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わたしを見捨てたのは、そちらでしょう? 〜婚約破棄を言い渡したあと、随分と困った事態に陥っているようなので見に行くことにした〜

作者: つきなみ。
掲載日:2026/01/22

 昼休み。

 数刻前まで商人たちで慌ただしかった商会ギルドに、ようやく平穏が訪れた頃。


 背後から聞こえてきた声に、レミリアは手を止めた。


「……アステル家はもう終わりかもしれんな」

「あ、聞いた聞いた。財政危機だって?」

「それもあるらしいが、身内内で横領を隠そうとしたのが致命的だったとか」

「まじ!? 身内って?」

「噂じゃ、横領したのは次男らしいぜ」


 アステル家。


 かつて、彼女が未来を預けるはずだった名。

 彼らの会話に、レミリアは小さな笑みを浮かべて誰にも聞こえない声で呟いた。


「ふふ、ついにバレてしまったのですね」


 ——いつかはそうなるだろうと思っていた。


 数年前、彼女はアステル家三男、ヴァン・アステルの婚約者だった。

 婚約が決まり、屋敷に迎えられたその日から、彼女はアステル家にとって『役に立つ存在』であることを求められた。


 彼女にできることは多くなかった。

 ただ一つ、数字の流れだけは誰よりも正確に見えていた。


 その才覚はアステル家の日々でさらに磨かれることとなった。


 赤字を生む取引を洗い出し、資金の流動性を回復させ、数字の裏付けのない支出を容赦なく切り捨てる。


 アステル家から感謝されることは少なかったが、それで構わなかった。


 金と物と信用が、途切れずに循環すること。

 それが、家の安定につながるのだから。


 異変にいち早く気付いたのはもちろんレミリアだった。

 次男の横領が発覚したのだ。


 だが、それをヴァンに報告すると生活は良くない方向へと転がり始めた。



 そんなはずはない、彼女は嘘をついている、と次男は言った。

 アステル家の名前に傷がつくことを恐れた彼らは、濡れ衣を着せる相手として。


 商会の数字を全て管理していた彼女を選んだ。



 そこからの流れは早かった。

 婚約破棄に解雇、そのまま屋敷からの追放された。



 あれから何年経ったのだろうか。

 レミリアは天井を眺めて考えた。



(……よく数年持ったものですね、さすがは王都一のアステル家と言うべきでしょうか)



 だからこそ、レミリアは思ったのだ。


 ——最後に一度、自分の目で落ちていく姿を見てみようと。



 そして次の休日、レミリアはアステル家の屋敷へと向かった。


 アステル家の屋敷は記憶の中の姿よりもずっと小さく見えた。


 門は軋み、庭は荒れ、噴水は干上がっている。

 人が住んでいるはずなのに、どこか空気が澱んでいた。


 心に余裕がないと生活も廃れるというが、ここまでなのか、とレミリアは内心苦笑した。


 哀れでも、喜びでもない。

 ただ胸の奥に、言葉にできない何かが沈んでいた。



 屋敷を外から眺めていると、背後で慌てた足音がした。


「……レミリア?レミリアなのか!?」


 振り返ると、ヴァン・アステルが立っていた。

 かつての余裕はなく、顔色も冴えない。


 だが、その目が彼女を捉えた瞬間——

 一気に光が宿った。


「戻ってきてくれたんだな……!」


 その声音に、切実な期待が滲んでいた。

 彼は本気で信じたのだ。

 彼女が、この家を救いに来たのだと。


 レミリアは、その視線を正面から受け止め、静かに首を横に振った。


「違います、ヴァン様」

「は、え……?」


 声は落ち着いている。

 感情を挟む余地はなかった。


「私は、見に来ただけです」


 ヴァンの表情が、一瞬で揺らぐ。


「ヴァン様はなにか勘違いしているようですね。そもそも追い出したのはそちらですよ? 私の判断で戻ってこれるはずもないでしょう?」


「そ、そうだな!では、私から父上に!」


「ヴァン様は相変わらずお馬鹿のようで安心しました」


「何を言ってるんだ」


「ふふ、それはこちらのセリフですよ」


 きっぱりと告げると、彼の顔から血の気が引いた。


「冗談はよしてくれ、今は……今は状況が違うんだ」


「ええ。知っています」


 レミリアは屋敷に視線を向けた。

 荒れた庭、閉ざされた窓、減った使用人。


「取引先が離れ、支払いが滞り、信用が失われている。今のアステル家は、商会としても、公爵家としても、非常に危ういみたいですね」


「なら尚更だ!」


 ヴァンは声を張り上げた。


「君なら立て直せる!以前だってそうだっただろう!」


 その言葉に、レミリアの胸がわずかに軋んだ。

 ——彼は、何も分かっていない。


「以前は、私の判断を受け入れる土台がありました」


 静かに、しかしはっきりと告げる。


「今はありません。都合が悪くなれば、また誰かを切り捨てるでしょう」


「そんなことは……!」


「本当に?」


「ほ、本当だ!もう君を捨てることはしない。あの時は仕方なかったんだ!家を守るためには、誰かが犠牲になるしかなかった!」


「ようやく私を捨てたことを認めてくれましたね、はっきり自覚してくれたようで何よりです」


 その一言で、ヴァンは言葉を失った。


 沈黙が、重く落ちる。

 やがて彼は、苛立ちを隠そうともせず叫んだ。


「結局、君だって見捨てるんじゃないか!家が苦しい時に!本当に昔から君は冷たい女だ!」


 その叫びを聞いても、レミリアの表情は変わらなかった。

 ただ、心の奥で、最後の迷いが静かに消えた。


「冷たい、ですか」


 穏やかな声だった。


「私が罪を押し付けられた時、あなたは私を守ってくれましたか?」


 ヴァンは口を噤んで、目を逸らした。


「屋敷を追い出された時、私の行き先を少しでも考えてくれましたか?」


 沈黙。


「仕事を奪われた私が、どう生きていくのか、今の今まで想像しましたか」


 彼は、俯いたまま動かない。


「……それが、すべてです」


 レミリアは、もう彼を見ていなかった。


 踵を返し、歩き出す。

 背後から、何か言いたげな気配はしたが気には止めない。


 数歩進んだところで、足を止めて振り返る。

 そして、ヴァンを見て淡々と告げた。


「——最初に見捨てたのは、そちらでしょう?」



 それは責めでも、怒りでもなかった。

 ただ、否定しようのない事実の確認だった。


 レミリアは再び歩き出す。

 背後で崩れていくものの気配を感じながらも、レミリアは振り返らない。


 これから先の人生、もうここへ訪れることはないだろう。

 彼女の歩みは、もう迷うことなく、前へと続いていた。

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