第四話 集いの地――1
「……どうだ?」
「だいたい良い」
「そっか。そりゃあ良かった。俺、寸法の測り方なんて知らないからよー、適当に選んできたんだけど」
ラッセルのそんな言葉に呆れながらも、光貴は自分のために買ってもらった服を興味深げにながめていた。
あの邂逅より翌日。ラッセルは朝食をとったあと、薄いシャツと丈に合っていないズボンという光貴の服装に目をつけ、新しい物を買ってきてくれた。おかげで寒くなくなったし見た目もよくなったし万々歳である。
ちなみに、今の格好は黒シャツと紺色のズボンである。これに茶色のコートを加えた一式が、ラッセルが買ってきてくれたものだった。
「さーてと。おまえさん、これからどうするつもりだ?」
いきなり問いかけられ、正直なところ光貴は困った。どうすると言われても、と返してしまいたいところだったが、一応それなりに考えて答えを出してみる。
「そう……だな。とりあえず家に帰るか」
それが大事だと思った。多分、家族にはかなり心配をかけてしまったと思うから。それも、二年半の間。光貴の答えを聞いたラッセルは、もっともらしくうなずいて言った。
「おまえの家って、どこにあるんだ?」
「クリスタだよ」
これは問題なく思いだせたことのひとつである。ピエトロ王国の王都の名を口にすると、ラッセルにはかなり驚かれた。というのも、
「お、マジで。奇遇だな。俺も用事があって、これから王都に戻ろうかと考えていたところなんだ。封印解いた責任もあるし、しばらく面倒見てやるよ」
――と、いうことらしい。
光貴としては素直にありがたかったが、すぐには喜べなかった。今までは余裕がなかったため気にも留めていなかったこと。それを訊くために、彼は口を開く。
「なあ。その用事って、俺に関係してるんじゃないのか?」
すると、ラッセルが固まった。固まったまま何も言わないので光貴は勝手に続ける。
「だって、明らかに目的があってフィロスに来たって感じだったろ。それに、俺のこと封印にかかってたって言ったけど、あんたがそれを見たってことはあんたが封印を解いたってことだ。いかに優秀な魔導師とは言え、何があるかもわからん強力な封印を、なんの目的も無しに解くやつはいないだろう? それこそ、宮廷魔導師の仕事とか」
こんなにしゃべったのは久し振りだった。話し終えてラッセルの反応をうかがっていると、彼はいきなり小さく吹きだした。それからしばらく喉の奥で笑うと、頭をかく。
「いやあ~。おまえ、頭いいね。俺びっくり」
「て、ことは」
「ご名答、だよ。俺の用事とは、まさにそのことだ」
言ったあと、彼は詳細の説明をしてくれた。なんのためにフィロスに来て、どういう経緯で光貴と出会ったのか、すべて。光貴はただ静かな心を携えてそれを聴いていた。
「つまり、だ。俺は本来、おまえを連れて王都に帰り、陛下に事の次第を報告せにゃならんのだ。そこにおまえがいたことも含めてな。そして、きっとおまえに対しても事情聴取が行われるだろう。ま、一応おまえが何一つ覚えていないことは伝えておくから、国の方も配慮してくれるだろうが……」
彼はそこまで言って言葉を切り、光貴の方を見つめてきた。鳶色の瞳は、今まで見てきたどの目よりも強い光を放っている。
「そんな理由でも、一緒についてきてくれるか」
ああ、なるほど。
ラッセルの目を見、声を聞き、光貴は確信を得た。自分が彼を見つけてしまったこと、その結果、余計な負担を強いらなければならなくなってしまったことに、彼は本当の意味で強い責任を感じている。それ自体は偽りではない。
それを知ると、少しくらい信用してもいいかもしれない、と思えるようになった。
「……分かった。ついてくよ。ほかに良い方法もなさそうだしな」
だから彼は、承諾した。
するとラッセルはようやく笑顔を取り戻す。
「本当か? だったら、さっそく出発だな。ただでさえ王都まで行くには時間がかかるんだ」
いきなり勢いまで取り戻し、そんなことを言いだした。やっぱり呆れた光貴はやれやれと首を振り、恐らく忘れているだろうことを主張する。
「それはいいけど、その前に、俺がメシを食いたいんだが」
「そうだった!」
やはり忘れていたらしく、ラッセルは叫ぶと手を打った。が、そのとき――部屋の窓を指先で叩くような音がする。
