第一話 有能変人令嬢による人情王子への追撃
「世の勢いは過ぎ、話題に上がらなくなった今こそ復権の時。殿下、正式な手続きを経ての婚約の解消を進言いたしますわ」
陽光煌めく庭園での二人きりの茶会。
婚約者をもてなしていた令嬢は、何の前触れもなくそう言った。
「待て、何を以てその思考回路に至ったか、まずはそれを説明しろ」
強固な意思以ておっとりと切り出す自らの婚約者の妄言に、相対する王族青年が左手の人差し指で痛む頭を支えて残る右手を翳して理論の飛躍を押しとどめる。
「私は、政務や家庭教師による講義を懸命に熟した日々の自己褒美としてそなたとの会話に癒されるべく訪問したと言うに、何故に自らの婚約者に見限られねばならんのだ」
「まぁ、それは誤解にございます。わたくしは今この時も、心より殿下の事を敬愛申し上げておりますわ。それ故の婚約破棄になるのです」
王子の早合点を訂正した令嬢がさり気なく咳払いをしてみせると、側に控えていた右端の侍女が絹布に刺繍の周辺国地図を主に手渡す。
雅と実用を兼ねた勢力図の中央には、湖の只中に浮かぶ島に陣取る小国の名前が縫い取られていた。
「よろしいでしょうか、殿下。我が国は小なりとて湖にて治水に励む国と、周辺の皆様方に敬意を向けていただいておりますわ」
「先の発言との関連性はまだわからんが、概ね間違えてはいないな」
舳先の向きを変えた話題に王子が顔を引き締め、真剣味に好感を得た令嬢がふわりと相好を崩す。
「水門を握るは我ら故に他国は我が国の顔色を窺わねばならんが、恨みを買ったとて仕方がない故、なればこそ腰を低くが我らが国是だな」
権高に振る舞おうと防衛力の乏しさが滑稽さに繋がる小国ならば協調こそが国力となる、と論じる婚約者に、令嬢が賛意を表して軽く頭を下げる。
「ところで、他国には婚約の破棄講なる奇習があるとはご存じでしょうか?」
「どの道を通って思考が飛んだ。いや、いい。それよりも、その嫌な因習はなんだ」
「身分あるものが真実の愛に目覚めたと、公の場にて家同士の約束事を破棄する病ですわ」
一時期頻出した類例を独自の解釈による令嬢の定義付けであるが、傍目には明らかに正しくはないとわかるにも関わらず当人達に気がつく様子はなく、双方の背後に控える使用人達が表情を変える様子もない。
「詳しくは、派閥による利益優先の関係性を個人の感傷で清算する、背徳の奇病と推測いたします」
「なんとも不毛な病だが、政略婚約が利益のみとは限らんだろう。少なくとも条件に合わぬ人間はそなたの前にいる」
だからこの話は終わりだ、遠回しに宣言する王子に、婚約者がわかったと深く頷いてみせる。
「わたくしが聞き及びますに、人生とは谷の連続でたまに平地に出るのが味があると。ならば、婚約破棄とはこの谷の底を愉しむ作法と申せましょうか」
わかったと頷いてみせが、結論としては欠片もわかっていなかった。
「昔からそなたは考え出すと人の話を聞かないのが難点だが、まずはその物騒な情報網を断つのが先決か?」
ちょっと名前を挙げてみろ、と王子が柔らかな笑みを湛えて元凶を探り出そうとし、令嬢が従うべくはんなりと口を開く。
「お茶のお招きに与った際に、王太后陛下が人生について斯様に申されておりましたわ」
「よしわかった、聞かなかったことにしよう」
自らの祖母の知られざる一面を耳にしてしまった青年が、現実逃避として話の続行を選択するという悪手を踏むが、空を舞う烏の他に指摘する者はいない。
現実の直視を避けた王子の言を、話題の引き戻しの指示と捉えた令嬢は、しかと頷いて言葉を繋げる。
「かような状況から一時期広く流れを見せたものの、乗ること叶わぬ良家の子女がおりましたことは、言うまでもないこと」
「そうだな、だからこそ私達の婚約も盤石だ」
再度先手をうち関係破綻を回避しようと努力をする王子だが、瞳を輝かせた令嬢に届くはずもなし。
「左様にございます。盤石だからこその破棄が意味を持つに至るのですわ」
得たりと頬を染める婚約者の眩しさに目を伏せかける王子であるが、流されてはなるものか、と深呼吸をして自らを律する。
「ここで一つ意識の摺合せをするべきと思うが、そなた、我らが婚約をなんと心得る」
「もちろん、我が国の発展に寄与するための格好の資産と心得ておりますわ」
「違う! 私はそなたと将来を共にし幸せになるための契約であると、繰り返し諭しているであろう!」
曇る方なき眼で即答する理不尽令嬢に、ついに我慢の限界に達した王子が魂の叫びを上げて卓に突っ伏した。
「よいか、私は五歳で出会った折よりそなたと歩むと心に決めたのだ」
