、「面倒事はごめんだ」とでかでかと書かれていた。無理もない、一度すでによく分からない陰謀に巻き込まれて二年を失い、散々な思いをしているのだから。
だがこれは無視できることではないのだ。ピエトロ王国の『預言者』として。
『そうですね。確定材料にはならない。ですが、可能性を考えだすには十分でした。そして疑ってかかってみて、強く“探り”を入れたところ――僕の「力」は、強くあなたに反応した』
すると光貴は、沈黙した。『預言者』が持つ「力」の仕組みについては、まだ光貴たちには話していない。が、ここまで聞けばある程度は分かるだろう。その事実が何を意味しているのか。
ノエルは、あのとき強く言い放った。
『僕は、あなたに賭けてみたい。決戦の地、ドリスの洞で』
光貴は、何も答えなかった。
――そして、決着の時はこうして訪れた。結果は火を見るより明らかである。
洞を照らし出す白を見て、棒を振っていたノエルは薄く笑った。
「僕は賭けに勝ったようですね」
決して、僥倖とは言い切れない。けっきょくはなんの関係もなかった一般人を戦争と政治の世界に叩きこむことに変わりはないし、負担を強いる対象が倍になったともいえるから。
それでもノエルは、歓喜していた。純潔と神聖をつかさどる白き光の王が、再び我が第二の故郷へ戻ってきてくれたことに。自分がそれを支える人間となれることに。
だから、負けるわけにはいかない。笑みを噛み殺した彼は、正面の少女と向き合った。
「油断しましたね。まさか、守護天使が――『神聖王』が別にいるなんて」
忌々しげに呟く彼女を見て、ノエルは表情を崩さずに答える。
「彼女はあくまでも『神託の君』でしかなかった。事実、守護天使本人だなんて誰も言っていないでしょう?」
彼がシルヴィアの言葉をせせら笑ってそう言うと、彼女は次の瞬間地面を蹴った。細身の体躯は緑髪の少年の方向ではないどこかに向かって抜けていく。
しかしノエルは刹那の間にその軌道を読むと、素早く身をひるがえして彼女の前に下り、棒を振りかざした。シルヴィアもまた素早く剣を構えたため、棒と剣がぶつかりあい、透き通った音を奏でる。
「さっきとは立場が逆になりましたね、シルヴィアさん」
「くっ」
ノエルが笑顔で言うと、シルヴィアは歯ぎしりして彼をにらみつけた。
――彼女の、紫色の瞳には、先程まではなかった激情の炎が揺らめいている。
それがなんであるかに気付いた少年は、笑顔を消した。じりじりと反撃の機会をうかがう少女を見据え、問いかける。
「……あなたは、何を憎んでいるのです?」
シルヴィアは呆気にとられたように目を瞬いた。だがやがて、口の両端をつり上げ、不敵ともとれる表情をつくる。
「あなたに関係のないことよ、異邦の『預言者』」
敬語すらかなぐり捨てた彼女の言い草にノエルは眉をひそめた。そして直後には、別の意味で苦い顔をすることになる。
少女が握る剣の先に、黒い物がわだかまっているのが見えたのだ。
「やれやれ、あれにこられると逃げるしかなくなるんですけどね」
肩をすくめて呟いた少年はしかし、見た目に似合わぬ大人びた所作で棒を構えなおした。もはやそこに、少年としてのあどけなさはない。
「仕方ない、あちらはお二人に任せますか」
言葉が終わらぬうちに、暗黒魔法はその猛威をふるい始めた。
ラッセルの高らかな宣言のあと、この場は切り取られたかのように静謐な空気をまとっていた。互いが互いを警戒し、牽制し合う。そんな状況が続いている。その中で隣の魔導師に囁きかけるという行為は、なかなかに勇気がいるものだった。
それでも言わずにはいられない光貴である。
「首飾りの奪取はいいけどさ……俺、魔法なんてロクに使ったことなかったんだけど?」
するとラッセルは、こちらを見向きすることなく、口を小さく動かした。
「構わねえよ。あのときの感覚を思い出してもらえればいい。それさえできれば、いくらでも応用はきくだろう」
「そう簡単なものかねえ」
光貴は呆れた。本職の魔導師に言わせればそうかもしれないが、彼はもともと魔法となんの縁もなかった一般人である。だが、その本職の言葉は厳しい。
