第四話 集いの地――2
「なんだかヒッチハイクみたいですね」と分かるような分からないようなコメントをノエルが残した荷車の旅では、人が少なく静かでのどかな村々も通ってきたが、ここリンゲンは最初に訪れたローザと同様、かなり活気づいているようだった。もともとが商業都市らしく、地元民たちは晴香たちのような旅人や、観光目的で来た外部の人々に必死で呼びかけを行っている。商人魂が感じられるような気がした。
一通りあたりを観察したノエル情報によると『橋の名前募集中』の立札に食らいついた観光客が十何組かいたらしい。晴香としてはものすごくどうでもよい情報だったが。
橋を渡って町の東側を歩いていた二人。そんな中で晴香は、とある店を見つけて足を止めた。
「ん? ……宝石店?」
彼女の目に留まったのは、絵本の中にでも出てきそうなかわいらしい外装の店だった。外から見る限りでは、どうやらこの店では宝石や鉱物を売っているらしい。ノエルも晴香がその店に惹かれたことに気付いて、足を止める。
「あれ、晴香さんってこういうのお好きなんですか?」
「まあ、ちょっとはね…………入って良い?」
答えた後、長い沈黙の後に晴香はそう許可を求めた。ノエルは微笑んで「どうぞ」と言う。晴香は内心大喜びして、しかし表にはそれを出さず店の中に足を踏み入れた。スキップをしてしまっていたことに本人は気付いていない。
ノエルが後ろからついてきていることを確認して中に入った晴香は、思わず声をもらした。
店の中、いたるところに石があった。磨き抜かれた宝石だけにとどまらない。霊力を持つと伝えられていることで有名な鉱物のすがたもいくつか確認することができた。更に、それらを用いた日用品や装飾品の類も多い。
「なるほど。お土産にはうってつけ、という感じですね」
「でも、お土産にはもう木彫りのリス買っちゃったよ」
「そうでした」
そんな会話をしながら歩く男女は、客たちの視線を集めた。よくいる若いカップルと思われているのだろうか。少なくとも国王の命令で旅をしている『神託の君』と『預言者』だなどと見抜いている人はいないだろう。
そんなことを頭の隅で考えながら、一度ノエルと離れて、思いのほか広い店内を見回ることにした。彼女がそこで目をつけたのは、なぜか深い青の石だった。
「これって」
実物を見たこともないのに、その石を見た瞬間『夜空の首飾り』を連想してしまったのだ。まさかそんな貴重な石をこんなところで売っているわけがないと分かっていながらも、思わず手をのばしてしまう。そして、よく見ようとその石に触れたとき。別の手が重ねられてきた。
「あっ」
ふたつの声が重なる。お互いにお互いの声を聞いて他人の存在を認識したようだ。晴香も弾かれたように顔を上げ、細い手を伸ばしてきたと思われる人の顔を見た。
美しい、亜麻色の髪の少女だった。晴香の方を見つめる、彼女のアメジストのような紫色の瞳は、見ていると吸いこまれそうな不思議な輝きを放っている。
晴香は一瞬、声を上げるのをためらった。そうしていると、向こうが先に口を開いた。
「す、すみません。ほかの人がいるとは気付かずに」
少女は言いながら慌てた様子で手を引っ込める。それを見た晴香は、ようやく言った。
「いいですよ。私も気付いていなかったので」
しかし少女はうろたえた様子のままだ。
「本当にすみません。知らぬうちに、この青い石に魅入られてしまったみたいで。まるで夜空みたいだなって、思ったんです」
あ、と言ってしまった晴香は、慌てて口を押さえる。この青を夜空の青、と認識した点で晴香と少女はとてもよく似ていると思ったのだ。しかも同じように不思議と魅入られていたという。たったそれだけのことだというのに、妙な親近感を感じていた。
気付けば緊張はほぐれ、晴香の顔には朗らかな笑みが浮かぶ。
「不思議ですね。私も、同じイメージを持ったんですよ」
「まあ、そうなんですか? わたしたち、なんだか感覚が似ているんですかね」
すると少女の顔もぱあっと華やぐ。それを見て、本当は結構明るい子なのかな、などと考えていた。
そのあと晴香は、この少女と話しながら店の中を一通り見て回った。そして、彼女も同じ宝石好きということで大いに盛り上がる。今まで共通の話題で盛り上がれる人がなかなかいなかった晴香にとっては、嬉しいことだった。
そして、石と言えば、という流れで自然と出てくるのがこの話題。
「そういえば、『夜空の首飾り』が消失したって。知ってますか?」
「知ってますよ。王都の方では、いろんな噂が立っているみたいです」
