第五話 交わる道、去りゆく風――3
とにかく気まずい空気の中、四人はホテルを探して宿泊手続きを終えた。一応、気を遣ってラッセルが男女別の部屋割にしてくれたようだ。それに対して晴香は「私、一人なの!?」と城勤め二人の予想を裏切る反応をした。
むろんのことその二人は戸惑っていたが、光貴は苦笑しただけだった。妹が三対一に不満を述べることに関して、なんとなく察しがついていたのだ。
だが、晴香も無理矢理わがままを突きとおすほどではないと思ったのか、ラッセルの気遣いを受け取り、妥協してくれた。旅の仲間に女の子がいれば良かったのに、などと呟いていた気がする。
どこに条件の良しあしの基準があるのかよく分からない少女を見送ったあと、ノエルは情報収集と称してすぐ町に出ていってしまった。
よって、現在部屋の中にいるのはラッセルと光貴の二人だけである。椅子に座って茶色い装丁の本のページをめくるラッセルの横で、光貴はベッドに転がっているという状況だった。
「……数学の法則を見つけるのも、苦手だったんだよなあ」
頭の中で少し前に見せてもらった地図を思い描きながら、彼は呟いた。その声に反応してラッセルが顔を上げる。
「なんの話だよ」
「高等学校での学習と、今回の件との意外な関連性の話」
「……法則性が、あると思うのか」
彼の問いに光貴がおどけて答えると、青年は赤い眉をひそめて言った。うーん、と考え込むようにうなった光貴だったが、すぐにそれをやめて寝転がったまま伸びをする。
「そう仮定しないと、答えは出ないと思ってさ。もしそれでアテが外れれば、また別の仮定を立てればいい」
全身の筋を思いっきり伸ばしたあと、少年はそのまま弾みをつけて身体を起こした。それから、気分転換と言わんばかりにラッセルの方へ身を乗り出す。
「ところで、さっきから何を読んでんだ?」
するとラッセルはようやくしかめっ面を崩して、にやりと笑った。
「魔法に関する本だ。見てみるか?」
問いかけられた光貴は、すぐさま「見る!」と答えて、ひったくるような勢いで本を受け取った。当然ながら目に飛び込んでくるのは、ちょうどそのときラッセルが開いていたページである。
それを見た光貴の動きが、止まった。
「何これ」
たちまち渋面になった少年の声に、宮廷魔導師があっけらかんとして答える。
「何って、魔法円について解説している章の一ページだよ」
「いや、そりゃ見たら分かるわ。問題はこのページの内容」
そのページではとある魔法円の解説を行っていた。その図が大きくのせられ、円の中の命令式を構成している図形について事細かな説明が書かれている。だが、問題点がひとつあった。
「用途についての説明が曖昧すぎやしないか?」
そう。肝心の使用目的や効果についてはあまり触れられていないのだ。せいぜい、「宗教的儀式の際に用いられた」と記されている程度である。ラッセルはそれを聞いてああと納得した。
「俺もそれは思ってたんだ。だが、調べてみたところ、その儀式というのがどうやら秘密裏に行われていたものだったらしく、記述が残ってないんだと」
「なんだよ、そりゃ。だったら掲載するなって話――」
彼の言葉を聞いて、光貴はがっくりと肩を落とした。だが――はたと、そこであることに気付く。
「ん?」
何かの間違いだろうかと思った彼は、もう一度そのページを、正確にはそこに載っている魔法円の図を見直した。だが、考えはくつがえらなかった。
「これは!」
「なんだ、どうした?」
光貴が叫ぶと、ラッセルが目を瞬いてのぞきこんでくる。そのラッセルに光貴はつかみかからんばかりの勢いで問いかけた。
「おいラッセル! 地図ないか、地図」
「地図? それならノエルが持っていっちまったが」
「マジか」
戸惑いの色濃い顔で見つめてくる青年にかまわず、光貴はうめくような声を上げる。思わず髪をわしゃわしゃとかきむしった。
「何か御用ですか、二人とも」
ちょうどそのとき、大きな鞄を背負ったノエルが部屋の扉を開けて堂々と入ってきた。彼の姿を見てラッセルがにやりと笑う。光貴も一瞬だけ固まった。
「お、噂をすればなんとやら、だな」
「おかえり、なんか収穫あったか?」
楽しそうに言うラッセルに続き光貴がそう訊くと、ノエルは後ろ手に戸を閉めながら首を振った。
「いいえ、大した手掛かりは得られませんでした」
そうか、と呟いたのは二人同時だっただろう。ただ、その直後に詰め寄るような勢いで質問したのは、間違いなく光貴である。
