第三話 茨の道ともうひとつの物語――4
「こんなガキを封印してなんになるんだ? ワケが分かんねえ上に、意味も分かんねえ」
少年を見た瞬間、飛ぶようにして魔法円の中に踏み入りその身体を抱き上げたラッセル。彼は今現在、混乱の真っただ中にあった。
しかし、いつまでも混乱しているわけにもいかない。それをすぐさま悟った彼は、改めて目の前の少年をじっと見てみる。
短く、少し癖のある髪の毛は黒。顔立ちはどことなく東洋人を思わせる。息はしていて脈もあるが、呼吸はあまり穏やかとはいえなかった。このまま放置していると危ないかもしれない。
「……よし」
さっそくラッセルは、その後、自分よりじゃっかん小さな人間を抱えてあの長い階段を上り、上へ出た。それからこっそり神殿内の地図を盗み見て裏口から外へ出る。幸い、行きのように神官に出会うことはなく、無事抜けることができたのだった。裏口の先は、人通りがほとんどない閑静な路地で、誰にも見られなかったことにほっとしたラッセルである。
こうしてフィロス市内に戻ってきた彼はその足でホテルまで行き、弾丸のような勢いで自分の部屋に飛び込むと少年を自分のベッドに寝かせた。ちなみに、ホテルの従業員が鬼気迫る表情で駆け抜けていった彼を見て腰を抜かしていたのだが、当人は全く気付いていなかった。
おそらく今日はソファでお休みだなと思いながら少年の寝顔をしばらく見ていた彼だったが、突然、何かを思い立ったかのように立ち上がった。
「せっかくだから、観光ついでに何か買ってくるな」
未だ目覚めない彼にそう呼びかけ、ラッセルは部屋を出る。廊下に飛び出て後ろ手にドアを閉めたところで――腰を抜かした従業員の一人と遭遇した。
「……お、おお、お客様、何かございましたか?」
その、可哀想になるほど慌てた様子を見て目を丸くしたラッセルは、少しのあいだ沈黙し、
「俺、やっちゃった感じ?」
ぎりぎり相手に聞こえない程度の小声で、そんなことを言ったのだった。
……ここは、どこだ?
先の見えない暗闇の中で目覚めたとき、抱いた疑問はそれだった。どうにかして周囲の状況を確かめようとするが、身体が上手く動かない。
なんだよ、これ。
自分の思い通りにならない身体と、意味不明な状況に思わず悪態をつく。そのとき、どこからか声が聞こえた。
『眠れ。貴様は永遠に、ここで眠っていればいいのだ』
年老いた男の声だった。どこかで聞いた気がする声だった。だが、よく思い出せない。ついでにこの暗闇全体から響いているので、どこでだれがしゃべっているのかまったく分からない。でも、とにかく返した。
なんだ? だれだよ、あんた。どこにいる。
だが、声は質問に答えたのか答えていないのか分からない言葉を出した。
『何も知る必要はない。我が計画が成就するまで、大人しく眠りにつけ』
その身勝手な物言いに、かっとなって言い返した。
何言ってる、ふざけるな! いったいあれからどのくらい経った!?
口にしてから、ふと疑問に思った。あれから? いったい、いつのことを言ってるんだろう。だが、お互いの勢いは止まらない。
『大人しくしていれば、何もしない』
だからふざけるなって言ってるだろうが! 帰せよ、元の場所に帰せ! 母さんはああ見えて小心者だし、妹はすぐ泣くし、心配掛けたくないんだよ。それだけじゃない、帰らなかったらたくさん苦労かけることになっちまう……!!
