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追放された王太子と公爵令嬢が冒険者になる話  作者: 埴輪庭
第二章

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第40話 給仕依頼

 ◆


 サヨリがラスフェルを去って数日が経った。


 あの東方の女が街を出ていった朝は曇天であったが、今日の空は抜けるように青い。まるで何事もなかったかのような晴れ渡りようで人の生死など所詮は天候の移ろいほどの意味も持たぬのだと言外に告げているようでもある。街路を行き交う人々の顔に、かつての熱病や森の異変の記憶はもはや見当たらない。


 この日、シャールとセフィラは酒場にいた。


 といっても恋人同士で仲睦まじく杯を傾けているわけではない。依頼である。酒場の店員として働いているのだ。日没亭という名のその店は冒険者ギルドから程近い場所にあり、夕刻ともなれば依頼帰りの荒くれ者どもで賑わう繁盛店であった。店主は初老の女でかつては冒険者として名を馳せたという噂もあるが、その真偽は定かではない。店の奥には大きな暖炉があり、壁には獣の頭骨や古びた武器が飾られている。いかにも冒険者相手の酒場らしい無骨な内装であった。


 この店からギルドに指名依頼が出されたのは三日前のことである。


 内容は至って単純で繁忙期に入るため臨時の給仕を頼みたいというものであった。報酬は一人につき銀貨二枚。一日働いてその額は悪くない。だが問題は依頼の条件にあった。指名依頼というからには当然ながら依頼主が特定の人物を指定しているわけで、その指定がシャールとセフィラの二人組であった。


 受付で依頼書を受け取ったシャールは眉を寄せた。


「なぜ私たちが指名されたんだ」


 その問いに応じたのは受付のマリアであった。彼女は困ったような笑みを浮かべながら答えた。


「店主のグラニーさんがね、あなたたちを見て気に入ったみたいなの」


「気に入った?」


「ええと、その……顔がいいから、って」


 セフィラが目を丸くした。シャールもまた言葉を失っている。


「冒険者相手の酒場だから見た目のいい給仕がいると客受けがいいんですって。特に女性の冒険者さんたちはシャルくんみたいな美形を男性の冒険者さんたちはセフィラさんみたいな可憐な子を見たがるって」


 なるほど、とシャールは内心で得心した。


 要するに客寄せである。顔で釣って酒を売る、古来よりある商売の常套手段だ。それ自体は何ら珍しいことではないがまさか自分たちがその駒として使われるとは思っていなかった。



 断る理由はなかった。


 いや、正確に言えば断りたい気持ちはあった。王太子として育てられた矜持のどこかが酌婦の真似事などと顔を顰めている。だがそんな矜持こそが今の自分たちには毒でしかないのだとシャールは知っていた。この街では誰もが対等であり、どんな仕事にも貴賤はない。冒険者として生きると決めた以上、選り好みしている場合ではないのだ。


 それに金も必要であった。


 森の異変騒動の後、しばらく依頼を受けられなかったことで蓄えは心許なくなっている。銀貨四枚は決して大金ではないが宿代と食費を賄うには十分な額であった。


 セフィラもまた同様の考えに至ったらしく、依頼を受けることに異論はなかった。


「わたくし、給仕の経験はございませんけれど」


 彼女は少しだけ不安そうに言ったがすぐに気を取り直したようである。


「でも、やってみましょう。何事も経験ですわ」



 夕暮れ時、日没亭の扉が次々と開いては閉まる。


 依頼を終えた冒険者たちが三々五々と店に入ってきて、めいめいに席を占めていく。革鎧の者、金属鎧の者、ローブを纏った魔術師らしき者。様々な装いの男女が入り乱れ、店内は瞬く間に喧騒で満たされた。


 シャールは盆を手に、厨房と客席の間を往復している。


 重い料理皿を運び、空になった杯を下げ、新たな注文を受ける。単純な作業の繰り返しではあったが慣れぬ仕事は予想以上に体力を削った。だが文句を言う暇などない。次から次へと客が押し寄せ、息つく暇もないまま時間だけが過ぎていく。