「ところでノエル、あのとき見せてもらった地図貸してくれないか?」
「――? 構いませんが」
いきなり訊かれたノエルは首をひねるが、少年の顔を見て何を思ったのだろう。一言で了承すると黄ばんだ紙を取り出した。入口のところでそれを受け取った光貴は、テーブルの上にさっそく広げる。それから、ラッセルに見せてもらっていたあの本の、件の魔法円のページを開いた。
「なんだよ。何が分かったんだ」
それを見て、彼が何をしようとしているのかおおよそ察したらしく、ラッセルも彼の隣に歩いていき、地図をのぞきこむ。
一方、光貴は、これまた隣の宮廷魔導師の私物らしいペンを右手に持ち、本を左手に持ち、本と地図を見比べながら彼に訊いた。
「なあ、フィロスには何があった?」
ラッセルは、鳶色の目を丸くした。
「はあ? 何って。まあ……有名なのは教会や神殿かなあ」
それを聞いて光貴はうなった。その視線は、地図のある地点に注がれている。
気まずい沈黙が漂いかけたとき、二人を眺めながらも完全に蚊帳の外状態だったノエルが唐突に口を開いた。
「そういえば、リンゲンにも大きな教会があるみたいですね。さっき見てきましたよ」
「へえ……」
二人が返したのは気のない返事。しかしその後、ほぼ同時に動きを止める。そしてすぐに目を大きく見開き、獲物に食いつく狼のごとき勢いで地図をのぞきこんだ。
地図の、○がついた町。そこを順番に見ていって――
「教会だ!! この○がついてる場所には、かならず大きな教会がある!」
「やっぱり当たりか!」
印のある町の共通点を見いだしたのは、この中では一番ピエトロ王国に詳しいと思われるラッセルだった。彼の大声を聞いて、光貴がペンを握る手に力を込めて問う。
「ラッセル! ほかに、大きな教会がある場所は!」
ここでノエルも光貴たちがやろうとしていることを察したらしい。この後しばらくは、彼も加わっての大作業となった。地理に詳しい二人が大都市や町の名前を述べ、光貴がその地点に○印を描いていく。その繰り返しで、時間を費やした。
三分ほど経った頃。
「よし――と」
光貴がそんな声とともに、ある地点に○をつける。そこは王都にほど近い、テルハーレンという小都市。ラッセルいわく、かつて、他の大陸から持ち込まれたある宗教が勢力を誇っていた時代に、「宗教都市」という名で発展していたらしい。
それはともかく、一通り印をつけ終えた光貴は少し顔を上げて地図をじっくり見た。そして――
「これ、つないでみるぞ」
そう、傍らの二人に声をかけ、○から○へとペンを滑らせていく。確かめるように、慎重に。この作業が進むと、ラッセルとノエルの顔に驚きがあらわれる。
「おいおい……」
「これは……」
そうしてすべてをつなぎ終えたとき、彼らは小さな小さな声を漏らした。
「まったく、同じだな」
ペンを持ちあげて指先で一回転させた光貴は、描くだけ描いた地図の上にあの本を載せた。
本の開かれたページに載っている、用途不明の魔法円。『夜空の首飾り』盗難に関わっていると思われる者たちの足取りとその予測地点をつなぐことで地図上に生まれたひとつの図形。このふたつは、まったく同じ形状だった。
「どういうことです。ラッセル、これが何に使われている魔法円かは何にも記述がないのですか?」
目を細めたノエルがそう言って宮廷魔導師を見る。が、彼も肩をすくめたのみであった。
「多分、ないな。俺はこの本に載っているのを見て初めてこの魔法円の存在を知ったんだし。調べた限りでも詳しい記述は何もなかった。世界中の書物をあされば出てくるかもしれないけど……とうてい無理だろ?」
皮肉っぽく締めくくった彼はしかし、地図の方に力強く身を乗り出す。そして光貴が置いた本を軽く持ち上げた。
「だから、知りたければこの円の中に組み込まれている記号を見て推測するしかない」
魔法円、と呼ばれるものは、必ず大きな円の中に記号と文字がいくつも描かれるという構造をとっている。これは、円が力――この場合は魔力――の循環をつかさどるものだからだとされていて、事実円形の方が力のめぐりが良く、魔法の発動に適しているそうだ。
「で、その記号が細かい命令ってわけか」
独語した光貴は、さっそく記号をながめた。
この魔法円を構成している主たる記号は五芒星だった。そして五芒星の中心によくわからない記号が描かれている。
「なんだよこれ……棒?」