だが、その叫びが声に届くことはなくて。
『それでいい、そのままでいい……!? なんだ、この気配は』
悔しくて黙りこんでいると、とつぜん声に異変が起きた。
『なんだ、何者だ! 私の邪魔をするとは……あり得ん。さては“神託の君”か!? それともアルバート王の回しものか!?』
突如、ほとんど意味のわからないことを叫び始めたと思ったら、その声はだんだん小さくなっていったのだ。まだ何も、届いていない、のに――
本当の意味で目が覚めたとき、最初に見たものは知らない天井だった。
「なん、だ?」
ベッドの上にいる少年は、目覚める前に聞いた謎の声とほとんど同じセリフを口走っていた。
ここはどこだ。何が起こった。今は何年だ。自分は何者だ。いくつもの疑問が連続して飛び出てくると同時に、いくつかのことが思い出される。だが、その中に彼がもっとも知りたがっていることは含まれていなかった。
「いったい、何が」
ぼんやりとした声で呟くもののやはり答えは見えてこない。ひどく混乱していた少年は、とりあえず周囲の状況を確認しようと思い立ち、身体を起こそうとする。が、その体躯はどういうわけか鉛のように重く、起こすどころか動かすことさえままならなかった。加えて、無理に動こうとしたせいか頭に鈍い痛みが走る。
「ぐぅっ……!」
うめいた少年は、結局もとの体勢に戻ってしまった。それでもちらりと周囲の景色が見えたことで、情報は得られた。
あのわずかな時間で分かったことは、おもにふたつ。ひとつは、ここは自宅でも病院でもないということ。もうひとつは、そうでなければここはどこかのホテルの一室だということ。
「なんで、そんなところに」
だが、これが分かったところで少年の疑問はふくらむばかりである。結局何一つそれらが解消されないまま茫洋とした目で天井を眺めていると、勢いよく扉が開く音がした。
「ふいーっ。人が多いっつーの。たかが食べ物買うためだけに三十分待たされるとか、ふざけんなよ」
直後、そんな独り言が聞こえてくる。若い、それでも自分よりは年上の男の声だということが分かった。しかしお互いの位置関係からすると、顔を見ることはできない。とりあえずこの部屋の主ではあるようなので、どうにかその顔を確認しようと、彼は自らの頭をゆっくり動かした。
すると、少しずつ見えてきた。戸口に立っているのは、赤毛の青年。鳶色の瞳を無邪気な少年のようにくりくりさせながら、左手で額をぬぐっている。右手にはバスケットを抱えているが、その中に何が入っているかまでは分からなかった。
青年はしばらく少年などいないかのようにバスケットを部屋の中心の丸テーブルに置き、黒い上着を脱いで丸め、その横に置くなどの動作を行っていたが、何かの拍子にふとベッドの方を向くと、目を見開く。そうかと思えば慌ててかけよってきた。
「お、おい! 気がついたのか!?」
今まで気づかれなかったことに憎まれ口のひとつでも叩いてやろうかと息を吸った少年だったが、そんな時に限って思うように声が出ない。歯がゆかったが、とりあえず首を縦に振ることで我慢した。
それを見た青年は引きつっていた顔を綻ばせて息を吐く。
「ああ……良かった。どこか悪いところあるか?」
本当は頭痛がひどいものの、今は示しようがないので頭を振っておくことにする。青年は「そうか」と言うと部屋の隅にあった椅子をこちらまで引きずってきて腰かけた。そこでようやく再び声が出るようになったことを確かめた少年は、もう一度息を吸う。
「……ん、たが……」
「ん?」
「あんたが、俺を、ここに?」
ゆっくり、しかし確実に発音した少年の言葉を聞きとった青年はひとつうなずくと、しばらく考え込んだ。それから今度は言葉で答えてくれる。
「そうだよ。おまえ、封印の魔法を施されてこの町の神殿にいたんだ。覚えてるか?」
封印、魔法、神殿。出てきた単語をいくつか反芻するが、ああなるほどと納得できるものはひとつとして無かった。だが、これが「もっとも知りたいこと」につながっていることは、なんとなく理解できた。
「いや、なにも……」
ただし記憶が戻ったわけではないので素直にそう言うと、途端青年の顔がこわばる。何かまずいことを言ったかと思ったが、意外にも青年はそのことに触れなかった。
「それじゃ、いくつか質問していいか?」
ただそう言うと、どこからかノートとペンを取り出してきた。なんだろうと思った少年だったが、別に拒否する理由もないので素直にうなずいた。