いきなり少女の口からその単語が飛び出てきたことに驚きながらも、晴香は平静を装って答える。すると彼女はうつむいて、言った。
「どうして宝物庫からあれが姿を消したのかが疑問ですけど……不安ですよね。あれは不思議な力を持つとも言われますし」
ええ、と相槌を打ちつつ、晴香は目を瞬いた。
――あれ? なんでこの子、こんなに首飾りのこと詳しいんだろう。
宝物庫の近くに住んでいるといっても過言ではない晴香も、ライルも、首飾りに使われている石が力を宿すものという話は一度たりとも聞いたことがなかった。アルバートとノエルに話を聞いて初めて、それが魔法の道具だと知ったのだ。
なのに、なぜ。
「まあ、ある意味好機だよね」
奇妙な感じはしたものの、晴香はこれを前向きに捉えることを選んだ。つまりは情報を引きだしてやろうという魂胆である。名前も知らない彼女には申し訳なく思ったが、この旅、ときにはずるさも必要なのだというのが教官の教えなのだ。
「あの。その首飾りについてどれくらいのこと知ってるんですか?」
「え?」
少女は首をかしげたが、別に違和感は持たれなかったようで、あごに人差し指を当てながら、記憶の糸を辿るようにして教えてくれた。
「そうですね……国宝であること、そこに使われる石が力を秘めた石であるということ、首飾りが王家の中で代々受け継がれること、ですかね。特に三つめの項目に関しては、王子または王女が王から位を譲られるとき、その首飾りを手渡されることまでなら知っています」
ぺらぺらと出てくる言葉に感心して、気付けば晴香はうめいていた。
「うーん、すごい。博識だなあ。なんだか周りの人がこんなのばっかりだと、自分が恥ずかしくなってくる」
この少女然り、ノエル然り、兄然りだ。なぜ自分の周りには知識が深い者が多いのだろうと、晴香はわりと本気で神様というやつに問いかけたくなった。
もちろん、状況を知るはずもない少女は訝しそうにしていた。
「なんのことですか……あ!」
しかし直後に時計を見た彼女は、慌てたふうに叫ぶ。
「どうかしたんですか?」
晴香が問うと、少女は勢いよく頭を下げてきた。
「すみません、わたし、もう行かなきゃいけないので! これで失礼します」
「あ、そうなんですか。気をつけてくださいね」
晴香は手を振った。本当はとても名残惜しかったが、こればかりは仕方がない。少女はもう一度頭を下げると、店の外に駆け抜けていった。
それを見届けた晴香はふと横を見て、偶然というものに驚いた。
「ノエル君」
「おや、晴香さん。僕、ちょうど今ここを見終わったところでして」
緑髪の少年は、笑いをこらえている晴香の様子に、目を瞬いた。
それから二人は宝石店を出て、昼食をとるべく飲食店を探し始める。今の時間はまだ昼食には早いが、歩いて探しているうちにちょうどいい時分になるだろうというノエルの見立てで今から店探しを始めることになったのだった。
ちょうど良かったので、晴香はノエルに、店の中であった少女のことを話した。
「宝石好きの女の子ですか。どこにでもいそうですけど、晴香さんの話からすると、変わった子だったみたいですね」
彼の言葉に、晴香はうなずく。
「そこらの女の子とは、なんというか、醸し出す雰囲気がだいぶ違ったような気がした」
もちろん、自分とも。思って悲しくなったので、口には出さなかったが。
彼女とて一時期はそんな雰囲気にあこがれて本気で目指したこともあった。わずか一週間で無理と悟り、はっきり言うと投げ出し、諦めたのだが。
「……『夜空の首飾り』について知っているというのも、ここへ来ると少し妙ですね」
ぼそり、と飛び出た呟きに、晴香は疑問符を浮かべた。
「え? なんで」
「思い出してもみてください。クリスタやローザはともかく、荷車の旅を始めてからこれまで、一度でも首飾りのことを噂している人々に出会いましたか?」
言われてみてゆっくりと思い出し、そこで初めて違和感に気付く。
確かに、ローザで商人から話を聞いてからというもの、一度たりともその手の情報にありつけたことはなかった。それどころか、憶測やうわさを述べる者すら皆無だったのである。国宝が消失したことなど、誰もまったく知らない様子だった。
「なかった。その類の話はひとつもなかった。じゃあ、なんであの子は」
彼女がクリスタやローザの出身者だというのなら納得できるし、ふたつの都市で話が広がったこともおかしいとは思わない。まずクリスタは国王のおひざ元だ。万が一そのようなことがあった場合、噂が流れ出してもだれも不思議がったりはしないだろう。王都からほど近いローザも同様だ。都の方で流れた噂が自然と伝染するなど、よくあること。
