第4話 王都《アイギス》:搾取される楽園と、ゴミ捨て場の少女
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赤いノイズに侵された荒野の先に、その「城壁」は聳え立っていた。
高さ五十メートルを超える白亜の防壁。その上空には、半透明の六角形が蜂の巣状に組み合わさった、巨大な防御障壁が展開されている。
障壁の内側だけ、空が青い。
外側は地獄のような赤紫だが、内側には、サービス終了前と変わらない「美しい昼下がり」が保存されている。
王都『アイギス』。
この崩壊世界に残された、唯一にして最大の安全地帯。
「……吐き気がするな」
隣で歩くレオンが、鉄錆のような声を絞り出す。
背負った『虚無の戦鎚』が、彼の殺気に呼応するように重低音を響かせている。
「俺たちが必死で守ってきた都が、今じゃ入場料をふんだくるボッタクリ・バーかよ」
レオンの視線の先――巨大な城門の前には、数百人のプレイヤーが長蛇の列を作っていた。
誰もが服は汚れ、装備は破損し、疲労困憊している。
だが、門を守る衛兵たちは、新品同様の輝く鎧を纏い、冷酷に彼らを見下ろしていた。
「おい、次の奴! 遅いぞ!」
衛兵の一人が、列の先頭にいる魔法使いの少年を怒鳴りつける。
少年の足元には、なけなしのアイテムが広げられていた。
「こ、これで全部です……! ポーション三本と、魔石の欠片……お願いです、中に入れてください! 外じゃもう、息をするだけでHPが減るんです!」
少年が泣きながら懇願する。
しかし、衛兵は鼻で笑い、ポーションを泥で汚れたブーツで踏みつけた。
パリン、と硝子の割れる音が響く。
「あ……」
「足りねぇな。ギルド『聖域』の定めた入都税は、清潔度B以上のアイテム五個だ。こんなゴミデータばかり持ってくるんじゃねぇよ、貧乏人が」
「そ、そんな……」
衛兵は少年の胸倉を掴み、列の外へと放り投げた。
少年が地面に転がり、周囲のプレイヤーたちが恐怖に息を飲む。
これが、今の世界の「法」だ。
『聖域』。
サ終直後に王都のシステムを掌握し、正常なデータを独占することでヒエラルキーの頂点に立った巨大ギルド。
「……あいつ、殺す」
レオンが一歩踏み出す。
俺は無言でその肩を掴み、制止した。
「放せ、ナギ! あいつは俺の元部下だ! 騎士の風上にも置けねぇ!」
「落ち着け、脳筋。ここでお前が暴れれば、城壁の自動防衛砲が起動する。ハンマーの射程外からハチの巣にされて終わりだ」
俺は冷静に城壁の上部を見上げる。
そこには、青白く発光する砲身が、正確に群衆を照準していた。
あれは正規のシステム防衛機構だ。バグ技を使わない限り、真正面からの突破は不可能に近い。
「じゃあどうする!? 指をくわえて見てろってのか!」
「いいや。正面から堂々と入る。……ただし、『正規の手続き』なんかじゃねぇけどな」
俺はニヤリと笑い、インベントリから一枚のカードを取り出した。
それは、ただの『ギルドカード』ではない。
表面に無数の傷があり、文字化けした文字列が刻まれた、俺専用の改竄工作具だ。
「いいか、レオン。俺の後ろを歩け。絶対に喋るなよ」
俺は列を無視して、堂々と門へと歩き出す。
「おい貴様ら! 並べ! ……あ?」
衛兵が俺たちに気づき、槍を向ける。
だが、俺の顔を見た瞬間、その表情が凍りついた。
「お、お前……そのボロ布……まさか、指名手配中の『ナギ』か!? バグ使いの!」
周囲がざわつく。俺の悪名は、どうやらこの閉鎖世界でも健在らしい。
「それに、後ろの大男……まさか、レオン元団長!?」
衛兵が動揺する隙を見逃さず、俺はカードを指先で弾き、衛兵の目の前に掲げた。
「よう、ご苦労さん。今日は『特別監査』に来た」
「は、はぁ!? 何を言って……」
「システム、照合開始」
俺が小声で呟くと同時に、カードから目に見えない信号が放たれる。
俺が送ったのは、運営時代に使われていた『デバッグ用管理者権限』の偽装信号だ。
ピピピッ。
衛兵が持つ検問用の端末が、緑色の光を放つ。
[SYSTEM NOTICE]
> ID: 00000000 (Guest_Admin)
> Access Level: ∞
> Welcome back, Administrator.
