第六話 ドリスの洞――4
俺、死ぬんだろうか。
息苦しさを感じながら、朦朧とした意識の中で光貴はそんなことを考えた。考えるとすぐに自虐的な笑みがこぼれる。
先日の作戦会議ののち、役不足の感がぬぐいきれなくてたまらずラッセルに相談を持ちかけたのは、別に悪いことではなかったと思う。彼から提案された役割を受け入れ、それを実践したまでも良い。だが、その先がまずかった。周囲への注意を怠ったせいで捕らわれて、結局彼に迷惑をかけてしまう結果となった。
かすんでいく視界を他人事のようにながめながら光貴が次に思ったのは、ああ、ラッセルから使えって言われてたあの機械、落としちまったな、という他愛もないことだった。
やがてそれらの思考すらまとまらなくなり、本当に彼が自らの意識を保つことを放棄しようとしていたとき。唐突な変化が訪れる。
言葉は分からない、しかしとても澄み渡った鋭い声がいきなり頭の中に響いてきたかと思えば、全身が急激に熱くなったのだ。
息を詰まらせ目を見開けば――映るのは純白の世界。その眩さに目を焼かれるんじゃないかとすら思うが、あいにく目を閉じることすらできなかった。
全身を駆け巡っていく謎の熱を感じながらそのまま硬直していると、彼の頭の中に再び流れ込んでくるものがある。
今度は、声のみではなく音声つきの映像のようなものだった。残念ながら観たことがないが、映画というのはこういうものなのだろうなという感覚を光貴に抱かせる。
映像は、彼の意志とは関係なく流れていく。やがて、一人の子供が現れた。
『せっかく貰ったものなんだから、最大限に生かしたいとは思わない?』
年の頃、十程度の少女は、見た目の幼さに似合わないはきはきとした声と口調でだれかに問いかけている。相手の姿を確認できないまま、少女の言葉は勝手に続いた。
『知らないもの? だから何よ。この世界、わたしにとっては知らないものだらけなんだから、変だなんて思わないわ』
そこで急に映像が転じた。今度は一人の男が、複数いる別の人間たちに何かを語りかけている様子だった。それもまた一分ほど続くと切り替わる。
これらの連続で、少年の脳内にはさまざまな映像が展開された。主体となる人物は老若男女ばらばらで、場面もまとまりがない。演説している場面だったり、一人に話しているところだったり、儀式の様子だったり、戦争の様子だったりした。
頭が限界だ、と光貴が思い始めたころ、映像の流動はやんだ。最後に映ったのは、一人の若い男。平原に立ち尽くす男だった。
『不本意だよなあ』
彼はいきなりそう言うと、だらしなく笑う。
『別に俺は地位も名声も望んじゃいないんだぜ? ただそれなりに生きていられりゃあ上々だと思ってた。なのに、そんな奴に限って表舞台に押し上げられること、あるんだよ』
皮肉なもんだ、と呟く男。彼を黙って見ていた光貴は、あれ、と思う。この顔はどこかで見たことがあるような気がする。この声は、どこかで聞いたことがあるような気がする。
『もしも子供ができたら、“こんなだらしない奴になっちゃダメだぞ!”って、教えなきゃならねえな』
光貴の疑問が氷解されないうちに、男は締めくくり、高笑いした。彼が口を開こうとしたところで映像は途切れて黒が視界を埋め尽くし、そうかと思えば光が戻ってきた。
「――うあっ!」
叫ぶと同時に彼の身体は大きく震えて跳ね上がり、固い地面に叩きつけられる。現実に戻ってきたと確信した。どこまでが現でどこからが夢幻かも分からないというのに。
一連の変化のあと、数秒ほどして光は収まった。しかし、自らの中に塊のように残っている熱は消えない。
不思議と不快感は無いそれを抱きながら光貴は薄目を開き、身体の感覚が戻ってきたことを認識する。だがそれ以外を確認する間もなく次の言葉が叩きこまれた。
「――『神聖王』だ。王が、ピエトロの守護天使が、帰ってきた」
神聖王、守護天使。ふたつの単語を繰り返し、ラッセルやノエル、晴香の話を思い出した。力を持ち、国を守護してきた『天使』。『神聖王』という、一代でたった一人だけが与えられる二つ名。声が示しているのはどうやら晴香ではなく、光貴の方らしい。
