第五話 交わる道、去りゆく風――4
晴香があまりにも不満そうだったので、三人はこれまでに発覚したことを説明してやる。当然ながら驚いていたが、すぐに緊張の表情を浮かべていた。
「つまり、これで彼らが何をしようとしているのかも、どこに行こうとしているのかも分かったってこと?」
「そういうことになりますね。現時点でどこにいるかはさすがに特定できませんが、この地図に最初に描かれていた○をつなぐだけでも、基礎となる円はでき上がっていましたから、目的地には近いと思われます」
ノエルが淡々と言葉を返す。すると今度はラッセルが、高揚した様子で言った。
「だとしたら早く洞の方に向かわないといけないな」
宥めるかと思われたが、意外にもノエルはうなずく。
「そうですね。明日にでも出発しましょう」
飛び交う言を耳に入れながら、光貴は椅子に座ってじっと地図の方をながめていた。
「これから」を思うと自然と顔が曇る。先に待っているのは、おそらく首飾りを巡る戦いだろう。その戦いに関して、自分は部外者以外の何物でもない。
このまま、ここにいていいんだろうか。そんな思いが湧きでてきた。
しかし、不安と緊張をないまぜにした残る三人の顔を見ると、どうしてもそれを言い出せなくなってしまう。
光貴は、再び一人残されてしまった気分になった。
その日は、簡単な打ち合わせと買い出しだけで終わっていった。ちなみにノエルの方は馬車便の切符を取りにいったりしていたのだが、それを知っているのは光貴だけである。
四人とも早く床につき、来るべき明日に備えた。
そして翌日、建物の上に日が顔を出し始めた頃、四人は町の馬車乗り場に向かった。
「こんなのを準備してたなんて、さすが緑君だ」
「馬車なんて初めて乗るよ。どんな感じかなあ」
四人分の切符を手に呟くラッセルに続き、どこか楽しそうに晴香が言う。それに対してノエルが柔らかく笑った。
「楽しそうですね、晴香さん」
「そりゃあねえ。決戦前だけど、どうしても初めてのことには浮かれてしまうんだよ」
ふふふ、とどこか得意気に笑いながら言う彼女の姿をながめながら、光貴は黙ってラッセルの隣を歩いていた。
「どうした、光貴? また黙りこくっちまって。最近なんか変だぞ」
横合いからラッセルにそう言われるも、光貴はどこか曖昧な笑みを返すだけ。
「なんでもない」
一応そうも言ったが、青年はあまり納得していない様子で相槌を打っていた。
ちなみに晴香もときどき気遣うように彼の方を見ていたが、彼自身がそれに気付く気配もないまま、馬車乗り場に到着してしまう。そして、ちょうど目的の乗り合い馬車が到着したところだった。
リンゲンからドリスの洞までは、歩いて五日の距離がある。この馬車だとそれが二、三日程度に短縮される。もちろん洞の最寄りの乗り場に止められるので、そこから歩いていかなければいけないわけだが、最初から徒歩で行くよりはずっといい。
この四人を含む少数の客が乗り込むと、馬車はゆっくりと出発した。馬蹄と、車輪が石畳にこすれる音がやかましく響く。同時に、ガラスのない窓の外に広がる景色も流れ始めた。
「おお、すごいすごい!」
生まれてこの方乗り物に乗ったことなどない晴香は、それを見ながらきゃっきゃとはしゃいでいた。黒茶の瞳が好奇心に輝いている。
もちろんその点で言えば光貴も同類なのだが、彼はやはりぼうっと外を眺めていた。
「わ、なんかすごい揺れる」
「速さで売ってる馬車らしいですからね。仕方ありません」
「こりゃあいつもよりケツが痛くなりそうだな」
「それも我慢してください」
眺めながら、隣で交わされるそんなやり取りを耳に入れていた。
しばらくの間なかなかの速度で走り、途中いくつかの乗り場に停車した馬車。そしてまたしばらく走ったあと、大きな町の乗り場に止まった。そこで一度休憩を挟むらしく、次の出発までには時間があるとのことだ。
「じゃあ、ちょっと外に出るか。身体をほぐした方がいいだろうし」
ラッセルのそんな提案で、四人は出歩くことになる。晴香とラッセルが思い思いの場所に散っていくのを見ながら、光貴も緩慢とした動きで馬車を下りた。
「……騒がしいな」
町の様相を見て光貴はそんな感想をこぼす。
赤、緑、青、橙など、色とりどりの屋根をもつ建物が密集し、たくさんの人と小さな馬車が道を行くその様は、王都を思い起こさせるようでいて王都とはまた違った趣を放っていた。また、ここにはどうやら国内外から訪れた人がいるらしく、行き交う人の肌の色も服装も様々だった。なので、陽国人らしい光貴が歩いてもちっとも目立たない。
しばらくふらふらと歩いていた光貴はしかし、背後に馬車乗り場が小さく見える場所でふと足を止めた。
ちょうどそのとき、彼の背後に影がさす。
「光貴さん」
声をかけられて光貴が振り向くと、そこにはノエルが立っていた。彼の特徴であるふんわりとした笑みを浮かべて、彼は唐突に少年を誘ってくる。
「少し、お話しませんか?」
「……話?」
光貴は疑問に思わずにいられなかったが、別に断る理由もないのでいきなりの誘いを受けることにした。
二人はその後すぐに人気のない場所まで行く。というのもそこは自然公園だった。街中とはややずれた雰囲気のある自然の中に踏みいると、緑の匂いが鼻をくすぐる。
