第3話 禁忌鍛造《イリーガル・クラフト》:虚無を振るう腕
拠点の空気が淀んでいる。
原因は二つ。
一つは、換気システムが停止した閉鎖空間特有の、埃と鉄錆が混じったような臭気。
もう一つは、元・世界一位の男が放つ、どす黒い不機嫌のオーラだ。
「……おい、ナギ。なんだこれは」
レオンが、焚き火(に見せかけたテクスチャ光源)の前で、手渡された「物体」を凝視している。
「朝飯だ。食わないと満腹度が下がるぞ」
俺はそっけなく答える。
彼の手にあるのは、焦げ茶色の長方形のポリゴンだ。アイテム名は『焼きすぎたパン』だが、見た目はどう見てもレンガブロックである。
「俺は……王都の三ツ星レストランで食事をしていた男だぞ……! こんな、データカスみたいな……」
「文句があるなら課金してデリバリーでも頼め。サーバーが生きてれば届くかもな」
俺は自身の分を齧り、口の中に広がる「無味」を咀嚼する。
味覚データも破損している。今のこの世界には、食感というノイズしかない。
レオンは屈辱に震えながら、それでもレンガを口に運んだ。
ガリッ、という嫌な音が響く。
生存本能がプライドに勝った証拠だ。
「……で、これからどうする気だ」
パンを水で流し込み、レオンが睨んでくる。
「王都へ行く。だが、その前に装備の更新だ」
俺はインベントリを開き、とあるアイテムを取り出した。
それは、ただの『錆びた鉄パイプ』だ。初期エリアの廃墟で拾える、攻撃力3のゴミ武器。
「お前の剣はもう使い物にならん。神聖魔法が付与されていない聖剣なんて、ただの重い金属の棒だ。だから、これを使え」
俺は鉄パイプを放り投げる。
カラン、と乾いた音が床に響いた。
「ふざけるなッ!!」
レオンが激昂し、立ち上がる。
その怒気だけで周囲の空気がビリビリと震えるようだが、残念ながらシステム的な威圧効果は発動していない。
「俺は聖騎士だぞ!? 鉄パイプなんぞで戦えるか! 俺の剣技は、聖剣の重量バランスに合わせて最適化されてるんだ!」
「重量バランス? ああ、そうだな。そこが大事だ」
俺はニヤリと笑い、もう一つのアイテムを取り出す。
それは、昨日倒した変異ボアのドロップ品、『重力牙の欠片』。
そして、俺が長年かけて集めたバグアイテム、『増殖する粘土』だ。
「見てろ。今からその鉄パイプを、お前の聖剣より『凶悪』にしてやる」
俺はメニュー画面を高速で操作する。
正規の「鍛冶スキル」は使用しない。
使うのは、アイテム欄の入れ替えを利用した、データの強制合成バグだ。
まず、鉄パイプを装備スロットに入れる。
次に、『増殖する粘土』を捨てる動作を行い、確認ウィンドウが出た瞬間に『重力牙』とすり替える。
さらに、通信切断を意図的に発生させ、サーバーに「まだアイテムは手元にある」と誤認させる。
ピ、ガガガッ……ブォン。
異様な音がして、俺の手の中で光が明滅した。
鉄パイプの形状が歪む。
赤黒いノイズが表面を走り、パイプの先端に、真っ黒な球体が吸着した。
完成だ。
「な……なんだ、その気色悪い物体は」
レオンが顔をしかめる。
無理もない。それはハンマーのようにも見えるが、先端の球体部分はテクスチャが完全に欠落し、「背景の闇」が剥き出しになっている。
まるで、空間に空いた穴だ。
「名付けて『虚無の戦鎚』。攻撃力は……まあ、たぶん3のままだ」
「はぁ!? ゴミじゃねぇか!」
「だが、『重量』の設定値をいじった」
俺はハンマーをレオンに渡す。
レオンは疑わしげに受け取り――その瞬間、彼の腕がガクンと下がった。
「お、もッ……!? なんだこれ……!?」
レオンほどの筋力値(STR)を持つ男が、両手で持ってもよろめいている。
「このゲームの物理エンジンには致命的な欠陥がある。一つのオブジェクトに過剰な重量を設定すると、座標計算がバグって、振った瞬間に『慣性』が無限大に増幅されるんだ」
「無限……?」
「ああ。お前がそのハンマーを振り抜いた瞬間、先端の運動エネルギーは計算式の上限を突破する。当たればドラゴンだろうが城壁だろうが、物理演算の彼方に吹き飛ぶぞ」
俺は笑う。
「ただし、制御できるのはSTRが999ある馬鹿だけだ。つまり、お前専用のオモチャだ」
レオンは、その醜悪な黒い鉄塊を見つめた。
美しい装飾も、神聖な輝きもない。ただのバグと悪意の結晶。
だが、その掌には、確かな「力の感触」が伝わっているはずだ。
「……気に食わん」
レオンは低く唸り、ハンマーを背中のマウントに固定した。