晴香がそのことを言うと、ノエルも険しい顔は崩さないながらもしきりにうなずいた。
「まあ、そう言われればそうですね。その子をおかしいと断定するには情報が少なすぎます。悪い人ではないようでしたし」
「うん……不安は残るけど、いまさら気にしてもどうしようもないしね」
言いながら晴香は、自分のふがいなさに落胆していた。本来ならこういうときのために、話に織り交ぜて出身地を聞いておくべきだったのだ。本当にこれでノエルのお供や『神託の君』としての任――それ以前の「試練」も――務まるのか、それこそ今更ながら不安だった。
彼女が一人でため息をついていると、突如ノエルが歩みを止める。数歩進んでからそれに気付いた晴香は、少年の方を振り返った。
「ノエル君? どうしたの」
前にも似たようなことがあった気がする。
ふと思った晴香は、問いかけながらもいつでも動きだせるように体勢を整えていた。そして予想通り、ノエルは言う。
「複数の気配が、こちらをうかがいながら近づいてきています。晴香さん、こっちへ」
「……うん」
やはりか。思った晴香は即座に踵を返し、なるべく自然な動作でノエルのそばに戻った。あからさまに動けば、警戒していることを勘付かれてしまう。
追手の気を上手くそらすためにも、それは避けなければならない。
晴香とノエルは、普通とまったく変わらない速さで歩きながら、町を見て回るふりをするため、辺りをきょろきょろと見回していた。ときおりノエルが、
「まだ近づいてきます」
と言う以外は、今までとなんら変わらないように見える歩みだ。そんな自信が晴香にはあった。
だが――
「あれ?」
晴香はふと「おかしなこと」に気付いた。つい先ほどまでは人通りが多く賑やかな通りを歩いていたのに、知らぬ間に薄暗く、閑散とした裏路地に入っていたのだった。
「あれれ、いつの間に。こんなところに入る予定なかったよね」
言う晴香の横では、ノエルが目を見開いて固まっていた。そうかと思えば、彼は歯を食いしばって棒をにぎりしめ、忌々しげに呟いた。
「またしても嵌められましたね、これは……」
「えっ? それってどういう」
どういうこと。ノエルの声を聞いた晴香がそう問いかけるよりも早く、二人の前に数人の人が立ちはだかった。晴香は彼らの姿を見て、息をのむ。
このまえ遭遇した盗賊――のふりをした追手――とは明らかに違った。単純に身なりだけ見れば大差はないが、眼光の鋭さ、足の運び、雰囲気、といったものがまるで違う。そもそも今回の者たちは、堂々とシオン帝国の紋章をさらしていた。
「こいつらっ!」
晴香が叫ぶと同時に、棒を構えたノエルが前に出る。
「晴香さん、下がってください」
どこか冷やかな声。それに気圧された晴香は大人しく一歩下がる。すると進み出たノエルを見て、追手の一人がそれ以上に冷たい声を上げた。
「なるほど、おまえがピエトロ王国に仕える流れ者の『預言者』か」
ノエルのことも、その経歴までも知っている。
晴香はそのことにおののいた。ノエルのことを大して知らないように見えた盗賊もどきとは明らかに格が違うのだと、そこで悟ってしまったからだ。
それでも、確信を抱かせないためだろうか。ノエルはずっと黙秘を貫いていたが、それもどうやら徒労に終わるようだった。
「ということは、後ろに控えるその娘が『神託の君』なのだな?」
「……っ! そんなことまで知っているのですか……!」
ついにノエルは低く呟く。晴香もひっ、と息をのんでいた。すると、言葉を発した者以外の追手たちが、一斉に武器を構えて踏み出した。対するノエルも棒を突き出して彼らに向ける。
「どうやらあなた方は、このまま帰すわけにはいかないようですね」
声高に言ったノエルは一気に敵陣へと突っ込み、ローザの一件と同じような鮮やかな手並みで追手たちを倒していった。突き、回し、また突く。晴香にとってはどこか懐かしささえ感じられる舞いは、しかし以前より力強い。
「――あなたたちの背後に控える者たちは何者なのか、大人しく吐いてもらいましょうか」
あっという間に敵のほとんどを突き伏せた彼は、そのままの勢いで、さっきから代表して話しているらしい者のもとへと向かった。どうやらそいつは、男のようだ。
だがその男は、ノエルが向かってきても微動だにしなかった。ただ、彼の顔を見た瞬間だけ口の端をつり上げる。
そこで晴香ははっとした。男の手元に白い光が生まれたことに気付いたのだ。
それが見たこともなかった魔法だと察するのに、時間はかからなかった。
「ノエル君、危ない!!」
晴香が再び叫ぶのと、光が凄まじい音を立てながら弾けるのとは、ほぼ同時だった。