さながら川のような緑の上を茶色の石が走っている。そんな細い道を歩き、公園を見回しながら、ノエルはいきなり語りだした。
「晴香さんにはもう話したんですが、僕は元々異国の生まれなんです。いろいろあって故郷の村を出ざるを得なくなったとき、陛下に拾われ、城に入りました」
「ああ……ラッセルから大凡は聞いたよ」
「そうですか。まったく、あの人は」
ぶっきらぼうな光貴と、あくまでいつも通りのノエル。二人は奇妙なやり取りをしながら、それでも足を止めずに行く。靴と敷石がぶつかるたびに、こつん、と高い音を立てた。
「しかし最初のうちは大変でした。陛下が直々に招いた者とはいえ、どこの馬の骨とも知れぬ異国の子供。城の者、そこを訪れる者、彼らがすぐに僕を受け入れてくれるはずがなかったんです。そのせいもあってかしばらくは、大衆の中にいるのに一人とり残されたような感覚を味わうことがたびたびありました」
実際に陰口も叩かれましたし。呟いて、自嘲的に笑うノエルを、光貴は黙って見た。いつの間にか、歩も止まっていた。
光貴より少し前を歩いていたノエルが、緑髪を風になびかせ振り向いた。
「だから分かるんです。同じような思いでいる人が、そのときどういう顔をしているのか……とか、そういうことは」
男子にしては高い声は、人気のない公園によく響いた。それまで黙りこくっていた光貴は、自分の影にふと視線を落とすと、言葉をこぼす。
「――目が覚めたら二年も経ってた。その時点で俺はもう、二年前にとり残された人間なんじゃないかとばかり思ってたし、今も少し思ってる」
言いつつも、我ながら信じられない思いに浸っていた。
ノエルのことはあまり信頼していなかった。むしろ少し警戒していたと言ってもいいかもしれない。
だというのにいつの間にかそんなことを口走っていたのは、よく似ていたからだろうか。
「そうだよ。不安にならないわけがないだろ。俺は『天使』と関係なければ、首飾りの件の当事者じゃない。それに今の世の中のことを知らない。なのに一緒にいるんだぞ」
光貴が言った時点で、それまで閉じていたノエルの口が、開く。
「でも、あなたは晴香さんのお兄さんでしょう? だったら」
「だからなんだって言うんだよ」
その口から出た言葉をさえぎった声は、本人が思っていたよりずっと冷たかった。顔を上げた彼が、続けてまくしたてる。ノエルの表情は、もう分からなかった。
「兄だからなんだ? 家族だからなんだって言うんだ? 建前振りかざしても、けっきょくは母親と妹ほったらかして姿をくらましたんじゃねえか。そんな奴がいまさら兄貴面できるのか? それでいいっていうのか!」
ぽんぽんと飛び出てくるそのひとつひとつは、重ねるごとに熱を帯びていく。光貴は自分が知らぬ間に、ひどく感情的になっていた。
しかしその熱は、ノエルの困ったような顔を見た瞬間、冷めていく。一度息を吸った光貴はまた、うつむいた。
「……一緒にいて、いいのかよ」
悲痛な心の欠片は、音もなく地面に落ちる。
震えて出てきた声のあと、その場には静かな沈黙が満ちた。その中を駆け抜けた風は、草木をさあっと揺らして通り過ぎていく。
自らの肌をなでる風を感じながら光貴が唇をかんでいると、ノエルがまた唐突に言った。
「晴香さんは……二年半、ずっとあなたの帰りを待っていたそうです」
心なしか先程より鋭い声だった。
「あなたの言わんとしていることは分かりますし、確かに今の彼女は常人ならざる立場にあります。しかしこの状況だからこそ、ずっと待ち続けていたあなたが隣にいることは、何よりも力になっているはずです。それに」
いったん言葉を切った彼は、今度は優しく語りかける。
「今のあなたもその点で言えば同じなのではないですか? だからきっと、今また一人になったら……壊れてしまいますよ。それは、僕個人としても嫌なんです」
困ったような声を聞いた光貴は、そこでようやく顔を上げた。すると、苦笑しているノエルの姿が瞳の中に映り込む。
気がつけば、笑っていた。
「そーかも、しれないなあ」
やけに乾いた声。その割に心は軽かった。
きょとんとするノエルに向かって、光貴は言う。
「ありがとう、ノエル」
彼はしばらく目を瞬いていたが、やがて少年らしい快活な顔になり、手をさし出してきた。
「どういたしまして、光貴さん」
名前を呼ばれた少年は、その手をそっと握り返した。
だがその瞬間、ノエルの表情がじゃっかん険しさを帯びる。
「……? どうかしたか?」
光貴が首をかしげると、ノエルはそっと手を放してから言った。
「いえ。ただ――さっきあなたは、自分が『“天使”のことに関係ない』と仰いましたよね」
「ああ」
それはそうだろう。『天使』でもなければ『神託の君』でもない、ただの一般人だ。しかし目の前の『預言者』はゆるゆると頭を振る。
「でも、そうではないと僕は思うんです」
声は、少しだけ熱を帯びている。普段は落ち着いている少年のただならぬ様子に、光貴は少し顔をしかめた。
「どういう意味だよ」
良いことではなさそうだ。そう覚悟して、次の言葉を待っていたが、その次の言葉というのが思った以上にとんでもないものだった。
「僕の推測が正しければ、あなたは――」
その刹那、ひときわ強い風が吹きつけた。ごうごうとうなりを上げ、草を揺らして大地を乱すその風は。
「…………え?」
まるで、平穏の崩壊を知らせる警鐘のようだった。