まさか、と思いながら上を向いて――ぎょっとした。
藍色のローブをまとった青年が、再び蛇をこちらに突きつけているのが見えたからだ。
「こいつが本命だったとはね。まあ、どのみちしばらくは寝ていてもらうよ」
思わず叫びかけてふと気付く。――こいつ、殺すとは言っていない? と。
どういうことだろうと考えている間に蛇はその牙をむいてきた。が、直後、光貴の視界にひとつの影が躍り出る。
ラッセルだ、と気付いたのは、二つのものが勢いよく衝突した音を聞いたときだった。奇妙なことに、彼の意識はそこで完全に覚醒する。やはり、あの熱は身体の中に残っていた。
どうやら蛇の牙を障壁で受けとめたらしいラッセルの目が、こちらに向く。
「おい! 聞こえるか、光貴!」
久方ぶりにしっかりとその声を聞いた光貴は、地面に手をつくと、身体を起こしながら返事をした。
「お、おう」
声は弱々しかったが身体は軽く、すぐに起き上がることができる。その様子を見たラッセルが、ニッと不敵な笑みを浮かべた。
「やるな、さすがは次代の『神聖王』様だ」
「あの、その話」
「悪いが後だ! とりあえずは離れてろよ」
にべもなくさえぎられる。不快に思わなかったといえば嘘になるが、とりあえず彼の言葉に従い、光貴は戦闘現場からさっさと退避した。
そのとき、不意に身体がかたむく。
「おっ?」
素っ頓狂な声を上げた彼は、慌てて踏みとどまった。とりあえず自分のことで精一杯だったため、彼は自分のもとに駆け寄ってくる者がいることに気付いていない。
だが、どうにか転倒せずに済んだと安堵したころ。
「お兄ちゃん!」
不思議と懐かしい声に、目を瞬いた。
「晴香」
少年が妹の名を呼ぶと、その妹はものすごい勢いで飛びついてきた。
さすがの光貴もこれには慌てる。
「ちょ、ま……晴香! 倒れる倒れる!」
彼がそう叫ぶが、晴香は自重するどころか涙目で拳をふるってきた。
「お兄ちゃんのせいだもんね! このバカバカバカ、馬鹿兄!」
「悪かった、悪かったけどそれやめろ! おまえはまだ十歳か!?」
光貴がそう叫んだところで、ようやく晴香の猛攻はおさまった。未だ不服そうではあるものの、どうにか言うことを聞いてくれたらしい。息を吐いた光貴は、視線をレラジェとラッセルの方に向けた。
明確な殺気を伴ってにらみあいを続ける二人。彼らを見てふとあることに気がついた光貴は、今一度妹の方を見た。示し合わせた彼女が口を開く。
「『神聖王』様」
その一言に、彼は身を固くした。妙に鋭い響きを伴った少女の声は、彼の脳裏に短い時間に起きた一連の出来事を思い起こさせる。
ただ、そんな光貴の内心をよそに、馴染みない呼称を使った晴香は頭をかいた。
「うーん、なんかやっぱり実感がわかないなー。でも、『神託の君』が守護天使の縁者だって考えると納得がいくような気もする」
「やめてくれ。そんな簡単に納得されるのもなんか嫌だから」
だいたい、自分でも自分の身に起きたことを受け入れられていないのだ。いきなり守護天使がどうのと言われても困ってしまうだけである。
ということで、まずはその出来事を引き起こした張本人に訊いてみることにした。
「さっき、何かしたのはおまえだろう? 『神託の君』。何をした?」
あえてこの名で呼ぶと、晴香は虚を突かれたような顔をした。彼女はしばらく考え込むと、言葉ひとつひとつをすくいあげるようにして話していく。
「実際、私自身もよく分かってないんだ。何かしなきゃいけないと思ったらいきなり身体が熱くなって、白い光が飛び出てきた……って感じ。あ、でも、トレヴァーさ――王太子殿下によると、私と『神聖王』が引きつけ合うってことらしいから、それと関係してるのかも」
結局、自分がいきなり守護天使扱いされている理由は謎のままだった。光貴は頭をかく。王太子という耳を疑うような言葉が出てきた気がするが、そんなことはいまさら気にするまい。
「縁者、か」
確かに光貴と晴香は縁がある。それどころか、血のつながった兄妹だ。そこまで考えれば先に晴香が言ったように、自然なことではあるのかもしれないと思えてくる。
だが、問題は。