「ここまでくれば分かってるんだろう。本作戦の頼みの綱は、その使えるかどうかすらあいまいな力しかないんだ」
これには沈黙を返すしかなくなった。背後で晴香が苦い顔をしているのが空気で伝わってくる。事の発端は彼女だったため、いろいろと思うところがあるのだろうか。
光貴は、こんなずさんな作戦を組み立てた国王陛下とやらを本気で呪いたくなったが、今は諦めることにした。
「分かったよ、やってやる」
呪うも罵詈雑言をぶつけるも、これが終わってからやればよいことだろう。もちろん、不敬罪で死刑になることを恐れないというなら、だが。
しかしここでラッセルが、光貴の内心をくみとったように破顔し、こんなことをうそぶいた。
「安心しろ。守護天使を擁する国では、守護天使の立場は国王より上だ」
――安心どころか軽くめまいを覚えたが、それを言ったところで何が変わるというわけでもない。光貴は沈黙を貫くことにする。
少年がきっと前を見据えると、そこに立つレラジェは一度目を細めた。それだけで先の動きが分かった彼は、
「そうら、行け!」
お世辞にも真面目とは思えないラッセルの掛け声が終わらぬうちに、地面を穿ってくる蛇を横に飛んで避けた。
獲物を食らい損ねた蛇は顔を持ち上げ、巨大な牙で礫をかみ砕くと、そのまま凄まじい勢いでもう一度光貴の方へと突進してくる。
「やべっ」
ぞっとした彼の脳裏に、もう一度あの力を使うかという考えがよぎるが、すぐさま拒否した。今この場で使うには不安定すぎる。
慌てて彼が蛇の攻撃を逃れようと身を低くすると、いつかのようにラッセルが前へ躍り出た。そして無言のまま手元に球体ではない火を生み出し、それを目の前の爬虫類の顔面に向かって投げつけた。火炎攻撃をもろにくらった蛇は、もはやそれとは思えない悲鳴を上げて地面をのたうちまわる。赤い粉は、無遠慮に周囲に飛び散った。
この様子を、ラッセルの背後から尻もちをついた格好で見ていた光貴に、声がかかった。
「おまえはとりあえず、様子見に専念しろ。攻撃がきたら回避か防御。力を使う良い練習になるだろ」
「ラッセルは?」
「俺は攻撃と撹乱。できるだけあいつの気を逸らすから、おまえは隙を見て奴の懐に飛び込んで、首飾りを奪いかえせ」
「了解!」
威勢よく答えると同時に、光貴は跳ね起きた。その様子を見て青年が、口元を緩める。
「そんじゃ、あいつにひと泡吹かせてやりますか!」
ずいぶん血の気の多そうな言葉とともに、作戦は開始された。
いつの間にかおどけた雰囲気がすっかり抜け切った表情のレラジェは、無言でこちらに蛇を向けてくる。どういう理由かは知らないが、なんとしても『神聖王』を手中に収めたいのだろう。
その目的は気になるところではあるが、今はそれを詰問している余裕はない。光貴は目だけで共闘者の位置を把握すると、そのまま跳んだ。学校での体育の成績は中の上程度だった記憶があるが、ラッセルのおかげで身のこなしが良くなっているという自覚はある。
軽やかに跳んで自分の攻撃を避ける小僧に腹が立ったのか、蛇の目つきが少しだけ鋭くなったのが見えた。あるいはそれが、これを操る者の感情なのか。文字通り蛇に睨まれた蛙になってしまいそうな光貴だったが、恐怖を使命感で押し殺して、向かってくる蛇を、身体をひねることで避け続け、そして跳び続けた。
何度かそんなやり取りを続けていると、怒り狂った蛇がついに牙をむいてきた。それを見た光貴はしゃがみこんで、
「いよっと」
掛け声とともに地面を蹴る。すると彼の体は宙に舞い、その途中で一回転した。そのとき。
「――まったく。おまえは余程『神聖王』殿が好きなように見える」
そんな呟きと共に、蛇の鼻先に風の刃が現れた。術者がこのときになって反応を示したが、遅かった。風は細い音を立てて蛇の顔面を切り裂く。
悲鳴がこだました頃、光貴は魔導師の背後に着地し、思わず愚痴をこぼした。
「おいおいラッセル。あいつ、俺のことばっかり狙ってくるんですけど」
「ああ、ご執心のようだな。困ったもんだぜ」