「だが、使えるなら使ってやる。俺の聖なる道を邪魔するゴミ掃除には、ゴミがお似合いってことか」
◇
拠点の外に出ると、世界はさらに崩壊が進んでいた。
空には巨大な亀裂が走り、そこからバイナリコードの雨が降っている。
俺たちは初期エリアを抜け、王都へと続く唯一の道、『始まりの大橋』へと向かった。
だが、予想通りと言うべきか。
橋の袂には、歓迎できない先客がいた。
「ギャハハ! 見ろよ、また逃げ遅れたノロマが来たぜ!」
橋を封鎖するようにたむろする、十数人のプレイヤー集団。
全員が赤い装備で統一している。PKギルド『赤の連盟』の末端構成員たちだ。
彼らはサ終前から初心者狩りで悪名を轟かせていたが、この無法地帯になってからは、通行料と称してアイテムを巻き上げる山賊と化している。
「おいおい、よく見りゃそいつ……『元一位』のレオン様じゃねぇか?」
リーダー格の男――頭上に『斬首人』という痛々しい二つ名を表示させている――が、下卑た笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
「落ちぶれたもんだなぁ! その汚ねぇ鎧はどうした? それに、背中の黒いゴミは何だ? スクラップ拾いでも始めたか?」
取り巻きたちがドッと沸く。
レオンの眉間に青筋が浮かぶ。
俺は一歩前に出ようとしたが、レオンの太い腕がそれを制した。
「……俺が出る」
レオンの声は、地獄の底から響くように低かった。
「お、やる気か? おいビビるなよ、こいつのスキルはもう死んでる! ただの硬い案山子だ、タコ殴りにして装備を剥げッ!」
リーダーの合図と共に、三人の賊が飛び出した。
彼らの動きは速い。システムによるオートアシストがまだ機能しているのだろう。剣の軌道が赤く発光し、レオンの急所へ吸い込まれていく。
「死ねや元英雄ゥッ!!」
刃が迫る。
だが、レオンは動かない。
敵の剣が届く直前まで、微動だにせず、ただ静かに右手を背中へと回した。
「――邪魔だ」
轟音。
レオンが『虚無の戦鎚』を引き抜き、横薙ぎに一閃した。
ただそれだけだ。
スキルも、魔法も、エフェクトすらない。
ただの「質量の暴走」。
ゴォンッ!!
空気が破裂するような衝撃音が響き渡る。
ハンマーの先端が、先頭の男の盾に接触した。
本来なら、盾で防げるはずの攻撃だ。
だが、次の瞬間。
男の身体が、物理法則を無視した速度で真横に加速《カッ飛》んだ。
「あ?」
男が声を発する間もない。
盾ごと上半身が液状化するように潰れ、そのまま背後の二人を巻き込み、さらに橋の欄干を粉砕し、遥か彼方の地平線へと消えていった。
キィィィィン……
遅れて、鼓膜をつんざくような高周波音が残る。
処理落ちした世界が、一瞬だけ静止した。
残されたのは、橋に残った巨大な扇状の「消失痕」と、腰を抜かした残りの賊たち。
「な……なん、だ……?」
リーダーの男が、引きつった顔で後ずさる。
今の攻撃は、クリティカルヒットなどという生易しいものではない。
即死判定。
計算不能なダメージを受けた対象を、システムが強制的に「消去」したのだ。
レオンは、黒い靄を放つハンマーを肩に担ぎ直し、冷徹な瞳で賊たちを見下ろした。
その姿は、かつての聖騎士ではない。
破壊の化身。冥府の番人。
「聞こえなかったか? 邪魔だと言ったんだ」
レオンが一歩踏み出す。
それだけで、賊たちは悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
誰も、彼の前に立とうとはしなかった。
「……フン」
レオンは鼻を鳴らし、振り返ることもなく歩き出す。
俺はその背中に追いつき、口笛を吹いた。
「いいスイングだ。手首、痛めてないか?」
「……最悪の使い心地だ」
レオンは忌々しげに吐き捨てたが、その口元は僅かに歪んでいた。
それは、失った力を、歪な形とはいえ取り戻した男の、獰猛な笑みだった。
「行くぞ、ナギ。このふざけたオモチャで、王都の玉座まで道を切り開いてやる」
最強のタンクに、最強の矛が加わった。
だがそれは、世界の寿命を削る禁断の力だ。
ハンマーが振られるたび、周囲の空間データが微かに欠損していくのを、俺だけが見ていた。
(……ま、世界が壊れるのが先か、俺たちが運営を殺すのが先か。デスレースの開幕だな)
俺たちは崩れかけた橋を渡り、赤いノイズに染まる王都の方角へと足を進めた。




