第51話 山越えの朝
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翌朝、馬車は夜明けと共に出発した。
クレイン宿場を発ち、再び街道を東へ進む。昨日よりは道が良い。山を越えて下り坂に入ると、揺れも穏やかになった。
車内には昨日と同じ顔ぶれがいた。ゴルツ、老婆、若い男。そしてシャールとセフィラ。
ゴルツが帳面を開きながら言った。
「今日は天気がもちそうですな。昼過ぎには次の町に着くでしょう。そこで乗り換えて、夕方にはマルディンだ」
「マルディンね……」
老婆が呟いた。
「最近は物騒だと聞くよ」
「ご存知でしたか」
セフィラが尋ねた。
「娘が向こうに嫁いでおってな。手紙で聞いた。虫が出たとかで、鉱山が止まっておるそうじゃ」
「そのようですね」
「うちの娘婿は坑夫なんじゃよ。仕事がなくなって困っておる。早く何とかならんかのう」
老婆は溜息をついた。
シャールは黙って聞いていた。地脈虫の討伐。もし成功すれば、それなりの報酬が期待できるだろう。だが、失敗すれば命はない。
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午前も半ばを過ぎた頃、窓の外に奇妙な光景が見えた。
草原の中に、巨大な岩が点々と立っている。高さは人の背丈の三倍ほど。不規則な形をしており、まるで誰かが意図的に配置したかのようだった。
「あれは……」
セフィラが身を乗り出した。
「巨人塚ですな」
ゴルツが言った。
「この辺りの名物でしてね。古代に巨人族が住んでいたという伝説がありまして、あれはその墓標だと言われておる」
「巨人族の墓……」
セフィラの目が輝いた。またあの顔だ、とシャールは思った。
「文献では読んだことがございますわ。巨人塚の周辺には、古代の遺物が埋まっていることがあるとか」
「おお、詳しいですな。確かに、時折盗掘者が現れては領主に捕まっておりますよ。あの辺りは立入禁止でしてね」
「残念ですわ。近くで見てみたかったのですけれど」
「お嬢……いや、奥さん。あなたは本当に珍しいものがお好きですな」
ゴルツは訂正しながら言った。昨晩の一件を覚えているらしい。
「知識欲と呼んでいただきたいですわ」
「ははは、失礼した」
シャールは窓の外の巨人塚を眺めた。確かに不思議な光景だ。自然にできたものとは思えない規則性がある。
「シャール」
セフィラが小声で言った。
「いつか、ああいう場所も調査してみたいですわね」
「依頼があればな」
「依頼がなくても、自分の足で行ってもいいのですわ。わたくしたちは自由なのですから」
自由。その言葉がシャールの胸に響いた。
確かに、今の自分たちには何の制約もない。王子でも公爵令嬢でもない。ただの冒険者だ。行きたい場所に行き、見たいものを見る。それが許される立場だ。
「……そうだな」
シャールは頷いた。
「いつか行こう」
セフィラは嬉しそうに微笑んだ。
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昼過ぎ、馬車は中継地の町に到着した。
ここで乗り換えだ。マルディン行きの馬車は別の停留所から出る。
二人はゴルツと老婆に別れを告げた。
「ではな、お二方。マルディンでは気をつけなされよ」
ゴルツは片手を挙げた。
「虫の話、大げさなものかもしれませんが、油断はなさるな」
「ああ。忠告に感謝する」
老婆も手を振った。
「若いもんは無茶をするもんじゃよ。命を大事にしなされ」
「ありがとうございます、お婆様」
セフィラは丁寧に頭を下げた。
若い男は何も言わず、人混みに消えていった。最後まで口を開かなかった。
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マルディン行きの馬車は、先ほどより小さかった。
六人乗り。乗客は二人のほかに、中年の夫婦が一組だけ。彼らは最初から最後まで互いに話すばかりで、シャールたちには見向きもしなかった。
馬車は街道を南東へ進んだ。風景が変わっていく。草原が途切れ、荒れ地が増えてきた。遠くに採掘場らしき煙が見える。
「鉱山が近いようですわね」
セフィラが言った。
「ああ。あと二刻もすれば着くだろう」
夕日が傾き始めていた。空が茜色に染まり、雲の端が金色に輝いている。
「シャール」
「何だ」
「この旅、悪くありませんわね」
セフィラは窓の外を見ながら言った。
「新しい土地を見て、新しい人と会って、新しいことを知る。それがこんなに楽しいとは思いませんでした」
「……そうか」
「シャールは楽しくありませんか」
「楽しいかどうかは分からん。だが……」
シャールは言葉を探した。
「君が楽しそうにしていると、私も悪い気分ではない」
セフィラは少し驚いた顔をした。そして、くすりと笑った。
「それ、愛の告白ですか」
「違う」
「そうですか。残念」
からかっている。シャールは溜息をついた。
「……君は時々、意地が悪い」
「あら、そうですか。生まれつきですわ」
セフィラは悪びれもせずに言った。
馬車は揺れながら、マルディンへと進んでいった。
◆
夕暮れ時、馬車はマルディンの町に入った。
第一印象は、煙と土埃だった。
町の至るところから煙が立ち上っている。精錬所の煙突から吐き出される黒い煙、鍛冶場から漂う白い煙。空気は埃っぽく、喉がいがらっぽくなる。
建物は石造りが多いが、どれも煤で黒ずんでいた。道行く人々の服装も質素で、労働者然とした者が多い。ラスフェルの自由で華やかな雰囲気とは対照的だった。
「これが鉱山町か」
シャールが呟いた。
「ええ。産業都市というものは、どこもこのような雰囲気なのでしょうね」
馬車が広場で止まった。二人は降りて、周囲を見回した。
夕暮れの広場には疲れた顔の男たちがたむろしている。坑夫だろう。仕事がないのか、所在なげに座り込んでいる者も多い。
一人の男がこちらに近づいてきた。四十過ぎに見える、がっしりした体格の男だ。禿頭に傷跡があり、眼光が鋭い。
「お前さんたち、冒険者か」
単刀直入だった。
「ああ」
「仕事を探しているなら、ギルドに行け。虫退治の依頼が出ている」
「知っている」
「そうか。なら話は早い。報酬は弾むぞ。ただし……」
男は声を低くした。
「……腕に自信がなければ巣には近づくな。うちの鉱夫もすでに五人死んでいる」
それだけ言うと、男は去っていった。
シャールとセフィラは顔を見合わせた。