 ふと視線を感じて振り返ると、隅の席に陣取った女冒険者たちがこちらを見ていた。


 三人組である。いずれも軽装の戦士風で腰には短剣を帯びている。彼女たちはシャールが視線に気づいたと見るや、くすくすと笑い声を立てた。


「ねえ、あの子よ。噂の美形の給仕」


「ほんと。こっち来ないかな」


「呼んじゃえば?」


 囁き声は聞こえないはずの距離であったがシャールの異能はそれを拾い上げていた。感覚を拡張する力は意識せずとも働いているらしく、不意に聞こえてしまった会話に困惑を覚える。


 だが困惑している場合ではない。


 彼女たちの一人が手を挙げてこちらを呼んでいる。シャールは表情を整えて歩み寄った。


「ご注文は」


「麦酒を三つ。あと、おすすめの料理があれば教えて」


「本日は羊の香草焼きが出ています。骨付きでなかなかの量があります」


「じゃあそれも。ねえ、あなた名前は?」


「シャルと申します」


「シャルくんね。よろしく」


 女冒険者はにっこりと笑った。その笑顔には明らかな好意が滲んでいるがシャールはそれに気づかぬ振りをして厨房へと戻っていく。


 注文を伝えて麦酒を受け取り、再び彼女たちの席へと向かう。杯を並べると、女冒険者の一人が腕を掴んできた。


「ねえ、ちょっと話していかない?」


「申し訳ありませんが仕事中ですので」


「つれないなあ。少しくらいいいでしょ」


 困った、とシャールは内心で呟いた。


 断るのは簡単だが客を不快にさせるわけにもいかない。かといってここで長話に付き合っていては他の客の注文を捌けなくなる。どうしたものかと思案していると、店の反対側から鋭い声が飛んできた。


「シャル、こっち来て。注文入ってるわよ」


 店主のグラニーである。白髪交じりの女は厨房の入り口に立ち、腰に手を当ててこちらを睨んでいた。助け舟だった。シャールは女冒険者たちに軽く頭を下げ、足早にその場を離れる。


 ◆


 一方、セフィラもまた客の相手に追われていた。


 彼女の担当は主に店の左半分でそちらには男性の冒険者が多く座っている。がたいの良い戦士、髭面の傭兵、人相の悪い魔術師。いずれも一癖ありそうな面構えの男どもであったがセフィラが注文を取りに行くと皆一様に態度が軟化するのが面白かった。


「お待たせいたしました。焼き鳥の盛り合わせでございます」


 料理を運ぶセフィラの姿に、男たちの視線が集まる。亜麻色の髪、翠色の瞳、華奢な体躯。冒険者としては頼りなく見えるその容姿がこの場では別の意味で注目を浴びていた。


「嬢ちゃん、新人かい?」


 恰幅の良い戦士がにやにやしながら尋ねる。


「はい、本日が初めてでございます」


「そうかそうか。まあ、頑張んな」


「ありがとうございます」


 セフィラは丁寧に頭を下げて立ち去ろうとしたが隣の席から声がかかった。


「おい、こっちも追加で頼むぜ。麦酒を三杯と、それから……お前さんの名前も教えてくれ」


「セフィと申します」


「セフィちゃんね。可愛い名前だ」


 男は酒で赤くなった顔をさらに緩ませた。


 セフィラは内心でため息をついたが表面上は笑顔を崩さない。こういった客あしらいは公爵令嬢時代に嫌というほど経験している。社交界の宴席で絡んでくる酔った貴族の相手に比べれば、この程度は児戯に等しかった。


 時間が経つにつれ、店内の喧騒は増していった。


 酒が入れば人は饒舌になる。笑い声、怒鳴り声、時には歌声まで響き渡り、店は熱気と騒音で満ちている。シャールとセフィラは黙々と働き続けた。料理を運び、酒を注ぎ、空いた皿を下げる。単調な作業の繰り返しではあったが不思議と苦にはならなかった。


 ある種の充実感さえある。


 体を動かし、汗を流し、目に見える成果を積み上げていく。それは冒険者としての依頼とはまた違った手応えをもたらしていた。王宮にいた頃には決して得られなかった感覚である。自分の労働が直接的に報酬に結びつくという単純な構図がむしろ心地よく感じられた。