二人してその方向を見ると、外側の窓枠に一羽の鳩がとまっており、くちばしで窓をつついていた。よく見るとハトの身体には、赤いリボンで一枚の丸めた紙がくくりつけられている。
「なんだ、あれ?」
「げっ……陛下の伝書鳩!?」
首をかしげる光貴の横で、ラッセルが慌て出した。彼は急いで窓を開けて鳩を招き入れると、巻きつけられたリボンと紙を受け取って、丸められていた紙を元に戻していった。
「伝書鳩ってことは、書簡か何かか?」
言いながら内容が気になった光貴ものぞきこんでみる。しかし文字は見えず、ラッセルも何も言わなかった。ただし、独り言は言っていた。
「ふむ。あれ、俺へのお叱りじゃあないのか。……何? ノエルが?」
などとひとしきり独語した後、彼は慌ててノートのページを破ってそこに返事と思しき文章を書きこむと、それを丸めてハトの体にくくりつけた。
「よし、これを届けて来てくれ」
ラッセルが言うと、鳩はひと鳴きしてから飛びだっていった。白い羽だけを部屋に残して。
それを目で追っていた青年が、唐突に口を開く。
「すまん、光貴。どうやらすぐにはクリスタに戻れないみたいだ」
「はい?」
事情が分からない光貴からしてみれば、そう返すほかなかった。
その後、光貴は一応説明を受けた。その中でまず出てきたのが、ある国宝の名前とそれにまつわる事実。
「『夜空の首飾り』が消えたぁ?」
ピエトロ王国の代名詞と言っても過言ではない国宝。当然光貴も、その名前くらいは知っていた。だが、それの消失など歴史を見ても一度もなかったことだ。あまりに衝撃的だった。
「そう。で、盗まれた可能性が高いと踏んだ陛下は、その調査に王国の『預言』――おっと、文官見習いとお供の少女一人を出したんだそうだ。戦力に不安があるからそこに合流しろってあの手紙には書かれていた」
椅子に座って頭の後ろで手を組んだラッセルは、心底面倒くさそうに言う。途中言いなおした部分が妙にひっかかるが、今詮索すべきことではないだろう。
「そういうわけなんだけど、良い?」
彼にそう問いかけられて、光貴は少し考え込んだ。ついていくのは、光貴個人としてはいっこうに構わないのだが、今のままでは十中八九ただの足手まといになる。それではラッセルもその文官とやらも迷惑だろう。どうするべきか、と思っていると、ひとつの名案が浮かんだ。
光貴はにやりと笑う。
「別に良いけど、その代わり、俺に戦い方を教えてくれるか?」
今度はラッセルが素っ頓狂な声を上げる番だった。
……さて。この話の結果は、簡単に言えば光貴の勝利だった。
ただしかなりもめて、最初はラッセルもワケが分からんと言っていた。が、彼が自分の思ったことを実に分かりやすく説明すると、宮廷魔導師はしぶしぶ納得してくれた。魔導師なのに多少武術もたしなんでいるとのことで、文官と合流するまでの間、それを教えてもらえることになったのだ。
「しっかし、武術が趣味の魔導師ってわけわかんねーな」
「やかましい。俺の勝手なんだからいいだろ、別に」
というやりとりがあったというのは、余談である。
話をつけたら、二人はさっそくフィロスを出発する準備をすることにした。まず光貴が朝食を済ませ、その間にラッセルが荷物整理および買い足しを行う。それが終わり合流したあとにホテルを出て、さっさと町を出ていくことにした。任務が終わり、その上秘密裏に神殿から光貴を連れ出してしまった以上、長居する理由は無いということらしい。
フィロスを囲う灰色の城壁。その隙間にぽっかりと開いたような門を抜けると、青空の下、草木が音を立てて揺れる、まさに大自然の世界だった。
「へー。街の中と外で、こんなに違うものなんだなー」
空気を思いっきり吸いこんだ光貴がそう言うと、ラッセルは目を丸くした。
「んん? おまえ、クリスタから出たことなかったのか?」
フィロスの神殿地下にいたことから、勝手に光貴がフィロスまで来ていたのだと解釈していたらしいラッセルはそんなふうに問う。それに対して光貴はうん、と言った。
「幼い頃何度か出たらしいんだけど、俺自身記憶があいまいでさー。で、それ以降は一度も王都から出たことがない。家のこととかで忙しかったから」
「ふーん、そんじゃ、こうして歩いてる間はその話を聞かせてもらおうかな」
にやりと笑ってそんなことを呟いたラッセルに対し、彼はあえて返事をしなかった。どうにもこいつはその手のことをからかいのタネにしてきそうな気がしたからだ。