顔をしかめたとき、突然すさまじい爆音が背後から聞こえてきた。飛び上がりかけた光貴が慌てて振り向く。
「ラッセル!」
反射的に宮廷魔導師の名を叫んだのは、彼と敵がすぐ背後で戦っていることを知っていたからだろう。そして直後に、その彼の声が聞こえてきた。
「くそっ、やられた」
どうやら無事らしい。しかし、安堵する間はなかった。
「何あれ! すっごくやばそうなんだけど、シオン帝国の魔導師よりとんでもなさそうなんだけど」
晴香が口早にそう叫ぶのも無理はない。
二人の方に、巨大な黒い玉が迫ってきていたのだ。ものすごい速さでこちらを飲みこまんとするそれは、レラジェが放った魔法だろう。
見ているだけで深淵に引きずり込まれそうな黒。それを見た光貴の背筋に、鋭く冷たいものが駆け巡る。
あれは危ない。だが、非力な自分ではどうしようもない。
本能がそう警鐘を鳴らしている。足の震えを感じる。情けなくはあるが、ある意味ヒトとしては当然といえる。だが、現実はそのままでいることを許さない。こうしている間にも深い闇は確かに迫っていた。
「おおい光貴! そっちはそっちでなんとかしろぉ!!」
「は? おまえ何言って――」
「目覚めたんなら使えるはずだぞ! 『天使』の能力」
「そんなこと言われても」
加えて、この無茶ぶりときた。
とても逃げだしたい衝動にかられたが、そんなことをしたところで最終的には死ぬだけである。自暴自棄になった光貴は、自分の脳みそを高速回転させた。
今、ここには何がある。どうすればその能力とやらが使える。さっきのように、妹を頼った奇跡はもう起きないだろう。それは断言できる。だとしたら、自分の力でどうすべきか。
「――あ」
光貴は、気付いた。自分の体内に、熱を帯びた『何か』があることに。これがラッセルの言う能力の根源だとしたら。
一度瞑目をして、焦げ臭い空気を肺におもいっきり取り込んだ少年は、そのあとすっと目を見開いた。迫りくる闇から目をそらさず、手を顔の前に突き出し、感じる。
――この瞬間、世界から一度音が消える。光貴は自らの意識に潜り込んだ。
自分の中でわだかまり渦巻く正体不明の「熱」。それらをゆっくりと練り上げていく。まるで粘土をこねくり回すかのようだと思った。そしてある程度まで練り終えると、それを一気に放出した。
外界と隔絶した自分の意識の中でそれを行ったので感覚しか分からなかったが、「熱」を放出した後に白い光が目の前に薄く広がると、ようやく自分がこれをやったのだと認識できた。
「お、お兄ちゃん、これ」
驚愕したような晴香の呟きも、現実味をともなったものとして聞こえてくる。光貴はここで改めて、目の前の光景を見た。
眼前で紗のように広がる薄い白は、二人を飲みこみかけていた黒を徐々に打ち消していっている。そうして十秒も経つと、黒は跡かたもなく消えた。
「これって……」
呟きながら、「熱」の放出が続いていることを感じた光貴は、試しにその放出をやめさせようと力を込めた。すると白はたちまち淡くなって、最後に消える。
向こうに見えたのは、立ちつくすレラジェとラッセルの姿だった。
「おおー、すげえ」
奇妙な沈黙を破ったのは、ふまじめにも聞こえるラッセルの呟きだった。そこにレラジェが続く。
「ま……まさか覚醒したての段階で……しかも実戦で、魔法を使うなんて」
「魔法? これが?」
敵のうめき声のような呟きを聞いて、少年は目を丸くした。さっきの膜のようなものが魔法だとしたらおそらく防御魔法の類だろう。そしてあの熱はいわゆる「魔力」ということになる。
信じられなくて妹の方を見ると、返ってきたのはうなずきだった。
「うん。魔法――そう見えたよ」
「まじか」
光貴は自らの黒髪をわしゃっとかいた。驚いたというより面倒なことになったという気持ちの方が強い。
しかも、こういうときに限ってその気持ちは尊重されない。
「なるほど、これならいけるかもしれないな」
「……何がだよ」
にやりと、笑ったラッセルに向けて、光貴は肩を落としながら問う。とはいえ、ある程度予想がついてはいた。
「手伝え、『神聖王』。あのクソ生意気なガキから首飾りを奪取する」
そして彼の答えは、少年の予想と大差ないものだった。