すると、このあと本当にいくつかの質問をされ、答えた。その答えが合っているか間違っているか、間違っていたらその答えが何かを教えてもらうことができた。
その結果、いろいろなことが判明する。
ここは間違いなく自分の故郷ピエトロ王国。ただし、一度も来たことがないフィロスという町。ただ、名所なので少年も名前だけは知っていた。さらに年は少年が思っていた年と二年違う。正しく言えば二年経っていた。ついでに、この青年は宮廷魔導師らしい。
そして、
「じゃあ、最後の質問。おまえの名前は?」
少年はしばし宙に視線をさまよわせた。いくつかの記憶の中から、自分の名前と思しき音を拾い上げる。するとじわじわと思い出してきた。確かめるため、ゆっくりとそれを口にする。
「み、つき……光貴」
変わった発音だと思ったのだろうか。青年は首をひねっていた。なので、名前と一緒に思い出したことを付け加えておく。
「星語の名前だよ。母さんが陽国出身なんだ」
「ああ、なるほどな。なんていう字を書くんだ?」
いきなりそんなことを聞かれて戸惑った少年、もとい光貴。しかし星語の性質上、これを学ぶ魔導師が多いことを思い出して、こいつも宮廷魔導師なら学んでいるだろうと判断したため今までしてきた通りの説明をする。
「光に、貴い、だよ」
すると青年はおお、と言ってそんなことまでノートに書き留めた。
「なんかエラソーな名前だな」
「……褒めてんのか、けなしてんのか?」
いろいろと確認できたことで安心し、ついでに余裕も出てきた光貴がそう言うと、青年は声を立てて笑った。それから、ノートを閉じて言う。
「おっと、忘れるところだった。俺の名前はラッセル。ラッセル・ベイカーだ。よろしく、光貴」
ここで初めて、彼が世界的に有名な宮廷魔導師であることを知った光貴であった。
ラッセルとの問答の後すっかり安堵した光貴は、夕方まで昏々と眠った。まだ自分がここにいる詳しい事情を聞けていなかったが、そんなことよりも疲労が勝ったのである。それに気付いたのか、ラッセルも一度も起こそうとしなかったようだった。
まぶしい夕日が差し込んできたことで目覚めた彼は、まずゆっくりと指先を動かす。問題なし。次に腕と足を動かすと、これも問題なく動いた。さらに今まで以上に慎重に身体を起こすと、まだ頭痛が伴ったものの、無事起き上がることができた。
「……良かった」
黄色い光を受けながら、彼はぽつりと呟く。喉が渇いているせいか、その声はややしゃがれていた。そのせいで顔をしかめたとき、再び扉が開いて閉まる音がする。入室者がだれなのか分かっているせいか、今度は落ち着いていた。
しばらく目を閉じていると、自分の額に何かが押し当てられたことが分かる。何か冷たいものだと分かった光貴が目を開くと、そこには水の入ったコップを持ってにやりと笑うラッセルの姿があった。
「おはよう。飲むか?」
「……うん」
うなずいてコップを受け取ると、水を少し口にふくんで、それから飲みこむ。瞬間、なんとも言えない衝撃が全身を駆け巡った。思わず身をよじると、ラッセルが声を上げる。
「おい」
「……っ、いい。大丈夫だ」
「そうか? まあ、二年も飲み食いしてないもんな。びっくりして当たり前か」
さらりと言われた事実に、光貴は改めてがくぜんとする。
そう、二年。本当にそれほど眠り続けていたらしいが、そもそも二年も飲まず食わずで人間というのは生きていけるものなのか。訊くと、ラッセルは難しい顔で答える。
「うーん、まあ、封印魔法の場合、その魔力からエネルギーが供給されるから無事だったんだろうな。あの環境では体内の水分も減らないっていうし。実際入ったことがない俺には、確かなことは言えんが」
「封印魔法って……昼間も思ったが、本当なのか?」
にわかに信じられずにいた光貴は、上ずった声で訊く。宮廷魔導師の答えはずいぶんとあっさりしていた。
「ああ。確かにおまえは魔法の中にいた。本当に覚えてないのか?」
「まったく。封印うんぬんどころか、その日のことも覚えてない」
言ってから光貴はラッセルの反応をうかがったが、彼は一度うなずくと立ち上がり、テーブルからバスケットを運んできてその中身を引っ張り出した。
中身というのは、長いパンだった。
「ま。そのことを考えるのはまた明日にして、今日はとりあえず食って休め」
彼の言葉を聞き、どうやら再び温められたらしいパンを見た光貴は、二年ぶりに自分の腹の虫が鳴くのを聞いた。