きっとこの場にノエルがいれば、光貴が考えたこととまったく同じことを言って「やめておいた方がいいですよ」と言うに違いない。そういう意味では、出会って一日も経っていないのに光貴はラッセルのことを熟知していたのだった。
目を泳がせていっこうに返事をしない光貴を見て、ラッセルはつまらなさそうに唇をとがらせた。しかし、すぐに内心のたくらみを見抜かれたことに気付いたのかあっさりとその考えを放棄したようである。次には両腕を天に向けて突きあげていた。
「まあいいや。よし、それじゃー行くぞ!」
「へーい」
なんとも気の抜けた光貴の返事とともに二人は歩きはじめる。その様子を、フィロスの黒い門がじっと見送っていた。
こうして二人が「文官見習い」との合流を目指し歩み出したのは、ちょうど晴香とノエルが商人の荷車でローザを出たのと同時期だった。
そして、それから二週間後。晴香とノエルは二人でリンゲンの町にいた。
「いやあ、まさかこんな短時間でリンゲンまで来られるとは。あの方に感謝しなくてはなりませんね」
ノエルは、この町の特徴の一つである大きな橋を遠くに見ながら、そんなことを言っていた。晴香は笑って「そうだね」と答えた。
リンゲンという変わった名前の小都市は、いわばピエトロ王国北部の玄関口だ。ここまで来ると、町全体の建物の様相もずいぶん変わり、国は変わらないのに異国に来た気分を味わえる。この緑髪の少年いわく、それはかつてこの地域が隣国の植民地だったころの名残だという。ときどき覚えのない言語が聞こえてくるのもそのせいかと、晴香はあまり建物と関係のない部分で感心していた。
ちなみに件の親切な商人とは、数時間前にこの町の入口で別れた。彼はこれから、晴香たちとは違う進路をとり北部を巡るそうだ。
「さて……とりあえずどこに行きましょうか?」
きょろきょろとあたりを見回しながら、晴香は少しだけノエルの口調を真似て言った。別に意図していたわけではないが、不思議とそんな言葉が口をついて出たのである。幸か不幸か、肝心のノエルはそのことに深く触れない。
「そうですねぇ。まず、何はともあれ情報収集がしたいので町の中をぶらぶらしてみますか」
言いながら、彼はすでにメモの準備を整えていた。しっかりしているなあ、と他人事のように思った晴香はその真面目な彼を伴って歩きだす。
彼女は歩きながら思考していた。実は、この二週間の旅の中でノエルがアルバートから渡されたという情報を伝えられていたのだ。その情報というのが、大きく分けると三つある。
ひとつ、国宝が消えたのは二カ月前のこと。犯人の痕跡らしきものはなし。
ふたつ、調査を進めるうちに宝物庫近辺で本来あるはずない魔力の残滓が発見された。
みっつ、調査の結果、犯人と思しき者の足取りとその時点での居場所が分かった。ここに関しては地図にそれが載っているらしいが、まだ見せてもらっていない。
そしてこれらを細かいところまで見ていくと、その危険な集団とやらに行き着くらしい。しかしそれをいくら考えても、平凡な一般市民には答えを出せそうにもなかった。仕方がないので、晴香は思考を打ち切り、周囲に目を配る。
気のせいか、この町の建物には落ち着いた赤色の屋根が多い気がした。どうしてそうなのかは、晴香には分からない。街ひとつひとつの歴史に詳しいわけでもないし、どうせすぐ忘れてしまう程度の興味だったので、あえて隣の博識な少年に訊こうとはしなかった。
「見てください、晴香さん」
ノエルに声をかけられ、晴香は顔を上げた。見ると、ノエルが何かを指さしている。指の先には、巨大な川があった。
「あれがリンゲンのシンボル、ルーフ川と大橋です」
ルーフ川にかかり、西側の陸地と東側の陸地を結んでいる大きな橋は、先程ノエルが見つめていたものでもある。
「……橋の方に名前は無いの?」
「ない、みたいですけど。ほら」
素朴な疑問に対し、ノエルが答えながら緑の目をある方向に向ける。その視線を追うと、先には小さな白い立札がある。そこには大きな文字で『橋の名前募集中! たくさんのご応募、お待ちしています。詳細は観光情報局まで』と書かれていた。
なんと言って良いか分からずに晴香が沈黙していると、ノエルが訊いてきた。
「応募、してみます?」
「いや、いいよ。ネーミングセンスないし」
晴香は真顔で即答していた。




