第2話 堕ちた英雄と、泥沼の契約《バグ・アライアンス》
森の奥へ進むにつれ、世界は解像度を失っていく。
木々の葉は一枚ごとの描写をやめ、緑色の板状のポリゴンへと簡略化された。風の音は途切れ途切れになり、まるで傷ついたレコード針が溝を飛び跳ねているようだ。
ここは管理区域外。
正規のマップには存在しない、データの継ぎ目だ。
(……座標、X:9902, Y:4040, Z:-50)
俺は視界の端に常駐させている座標表示を確認し、巨大な岩陰へと滑り込む。
この先に、俺の「隠れ家」がある。運営の監視プログラムすら届かない、マップの裏側だ。
その時だった。
金属と金属が激しく衝突する、硬質な音が鼓膜を叩いた。
「ハァッ……ハァッ……! クソッ、なんで発動しねぇんだ!」
男の怒号。
そして、湿った肉が裂ける音。
俺は足を止め、音源へと視線を向ける。
そこには、かつてこのサーバーで「希望の象徴」と呼ばれた男の、無様な末路があった。
◇
全身を白銀の甲冑に包んだ騎士が、泥まみれで這いつくばっている。
レオン・ハルハート。
ギルド『円卓の騎士』のマスターであり、全サーバーランキング1位に君臨していた聖騎士だ。
その輝かしい姿は見る影もない。
彼の周囲を取り囲んでいるのは、三匹の『グリッチ・ウルフ』。
通常の狼ではない。胴体が引き伸ばされ、首が奇妙な角度で折れ曲がったまま固定された、バグ汚染個体だ。
「聖なる十字ッ!!」
レオンが剣を掲げ、必殺のスキル名を叫ぶ。
本来ならば、天から極光が降り注ぎ、周囲の敵を浄化するはずの最強スキルだ。
しかし。
[SYSTEM ERROR]
> Skill ID: 1054 (Grand_Cross)
> Reference: NULL
> Connection to Divinity Server... TIMEOUT.
剣先から小さな火花がパチリと散っただけ。
何も起きない。
「なっ……!?」
レオンが絶句する隙を、狼たちは見逃さなかった。
一匹が背後から飛びかかり、白銀の鎧ごと肩口を食いちぎる。
「ぐアアアアアッ!!」
鮮血のエフェクトが舞う。
レオンのHPバーが、すでに残り1割を切って点滅していた。
当然だ。
聖騎士というクラスは、その強さの9割を「神聖魔法」というシステム支援に依存している。防御力補正、自動回復、範囲攻撃。それら全ては、管理サーバーとの通信があって初めて機能する。
サーバーが死んだ今、彼はただの「動きにくい金属の塊を着た人間」でしかない。
「う、嘘だろ……俺は世界一位だぞ……こんな、雑魚モブに……」
レオンが剣を杖にして、無様に後ずさる。
狼たちが、獲物を甚振るようにゆっくりと包囲網を縮める。
AIが学習しているのだ。「この獲物は反撃してこない」と。
死ぬな。
俺は冷ややかに分析した。助ける義理はない。こいつはかつて、俺のような「仕様の穴を突くプレイヤー」を徹底的に弾圧し、運営に通報しまくっていた急先鋒だ。
ここで野垂れ死ぬのも、因果応報というやつだろう。
だが。
俺の思考が、別の計算結果を弾き出した。
(……待てよ。こいつの「硬さ」は使えるか?)
スキルは死んでいても、装備しているレア度創世級の鎧自体の「物理防御数値」は生きている。
俺には知識があるが、打たれ弱い。
こいつには知識がないが、異常に硬い。
使える《・・・》。
俺は草むらを掻き分け、無防備な足取りで戦場へと踏み出した。
「よォ。随分と情けないダンスを踊ってるじゃないか、英雄サマ」
「――ッ!?」
レオンが驚愕に目を見開いてこちらを見る。
俺の顔を認識した瞬間、その表情が屈辱に歪んだ。
「お前……ナギ、か!? あの追放者の……!」
「生きてて光栄だよ。ま、お前はあと十秒で死ぬけどな」
俺が指差した先。
三匹の狼が同時に跳躍の体勢に入っていた。
連携攻撃。回避不能の死の舞踏。
「くっ、来るな! 俺に構うな!」
レオンが剣を構えるが、その手は震えている。
俺はため息をつき、インベントリから「あるアイテム」を取り出した。
それは武器ではない。
ただの『木の板』だ。建築素材として店売りされている、価値1ゴールドのゴミアイテム。
「よく見ておけ。これが『仕様』との対話だ」
俺は狼たちが飛び掛かる軌道上の地面に、木の板を三枚、素早く並べた。
ただ置いたのではない。
互いに数ミリずつ重ね、微妙な段差を作るように。
その瞬間。
ガガガガガッ!
