第四話 集いの地――4
謎の黒ずくめの手元から光が出現したと思ったら、次の瞬間にはまわりが爆発していた。
いきなりのことで訳が分からなくなっていた晴香が今さっき起きたことをできるだけ分かりやすく説明しようとすると、これが限界だった。その程度しかまとめられないほど頭が混乱していたし、何よりそんな余裕もなかった。
爆発のすぐそばにいなかったため直接的な損害を被ることはなかったものの、晴香は爆風によって吹き飛ばされ、石畳に思いっきり身体を打ちつけてしまった。
そしてそれらがすべておさまった後、彼女はゆっくりと起き上がる。
「う……いたた」
身体を起こそうとして一瞬だけ全身に鈍い痛みが走ったものの、どうやらまったく動かせないほどの重症にはならなくて済んだらしい。そのことにほっとした彼女はしかし、次の瞬間には焦って顔を上げていた。
「っ、ノエル君!?」
爆発によって巻き起こった薄黒い煙がもうもうと舞う中、晴香は必死で少年の姿を探し求める。そして求めていた姿は、意外と近くにあった。爆発が起きる直前に飛び退いたらしく軽傷で済んでおり、頭を押さえながらゆっくりと起き上っているところだった。
「大丈夫!?」
晴香が慌てて声をかけると、煤だらけの顔で振り向いた彼はゆっくりとうなずき、それから煙の向こうにいるだろう者を睨み据える。
「まさか魔導師だったとは。油断しましたね」
「ど、どうしよう。このまま逃げるのは……」
切羽詰まったようなノエルの表情を見て晴香はそう提案する。しかし、案の定、即座に切り捨てられた。
「無理でしょう。奴がすんなり逃がしてくれるとは思えませんし」
「だよねえ」
呟く自分の声が予想以上に乾いていたことに気付いた晴香は、舌打ちしたい気分になる。
そんな中、ノエルがおもむろに棒を振りかざして前に突き出すのが見えた。
「何、してるの?」
「見ていてください」
おそるおそる訊くと、彼はそれだけ答え、少し目を細めた。まるで、黒煙の向こうにあるものを見てやろうと言わんばかりに。
しばらくほぼ無音の時が流れた。そして晴香が脱力しかけた頃、空気がわずかに振動した。晴香はまったく気付いていなかったが、ノエルは敏感にそれを察知したらしく、棒をにぎる手に力を込める。その刹那、だった。
立ちこめる煙をすべて吹き飛ばすような勢いの風が吹いたかと思えば、青く太い光線が伸びてきたのだ。悲鳴を上げかける晴香の前にノエルが立ち、棒の先をまっすぐ光線に向ける。するとそれが棒に当たった瞬間、大気を震わせながら弾けて消えていった。
晴香はこのときになってようやく、先程の現象が風ではなく衝撃波であることに気がついたが、それにしても。
「えっ、何? これ」
魔法に疎い晴香は呆然とするしかなかった。ノエルが突き出す棒に当たるたび、火花を散らして消えていく光の線。それはやがて弱まっていき、最終的には煙が噴き出すときのような音を立てて消えていった。
その様子を見届けたノエルは突き出していた棒を縦に持ち替えて晴香を振りむくと、にっこり笑う。
「僕の魔力をこの棒に少し注ぎ込んだんです。そのことによってあちらの魔力と棒の魔力が相殺しあって、光線が消えたという仕組みですよ」
「へえ、そんなことができるんだ!」
「繊細な魔力コントロールが必要になるんですけどね」
晴香がやや興奮して言うと、緑髪の少年は苦笑した。
そんなやり取りをしていると、とつぜん冷やかな声が飛び込んでくる。
「……ふ、頭が良いだけの平凡な子供と聞いていたから少し侮ってしまったな」
嘲るようなその一声で、路地裏は水を打ったように静かになった。だが、広がったのはただの静寂ではない。ぴりぴりとした殺気を含む、張り詰めた沈黙だった。
綻ばせていた顔を再び引き締めて、現れた魔導師の男の方へと向き直ったのは、ノエルだ。
「あまり舐めてもらっても困りますよ。このような旅に出されるくらいです、その程度の心得はあります」
明確な怒気と殺気を含んだ声に晴香はたじろぐ。しかし、男の方はというと喉の奥で低く笑うだけ。ずいぶんと余裕である。
「いつまでそんな軽口が叩けるかな。操作できる魔力は少量だろうに」
ノエルは表情を崩さなかった。だがそのとき心が大きく揺れたのが、なぜか晴香には分かった。男がそれを察したのかは分からない。ただ、どちらにせよそれなりの手は打ってきた。
いや、それなりどころではない。