「光栄に存じます。それ程までに想いを寄せていただけるとは、まさに淑女冥利に尽きるお話にございます」
「その出会いより十数年、勉学を修め、剣に励み、人物共に研鑽を重ねて先日ようやっと両陛下と公の赦しを得て婚約に至ったわけだな」
「左様にございます。わが父も殿下を呪いながらもその誠実さだけは買っておりましたわ」
「ならば何故、幸せの絶頂で婚約者に張り倒されねばならんのだ!」
想い成就の甘やかさはどこに行った、悲痛な叫びを響かせる主の姿に、王子の側近の一人がそっと視線を外した。
そして、叫びを受けた令嬢は握りしめた拳にたおやかな両の手を重ねる。
「殿下、わたくし殿下の想いをしかと受け取りましたわ」
「そうか、では婚姻の式の日取りを……」
「ええ、国の商機のため身を粉にする殿下の勇姿、きっと永遠に民の語り草となりましょう」
意図せぬ論点のずらしをぶつけられて、希望に輝く表情のまま、王子が思考を停止させる。
彫像と化した王子に頓着することなく令嬢が手をかざすと、真ん中の侍女が分厚い紙の束を差し出した。
「わたくしが愚考いたしますに、これはかなりの利益を生む事業になり得るかと」
ご覧あそばせ、と向きを変えて差し出された冊子の表紙には、装飾文字で記された極秘の語が大きく躍る。
「これは、わたくしが聞き集めた世論という名の民の声にございます」
民の声という名の不吉の書の放つ波動に気圧されつつも、無視すること叶わず、王子が紙の端を摘んで最初の項を捲り上げる。
[婚約破棄とは双方の利益追求のための関係交渉である]
王子の背中越しに資料に目を通した側近の一人は、最初の一文でさり気なく目線を上に逃がした。
「この世の声から愚行いたしますに、当事者ならびに目撃者にとって婚約破棄の最大の利点とは、固定された関係性の再流動にあると申せますわ」
そして、艷やかに磨かれた人差し指を立て、声を弾ませる令嬢という名の混沌の使い。
「我が国にとっての利益とは、場を提供することにより、他国権力家の交流を特等席に座したままこの目で見られることに他なりませんわ」
輝く令嬢の表情とは対照的に、面に悲壮を浮かべた王子がまずは主導権の奪取する為、目を伏せて思考を巡らす。
「要するに」
数瞬の沈思黙考の後、ゆるりと口を開いた。
進言をすべきかと背後の側近が身動ぎをするも、手を翳してその動きを制する。
「そなたの主張は、子供の茶番で十分と、むしろそうでなくば困る、と?」
「さようにございます。さすがは殿下、ご明察にございますわ」
茶番により、他国子女は人脈構築とあわよくば利益配分の再構成、自国は情報と外貨の獲得、表面上は損するものもなく、実際は自国の利益総取りという構図である。
「人とは遊びにこそ本音の混ざる生き物と申しますわ。殿下とわたくしの婚約破棄を喧伝し、雅な遊び場として広めれば、身分をお持ちのお家ほど無視すること叶いません」
なれば今こそ婚約破棄、と再度迫る破棄される婚約者の笑顔に、惚れたが弱みの王子が絆されそうになってしまう。
「論としては分かった。なれど、我らが如何に利を説こうと、上層が承知せねば検討のしようもあるまい」
だからこの話題は終わりだ、と伝家の宝刀を抜く王子に対し、令嬢がきょとりと妙に幼気な表情を浮かべた。
「ですが、宰相閣下と大司教猊下はご理解をくださいましたわ」
「は?」
不思議そうに頬を指を添える自らの婚約者の要らぬ行動力に、端正な面を崩し思わず間の抜けた声を上げてしまう王子。
「先日、両陛下に定例のお目通りをさせていたたきました折に、宰相閣下に展望を問われたので今のお話をお伝えしたところ、閣下猊下共にそれは面白いと」
証拠の品とでもいうのか、左端の侍女が差し出すのは、国家最高位の側近による封蝋の施された二通の封書。
開けるまでもなく存在感を押し付けてくる物体に、にこやか狸の異名を取る老人二人の笑顔が透けて見える。
そして、その向こうに頭を抱える君主夫妻の姿。
「……妖怪二名がこれを。この不吉な封書には、何と記されていたのだ?」
「殿下宛にございますので、内容は存じ上げておりません。ですがお二方とも、殿下ならば中を検めずとも、受け取ればどうすべきかお分かりになる、と仰せでしたわ」
お納めを、と不吉の書と並べられる不幸の手紙を如何にも嫌そうに眺める王族青年。
一瞬見なかったことにしようという誘惑に駆られるも、人間の枠を半歩踏み出した老獪が無視の可能性を予想していないはずがない。
こうしては居れん、と意を決して中座を詫びて席を立つ王子と、不思議そうに見送る令嬢に会釈をして主の後を追う側近一同であった。