 ◆


 夜も更けてきた頃のことである。


 店の隅に陣取っていた男たちの一団が酔いに任せて声を張り上げ始めた。五人組の冒険者でいずれも屈強な体躯をしている。革鎧の上に毛皮の外套を羽織った彼らはどこかの辺境から流れてきた傭兵崩れのようにも見えた。


「おい、給仕の嬢ちゃん。こっちに酒を持ってこい」


 その声にセフィラが応じようとしたがシャールが先に動いた。


「私が行こう」


 小声でそう言い、酒瓶を手に取って男たちの席へと向かう。何となく嫌な予感がしたのである。酔った男というものは時として面倒な絡み方をする。セフィラを行かせるのは得策ではないと判断した。


「お待たせしました」


 酒を注ぎながら、シャールは男たちの様子を窺った。


 彼らは既にかなり酔いが回っているようで赤ら顔で互いの肩を叩き合っている。その中の一人、顎髭を生やした大男がシャールをじろじろと見た。


「お前、見ない顔だな」


「本日が初めてです」


「ふうん」


 男は値踏みするような目でシャールを上から下まで眺め、それからセフィラの方へと視線を移した。


「あっちの嬢ちゃんもそうか」


「はい」


「お前ら、二人組で働いてんのか。どういう関係だ?」


 その問いに、周囲の男たちもにやにやと笑い始めた。酔客の好奇心というものは時として無遠慮に他人の領域へ踏み込んでくる。シャールは少し考えてから口を開いた。


「婚約はしています。式はまだですが」


 その言葉に、男たちの間にどよめきが走った。


「婚約だと?」


「ええ」


 シャールは淡々と続ける。


「彼女は私の大切な人です。だから然るべき体裁を整えたいと思っている」


 その堂々とした物言いに、男たちは一瞬言葉を失った。


 酔いに任せて冷やかそうとしていた彼らの気勢がシャールの真摯な態度に削がれたのである。顎髭の大男は目を丸くし、それから大きな笑い声を上げた。


「おいおい、堂々と惚気てきやがった。若いってのはいいもんだな」


「羨ましい限りだぜ」


「俺も若い頃はそういうことを言ってみたかったもんだ」


 男たちは口々にそう言いながら、むしろ好意的な雰囲気を醸し出し始めた。酒の席での正直な告白というものは下手に誤魔化すよりもよほど好感を持たれるらしい。


 その様子を見ていたセフィラは、頬を紅潮させながらも小さく微笑んでいた。


 ◆


 閉店間際のことである。


 客もまばらになり、店内には疲労と酒の匂いが漂っていた。シャールとセフィラは最後の片付けに追われながら、時折顔を見合わせては小さく笑い合っている。


 店主のグラニーが厨房から出てきて、二人に銀貨を手渡した。


「よく働いてくれたね。また頼むよ」


「ありがとうございます」


 シャールが礼を言うと、グラニーはにやりと笑った。


「さっきの、聞こえてたよ。婚約者だってね」


「……聞こえていましたか」


「この店の隅々まで聞こえるのさ。若いのに大したもんだ。堂々と言えるってのは立派なことだよ」


 グラニーは二人の顔を交互に見やり、それから低く笑った。


「うちの店には色んな客が来る。酔っ払いに絡まれることもあるだろう。でもね、今日みたいに堂々としてりゃ大丈夫さ。卑屈になったり、曖昧にしたりするから付け込まれるんだ」


 その言葉には長年の経験に裏打ちされた重みがあった。シャールは黙って頷く。


「また来てくれるかい?」


「ええ、喜んで」


 セフィラが答えると、グラニーは満足そうに頷いた。


 ◆


 店を出ると、夜風が心地よく頬を撫でた。


 星が瞬く空の下、二人は肩を並べて宿への道を歩いている。石畳を踏む足音だけが静かに響き、どこか遠くで酔客の歌声が聞こえていた。


「疲れたな」


 シャールがぽつりと言うと、セフィラは小さく笑った。


「ええ、でも楽しかったですわ」


「楽しかったか」


「はい。こういう仕事も悪くないと思いましたの」


 セフィラは空を見上げながら続けた。


「公爵家にいた頃は誰かのために働くということがどういうことか分かっていませんでした。使用人たちが何を考え、何を感じながら仕事をしているのか、想像すらしたことがなかったのです」


