第五話 交わる道、去りゆく風――2
この状況はどうしたものだろう。
晴香はもくもくとオムライスをほおばりながら、赤毛と緑毛の城勤め二人を呪った。対面を見ると、光貴もどこか居心地悪そうにしている。本人は隠そうとしているようだが、視線があちらこちらにいっているのでバレバレだ。
あれから三分ほど経ったが、二人とも戻ってくる気配はなく。晴香は一人もだえ苦しんでいた。
だが、そうしているうちに意外にも前から声がかかった。
「――大きく、なったなあ」
「え?」
晴香がスプーンを持ったまま顔を上げると、兄の笑顔が見える。
「二年前はこんなだったのに。成長期というやつは恐ろしいもんで」
言いながら自分の腰あたりを指さす光貴を見て、晴香は頬をふくらませた。
「そんなに小さくなかったよ。失礼だなー。それと、成長期はお兄ちゃんも一緒でしょ?」
最後の方を言葉にしてから、はっとする。二年前からわずかに伸びている光貴の身長は、それでも十六歳男子の平均より低いくらいだった。これがもしも封印の影響だとしたら……。
しかしこの少年は妹の戸惑いなどよそに、笑う。
「口うるさくてツッコミが律儀なのは、二年前と変わらないな」
「ど、どうだっていいじゃないのよ、そんなこと! だいたい、お兄ちゃんが昔から変なことばっかり言うせいでしょ!?」
相手の反応にひたすら気をもんでいた晴香は、その一言でそんな自分が馬鹿みたいに思えてきて、つい憤慨して怒鳴った。どういわれるかと若干身構えたものの、さすがは兄である。妹の怒りなどものともせず、むしろ声を立てて笑ったのだ。
かつてと変わらぬ無邪気な表情。それを見て晴香の怒りは空気を抜かれた風船のようにしぼんでいく。気がついたのだ、兄のおかげでいつもの調子を取り戻しつつある自分がいることに。
思い返せば、いつも彼に助けられてばかりいた気がする。この期に及んでもそうなのかと、少女は目を伏せた。
湧き上がる自己嫌悪に唇を噛み、それをごまかすように兄へと問うた。
「ねえ、お兄ちゃん」
「ん?」
「あの日のことを何も覚えてないって、本当なの? それに、さっきのラッセルさんの話も」
返ってきたのは沈黙だった。おそるおそる顔を上げてみると、光貴はうなりながら頭をかいている。やがて彼はその重い口を開いた。
「神殿がどうとか、詳細な状況を実は知らないんだ。ただ、目が覚めたら二年経っててフィロスのホテルのベッドに寝かされてた。それは事実だ。――あと、申し訳ないんだけども『その日』のことを何も覚えてないってのいうのも本当」
意図的なことなのか、単なるショックなのか。そう結んだ光貴の表情はどこか悔しそうだった。何が起こったのか、そして犯人がだれなのか、まったく分からないのでむず痒い思いがするのだろう。
一緒になって考え込んでしまった晴香がまとう空気を察したのだろうか。光貴は素早く話題転換をしてきた。
「俺があのノエルって奴のことをよく知らないのと一緒だっていうのは分かるけど、ラッセルは案外いい奴だと俺は思ってるよ。任務だからというのもあるだろうけど、それにしたっていろいろと世話を焼いてくれたし」
「そう、なのかな。私は……自分でもよくわからないんだけど、まだあの人のこと、警戒してる」
晴香が小声で返すと、光貴は「そっか」と言って店の仄暗い天井を仰いだ。それ以上は何も追及しようとしない。妹の心中を彼なりに感じ取って気を遣ったのかもしれない。ありがたいような、不満なような、微妙な心持ちになった。
「あ、そうだ」
ふと思い立って晴香は口を開く。光貴がこちらを向いたことを確認すると、言った。
「せっかくだから王都のこととかウチのこととか、教えてあげる」
兄は少しだけ身を乗り出してくる。興味津々なのが目に見えていた。そのことで心がわずかに浮き立った彼女は、得意気な顔で話した。