光貴はその記号を見て、首をひねった。
確かに一目見れば棒そのものである。ただし、棒の先端には三角形が描かれていた。ノエルもお手上げと言った様子で首をふっていたが、ただ一人余裕を見せつけている者がいた。
むろんのこと、ラッセル・ベイカーである。
「こりゃ、槍を簡略化したものだな。槍は戦争の神を象徴している」
「か、神って……」
ラッセルのあっけらかんとした物言いに、光貴はややたじろいだ。しかし、この魔導師は変わらず言いたいことを言う。
「『天使』がいるんだから、神がいてもおかしくないだろ? ま、『天使』にまつわる言い伝えとこの象徴は別物ではあるんだが」
そう言われて、少年の頭は少しばかり混乱する。すがるような目で『預言者』を見るも、曖昧な笑顔を返されるだけだった。ラッセルは笑いながら、今度説明してやるよ、と言って続ける。
「ていうか、昔は今よりもっと本気でこんな神様が信じられてたんだ。魔法円の効果を示す記号にそれらの象徴が使われていてもおかしくない」
「神様、ね。『天使』の話さえも俺、未だに信じられないんですけど」
顔の筋肉が引きつるのを感じながら光貴が言うと、今度はノエルに肩を叩かれてしまった。
「すみません。その件については、どうか呑みこんでください」
「そうだよ。妹が『神託の君』なんだから、諦めろ」
沈黙するしかなかった。ノエルの無茶苦茶な言葉も、晴香の話を出されると本当に従わざるを得ないような気分になる。
最初、晴香が『神託の君』だと聞いたときは本当になんの冗談だと思ったが、真に冗談であるならば、今こうしてノエルと旅などしていないだろう。どうにも複雑な気分であった。
とりあえず悩んでも余計に混乱するばかりだと思ったので、あっさりと話題を変えた。というより軌道修正した。
「で、結局この円は何を示してるんだ?」
光貴の目が捉えたのは、あごに手を当てたラッセルである。
「槍は戦いの神、そして五芒星はこの場合、魔法の属性の中で特に代表的な五属性を表している。ということは……この魔法で戦神と『接続』しようとしているのかもしれないな。首飾りはその媒体か」
「五、ですか? 四とか六なら分かりますが」
ノエルが訝しげに言うと、青年は鋭い目をして地図と本を睨む。
「火、土、風、水、そして光と闇。この魔法の六属性の中で、奴らは特に光を嫌っている。だから光を除外した五属性を用いる気だろう。そういうものは、暗黒魔法の中に多く存在してるだろ? いまさら不思議がることじゃない」
「なるほど、そういうことですか」
神妙な顔のラッセルと、ようやく納得したノエル。調子よく話を進めていく仲のいい二人の横で、光貴は立ち尽くしていた。だが、そろそろ本当に脳内がこんがらがってきたので、おずおずと手を上げる。
「あのー……なんか俺、置いていかれてるんですけど」
すると、ノエルが顔を上げ、申し訳なさそうに苦笑した。
「そうですね。じゃ、魔法の効能に関する話は後にしましょうか」
「おうよ。もっと大事なことがあった」
ラッセルが彼の言葉に同調してから、地図の上に手を置いた。
「奴らがどこでその儀式を行うか……端的に言っちまえば、どこに行くか、だな」
「でも、それならもう予想がつきませんか? 光貴さんも」
「ああ、そうだな。おそらく――」
三人は光貴の言葉のあと、ほぼ同時に視線を動かした。見えてくるのは、戦神を象徴する槍の印。
「中心、ドリスの洞か」
代表してラッセルが言って、円の中心となっている地点を指さす。「ドリスの洞」という名前が確かに刻まれていた。
「儀式にはうってつけではないですか。元来、宗教行事が行われていた場所なのですからね」
そう考えると、ずいぶんと分かりやすいものを作ってくれたもんだな。
ノエルの皮肉るような物言いを聞きながら、光貴は思った。
そしてそのとき、ノックの小さな音が彼の耳に飛び込んでくる。彼は思わず振り向いて、扉の方を見た。この叩き方には覚えがある。
「晴香?」
光貴が呼びかけると、部屋の外から「うん」という小さな声が聞こえてきた。少年は一度ふたりに目を配る。彼らの表情を確認してから再びその方を向いた。
「入っていいぞ」
すると、扉が控えめに開いた。壁と扉の隙間からのぞいたのは、間違いなく妹の顔である。
「皆さん、何をそんなに盛り上がってるの?」
不満げな妹と、言葉に窮する男二人の表情を見比べて、光貴はひとり、苦笑してしまった。




