第三話 茨の道ともうひとつの物語――1
昼食後、すぐに宿は取れた。旅費はたんまりあるので高級ホテルでも良かったのだが、今後のことを考えてそれなりの設備がある安宿の方を選んだ。宿泊手続きをしてから部屋に荷物を置いた二人は、そのあとすぐに貴重品と鞄だけ――なぜかノエルは一本の棒も――持って町の中へと繰り出す。
せっかくだからローザの町を見て回ろうというのもあったが、なにより『夜空の首飾り』に関する噂を少しでも集めてみようと思ったのだ。
しかし、思うように事は運ばない。
「なかなか、それっぽい話がないねえ」
町を半周程度したあと、路地に入りこんでから晴香はため息をついた。ライルが「噂になっている」と言ったのでそこはかとなく期待を寄せていたのだが、この町では首飾りに関する噂は何も聞けなかった。
「クリスタではあんなにもいろんな憶測が飛び交っていたというのに、外に出た途端これですか。不思議な話ですね」
「やっぱり、ラッセルさんとやらに頼るしかないかなあ」
首をかしげて呟くノエルに、晴香は肩を落としながら言う。だが、うなずいても首を振ってもくれなかった。まだ何か話が聞ける可能性がゼロではないからだろうか。
「おや?」
晴香がついに座り込むと同時、ノエルが素っ頓狂な声を上げる。何か興味深いものを見たとでも言いたげな彼の視線を追ってみると、その先には荷車を引く男の姿があった。
「あの方は、行商人ですかね?」
「行商かあ……そうかもしれない」
確かに、男の服装はこの辺りではあまり見かけないものだし、荷車に積んである物も見覚えのない民芸品のようなものばかりだった。
ああいう姿を見ると、晴香は母が行商に出ていることを思い出す。
「ちょっと、話をしてみようかな」
すくっと立ち上がった彼女は、同行人の方を振り返ることもせず歩き出した。だが、彼が黙ってついてきてくれていることはすぐに分かる。そのまま「すいません!」と声を上げた晴香は、驚いたような顔をしている男の方に駆け寄っていった。
「それ、すごくきれいですね。売り物ですか?」
きれいに畳んで積んであるタオルのような布地を指さして晴香が言うと、男は顔をほころばせた。
「そうだよ。私は南の方から来た行商人でね……ピエトロ王国は寒くてかなわない」
「ですよね。ようやく雪が溶けてきたところですし」
苦笑して言った晴香。もちろん話を合わせた部分もあるが、半分は本心だったりする。比較的冷涼な気候の地域にすんでいながら、寒さが苦手なのだった。
「ところでお嬢ちゃんと後ろの坊っちゃんは王国の人かい?」
「はい」
「ええ。まあ」
行商人の問いかけに二人して返すと、次の瞬間、彼の口から驚くべき言葉が飛び出した。
「国宝の『夜空の首飾り』が消えたという噂は本当かい? あの宝に商人として少し興味があったものだから、気になってね。悪いことを考えていたわけではないよ」
首飾りのことを知っている人がいた! 晴香とノエルは思わず顔を見合わせる。それから、ノエルが前に進み出た。
「実は僕らも、その話の真偽について調べていたところだったんです。何か、ほかに噂のようなものを聞きませんでしたか?」
男は今度こそ驚き、同時に嬉しそうな顔で「そうか、そうか」と言っていたが、肝心の噂についてはあまり知らないようだった。この国には入ったばかりで、情報が不足しているという。残念に思ったがこればかりは仕方がない。お礼を言って、せっかくだからと晴香が民芸品らしき物の一つから木彫りのリスのような置物を買ってから立ち去ろうとした。
が、そこでノエルが足を止めて周囲に視線を走らせた。
「ノエル君、どうしたの?」
晴香が小声で問うと、ノエルは険しい顔のまま小声で返した。
「……殺気を持った者が数人、こちらに近づいてきています」
「えっ――」
それはどういうことだろう。よくは分からないが危ない状況ではないだろうか。晴香はさあっと青ざめた。
「どうする? 逃げちゃった方が良いかな」
「狙いが僕らなら、それが最善なのですが……」
心細くなった晴香の問いかけに、ノエルは苦虫をかみつぶしたかのような顔で答えた。と、そのとき。
ヒュッ、と風を切る音がしたかと思ったら、激しい音を立てて投げ槍のようなものが二人と商人の間の地面に突き刺さった。それぞれが驚き、一歩飛び退く。
「あ、ノエル君! あれ!」
飛び退いた直後、男のすぐ横に集団が現れたのを見つけた晴香は、大声でノエルを呼んだ。彼ははっとしたように彼女が指さした方向を見て、男は一気に張りつめたような声を上げた。