「今は分かるか」


「少しだけ」


 彼女は微笑んだ。


 シャールは黙って頷いた。


 ◆


 宿に戻り、部屋の扉を閉めると、シャールは深い息を吐いた。


 セフィラは窓際に立ち、外の景色を眺めている。月明かりが彼女の横顔を照らし、亜麻色の髪が銀色に輝いていた。


「シャール」


「何だ」


「先ほどの、あの男性たちへのお返事のこと」


 セフィラは振り返り、シャールの目を見つめた。


「婚約はしているが式はまだだ、と仰いましたね」


「ああ、言った」


「本気ですの?」


 その問いに、シャールは少し考えてから答えた。


「本気だ」


「……」


「私たちは確かに正式な婚約者だった。神誓の儀の前までは」


 シャールは窓辺に歩み寄り、セフィラの隣に立った。


「だが今、私たちはただの冒険者だ。王太子でも公爵令嬢でもない。となれば、かつての婚約も無効になったと見做すべきかもしれない」


「そうですわね」


「だから改めて言おう」


 シャールはセフィラの手を取った。


「セフィラ、君は私と結婚してくれるか」


 唐突な言葉であった。


 セフィラは目を見開き、それから頬を真っ赤に染めた。


「な、何を急に……」


「急ではない。ずっと考えていた」


 シャールの声は静かだったがそこには確かな熱が籠もっている。


「この街で落ち着いたら、然るべき形で式を挙げたいと思っている。金はまだ足りないが少しずつ貯めていけばいい。一年か二年か、あるいはもっとかかるかもしれないが必ず君を正式に妻として迎えたい」


 セフィラは言葉を失っていた。


 予想していなかったわけではない。二人の関係は誰が見ても明らかであり、いずれはそうなるものと漠然と考えていた。だがこうして改めて言葉にされると、胸の奥が熱くなるのを止められなかった。


「……シャール」


「返事を急かすつもりはない。だが私の気持ちは伝えておきたかった」


「いいえ」


 セフィラは首を横に振った。


「急かされなくても、答えは決まっていますわ」


「……何と」


「はい」


 彼女は微笑んだ。それは今日一日の疲れを吹き飛ばすような、輝くばかりの笑顔であった。


「はい、シャール。わたくしはあなたの妻になりますわ」


 その夜、二人は肩を寄せ合って窓辺に立ち、月を眺めていた。


 式のことや将来のことや、様々な話をしながら夜は更けていく。朝霧の鐘亭の一室に響くのは二人の穏やかな声だけで街の喧騒は遠く、世界はただ二人だけのもののように静まり返っていた。


 日没亭での一日は思いがけず大きな転機となったのである。


 ◆


 翌朝、二人は相変わらずギルドへと足を運んだ。


 掲示板の前には今日も冒険者たちが群がっている。依頼の木札を物色し、報酬と危険度を天秤にかけ、己の実力と相談しながら仕事を選んでいく。それはこの街の日常の風景であり、シャールとセフィラもまたその一部となっていた。


「今日はどうしますか」


 セフィラが尋ねると、シャールは掲示板を眺めながら答えた。


「軽めの採取依頼でいいだろう。昨日の疲れが残っている」


「そうですわね」


 二人は薬草採取の依頼を選び、受付で手続きを済ませた。


 森の浅層で取れる香草を集めてくるという簡単な内容である。報酬は銅貨五十枚と控えめだが危険も少なく、半日もあれば終わる見込みだ。


 ギルドを出ようとした時、受付のマリアが声をかけてきた。


「シャルくん、セフィラさん。日没亭の依頼、うまくいったみたいね」


「ああ、おかげさまで」


「グラニーさんから連絡があったの。また頼みたいって」


 マリアはにっこりと笑った。


「あなたたち、評判良かったみたいよ。特にシャルくん。女性の冒険者さんたちの間で話題になってるって」


「話題?」


「美形の給仕がいるって。もう一度見に行きたいって言ってる人もいたわ」


 シャールは苦笑した。


「勘弁してくれ」


「いいじゃない。人気があるのは悪いことじゃないわ」


 マリアはそう言って笑い、二人を見送った。



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