先頭の狼が、何もない地面で急停止した。
まるで、見えない壁に激突したかのように。
いや、止まっているのではない。その場で猛烈な勢いで「足踏み」をしている。
「は……? なんだ、あいつら……動かないぞ?」
「経路探索のエラーだ」
俺はポケットに手を突っ込んだまま解説する。
「このゲームのAIは、段差が5ミリ以下だと『平地』と認識する。だが、物理エンジンは『障害物』として判定する。その矛盾した情報が連続すると、AIは『進めるが進めない』という無限ループに陥って、処理落ちするんだ」
三匹の狼は、俺が置いたただの木の板の前で、痙攣するように足踏みを続けている。
攻撃判定すら発生していない。完全に無力化されたオブジェクト。
俺は動けない狼の横を通り抜け、レオンの目の前に立った。
「さて、相談といこうか」
「そ、相談……?」
レオンは脂汗を流しながら、俺と、固まった狼を交互に見ている。
俺は地面に転がった彼の最高級ポーションを拾い上げ、目の前で振ってみせた。
「俺はこれから、このクソったれな世界を攻略する。だが、ソロじゃ限界がある。肉壁が必要なんだ」
「肉壁だと……!? 俺は誇り高き騎士だぞ! 貴様のような卑怯者と組めるか!」
「そうか。じゃあ、さよならだ」
俺は踵を返し、足元の木の板を一枚、蹴り飛ばした。
ガッ。
障害物が消え、AIのループが解除される。
狼たちの目に、再び殺意の光が宿った。
「グルルァッ!!」
「ひっ、ま、待て!!」
レオンが叫ぶ。
プライドと死の恐怖。その天秤が激しく揺れ動き――ガシャン、と音を立てて崩れ落ちた。
「わかった……組む! 組めばいいんだろ!! 助けろォッ!!」
「素直じゃないなぁ」
俺は再び板を戻し、狼をロックする。
そして、まだ震えているレオンの襟首を掴み、無理やり立たせた。
「勘違いするなよ。俺たちは仲間じゃない。共犯者だ」
「……クソが」
レオンは血を吐くように悪態をついたが、その手は俺の差し出したポーションをひったくるように掴んだ。
◇
狼たちを「放置」したまま、俺たちは岩陰の隙間へと身体を滑り込ませた。
そこは、世界から切り離された空白地帯。
俺の拠点だ。
狭い洞窟の中には、俺が集めたジャンクパーツと、外部電源で無理やり駆動させているサーバー端末が鎮座している。
モニターの青白い光が、レオンの絶望に沈んだ顔を照らし出した。
「ここは……なんだ? こんな場所、マップには……」
「俺が作った。座標データの書き換えで、岩の中に空洞を定義したんだ」
俺は端末のキーボードを叩き、エリアのセキュリティを起動する。
これで、外の化け物たちは入ってこられない。
レオンは重い鎧の音をさせて、冷たい床に座り込んだ。
その瞳から、かつての覇気は消え失せている。
自分が信じてきた「強さ」が、システムという砂上の楼閣だったことを思い知らされた男の顔だ。
「……なぁ、ナギ」
しばらくの沈黙の後、レオンが掠れた声で問いかけた。
「世界は、どうなっちまったんだ。運営は……神は、俺たちを見捨てたのか?」
俺は椅子に深く座り直し、天井を見上げた。
そこには、テクスチャの貼られていない、灰色の虚無が広がっている。
「見捨てたんじゃない。あいつらは逃げたんだ。バグだらけのこの失敗作を、俺たちごと削除するために」
「削除……?」
「ああ。この世界はもうすぐ終わる。だが、俺は座して死ぬつもりはない」
俺はニヤリと笑い、レオンの方を向いた。
「俺たちは『バグ』だ。システムが排除しようとする異物だ。だったら、とことん異物らしく振る舞ってやろうぜ。世界のルールを書き換えて、運営の喉元に牙を突き立てるまでな」
レオンは俺を睨み返した。
その瞳の奥に、小さな、しかし確かな「熱」が戻ってくるのを感じた。
それは正義感ではない。自分をコケにした世界への、昏い復讐心だ。
「……いいだろう。その企み、乗ってやる。だが覚えておけ。いつか必ず、俺がお前を超えてやる」
「ハッ、せいぜい頑張るんだな、元・一位様」
俺たちの間に、友情などという温かいものはない。
あるのは、泥沼のような利害の一致と、背中合わせの敵意だけ。
だが、この腐った世界で生き残るには、それで十分だった。
[SYSTEM NOTICE]
> Party Formed.
> Member: Nagi (Glitcher) & Leon (Paladin)
> Synergy: UNKNOWN
こうして、最悪で最強のパーティが結成された。
俺たちの反撃は、ここから始まる。