「盗賊か!」
晴香は盗賊というものを言葉でしか知らなかったが、その集団が明らかに怪しいというのは分かった。顔を覆うように布を巻きつけ、動きやすく黒い服を身にまとい、手には剣や槍といった武器。彼らは眼光鋭く荷車を見据えていた。
どうやら狙いは行商人の男、正確に言えば彼が持っている商品だったようだ。
「かかれ」
晴香とノエルのことが見えていないのか、それとも無視しているだけなのか、集団を取り仕切っているらしい一人の若者は、男の方だけを見て号令をかけた。
対する男は懐から取り出した短剣を構えているが、構え方に不安を覚える。おそらく戦闘経験が皆無なのだろう。このままでは間違いなく――やられる。
「ど、どうしよう」
か細い声を上げた晴香は、すがるような目でノエルの方を見てしまった。このままでは男を助けられないだけではなく自分たちもただでは済まないような気がするので、余計に。
その視線を受けたノエルはしばらく苦々しい顔をしていたが、やがては「こうなれば、仕方ありませんね」と呟き晴香に鞄を押し付けた。
「荷物番、お願いします」
「……え? うん。けど、大丈夫?」
自分が頼ろうとしたくせに思わずそう訊いてしまった。だがノエルは嫌な顔一つせず、むしろ自信に満ちた表情で言った。
「任せてください。あの程度なら、どうにかなります」
答えた彼は手にしていた謎の棒を一回転させて持ち直してから、盗賊の集団に突っ込んでいった。
盗賊たちは最初ひどく戸惑った。どうやら本当に、二人の存在に気付いていなかった様子である。だが、切り替えも早く、先にこいつを始末してしまおうと思ったのか、全員が攻撃の矛をノエルに向けた。だが彼の方はといえば冷静そのもので、飛びかかってきた盗賊を見てもまったく動こうとしなかった。
はらはらしながら様子をうかがっていた晴香は、次の瞬間、目を見開いた。
もう少しで攻撃が到達しそうになったところで、ノエルは両手で棒を回転させてから、勢いよくそれを突き出して一人のみぞおちに一撃入れたのだ。そいつはすぐさまもんどりうって地面に倒れ伏してしまう。
「あれって、棒術?」
鮮やかな手並みを見た晴香は呆然としながら呟いた。棒術という武術の類があるのは知っていたが、まさかノエルがそれを使えるとは。
その後も彼は動揺しながらも立ち向かってきた盗賊たちを、棒を振り回しながらいなしていった。ある者は急所を突かれ、ある者は武器を跳ね飛ばされた後に一撃加えられ、少数の盗賊たちはあっという間に倒れていく。
そして一分後には、盗賊の殲滅が完了してしまっていた。
「さてと。あとは警察に任せますか」
棒を地面に突き立てたノエルは、緑の髪をはらいながら言った。それを見た晴香は思わず喝采する。
「す、すごいノエル君!」
ノエルはびっくりしたように晴香を見ていたが、やがて照れくさそうに笑った。
「一応、有事の際役に立つようにと多少かじっておいたんです。この程度までならできるんですけど、どうにも僕にはセンスがなかったみたいで、これ以上は使いこなせませんでした」
センスがないだと。晴香はノエルの言葉を聞いてがくぜんとした。あれでセンスがないと言われても謙遜としか取れない。しかし緑髪の少年の声にはそういった響きは感じられなかった。もしかすると、熟達した戦士から見れば本当に初心者レベルなのかもと結論付けておくことにする。
同じくそれまであぜんとしていた行商人の男も、ノエルの言葉を聞くといたく感激した様子だった。
「す、すごいな。本当にありがとう……助かったよ」
「いえいえ。当然のことをしたまでですよ」
ノエルが首を振ったが、さらに男はこう続けた。
「君たち、見たところ旅の者のようだし良ければ運んであげようか?」
「えっ、いいんですか!」
晴香はつい目を輝かせてしまう。これは思わぬ申し出だった。ノエルもさすがに驚いて目を丸くしている。彼の方は断ろうかと思っていたようだが、男が続けてどこに行くつもりなのかと訊いてきたのですぐに諦めたようだった。
「北方の、フィロスという都市に向かおうと思っています」
「そうか、ちょうど良かった。私も北へ向かおうと思っていたところだったんだ。途中まで、この荷車で良ければ乗せていってあげよう」
男は、安心したような笑顔を浮かべる。
「ありがとうございます!」