彼は素早く飛び退くと、直後にゆっくり手を掲げ、直後、小さく何かを呟き始めた。その呟きに合わせて男の手元には雷の球と思しきものが現れ、徐々に大きくなっていく。それに比例するかのようにノエルの顔もこわばっていった。
やがてその球は男の頭ひとつぶんほどの大きさにまで膨らみ、そこまで来て膨張を止めた。男が雷光の下、不気味な笑みを浮かべる。顔が見えないくらい遠くに男がいるのに、その笑みだけは晴香にもはっきりと分かった。
「これなら、防ぎきれないだろう?」
放たれた、そんな言葉も。
「くっ――」
ノエルは危機感からかわずかに歯ぎしりをする。ただそれでもめげずに、再び棒を構えていた。今気付いたが、棒は淡い光をまとっている。
雷の球が、放たれる。同時にノエルもしっかりと大地を踏みしめる。そしてついに、魔力と魔力が衝突した。
散らされる光も音も先程とは比べものにならない。薄暗いはずの路地裏はまばゆい閃光によって照らしだされ、バチバチという音と耳をふさぎたくなるほど甲高い、金属がこすれあうような音が同時に場を満たした。
雷と棒はお互いにらみ合うようにしばし押しあっていたが、やがて決着の時が訪れる。
風船の破裂音と同じ音を立て、雷の魔力がノエルの棒を弾き飛ばした。それと同時にノエルの体躯も遠くへ吹き飛ばされた。
「ぐああっ!」
「ノエル君!」
うめき声とも悲鳴ともつかない声を聞いた晴香は、ほとんど反射的にノエルの方へかけだそうとした。しかし、身体は思うように動いてくれない。
「なんでっ」
黄色い声を上げて自らの足をにらみつけようとした晴香は、その瞬間、ぎょっとした。魔法の球が雷光をまとって自分の方に近づいてくるのを見たから。
あの怪しい男の声が、気味悪いほどよく響いてくる。
「そこの『預言者』から始末してやってもいいが、まずはおまえからだ。『神託の君』」
憎たらしい言葉に、しかし晴香は返事もできなかった。ただ、恐怖で小刻みに震える唇を上下させるだけ。
逃げろ、逃げなければ命はない――脳がやかましく警鐘を鳴らしているのが分かる。だが、動かないものは最後まで動かない。
「終わりだ」
光で満たされていく視界の中、晴香は、傷だらけの身体を懸命に起こしてこちらに向かってこようとするノエルの姿を見た。
自然、口元に自嘲的な笑みが浮かぶ。
なんてだめな奴なんだろう、私は。結局、こんな状況になっても『力』とやらは目覚めなかった。やっぱり、しがない飲食店の下働きくらいがお似合いだったんだろうな、と今になって思う。
気付けば彼女は、もう諦めていた。せめて光によって焼かれてしまう前に、と目を閉じる。これ以上ノエルに迷惑はかけたくない。だから、死んでもいいと思った。
だが、幸か不幸か現実はそんなに甘くないらしい。
「どけ、ノエル!!」
破壊の足音しか聞こえてこなかった路地裏に突然、覚えのない声が響いたと思えば、晴香の顔の前でまた何かが勢いよく弾ける音がした。直前に人が飛びこんできたのは、微かに流れる風で分かった。
「……え?」
呆然としたまま声を漏らした晴香は、ゆっくりと目を開く。
最初に見たのは、弾けては消えていく光を浴びた、赤い髪だった。そうして見て、ああ、やっぱりこの人は覚えのない人だと認識した。
自分の前方を包むすりガラスのような奇妙なものが魔法による障壁だと理解するのは、そのもっとあとのことである。
障壁に弾かれながら消えていく光を見ながら、晴香は我知らず問いかけていた。
「……だれ?」
だが、質問に対する答えは返ってこなかった。赤毛の青年は振り向くと鋭い目を彼女に向ける。
「話は後だ! 巻き込まれたくなかったら下がってろよ、嬢ちゃん!」
快活。その一言がよく似合う声に耳朶を打たれ、晴香はようやく我に返ると、慌てて数歩後退した。格好悪くよろめいてしまったが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
唖然としているノエルの隣まで下がった彼女は、さっそく同行人の安否を確認する。
「大丈夫、ノエル君!?」
「は、はい。すみません、晴香さん……」
彼女の声で、少年もようやく現実に意識が戻ってきたらしい。妙に沈んだ声が返ってきた。
泣きそうになるのを必死にこらえ、晴香は笑う。
「気にしないで。守ろうとしてくれただけでも、嬉しいから」
ノエルの表情は晴れなかったが、とりあえず肯定の返事はしてくれた。なので、話題を切り替えて一番の疑問をぶつけてみる。