前にいるラッセルの表情は分からない。が、今にも舌打ちしそうな顔になっているのでは、と光貴は予想していた。
「おいおまえ、しばらくどこかに隠れておけ」
「やだよ。逆に逃げ場がなくなるじゃねーか」
光貴がそう即答すると、ラッセルはこちらから見ても分かるような不敵な笑みを浮かべた。そして、指先に光を生む。
「心配無用。あ、目をつぶっておけよ。俺が声を出したら、右に二十五歩進んで穴にかけこめ。――晴香もな」
少々口早にそう言った彼は、ゆっくりと光を生んでいる方の手をかかげる。光貴はそれを見て、慌てて目をつぶった。
その約三秒後。閃光弾のように光が一気に弾けたのは、目をつぶっていても分かった。
「ほらよ」
相変わらずふまじめな声がけが先程言っていたそれだとすぐに悟った光貴は駆けだした。頭の中で、歩数を数えていく。十二数えたところで、足音が重なっているのに気付いた。ひとつが自分でもうひとつが妹。それは、確認せずとも分かる。
二十五数え終え、光貴はそのまま滑り込んだ。すると、辺りが急に暗くなり、妙にひんやりする。それを感じたところでそっと目を開けると、目の前には岩の壁があった。ふっ、と短く吐息をこぼした彼は、ごつごつとしたそれにそっと触れる。妙になめらかな岩の感触と冷気がじんわりと伝わってきた。
彼は次に振り返って、周囲に妹の存在があるか確かめようとする。そして、すぐ後ろに彼女がいるのを見つけた。肩で息をし、膝をついている。
「ラッセルさんも、むちゃなこと、言うなあ」
晴香の息も絶え絶えな言葉を聞いて、光貴は思わず笑った。きっと、無意識のうちに彼と同じように見ていたに違いない、あの宮廷魔導師は。
「ま、全部終わってからめいっぱい愚痴言ってやればいいさ」
「……そうだね」
晴香が微笑とともに答えたそのとき。いきなり正面から爆音が聞こえてきた。顔をこわばらせて二人が振り返ると、予想より壮絶なラッセルとレラジェの戦いが展開されていた。
「やってくれるな、アルバートの飼い犬!」
もはや恐ろしいとしか言いようのない笑顔で、レラジェが蛇をラッセルに差し向ける。一方そのラッセルは、一瞬で炎の魔法を展開させながら愚痴をこぼしていた。
「まったく、その蛇は不老不死か!?」
すると、レラジェが得意気に答えた。
「こいつが死ぬときは、俺の腕が千切れたときだけだろうな」
「――ああ、そうかいっ!」
不快そうに奥歯をかみしめたラッセルは、言うと同時に蛇に向かってふたたび炎を投げつけた。空気中で激しく燃えるそれは、あっさりと蛇に当たる、かと思われたが、なんとそいつは炎を「かみ砕いて」しまった。赤々と燃える塊が粉となって四散する。
「え」
間抜けにも思える声を上げたのは、ラッセルの方だった。藍色マントの青年は愉快そうに言った。
「ふふふ、今まではちょっと手加減してただけだよ!」
それ、行け! 彼がそう叫ぶと、蛇は何かを吐き出した。数個出てきた紫色のかたまりは、まっすぐラッセルに向かって飛んでいく。
「あの蛇、毒持ちだったんだ……」
変なところで感心しているのは、光貴の隣で見ている妹である。
その声が聞こえているかいないかは分からないが、どちらにせよラッセルは冷静だった。毒の球の軌道を一瞬で判断すると、これまた無言で手元に風を起こす。それが徐々に大きさを増している、というのは、細く寒々しい音が大きくなっていっていることで判断できた。
一定の大きさに達したところで、赤毛の宮廷魔導師はそれを一気に解き放つ。術者という楔から解放された風は暴れ狂い、毒の球を一斉に吹き飛ばしてしまった。
「あ……あれって」
そのとき、少年の目があるものをとらえる。
「む、こいつ」
レラジェが忌々しげに呟いたが、その呟きはもう、光貴には聞こえていなかった。彼の目は、ある一点を見据えていた。
風で舞い上がった藍色のマントの下で、静かにきらめいたもの。鎖でつなぎとめられた青い石が、それがなんであるかを示している。少年の口から、その名がこぼれる。
「『夜空の首飾り』……!」
え、という晴香の声をよそに、光貴は目的の品を奪い返す機会を虎視耽々と狙っていた。