この世の中も捨てたもんじゃない、と思いながら晴香は精一杯頭を下げた。見ると、ノエルも恐縮した様子でお辞儀している。
出立は明日に決まった。そのあと晴香は男と話を弾ませ、明日に向けて親睦を深めていた。彼女の視界の端には、石畳に突き刺さった槍を訝しげに見るノエルの姿が映っていたが、大して気に留めてはいなかった。
「ん?」
行商人の男とすでに打ち解けている晴香に苦笑していたノエルは、石畳に突き刺さっている投げ槍の柄に何かが描かれていることに気付いた。
訝しく思った彼は槍に近づくと、かがみこんでそれを念入りに観察する。その結果、さっき見かけたものはすぐに見つかる。
それは、どうやら紋章のようだった。横向きの馬の胴体に、何か印のようなものが入っている。
――それがなんであるか頭で理解する前に、少年の全身を悪寒が貫いた。
「……っ! これは!」
ノエルはつい声を上げてしまい、慌てて晴香の方を振り返る。が、彼女も商人も気付いた様子はない。強張った顔のまま槍の方に視線を戻した彼は、続いて地面でのびている盗賊たちを見る。そして、悪態をついた。
「くそっ、はめられたか……」
改めて紋章を見ると、なぜかひどく恐ろしい、悪魔のしるしのように見えた。
行商人と話をつけたあと、今後の予定の確認や情報収集などを行ううちに、旅の一日目は驚くほど早く過ぎていった。そして二人は宿に戻り、食堂で夕食をとることにする。
中央にでん、と置いてあるバスケットの中からパンをつかみとり、端をちぎって食べながら晴香はそっと対面に座るノエルを盗み見た。
彼はどういうわけか、あの槍を見た後から何かを考え込んでしまっているらしい。そのせいかどこか上の空で、話もぎこちなくなってしまった。今も、やはり難しい顔をしながらスープを匙ですくっている。
「あのさ」
晴香は決意して声をかけた。ノエルの気を引くためにいつもより大きな声を。彼ははっと顔を上げ、晴香の方を見てくる。緑の瞳が確かにこちらを捉えていることを確認した彼女は、問いかけた。
「何かあったの? 昼間からずーっと難しい顔して考え込んでるけど」
あえていつもよりきつめの口調にした。もっとも、あまり堂々と隠し事をされるのは好かないたちなので、その苛立ちが表れているという部分も少なからずあったが。
ノエルは言葉に詰まったような表情でじっと晴香を見つめた後、しばらく視線を泳がせたが、やがて目をつぶってため息をつき、そうかと思えばようやく言葉を発した。
「ええ、まあ。ただ、大事な話なので食事が終わってからにしましょう。ここでは人が多すぎます」
晴香は周囲を見回した。ノエルの言う通り、今は人が多い。出入り口もかなりごった返していた。夕方六時という時間帯のせいもあるが元々それなりに食事が人気の宿らしく、食堂は常にかなりの数の人間で埋まっているようである。確かに、「大事な話」をするのに向いている場所ではなさそうだ。
「……分かった」
優しげな表情で返した晴香は、今度こそ食事に集中した。
その後、二人はほぼ無言で客室のある二階に行くと、そのままノエルの部屋に直行した。彼を先頭にして部屋に入ると、その彼は部屋の隅から椅子を一脚持ってきて晴香に勧めた。
「どうぞ」
「あ、どうも」
ぎこちない返事をした晴香が椅子に腰かけると、ノエルはベッドに腰かけ、口火を切った。
「僕が昼間から悩んでいたことというのは、あの盗賊のことなんです」
「あの盗賊、って、ノエル君がやっつけちゃった奴らだよね?」
今になってその話が出てくると思っていなかった晴香は、思わず確認をとった。しかしノエルはさも当然といったようにうなずいた。それから小さく息を吸い、続ける。
「最初に奴らが投げてきた柄を見たところ、こんな紋章が描かれていたんです」
彼はそう言うと、小さな紙きれを晴香にさしだしてきた。彼女はそれを受け取って、なんの気なしに眺める。
横向きの馬の胴体に、よく分からない記号のようなものが描かれている、そんな紋章だ。どこかで見たような気がする、と首をひねった彼女は、少しして思い出した。
王城通いの頃、世界情勢の授業でノエルに見せてもらったものだ。
そのことに気付くと同時に、目を見開く。
「ちょ、ちょっとまって……! これ、シオン帝国の国章じゃないの!?」
ほとんど叫ぶように言った彼女に対し、ノエルは険しい顔をしてうなずいた。それから、はっきりと断言する。
「あの盗賊、いえ、盗賊のふりをした者たちは、シオン帝国の手の者だった、ということです」