「ねえ、あの人だれ? ノエル君のこと、知ってたみたいだけど」
この問いで、緑の瞳が赤毛の青年の方に向く。ノエルは少し言いにくそうだったが、答えてはくれる。そしてその答えは、晴香の予想を上回ったものだった。
「彼は――ピエトロ王国宮廷魔導師、ラッセル・ベイカー。僕らが助力を乞おうとしていた相手ですよ」
「――ええええっ!? あの人が」
思わず叫んでしまった晴香は、もう一度青年、ラッセルの方を見る。すると彼は、すでに雷の球をすべて防ぎ終え、障壁を解いていた。
耳をそばだてると、彼の声が聞こえてくる。
「爆発が見えたんで、まさかと思ってきてみたら……ビンゴだったな。おいおっさん、あんた、シオン帝国の回しものだろ」
なるほど、と晴香はうなずく。ノエルが以前語っていた通りの性格の持ち主らしい。それは、言葉を聞くだけでよく分かった。
ついでに、あの男の忌々しげな声も聞こえてくる。
「そうだ、と言ったらどうするのだ。アルバート王の飼い犬め」
「別に。ただ、シオンに喧嘩を売る理由ができたというだけだ。そこの緑君が『預言者』だということを知っているってことは、首飾りの件も一枚かんでるんだろ?」
そこまで知っていましたか、説明する手間が省けましたね。という不快そうな呟きは、隣のノエルのものだ。やはりと言うか、微妙に折り合いが悪そうである。
というか緑君ってノエル君のことだよね。妙なあだ名だな。などと晴香が余計なことで首をひねったことは、誰も知らない。
「……そこは黙秘かよ。なら、ブッ潰して白状させるだけだな」
ぞっとしない台詞が聞こえてきたことで、晴香の意識は再び現実まで戻ってきた。そのとき、いささか強すぎる風を感じる。
風に髪をなびかせたラッセルが臨戦態勢をとるのが見えた。
「そのような軽口はどうせすぐ叩けなくなる。周りをよく見てみろ」
男の言葉についつい従った晴香は、さあっ、と血の気が引く音を聞いた。
「おや、タフですね」
対するノエルはボロボロのくせに冷静だった。
というのも、先程ノエルが棒術で突き伏せた者たちが、全員起き上がって武器を構えているのが目についたのである。その矛先は、例外なくラッセルに向いていた。
「こ、これはちょっとまずいんじゃ」
晴香はあせったように言う。
いくら腕の立つ宮廷魔導師といえども、あれだけの人数に一斉に飛びかかられたらたまったものではない。加えてここは街中、むやみに魔法を放てる環境ではないはずだ。
しかし、耳に飛び込んでくるラッセルの声は存外軽い響きをともなっていて。
「軽口がいつまでも続かないのはそっちの方だぜ」
「ふん、強がりを。さっきから魔法で妙な風を起こしているようだが、そんなものでは我々は倒れんぞ」
ようやく理解する。ああ、これは魔法の風なんだな、と。もともと今日は風が強い日ではあるが、ラッセルの魔法はそれに拍車をかけていた。
これがどういう意図に基づいたものなのか、間もなく晴香たちは理解することになる。
「安心しろよ。これはあくまで補助のような保険のような、そんなもんだ。こっから先が重要でな――」
そこで一度言葉を切ったラッセルは、次に叫ぶ。
「今だ、やれっ!!」
シオン帝国の者たちがいぶかると同時に、彼らの後ろの物陰から、フード付きのコートをまとい、そのフードを目深にかぶった何者かが飛び出してきた。その者は少し助走をつけて驚くほど高く飛び上がると、手に持っていた、口のあいた袋をさかさまにする。
するとそこから何か白い粉のようなものが大量にばらまかれ、強風で舞い上がり、煙のようにもうもうと立ち上がった。
「なんだ、これは。目くらましのつもりか?」
敵たちの声を聞きながら、晴香は指についた粉をためしに少しなめてみた。
「……甘い。ていうか、これ砂糖?」
ばらまかれたものは粉砂糖だった。それに気がついていないらしい敵たちがうろたえている間に、砂糖を投下した張本人であるフードの者は危なげなく着地してすばやく足を滑らせると、ラッセルの後ろに隠れた。
そしてラッセルはもう一度自分と晴香たちの周囲に障壁を展開する。それが終わると、
「さて、仕上げだな」
などと呟いて、自分の周囲に火球を生み出した。そしてその火球を容赦なく敵陣に投げ込む。
ノエルがはっと顔を上げたのは、このときだった。
「まさかこれは――」
あとの言葉が続く前に、その現象は起きた。
投げ込まれた火球は、ジジジ、と音を立てながら徐々に大きくなっていった。それが砂糖に引火したことでそう見えているんだと晴香が気付いたときには、事態は次の段階へ進んでいた。