晴香が話すと、光貴の反応が返ってくる。このキャッチボールは晴香にとってなかなかおもしろいものだった。母が行商に出たとか、晴香が飲食店の雑用をやっていたというところで兄は大いに驚いていたし、ライルの様子を伝えると苦笑していた。そして、こんなふうに話しているうちにお互いの表情はゆるんでいく。微々たる前進だが、兄妹の心は近づいていった。
それから五分経過した頃に、うっかり忘れかけていた二人が戻ってくる。
「おっ、意外にも楽しそうじゃねーのお二人さん」
そう言いながら陽気に歩いてくるラッセルと、無言で笑みを浮かべているノエル。ふたりを見た晴香と光貴は、同時に声を上げた。
「頭回る二人が帰ってきた」
言うまでもなく、皮肉である。
わずかな言葉の応酬のあと、ラッセルとノエルは席についた。そしてラッセルの方が話の口火を切る。
「さてと。そこの兄妹が仲直りしたところで、今後の方針決定といきますかー」
「別に喧嘩してたわけじゃねえよ」
厭味としか取れない言葉に光貴が突っ込むと、赤毛の青年はにやりと笑う。その笑みにはどういう意味があるんだと、晴香としては問いただしたくなったが、口論で彼と競えるのは彼以外の男二人までだと思ったので、おとなしく口をつぐむ。
というわけで邪魔されなかったラッセルは、意気揚々とこの「会議」を仕切っていく。
「まず、陛下から提供されたという情報を洗いざらい吐いてもらおうか、緑君」
「その言い方はやめてくださいと何度も言っているでしょう」
おそろしく平板な、それでいて怒りがありありと感じ取れる声を発したノエルは、しかし直後に自分の鞄を探った。それからテーブルの上に広げられたのは、ピエトロ王国全体を示す地図。
「陛下から賜った情報は大きく分けて三つあります。ひとつめ、事件の発覚は二か月前。ふたつめ、宝物庫から魔力の残滓が発見された。そしてみっつめ――長きにわたる調査の結果、犯人と犯人のその時点での居所および足取りが特定できた」
「ふむ。それがこの地図に描いてある、と」
ラッセルが結ぶと、ノエルは一度首を大きく縦に振って、それから丸めてあった地図を丁寧に広げていった。晴香は横からそれをのぞきこむ。さらに、ラッセル、光貴と続いた。
「……これって?」
四人で地図をのぞき込み、いの一番に声を発したのは晴香だった。
「なんだか不規則な気がするな」
それに続いたのはラッセルの言葉。
彼らがそんなふうに言ったのは、地図の恐らく足取りを示す印であろう、特定の地を囲む○と次の○へと伸ばされている矢印を見てのことだ。
「○が、犯人がある程度とどまった地点、◎がその時点での潜伏地だそうです」
ノエルに説明を入れられても三人はうなるばかりである。
「私たちがいまいるリンゲンがここだよね?」
言って晴香は地図のある面を指で叩いた。そこには確かに、この町の名前がある。うん、と三人がうなずいた。ラッセルがさらに後を引きとる。
「王国内を、王都を大きく囲むようにしてまんべんなく移動してはとどまっている、と言ったところか? それ以外の共通点はあまり見いだせないが」
確かに、○印のある町村の共通点はラッセルが口にした通りだった。ちなみにだが、リンゲンやフィロスもそのひとつである。
「犯人たちはいったいどこに向かうつもりなんだろうな」
身を乗り出して顔をしかめながら光貴もそう言う。それはあいつらの目的次第だろ、というのはラッセルの答えだ。それを聞いて、晴香は考える。
「国外に出て売り払ったりするつもりかな? 仮にも国宝盗むなんて大罪犯したわけだし」
「いえ、それは無いと思いますよ」
ノエルは即座にその考えを否定して、地図をにらみながら続けた。