「な……『管理者』……だと!?」
衛兵が目を見開き、端末を取り落としそうになる。
当然だ。この世界において、管理者は神に等しい。
実際には、俺のIDはBANされているため「0」として処理される。それを逆手に取り、「IDが0=初期設定の管理者ID」と誤認させる古典的な手口だ。
「おい、道を開けろ。サーバーの保守点検だ。邪魔をすると、お前の装備データごとアカウントを凍結させるぞ」
俺が脅し文句を吐くと、衛兵たちの顔色が青を通り越して白になった。
彼らはシステムに依存しているからこそ、システム側(だと思わせた)の権威には逆らえない。
「し、失礼しました!! ど、どうぞお通りください!!」
衛兵たちが慌てて敬礼し、左右に分かれる。
列に並んでいたプレイヤーたちが、呆気にとられた表情で俺たちを見送る。
レオンは兜の下で「マジかよ……」と呟いていたが、俺は無視して、悠然と門を潜った。
◇
王都の中は、不快なほど「平和」だった。
石畳は整備され、噴水からは清浄な水が溢れている。NPCの商人が笑顔でアイテムを売り、広場ではプレイヤーたちが談笑している。
外の地獄が嘘のような光景。
「……まやかしだな」
俺は呟く。
よく見れば、建物の影や路地裏には、処理しきれていない描画欠けが黒い染みのようにこびりついている。
この「青空」を維持するために、どれだけのデータリソースを外から搾取しているのか。
「ナギ、どこへ行くんだ? ギルド本部はあっちだぞ」
レオンが中央の巨大な塔を指差すが、俺は逆に、薄暗い路地裏へと足を向けた。
「用があるのは玉座じゃない。『ゴミ捨て場』だ」
「は?」
俺たちは王都の最下層、スラム街のさらに奥にある「廃棄データ集積所」へと向かった。
そこは、システムが「修復不能」と判断したオブジェクトが廃棄される場所だ。
文字化けした家具、半分溶けた武器、そして――
「……なんだ、ありゃ」
レオンが息を飲む。
瓦礫の山の頂上に、一人の少女がうずくまっていた。
透き通るような銀色の髪。ボロボロの純白のワンピース。
だが、彼女の身体は、明滅していた。
右腕が肘から先、ノイズになって消えている。足元も半透明になり、地面に溶け込んでいる。
彼女の周囲には、黄色い警告ウィンドウ《ウォーニング》が無数に浮遊していた。
[SYSTEM WARNING]
> Object: Unknown_Girl
> Error Type: Fatal Corruption
> Auto-Delete in: 168 hours
「……NPC、か? いや、プレイヤー?」
レオンが恐る恐る近づこうとする。
少女が顔を上げた。
その瞳には、感情がなかった。ただ、機械的な光が明滅しているだけだ。
「……近寄らないでください」
鈴を転がすような、しかし抑揚のない声。
「私は汚染されています。接触すると、あなたのデータも破損する可能性があります。……早く、削除してください」
彼女は自分の消えかけた右腕を抱きしめ、小さく震えた。
それは恐怖ではない。「自分はバグである」という事実を受け入れた、諦めだ。
俺は彼女の頭上に表示されている名前を見る。
そこには、文字化けした文字列と共に、微かに読めるIDがあった。
『Mina (Global_Key_Object)』
俺の心臓が早鐘を打つ。
やはりだ。
こいつはただのバグじゃない。
運営が逃げ出す直前に隠蔽しようとした、この世界の「マスターキー」。全システムの根幹に関わる重要機密だ。
「へぇ。削除してくれ、なんて頼むバグは初めて見たな」
俺は少女の前にしゃがみ込み、視線を合わせる。
「だが断る。俺はゴミ拾いが趣味でね」
「……理解不能です。私はエラーです。この世界に存在してはいけないものです」
「存在していいかどうかは、システムが決めるんじゃねぇ。俺が決める」
俺は右手を伸ばす。
少女が「ダメ!」と叫ぶよりも早く、俺の手は彼女の頬に触れていた。
バチバチッ!!
激しい静電気が走り、俺の指先のHPが削れる。
激痛。神経を直接焼かれるような感覚。
だが、俺は手を離さなかった。
「……っ、痛ぇな。だが、触れるぜ。そこに『ある』からな」
少女の瞳が大きく見開かれる。
ノイズにまみれた彼女の頬に、俺の体温が伝わった瞬間。
彼女の身体を覆っていた警告ウィンドウが一斉に砕け散った。
「見つけたぜ、最高のお宝。お前が、この腐った世界をひっくり返す鍵だ」
俺の不敵な笑みに、少女――ミナの瞳に、初めて「人間」のような光が宿った。