早い話が、大爆発を巻き起こしたのだ。最初の魔法より何倍も凄まじい音と熱を撒き散らして。
「うわっ」
少女のそんな悲鳴も大音量にかき消されてしまう。その向こうから、シオンの者たちの声が聞こえた。
「な、なんだこの爆発は!」
「う、うわああああああっ」
「撤退だ、撤退しろー!!」
最後の号令と思える声が聞こえてから、多数の足音は徐々に遠ざかっていく。そうして足音が完全に聞こえなくなり、炎の燃えあがる音だけが周囲を支配しはじめた頃、防御と傍観に徹していたラッセルが、ようやく事態収拾のために動き出す。
「あら、逃げちまった。仕方ないから消火活動始めますかー」
次に彼の周りに集まったのは、水の球だった。
ラッセルの素晴らしい魔法によりすばやく消火活動が終わり、事態はようやく終息を迎えた。ただし、小汚さと趣を兼ね備えていた路地裏は煤だらけの真っ黒になっている。周囲の家々の中に人はいなかったようで、それだけが救いだった。
フードの者が、それを見て固い声を上げた。
「あーっと、これ、損害賠償とか」
「国王陛下に請求すればいい。必要経費として認めてもらえるだろ」
ラッセルはそう言うと、声高に笑う。どうやらこのフードの者は、彼の協力者らしい。よろよろと歩いていくノエルを支えながら、晴香はそう思った。
「よう、緑君。無事だったか」
「はい。今回ばかりは、あなたに感謝しなければなりませんね。ありがとうございました」
やんわりとほほ笑む『預言者』に対し、宮廷魔導師が胡乱げな目を向ける。
「おい、今回ばかりは、ってどういう意味だ。なんか素直に喜べないんだが」
「思ったままに受け取っていただいて結構ですよ」
「クソ生意気なのは旅に出ても変わらねえな」
「二週間ちょっとで性格が変貌するというのは、恐ろしい旅ですね」
喧嘩するほど仲が良い、というのはこのことか。
おぼろげながらあのことわざの真の意味を悟った気がした晴香である。
ノエルとラッセルのやり取りは、どう見ても先輩と後輩、兄と弟がじゃれ合っているようにしか見えなかった。きっと王城でも、そんな関係なのだろう。そしてじゃれあいながらも、重要な話が進んでいた。
「で、今回の件、どこまで知っているんですか」
「陛下から手紙をいただいてな。だから、大まかには知っている。そこにいるのが、『神託の君』と思しき嬢ちゃんで間違いないな?」
急に話の矛先が自分に向いて、晴香はぴくりと震えた。ノエルも少し顔をしかめてからうなずく。
「その通り。ですが、『神託の君』としての力は発現していません。今のところはただの一般人です」
「そしてこれが試練かよ。ずいぶんとハードじゃねえか」
吐き捨てるようにラッセルは言う。さすが王家お抱えの魔導師というだけあって、その辺の事情にも精通しているらしかった。
ノエルは少しの間黙り、次に口を開いたときには話題を転換していた。
「それにしても、ラッセル。粉塵爆発なんてよく思いつきましたね」
彼の口から出てきた単語を、晴香は心の中で繰り返した。
何かの折に名前だけ聞いたような気がする。そんな印象だ。
ラッセルはしばらくぽかんとしたが、やがて決まり悪そうに乾いた笑い声を上げた。
「あー……さっきのやつな。残念ながら、考え付いたのは俺じゃねえ。そこのクソガキだ」
そう言って彼が指し示したのは、フードの者。どうやら男で、しかも少年らしい。その少年を見た赤毛の青年が、とつぜん呆れたような顔になる。
「というかおまえ、そろそろフード取っていいぞ。俺たち以外にだれもいないんだから」
少年ははっとしたように口を開き、答えた。
「あ、そうだな」
――あれ?
晴香は目を瞬く。さっき少年の口から発された声に、不思議な感覚を覚えたのだ。記憶の奥がぴりりと刺激されるような、そんな感覚。
晴香の内心をよそに、少年はあっさりとフードを取り払った。刹那、晴香の頭の中は真っ白になる。
「ふう。周りがよく見える」
そう言った彼の顔が、あまりにも見覚えあるものだったから。
だいぶ変わってしまったけれど、あの頃の面影はしっかりと残っている。間違えようがない。この人は、ずっと自分が待ちわびていた――
「お……にい、ちゃん?」
気付けば、晴香は呼んでいた。その声に反応したのか、少年の顔は彼女の目をしっかりと捉える。
間違いない。
そこにいたのは、晴香の兄、北原光貴その人だった。