「『夜空の首飾り』は国内外で知られるピエトロの財産であり、魔法道具です。それを外で売りはらおうものなら、あっという間に友好国に足取りを掴まれて、捕縛されることになります。そう考えると国外逃亡しても行く先がないですし、むしろ、国内にとどまって何かしようとしていると考えた方が自然ですね」
「でもよ、国内で何をするつもりなのかもまったく見当がつかないぜ」
ラッセルは投げやりに言うと、椅子にもたれかかった。犯人についても“組織”の奴らが関わってるってことくらいしか分かってないしな、という呟きが聞こえてきた。そこで晴香はあることを思い出し、顔を上げる。
「首飾りが果たす役目といえば、魔法道具と象徴と、あとは王位継承の際に受け継がれるってことくらいなんでしょ? 何か、犯人側の目的に沿うような要素があるかな」
返ってきた反応は、晴香の予想をあっさりと裏切った。
光貴の頭に疑問符が躍ったのはともかくとして、ノエルとラッセルの二人は見事に動作を停止し、顔をこわばらせたのである。ラッセルに至っては、もたれかかった状態から跳ねるように身体を起こしたりもした。
「どうしたの?」
きょとんとして晴香が訊くと――ラッセルが、いきなり鬼の形相で詰め寄ってくる。
「おまえ……首飾りが王位継承の道具だって、どこで知った!? 一般人にも知らされていない国家機密だぞ!」
「――――え?」
晴香は目を瞬いた。そして、寒気を覚えた。頬に冷や汗が伝うのが分かる。
彼は今、国家機密と言わなかったか? 一般人にも知らされていないことだと。それはつまり――
晴香がひとつの可能性に辿り着こうとしたとき、ノエルが声を上げる。
「晴香さん……まさか、昼間会ったという少女から聞いたのではないですか?」
「少女?」
ノエルに訊いたのは、話に置いていかれかけている光貴だ。
「昼、石を取り扱う店に入ったんですよ。晴香さん、そこで宝石が好きな少女と出会ったそうで。このリンゲンの中で数少ない、首飾りの件を知っている人間だと聞いたので、妙だとは思ったのですが」
「ああ、なるほどね。そういうことか」
石像のように固まる晴香をよそに、二人は話を進める。
光貴については、さっきのノエルの話とこれまでの会話から、大凡の事情を把握したらしい。もともと情報処理能力は高い方なので問題なかったのだろう。
微妙な空気が漂う中、唯一明確な感情を示したのはラッセルだった。
「じゃあ、そのどこの馬の骨とも知れない女の子ってのは……クソっ!」
彼は人目も気にせず悪態をつく。おそらくこの中で一番事態を重く見ているに違いない。
「落ち着いてください、ラッセル」
そしてそんな宮廷魔導師をなだめたノエルは、すくっと席を立った。
「不確定な話が混ざり合っている状況で焦っても仕方ありません。とりあえずは、現在の犯人の居場所についてゆっくり考えましょう」
「で、でも、ゆっくりしている場合じゃないんじゃ……?」
「だからこそです」
ようやく動きを取り戻した晴香の問いをぴしゃりと両断して、彼はさっさと歩いていってしまう。ラッセルも苛立ちを隠さない表情のまま、そこに続いた。
城勤めの二人を見比べた晴香は確かな怒りを感じて青ざめる。しかし、それを知ってか知らずか、彼女の兄は妹の肩を叩いた。彼は妹が振り向くのを確認すると、地図を指さした。
「なあ、この地図の○印、遠くから見てると何か見えてくる気がしないか?」
「ん?」
不思議に思い、晴香は言われた通り遠くから地図を見てみる。すると……ぼんやりとだが何か見えてきた気がした。
「これは……円、かな。でも何か違うような」
「うーん、そうなんだよなー」
光貴はそう言うと、うなりながら頭をかいた。そんな兄に晴香は安心感を覚える。
……あまり正確な事情の把握ができていない彼が、実はこの中で一番冷静な人物なのかもしれない。




